第601話:迷いと選択 その1
「レウルスさん……わたしも、スペランツァの町に同行してもいいですか?」
そう願い出たコロナに対し、レウルスは即答することができなかった。コロナの表情は真剣で、その心境を表すように服を握り込む形でぎゅっと拳を握り締めている。
これからどうしたものか、と悩んでいた矢先の申し出。それを聞いたレウルスは、身を固くするようにして動きを止めた。
以前のレウルスだったならば、コロナがスペランツァの町に同行したいと聞けば素直に喜んで即答していただろう。しかし、今のレウルスにとっては即答できる話ではない。
(コロナちゃんをスペランツァの町に連れて行ったとしてどうする……いや、俺は何をどうしたいのか……)
レウルスの脳裏に、昨晩ドミニクと交わした会話が脳裏を過ぎる。
コロナが思いつきで同行を申し出たわけではないということは、その真剣な表情を見ればわかった。昨晩のドミニクの口振りを思えば、コロナがスペランツァの町に行きたいと真剣に頼めばドミニクも頷くだろう、とレウルスは思う。
そして、コロナがただの興味からスペランツァの町に行ってみたいと申し出ているわけではないことも、容易に感じ取れた。
「コロナちゃん、それは……」
レウルスはかけるべき言葉を探し、しかし、すぐさま言いよどむ。真剣なコロナの瞳に射抜かれ、レウルスはしばし迷う。
そんなレウルスの反応を見てどう思ったのか、コロナは一歩前に出るようにしてレウルスへと近付いた。
「駄目だって、本当はわかってるんです……でも……諦めたくない」
僅かに声を震わせながら、コロナは言う。思いの丈を込めるようにして、叫ぶ。
「傍にいたいんですっ!」
「――――」
レウルスは思わず声を失う。そして同時に、それがコロナの選択か、とも思う。
まっすぐに見詰め、正面からまっすぐな言葉を叩きつけられたレウルスは気圧されたように目を見開いた。
レウルスは考える。
コロナがスペランツァの町に来れば、何が起こるか。さすがにドミニクには劣るものの、王都に同行して腕を磨いた料理がいつでも食べることができる。それはレウルスのみならず、町の開拓に当たっている者達の士気を大いに盛り上げることだろう。
レウルスは考える。
スペランツァの町の防衛を担当している冒険者としての立場で考えれば、守るべき対象が増えすぎるのは困る。
現在スペランツァの町で開拓に当たっている者の多くはドワーフや冒険者で、それ以外の者も重労働に耐え得ると判断された若い男性がほとんどだ。ドワーフはもちろん冒険者達も荒事に慣れており、それ以外の者も周囲の者達が守れるぐらいの人数でしかない。
自分の身を守れない者を連れて行くのは、と思ったレウルスだが、それはルヴィリアも同じである。スペランツァの町自体も周囲を土壁と空堀で囲み終わっており、レウルス達が戻れば防衛の戦力が十分に整うのだ。連れて行かない理由としては弱い。
レウルスは考える。
ルヴィリアを妻として迎えた身として考えれば、断るべきだ。エリザ達を同行させる身で何を言うのかとレウルス自身呆れたくなるが、“コロナは違う”のだ。エリザ達と異なり同行しなければならない理由はなく、妻に迎えたルヴィリアが何と思うか。
ルヴィリアはコロナを同行させるべきだ、とも言っていたが、それが本当に心から望んだものかはわからない。ルヴィリアにも何かしらの考えがあっての発言だろうが、レウルスからすれば鵜呑みにするのも憚られる。
レウルスは考え。
『――“人として生きる”のなら、必要なことだと俺は思うぞ』
昨晩のドミニクの言葉が、レウルスの脳裏を過ぎる。そしてそれまで脳裏に思い浮かべていた考えを振り払う。
(……俺と違って、“真っ当”に四十年近く生きてきたおやっさんがそう言うんだ。俺が思う以上におかしいんだろうな)
前世含めての年齢で考えれば、大差はない。しかし一人の人間として生き続けたドミニクと、一度死んで何の因果か転生した自分。レウルスはその二つを比べ、ドミニクの方が正しいだろうと判断した。
自らの体と精神。それが人間としておかしいのだと、レウルスは思う。既に擦り切れてボロボロとはいえ、前世の記憶や感性から考えれば当然の帰結だろう。
魔力が満ち足りていないならば、いくらでも魔物の肉を食べられる体。
冒険者になったばかりの頃はまだしも、すぐに魔物や人間が相手でも戦えるようになった精神。
いくらエリザと『契約』を交わしているとはいえ、状況によっては吸血種を超えかねない肉体の再生力。
(おやっさんもこの町のみんなも、その辺りを気にした様子がないのが何とも言えないけどな……)
レウルスは自分が人間だと思っているが、本当に人間だという保証はない。それだというのにエリザ達だけでなく、ドミニクもラヴァル廃棄街の仲間達も、レウルスという存在を受け入れている。
だからこそレウルスもラヴァル廃棄街のために、仲間のためにと命をかけられる。
もっとも、魔物や亜人が存在するこの世界において、人間であることはそれほど重要ではないのかもしれないが。
(コロナちゃん……)
レウルスは考え、悩む。レウルスという一個の存在がラヴァル廃棄街に受け入れられるきっかけとなった少女を前にして、悩む。
自身の立場や取り巻く環境。それらが脳裏を過ぎり、レウルスの思考を決定づけようとする。
命がかかった戦闘時なら相応に動く頭も、今は大人しいものだった。それでもレウルスは必死に思考を巡らせる。
この世界で生きてきて学んだ常識や知識。己の置かれた状況。ルヴィリアやエリザ達の存在。それらを思えば、否、と答えるべきだと思考が囁く。
だが、それらの考えや状況を取り払ったレウルスという一人の人間として考えれば、コロナについてきてほしい。“それ”が間違った考えだと思いながらも、答えは一つだった。
「……答えを返す前に、一つ聞いてほしい話があるんだ」
しかし、レウルスはそこで一つコロナに伝えていないことを思い出す。ルヴィリアやエリザ達には伝えたものの、眼前のコロナには伝えていないことがあった、と。
「突飛なことを言うけど、これは冗談じゃない。言い出す機会がなくて……いや、言い訳はよそう。君に知られるのが……君にどう思われるのかわからなくて、言えなかったことがある」
不思議なことに、ルヴィリアやエリザ達に伝えた時とは異なる奇妙な緊張感があった。レウルスは唇を舌で湿らせると、数度深呼吸をする。そんなレウルスの仕草から真剣な話だと察したコロナは、無言でレウルスをじっと見つめた。
「『まれびと』って存在は知ってる……かな?」
「……いえ、初めて聞きました。それが何……っ、レウルスさんがそうなんですね?」
一瞬怪訝そうな顔をしたコロナだったが、今の状況とレウルスの表情からすぐさま思い至る。しかし言葉にした通り『まれびと』という言葉は聞いたことがなく、コロナは続く言葉を待った。
「この世界とは別のところから来た人間、あるいは生まれ変わってこの世界に来た人間を指す言葉らしくてね……コロナちゃんが察した通り、俺は『まれびと』なんだ。俺は生まれ変わったクチで……その、なんだ。本当はおやっさんと似た年齢で……」
『まれびと』に関して説明していたレウルスだったが、徐々に言葉が弱くなる。真剣な瞳で見つめるコロナが、あまりにも揺らいだ様子がないからだ。
「……なるほど。やっぱりそうなんですね……」
むしろコロナはどこか納得したように呟き、その反応にレウルスは面食らう。
「……やっぱり、というと?」
「ちょっとした仕草がお父さんみたいだなって……エリザちゃん達への接し方を見ていると特に……」
そうなのか、とレウルスは視線を泳がせる。言われてみればたしかに、とエリザ達への接し方に関してはレウルスも納得する部分があった。
「それに、たまにですけど……エリザちゃん達を見る眼差しが、うちのお父さんみたいな時がありましたから。だからお父さんと似たような年齢というのも納得です」
そう言って微笑むコロナに、レウルスは困ったように頭を掻く。そんな風に見られていたとは気付かず、納得した様子のコロナに何と言えば良いかわからなかった。
ドミニクといいコロナといい、わかっていて受け入れてくれたのだと思うとレウルスとしては感謝の気持ちが強いが。
それでも、とレウルスは思う。前世を含めた年齢以上に、問題があるのだと思い直す。
「それと、『まれびと』ってことや年齢だけじゃなくて……俺、人間かどうかも怪しいんだ」
「……そうなんですか?」
どう伝えるべきか迷ったレウルスは、そのまま直球で懸念を伝えた。するとコロナは瞬きをしてレウルスの顔や体へ視線を移動させる。
「ヴァーニル……いや、俺の知り合いは人間だって言ってたけどね。俺自身、本当に人間なのかって疑っている部分がある」
ここまでくれば全て話すしかない。そう判断したレウルスが緊張を滲ませながら告げると、コロナは小さく眉を寄せた。
「レウルスさん、少し嫌な言い方をしてもいいですか?」
「……ああ」
一体何を言うつもりなのか、とレウルスは内心身構える。コロナは僅かに逡巡した様子だったが、やがて苦笑するようにして微笑んだ。
「エリザちゃんは吸血種で、ミーアちゃんはドワーフ。サラちゃんとネディちゃんは精霊様……人間じゃないですよね? “それ”をどう思いますか?」
「…………」
レウルスは沈黙で返す。それを言われてしまえばレウルスに答える術はない。
(ルヴィリアといいコロナちゃんといい、『まれびと』であること、人間じゃないかもしれないことをこうもすんなり返されると、悩んでいる自分が考えすぎなのか迷うな……)
レウルスは自分自身が人間ではない可能性を苦慮することはあっても、エリザ達が人間ではないことを気にしたことはない。そして同時に、自身の境遇を告げた際のコロナの反応に納得もした。
(そうか……そうだよな。そんなこともわからなくなるぐらい、俺は……)
コロナやルヴィリアだからこその反応なのか、女性の方が肝の据わり具合が強いのか。あるいはそれだけ自分がずれているのか、とレウルスは少しだけ悩む。
「誤解しないでくださいね? 他の人ならどう思ったかわかりません。でも、わたしはレウルスさんがどんな人か知ってます。だから受け入れられる……それだけなんです」
重ねるようにして告げられたコロナの言葉に、レウルスは無意識の内に自分の頬が震えたのを感じた。
笑いたいような、泣きたいような。胸が温かくなったような、それでいて切ないような。
眼前の少女に、自分は人間だと認められた。そう言葉にしてもらえた。
――それが、レウルスには妙に嬉しく感じられた。
(おかしいなぁ……)
ヴァーニルに話を聞いた時は、このような感覚は抱かなかった。それだというのに、コロナに肯定されただけでレウルスは体が軽くなった気さえした。
レウルスがコロナに対して抱く感情は複雑だ。感謝、恩義、親愛、安堵。様々な感情が混ざり合い、一言で言い表すことができない。
それは男女間の慕情か、と問われればレウルスも即答はできなかった。好悪で答えるならば好きだと言えるものの、愛や恋かと問われると答えに窮する。
もしも初めてラヴァル廃棄街に辿り着いた時にコロナに出会わなければ。餓死寸前で指一本動かす体力も、気力すらなく、生まれ変わっても意味のない人生だったと絶望したまま死んでいれば、どうなったか。
それを思えばコロナに対して真っ先に浮かぶのは感謝だろう。そして、出会ってからこれまでの付き合いで積み重ねてきたものが、“どう転ぶ”か。
一緒にいたいとコロナが言うのなら、一緒にいれば良い。
一緒にいたいと心から思ったのなら、一緒にいれば良い。
そんな単純な答えが浮かび、レウルスはああ、と呟く。
「スペランツァの町に……一緒に来てくれるかい?」
コロナが向けてきた気持ちに対する答えは――まだ、出ない。
それでも一緒にいたいと、レウルスは口にした。
「――はいっ!」
コロナは笑顔を浮かべ、それでいて目の端に涙を溜めながら頷く。
“この選択”が正しいものなのか、レウルスにはわからない。
それでもコロナの笑顔を見たレウルスは、間違いではないと――そう思いたかった。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、評価ポイント等をいただきましてありがとうございます。
九傷さん、unpさんからレビューをいただきました。12、13件目のレビューになります。ありがとうございます。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




