第591話:正妻と妾 その2
ルヴィリアの部屋からレウルスが出て行き、その気配が完全になくなる。それを確認したエリザは一つ息を吐くと、その視線をルヴィリアへと向けた。
「……それでエリザさん、お話というのはなんでしょうか?」
エリザの視線を受け止めたルヴィリアは真剣な表情を浮かべて尋ねる。そこに緊張の色はなかったが、エリザの様子から大切な話だと察したのだろう。
「う、む……まあ、なんじゃ。体調が悪いところに押しかけておいて、こういう話をするのもどうかとは思ったんじゃが……」
そんなルヴィリアと対峙したエリザは、歯切れが悪そうに言葉を紡ぐ。少しだけ困ったように頬を掻くと、不意にルヴィリアが表情を崩して楽しそうに微笑んだ。
「ふふっ……そのほっぺたを掻く仕草、レウルス様みたいですね」
「そうじゃろうか……そうじゃな。自然と似てくるところはあるかもしれんなぁ……」
緊張を解すような一言にエリザも表情を崩し、小さく笑う。それが狙ってのものか素での発言なのかはわからないが、エリザとしては必要以上に固くなるのも上手く言葉が出てこなくなるか、と自分に言い聞かせた。
「今更な話じゃが、口調も含めて失礼なことを言うし聞かせてもらうじゃろう……それでも構わぬか?」
そして、話をする前にエリザはそんなことを尋ねる。それを聞いたルヴィリアは目を丸くすると、表情を真剣なものに変えた。
「先に“失礼”をしたのはこちらですから……ごめんなさい」
そう言ってルヴィリアは深々と頭を下げる。
ルヴィリアが謝ったのは体調を崩したこと――では、ない。
“それ”が何を指すのか察したエリザは苦笑を浮かべると、肩を竦める。
「構わぬ……とは、言えん。じゃが、レウルスが準男爵になって、王命に応えて武名を挙げた以上、正妻は貴族の家から迎えた方が都合が良いのは確かじゃよ」
「ですが、エリザさんもレウルス様のことを……その……」
真剣な表情の中に困惑の色を混ぜ、小さく首を傾げるルヴィリア。そんなルヴィリアの言葉にエリザは笑顔を浮かべた。
「うん――好きだよ」
ここにきて、エリザは“素”の表情と言葉を覗かせる。相手が伯爵家の令嬢で、年上というのも最早関係はない。
これから先のことを思えば、胸の中に仕舞い込んだままで接し続ける方がまずいことになる。そう思ったからこそ、エリザはルヴィリアに言葉をぶつけていく。
「わたしはレウルスが好き。ルヴィリアさんがレウルスに出会うよりももっと早くから、ずっと好き。だから今回の話には少し……ううん、本当はすごく腹が立ってるし、悲しい」
「…………」
エリザの言葉を受けたルヴィリアは無言で頷きを返した。本音をぶつけるエリザから視線を逸らすわけにはいかないと、真っ向から受け止める。
「レウルスと一緒に生活して、旅をして、戦って……でも、“このまま”ではいられないっていうのもわかってた。貴族の家に生まれたわけじゃないけど、一応、そういう教育も受けてはいたから」
「……そう、なんですね」
「うん……だから、ルヴィリアさんがレウルスの正妻になることに不満はあるけど、納得と安心もしてるの」
「納得と安心……ですか?」
ここにきて、ルヴィリアは不思議そうな顔をした。
“貴族として”考えるならばルヴィリアがエリザに負い目を感じる必要はないだろう。今回のレウルスとルヴィリアの結婚は、家同士で話が通った正式なものだ。その上、ルヴィリアとしては望外なことに、レウルスの方から求婚した形になっている。
それでも、ルヴィリアはエリザが――エリザ達がレウルスの“家族”だと知っている。結婚するとしてもルヴィリアより優先すると宣言もされている。
それ故にどんな態度を取られ、罵詈雑言をぶつけられたとしても素直に受け入れるつもりだった。それだというのにエリザの口から納得と安心という言葉が出てきたため、疑問を覚えたのである。
エリザはルヴィリアの表情から困惑を読み取ると、怒ったような、困ったような、複雑そうな笑みを浮かべる。
「もしもわたし達が名前も顔も知らない人がいきなりレウルスの妻に……なんて話だったらさすがにもっと怒ったと思う。なんで、って悲しんだと思う。でも、ルヴィリアさんは一緒に旅をした仲間だし、友達だし……なにより、レウルスのことをすごく好きだってわかるから」
「っ……」
エリザの発言を聞いたルヴィリアは大きく目を見開いた。そして恥ずかしげに頬に両手を当てる。
「ぇ、ぅ……そ、その……そんなにわかりやすい……です、か?」
「わからなかったら、目が見えていないのかなって疑うぐらいには」
真顔で頷くエリザに、ルヴィリアはますます恥ずかしそうにした。年下の少女に真っ向から指摘されるぐらい表に慕情が出ていたことに、言い様のない恥ずかしさがあったのだ。
「そ、それがわかったとして、どうして納得と安心につながるんですか?」
ルヴィリアは恥ずかしさを誤魔化すように尋ねる。すると、その問いかけを受けたエリザの表情が一変した。
これ以上ないほど真剣に、瞳を覗き込むようにしてルヴィリアをじっと見つめる。
「だって、ルヴィリアさんがレウルスを裏切る――ううん、レウルスと“敵対する”可能性は限りなく低いでしょう?」
「……そ、れは……どういう?」
思わぬエリザの言葉に、ルヴィリアは困惑しながら尋ねる。エリザはそんなルヴィリアの問いに視線を外すと、そのまま天井を見上げた。
「うーん……なんて言ったら伝わるかな……」
エリザがレウルスからの求婚に対する返答を保留し、ルヴィリアとの話し合いを望んだ理由はいくつかある。しかし、その中でも今後“問題”になりかねないと危惧したことがあった。
これは嫌味でも自慢でもないけど、と前置きしてからエリザは言葉を続ける。
「ルヴィリアさんよりもわたしの方がレウルスと長い付き合いで、“ルヴィリアさんが知らない”レウルスを知ってるの。それは理解してもらえると思うけど……」
「それは……はい、当然の話だと思います」
エリザが何を語り合いのかわからず、ルヴィリアは軽く頷くに留めた。エリザの言葉に思うところがないとは言わないが、出会った早さ、付き合いの濃さから当然のことだと納得もする。
エリザは視線をルヴィリアに向けると、どんな反応も見落とさないようじっと見つめた。
「レウルスは少し……ううん、かなり歪なところがあるの」
「歪なところ、ですか?」
「うん。家族、身内、仲間……レウルスはよくそういう表現をしてるけど、懐に入った相手は大事にするし、何かあれば絶対に守り抜こうとする。でも、敵には容赦しない」
「……それは当然のことでは?」
味方は守り、敵は討つ。貴族の家に生まれたルヴィリアとしても、極々当然のことだと思える話である。
しかし、言葉を交わすエリザの表情は優れない。
「その線引きがすごいというか……実際にあったことだけど、“惚れた相手”でも敵なら殺せるのがレウルスなの。正確には『魅了』っていう力で惚れさせられた相手なんだけどね」
「……グレイゴ教の司教、でしたか?」
「そう。あの女の力が完全には効かなかったからかもしれないけど、レウルスは斬った……ルヴィリアさんが“そういうこと”をするとは思わないけど、知らずにいるよりは知っていてほしいの」
どこか苦々しい口調で話すエリザ。ルヴィリアがレウルスを害する理由はなく、そのような姿を想像することも困難だが、何事にも“もしも”はあり得るのだ。
そこまで話したエリザは居住まいを正すと、ルヴィリアに向かって深々と頭を下げる。
「ルヴィリアさんのためっていうのもあるけど……何よりも、レウルスのためにお願いします。あの人を裏切るような真似はしないでください」
それがどのような結末をもたらすか、想像するのも嫌だとエリザは言う。
それを聞いたルヴィリアはエリザの真剣な声色に押されるようにして頷く――その直前で、かすかな疑問を覚えた。
「お慕いしている殿方に、直接望まれて嫁ぐことができる。それは貴族の子女としては本当に、本当に望外の喜びなのですが……エリザさんは、わたしが“そんなことをする”可能性があると考えているのですか?」
相手がエリザで、なおかつその態度を見ていなければ侮辱だと捉えかねない話である。しかしルヴィリアは怒りを抱くよりも先に疑問を抱き、僅かに声を震わせながら尋ねた。
言葉にした通り、ルヴィリアにとってレウルスとの結婚は望外の喜びであり幸運だ。焦がれるほどに慕情を募らせた相手に望まれ、正妻として嫁げる貴族の女性が一体どれほどいることか。
それも妾腹とはいえ国王自ら王女を娶らないかと勧められ、断った上での話である。
元々、冒険譚に綴られ、吟遊詩人がこぞって歌いそうな隣国への旅を経て芽生えた想いだ。一度は蓋をしたものの、結局は容易に蓋を破って溢れ出てしまったほどの想いでもある。
――その想いが叶い、共に在れるというのに、何故わざわざ手放す必要があるのか。
ルヴィリアはそう思うものの、エリザがわざわざ一対一で話し合いにきたのである。何か理由があるのだと、そう考えた。
そんなルヴィリアの問いかけに、エリザはゆっくりと頭を上げる。そしてどこか気まずそうに視線を逸らした。
「レウルスから聞いたけど、結婚の条件として正妻であるルヴィリアさんよりもわたし達を優先するって……ルヴィリアさんは本当にそれでいいの?」
「え? 話が……いえ、わたしとしてはそれも当然といいますか……」
話が逸らされたのかと思ったルヴィリアだったが、何か必要なことなのだろうと判断して答える。
「レウルス様とも話し合ったことですけど、わたしだとレウルス様の赤ちゃんを授かることができないかもしれませんし……さすがに公的な場では正妻として振る舞わせていただきますけど、家の中までそれを持ち込むつもりはないですよ?」
「……本当に?」
「はい。エリザさんが仰って下さったように、その、お、お友達、ですから。それも同じ人を好きになって、これから一緒に過ごしていく間柄ですし……レウルス様も、結婚はしたものの完全に放置するような方ではないですから」
そう言ってルヴィリアは柔らかく微笑む。
この時点でルヴィリアはエリザが何を警戒しているのか予想がついた。ルヴィリアがエリザ達に嫉妬し、その矛先がレウルスへ向かうことを危惧しているのだろう、と。
ヴェルグ伯爵家も他家のことは言えないが、レウルスは王都に来てから様々な貴族の“家庭事情”を目の当たりにしている。結婚はしたものの、ルヴィリアとエリザ達の間で不和が巻き起こればどのように思うか。
そういった面倒事を統制するのは正妻であるルヴィリアの役目だが、レウルスとエリザ達の関係上、難しい面があるのもたしかだ。それでもルヴィリアはエリザ達とならば上手くやれると、そう思っている。
「それならわたし達……わたし、サラ、ミーア、ネディの“わたし達四人以外”で、わたし達よりも更に優先したり大切に想ったりしている相手がレウルスにいたら……その時はどうするの?」
そして、そんなルヴィリアの思考を見透かしたように、エリザはそんな問いを投げかけるのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、お気に入り登録や評価ポイントをいただきましてありがとうございます。
無事に手術が終わり、なんとか復活しました。感想欄でもご心配いただき、ありがとうございました。
親知らず四本+奥歯一本をまとめて抜いた感想としましては、地獄だった、と……。
調子が完全に戻るまではこれまでのように毎日更新ができないかもしれませんが、その際は気長にお待ちいただければと思います。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




