第596話:連鎖 その2
久しぶりに前書きをお借りいたします。
拙作のコミカライズ版が更新され、11話前編が掲載されました。
よろしければそちらもお読みいただければ幸いに思います。
「――なるほど」
居間に姿を見せた二人――特にコロナへと向けられたレウルスの反応に、ルヴィリアは小さく、しかし納得の色を滲ませて呟いていた。
ルヴィリアとしてもコロナとは初対面ではないが、初めてコロナと顔を合わせた際、“レウルスの態度の変化”に気を取られてほとんど記憶に残っていなかった。
だが、こうして顔を合わせ、更にレウルスの反応を見れば自ずとわかることがある。
(この女性が、エリザさんが話していたレウルス様にとって大切な……)
それは貴族の家に生まれ、相応の教育を受けてきたルヴィリアから見れば一目瞭然だった。周囲の態度や何気ない顔色、声色の変化から事態を推察することは容易い。
――加えて、ルヴィリアとしてはあまり経験がないことだったが、“女の勘”にも引っかかるものがある。
(ですが……)
レウルスの反応から、コロナがレウルスにとって“大切な人”だということは察せられた。だが、それと同時にルヴィリアは疑問を抱く。
(服装だけを見れば侍女……ただ、アネモネのようにきちんと教育を受けた侍女ではないですね。サラ様やネディ様のように精霊様とも思えません。エリザさんやミーアさんのように亜人の可能性もありますが……)
ルヴィリアの目に映ったコロナの姿は、良くも悪くも“普通の少女”だった。王都にも、ヴェルグ伯爵家の領地にも、どこにでもいるようなただの少女。素朴な雰囲気と優しげな面差しが印象的ではあるが、ルヴィリアとしては予想が外れたような心境である。
(レウルス様が大切に想われる方と聞いて、アメンドーラ男爵様のような才気優れる方を想像していたのですが……いえ、“そうではないからこそ”大切に想われている? 外見や能力ではなく、性格を好まれている可能性も……)
そんなことを考えながら、ルヴィリアはその視線をずらしてエリザを見た。
今までの会話からスペランツァの町への同行を消極的に反対していたことをルヴィリアは察していたが、姿を見せたコロナへと向けるエリザの表情が驚きと罪悪感に彩られていることを確認し、ますます確信を強める。
「……っ」
そんなルヴィリアの視線に、エリザは“気付かれたこと”に気付いた。そして慌てて表情を取り繕うが、既に遅い。
(ルヴィリアだけでなく、エリザも反応が妙な……まさか……)
そして、そんなルヴィリアやエリザの反応から、レウルスもまた同様に気付く。命のやり取りを行う戦闘中というわけではないが、“場の空気”が変化したことを正確に嗅ぎ取る。
(ルヴィリアがいきなり訪ねてきたのも、スペランツァの町に同行するって言い出したのも、“これ”が理由か? エリザがルヴィリアとどんな話をしたかはわからないが……コロナちゃんに関して何か言った?)
思考を巡らすレウルスだったが、その答えをこの場で尋ねる余裕はない。こんなことならば問い質しておくべきだったかと思うものの、ルヴィリアの反応を見る限りエリザは“レウルスやコロナが不利になる”ような話はしていないだろう。
(……明言はせずともコロナちゃんのことを匂わせた、ってところか? エリザがそんなことをしたのは……俺が原因か)
ルヴィリアと結婚するにあたり、急激に変化した人間関係。それを危惧したエリザが先んじてルヴィリアへ“布石”を打ちにいったのならば、咎めるのはお門違いだろうとレウルスは思う。
「お邪魔しております、アメンドーラ男爵様。それと……レウルス様?」
そうやってレウルスが思考していると、ルヴィリアがレウルスの名前を呼んだ。それにつられてレウルスが視線を向けると、柔らかく微笑むルヴィリアと視線が合う。
「そちらの方を紹介していただいても? 以前応対していただいたことがありますが、正式に言葉を交わすのは初めてですから」
「あ、ああ……そう、だな」
コロナへ視線を向けながら促してくるルヴィリアに対し、レウルスは曖昧に頷く。
「彼女はコロナちゃん……侍女の格好をしてもらっているけど、本業は料理人でね。これから先のことを考えて、姐さんがラヴァル廃棄街から連れてきた……んだが……」
ルヴィリアが求めている説明を、“その意図”を汲み取ったレウルスは言葉を濁した。
それは正妻に説明するには憚られる仲だから――といった理由ではない。
(俺とコロナちゃんの関係は……命の恩人? 友人? 元同居人?)
どのような関係性かを説明しようとしたレウルスだったが、自分とコロナがどのような関係だと表現するべきか迷う。
遠くない未来に、正妻として隣に立つであろうルヴィリア。そんなルヴィリアに紹介するにあたり、コロナとはどのような関係性であると伝えれば良いのか。
「…………」
レウルスは無言でこの状況に相応しい言葉を探す。何を言うべきか迷い、その視線をコロナへ向け――不安そうなコロナの視線に気付いた瞬間、レウルスの口は動いていた。
「俺にとっては命の恩人で――“大切な人”だ」
レウルスが口にしたのは、偽らざる本音だ。
コロナは命の恩人であり、大切な人。それに加えて親しみであったり友情であったり、様々な感情が付加されてもいる。
ルヴィリアへの説明として言葉にするには不適切で、失礼だとは思ったものの、コロナに対する心情を偽ることはできなかった。
「大切な方、ですか……」
そんなレウルスの言葉に対し、ルヴィリアは表情を変えない。ただ静かに、レウルスの言葉を繰り返して数度頷く。
「レウルス様――その“大切”というのは、どういう意味なのですか?」
そして、“レウルスにとっては”想定外の質問を投げかけてきた。
「知人としてですか? 友人としてですか? 家族としてですか? それとも……その感情は恋ですか? 愛ですか?」
「それ、は……」
返答しようと開いた口が、引きつるようにして閉じられる。ルヴィリアから投げかけられた言葉を脳裏で反芻しても、レウルスには明確な答えが浮かばない。
そんなレウルスの反応を見たルヴィリアは、その視線をコロナへと向ける。続いてほんの数瞬ナタリアを見たかと思うと、再び視線をレウルスへ向けた。
「わたしのことを気にされているのなら、遠慮は無用です。わたしは既に想いが叶った身で、今の状況は望外のもの……こうして話をしに来たのも、それが“必要”だと思ったからです」
「……必要ってのは、ルヴィリアにとってか?」
少しでも思考をまとめるようにしながら、レウルスは言葉を紡ぐ。今の体に生まれ変わって以来、覚えることがなかった類の違和感を抱えながら。
「いいえ、レウルス様にとって……です。そしてそれは正解だったと思っています」
そうして言葉を紡ぐレウルスを見詰めながら、ルヴィリアはそんな言葉を返す。淡々とした口調ながらもその瞳は真剣そのもので、レウルスは僅かに気圧される感覚すら覚える。
(……俺のため、か)
声色、表情、態度――その全てから嘘が感じ取れず、レウルスは噛み締めるようにして心中で零す。
突然スペランツァの町へ同行したいと言われた時は驚いたが、その理由が自身のためだと言われたレウルスは数度視線を彷徨わせた。
(誤魔化すのは不義理、だな……)
ルヴィリアを前にして話すには、少なからず気後れのする話だ。それでもレウルスは口を開き、コロナに対してどのような感情を抱いているか言葉にしていく。
「例えばの話になるが……コロナちゃんが敵に襲われるようなことがあれば、命を賭けても守る。相手が上級の魔物だろうと、グレイゴ教の司教だろうとだ」
レウルスとしてはあり得ない例え話だとは思うが、仮に火龍のヴァーニルがコロナを襲うような事態が起きたとしても躊躇なく愛剣を抜くだろう。勝てないとわかっていても立ちふさがり、命を賭けることができる。
「コロナちゃんが困っていることがあるなら力になる。俺にできることなら何でもする」
それほど大切に想っている――が、“その感情”を明確な言葉にすることができない。
ルヴィリアに問いかけられた通り、恋や愛といった感情を抱いていると言えれば簡単だっただろう。それでいて、身内だから、家族だからと言うには距離が近い。
レウルスはそこまで思考し、ああ、と僅かに声を漏らした。
(おやっさんにも、コロナちゃんのことをどう思ってるか聞かれたな……そうだ、あの時も……)
明確な答えは出なかった。そしてレウルスはふと、ルヴィリアを見る。
貴族としての教育の賜物か、あるいはルヴィリア個人の資質によるものか。今この場で最も付き合いが短いはずのルヴィリアだけが、二ヶ月程度共に旅をしただけでレウルスの“本質”を見抜いていた。
「っ……」
レウルスは思わず椅子から立ち上がりかけるが、数秒としないうちに力なく腰を下ろす。己の思考とは裏腹に、感情が不協和音を訴えかける。
レウルスは知らず知らずのうちに右手を握り締め、骨が軋みを上げるほど力を込めていた。コロナのことが大切だと、家族だと言葉にしていたが、それが心底からの自分の感情によるものか断言できない。
言葉を切り、流れた時間は数秒か数十秒か。それを把握できないほどに思考を乱したレウルスは深い息を吐くと、頭を大きく振る。
「ルヴィリアの質問には……答えきれない。やっぱり、コロナちゃんは俺にとって大切な人間だ。一緒にいたいし、手料理はいつでも食いたいし、何かあれば守りたい。ただ、それを好きだとか愛しているだとか、当てはめられるかと言われればわからねえ」
好きだ、愛していると断言できれば良かったのかもしれない。しかし、レウルスには自分が抱いている感情が判別できなかった。
そんなレウルスの言葉に、コロナが一歩前に出る。その瞳に僅かな迷いの色を宿しながらも、何かを言おうと口を開く。
「では、こうしましょう」
だが、それよりも早く、レウルスを見詰めたままでルヴィリアが声を発した。コロナの言葉を遮る形になったのは偶然か、あるいは――。
「“それ”を確かめるためにも、コロナさんにもスペランツァの町へ同行してもらうというのは?」
柔らかく微笑み、それでいて瞳だけは真剣なままでルヴィリアはそんな提案をするのだった。




