第592話:正妻と妾 その3
エリザから向けられた問いかけは、ルヴィリアにとって想定外のもの――というわけではなかった。
ただし、エリザの思惑と“ルヴィリアが知る情報”では齟齬があるのも事実ではあったが。
「エリザさん達以外で、ですか……」
ふむ、と考え込むようにしてルヴィリアが呟く。
「あの方に……レウルス様に“そういう方”がいらっしゃると?」
「“今は”いないけど、“今後”どうなるかわからないでしょ?」
ルヴィリアの問いかけに即答で返すエリザ。
その口振りだけで判断するならば、あくまで仮定でしかないように思える。しかしわざわざこのような場で尋ねたことに着目したルヴィリアは、口元に手を当てながら視線を僅かに下げた。
(エリザさんがそこまで言うに足る相手がいる、と……わざわざぼかして伝えてくるということは……)
公には出せない相手なのだろう、とルヴィリアは推察する。それも、レウルスや“その相手”の立場上、精霊であるサラやネディよりも表に出せない相手なのだ、と。
レウルスの近くにいて、エリザ達よりも親しく、なおかつ“ルヴィリアの夫になる”レウルスとの関係が表に出るとまずい人物。
そこまで考えたルヴィリアは、該当する人物が一人しかいないと結論付けた。
(アメンドーラ男爵様……ですか)
ルヴィリアの脳裏に浮かんだのは、ナタリアの顔である。
準男爵になったレウルスの後見人であり、軍事に疎いルヴィリアでさえその勇名が聞こえてくるほどの人物だ。それでいて新興ながら男爵という立場に見劣りしない政治力の持ち主で、領地を持つ貴族として十分以上の能力を備えている。
普通の貴族として考えれば既に適齢期を過ぎているが、ルヴィリアの目から見ても美しい女性で、レウルスの“実年齢”を聞いた上で考えれば特に問題がある年齢差とも思えない。
レウルスに近く、親しく、なおかつ頼り頼られる関係だと考えれば、エリザ達以上に想い合っていてもおかしくはないだろう。
問題はナタリアがアメンドーラ男爵家の当主で、レウルスがヴァルザ準男爵家の当主だということか。その上、レウルスがルヴィリアと結婚するとなると、宮廷貴族等が喜んで嘴を突っ込んできそうだ。
それも国王であるレオナルドに対してレウルスが直接宣言し、なおかつその場で認められた結婚である。攻撃材料としては十分価値があるだろう。
「それは……さすがに困りますね。レウルス様もそうですが、相手の方も家名に傷がついてしまいます。それでもとレウルス様が望むのならわたしも飲み込みますが、関係が表に出てしまうと御子ができた際にどちらの家を継ぐかで騒動になる危険性があるのは見過ごせません」
それでも、ルヴィリアは秘密裡に全てが片付けられるのならば、と妥協する。仮に関係が明るみに出たとしても、風聞を気にしなければ軟着陸させることも可能なはずだ。
大きな名声を持つ者が引き起こす醜聞は“そうでない者”と比べて大きな騒動に結び付くのが世の常だが、少なくともレウルスは気にしないだろうとルヴィリアは判断した。
「……家名? 騒動? あの、ルヴィリアさん……何か誤解があるような……」
そして、ルヴィリアの発言を聞いたエリザは待ったをかける。何かとんでもない誤解を招いていると、即座に止めにかかる。
「誤解ですか? えと……“そのお相手”はアメンドーラ男爵様では……」
「違いますからっ! 師匠の話じゃないですからっ!」
慌てて否定するエリザ。ただし、レウルスとナタリアの普段の姿を思い返してみると、完全に否定できないとも思ってしまったが。
「えっ……あ、ご、ごめんなさい。勘違いしちゃいました……」
エリザの慌てぶりを見たルヴィリアは思い違いだったか、と謝罪する。しかし、同時に疑問も覚えた。
(アメンドーラ男爵様以外でそういう方がいる? エリザさん達よりも優先して、大切に想っている方が……)
あるいは、気を回し過ぎただけで本当に仮定の話なのか。だが、エリザの反応を見る限り、誰かしら該当する人物がいるのだろうとルヴィリアは推察する。
「あくまで仮定の話……そういう方ができたという仮定での話ですが」
それでもルヴィリアは深く尋ねることはしなかった。あくまで仮定の話だと前置きして、言葉を続ける。
「“その方”がレウルス様にとって一番大事な方だとして……エリザさん達のことすら放置してしまうほど、周囲に目を向けなくなりますか?」
「それは……ないと思う」
「そうですか……立場上、追い出されるようなことがあればわたしもヴェルグ伯爵家も色々と困るのですが、そういうことをする方ですか?」
「それはあり得ない……かな」
ルヴィリアの質問に少しだけ考え込み、すぐさま答えるエリザ。そんなエリザの様子から、その“誰か”の存在を確信しながらルヴィリアは思考を巡らせる。
(レウルス様に近しいけれど、わたしを追い出すなり実権を握るなりしない点から考えると貴族の娘ではない……エリザさん達より優先する可能性があるけれど、エリザさん達を放置するほどではない……でも、わたしが知らないということは“あの旅”にも参加していない……?)
相手の人物像を思い描いたルヴィリアは、万が一を考慮して声を潜める。
「エリザさん……その方は女性ですよね?」
「……え? あの、なんで性別を確認するところから?」
「いえ、エリザさん達よりも優先する相手というだけなら、男性の可能性もあるかと思いまして……レウルス様の性格から考えると、恩義がある相手だと該当しそうだな、と」
ルヴィリアの脳裏には隣国へ向かう際に同行していたコルラードの顔が浮かんでいた。ただし、自分が知らないレウルスの交友関係まで考慮すると、可能性はゼロではないがそこまで高くもないとルヴィリアは判断したが。
「……たしかにそういう意味だともう一人該当する人が出てきそうだけど、今回の話は別件だから」
「そうですか……」
“相手”はちゃんと女性だったか、とルヴィリアは納得する。そして、それと同時に小さく眉を寄せた。
エリザ達よりも大切にし、優先する可能性がある相手――それはつまり、ルヴィリアの“立ち位置”が更に下がるということだ。
正妻という立場を奪ったり、追い出したりするような気性ではないようだが、元々エリザ達よりも優先順位が低くなると言われていたルヴィリアからすれば由々しき事態と言えるだろう――本来ならば。
「――特に問題ないのでは?」
色々と思考したルヴィリアだったが、導き出した結論はエリザが瞠目するに足るものだった。
それまで真剣かつ緊張の面持ちだったエリザは目を丸くし、小さく口を開けたまま数秒固まってしまう。
「問題……ない……の?」
そして、オウム返しに尋ねるエリザ。聞き間違いかと思うほど簡潔で、それでいて動揺の欠片も見当たらないルヴィリアの表情を見て、話が通じていないのかと疑うほどだった。
そのため、数度深呼吸することで我に返ったエリザは、恐る恐る尋ねる。
「……ルヴィリアさんと一緒に過ごす時間が減ったり、なくなったりするとしても?」
エリザとしては、ここまで直接的に尋ねるつもりはなかった。もしもルヴィリアが『そんなことは許さないし、その相手も許さない』などと言い出せば騒動になると理解していたからだ。
しかし、エリザはルヴィリアという女性を見誤っていた。正確に言うならば、“ルヴィリアが置かれていた境遇”に対する認識が甘かった。
ルヴィリアはエリザの質問に柔らかく微笑むと、何かを思い返すように目を細める。
「レウルス様はできる限り、可能な限りわたしを幸せにしてくださると、そう仰ってくださいました。今日だって約束を守れずわたしが体調を崩したのに、こうしてお見舞いに来てくださいました。エリザさん達以上に大切に想い、優先する相手がいたとしても、わたしはそれで十分……ええ、十分なんです」
元々、叶うことはないと考えていた想いが成就したのだ。それも、ルヴィリアが思いもしないほどの好条件で。
「レウルス様の傍にいられるのなら、例え妻ではなくとも、侍女のような扱いだろうとも、ついていくつもりでした。そう思えるぐらい好きで、傍にいたいんです」
「……でも、正妻という立場になった以上、ルヴィリアさんよりも優先される相手がいるのは不満に思うんじゃないか……なんて、わたしは思ったんだけど……」
微笑みながら話すルヴィリアに気圧されつつも、エリザは尋ねる。すると、ルヴィリアは小さく苦笑を浮かべた。
「エリザさん。今まで深く聞いたことはありませんでしたけど、あなたは家名がある家系に生まれて相応の教育を受けてきた。でも、“貴族の娘”ではない……そうですね?」
「……うん」
ルヴィリアはエリザという少女が貴族に近い水準で教育を受けてきたのだと、その所作から見抜いていた。しかしその立ち居振る舞いからあくまで“貴族に近い水準”でしかなく、貴族の家に生まれた娘ではないだろう、とも。
――だからこそ、エリザにはルヴィリアの心情は理解できないのだ。
「では、わたしの気持ちが納得できないのも仕方ないですよ。わたしとレウルス様の今の関係がどれほどありえないことで、奇跡的で……夢みたいなことかは」
エリザとて、ある程度の想像はできるだろうとルヴィリアは思っている。しかし、心の底から実感することはできないだろう、とも思う。
「心の底から想う殿方に嫁ぐことができる……それも、レウルス様の方から求婚という形を取ってくださいました。レウルス様が相手ならと、お兄様も大喜びしています。今回の件は“両家”に望まれ、そしてわたし自身心から望んだことなんです」
本当に、今の境遇は奇跡的なのだ。仮に人生をやり直すことになったとして、再び今の境遇が訪れるとは到底思えないほどに。
故に、ルヴィリアとしては不満など欠片もない。むしろ形だけの正妻にも関わらず、レウルスの態度があまりにも“親身過ぎて”心臓に悪いぐらいだった。
「……でも、本当のお嫁さんならレウルスを独占できると思うんだけど……そうなったら嬉しくないの?」
エリザは食い下がるように尋ねる。失礼だとは思いながらも、この機会に全て尋ねるつもりで言葉を紡ぐ。
すると、ルヴィリアは嬉しそうに、それでいて困ったように手を振った。
「そ、そうなったらもちろん嬉しいんですけど……でもでも、その、やっぱりいいです。今でさえ、レウルス様にはちょっと……うん、ちょっとだけでいいので、手加減をお願いしたいなって……」
「……なんで?」
何が不満なのか、とエリザは追及する。
エリザとしては、レウルスと一緒にいる時間は多ければ多い方が良い。サラなどに聞けば絶対に同意するだろうが、いつでも傍にいたいし、構ってほしいとも思う。
しかし、ルヴィリアの意見は違った。自身の胸に手を当て、頬を桜色に染めながら目をぎゅっと閉じる。
ありえないことだが、と仮定ながらもルヴィリアは空想する。仮にレウルスが自分だけを愛し、自分を最優先した場合どうなるか。
「む、胸が高鳴り過ぎて……体がもちません……」
ルヴィリアとしてもレウルスと一緒にいられれば嬉しいのは当然だった――が、それに耐えられるかは別の話だった。
今日行う予定だった王都観光も、あまりにも嬉しすぎて寝付けず、徹夜してしまって体調を崩すような有様である。
これから先、夫婦として共に生きて行く以上、いつかは慣れるはずだ。むしろそうでなければ困るとすらルヴィリアは思っている。
だが、“それ”は今ではない。ルヴィリアとしてはどれほど共に過ごせば慣れるかわからないが、今の有様ではレウルスも困ってしまうだろう。
(同性で、しかも年上なのに可愛いと思えるのは反則では……)
そんなルヴィリアの告白に、エリザは心底から困ったように天井を見上げた。ルヴィリアの言葉も態度も心底からのもので、演技とは到底思えない。
そのため、降参と言わんばかりに両手を上げる。
「あー……えっと、うん……ルヴィリアさんの気持ちはよくわかりました……“立場的に”ミーアは仕方ないとして、正妻のルヴィリアさんが嫌がるならわたしは正式な結婚は無理かな、なんて思ってたんだけど……家名もレウルスが半分継いでくれるし」
ミーア本人だけでなく、カルヴァン達ドワーフとのつながりを思えば、ミーアがレウルスと結婚することにエリザは反対しない。しかし、その辺りの“利”がないため正妻であるルヴィリアに認められるか不安だったエリザは、事態がどう転ぶか読めないでいた。
半分とはいえヴァルジェーベの家名をレウルスが継いでくれ、なおかつ妾という立場がなくとも家族ではあると確信できるのだ。ルヴィリアの反応次第では正妻にルヴィリア、妾としてミーア、自分は今後の状況に応じて、などと考えていたのだが――。
「……? 対外的にはわたしが正妻として動きますけど、家中ではエリザさんに全てお任せしようと思っていたんですが……駄目なんですか?」
ルヴィリアは不思議そうに尋ねる。
それは貴族として考えれば落第点もいいところだったが、ルヴィリアからすればエリザはレウルスの家族なのだ。それもサラやミーア、ネディと比べると貴族に近い思考と能力を持っているため、ルヴィリアとしても少し支えるだけでヴァルザ準男爵家を回せるだろうと思うほどである。
「わたしとしては、レウルス様の今後のことを思うとエリザさんには是非傍にいて欲しいのですが……高い水準で教育を受けていて、なおかつレウルス様と一緒に旅ができますしね。わたしはレウルス様が不在の際に家を守らなければならないですし……」
それが正妻の務めだ、とルヴィリアは言う。そして、その点で見ればエリザはルヴィリアと異なり、レウルスと行動する体力がある上に相応の教育を受けている。
“動き回る”レウルスの傍にいてほしいとルヴィリアが思うのも当然と言えるだろう。
(こう言ったら失礼かもしれないけど、レウルスが正妻に選んだのがルヴィリアさんで良かった、かな……これが他の貴族の娘だったら……)
そんなルヴィリアの反応に、エリザとしてはそう思わざるを得ない。
元々そういった考えを持っていたが、実際に一対一で話してみるとその思いは強まるばかりだった。
「……じゃあ、わたしもレウルスと結婚して……いいの?」
それでも、一応は伺いを立てるエリザ。ヴァルザ準男爵家の当主はレウルスだが、そんなレウルスの正妻に話を通すのはエリザとしては当然と言えた。
「もちろんです。これからもよろしくお願いしますね、エリザさん」
エリザの不安を払拭するように、ルヴィリアは微笑みながらそう答えるのだった。
「予定変更、ですね……レウルス様とお兄様を説得しなきゃ……」
――レウルスを呼びに行くエリザの背中を見ながら、ルヴィリアはそう呟くのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、お気に入り登録や評価ポイントをいただきましてありがとうございます。
今回、宵凪海理さんよりレビューをいただきました。これで11件目のレビューになります。ありがたい限りです。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




