第58話:月夜に嗤う
一撃で仕留めるつもりだったレウルスと、体を痺れさせながらも回避できると考えていたヴィラ。
レウルスは勢い良く振り下ろした大剣が地面に埋まり、ヴィラは右腕の二の腕から先が斬り飛ばされたことでバランスを崩す。
「グ、ツゥ……さすがにこれは、きついねぇ。ヒヒッ……困った困った」
だが、右腕を失ったにも関わらずヴィラは即座に体勢を立て直して後退した。エリザが放った雷撃の影響も抜けてないはずだが、しっかりとした足取りで距離を取っている。
常人ならば右腕を失った痛みと衝撃でショック死してもおかしくはないだろう。それでも『強化』による恩恵か、あるいはやせ我慢をしているだけなのか、ヴィラは冷や汗を流しながらも笑顔を崩さなかった。
(外した……というよりも避けられた、か)
雷撃で体が満足に動かせなかったはずだというのに仕留めきれなかった。その上、右腕を失っても戦意を保つヴィラの姿にレウルスは密かに戦慄する。
レウルスは大剣を地面から引き抜くと、追撃を仕掛けるべきか迷いながら大剣を構えた。しかし、両手で握る大剣の重さ徐々に増しているように感じられ、内心だけで焦る。
(魔力が切れかけてやがる……)
『熱量解放』も既に限界が近い。両手で握ればまだ大剣を振るえそうだが、今までと比べれば動きが格段に悪くなるだろう。
加えて、レウルスの背後で人が倒れるような音が響く。ヴィラから意識を外さないままで立ち位置を変えながら確認してみると、雷魔法を放ったエリザが地面に倒れていた。
魔力と『詠唱』によって強引に雷魔法を行使した影響なのだろう。全身から血を流し、意識も絶え絶えといった様子だった。
魔力の大部分を消耗したからか、エリザが負った傷の回復も遅くなっている。同時に、エリザからレウルスへと流れる魔力も一気に弱くなっていた。
ヴィラはレウルスとエリザに視線を送ると、器用に口と残った左手だけで右腕の傷を紐で縛り上げる。そして強引に止血するなり笑みを深めた。
「いやはやぁ、まさかいくら助祭以下の雑魚ばかりといっても、ここまで痛手を負うとは思わなかったよぉ。でも、そっちも限界みたいだし? 今日のところは退かせてもらおうかなぁ」
「……逃がすと思うか?」
「俺を追うより周りの雑魚を殺すなり捕まえるなりすれば? そろそろ雷魔法の影響から抜け出すだろうしねぇ」
言われて周囲の気配を探ってみると、エリザの雷魔法では仕留められなかったのか何人か魔力を持った者が生きていた。
エリザが手を汚さずに済んだことを喜ぶべきか、目の前のヴィラを逃がさなければならないことを嘆くべきか。
ヴィラを仕留めようと思っても仕留められる保証はない。『熱量解放』が切れかけ、エリザからの魔力も乏しい状態では左腕一本のヴィラを倒せるかもわからなかった。
それでも、この場からヴィラを逃すのは危険だろう。他の雑魚はともかく、目の前の男だけは殺すべきだとレウルスの本能が訴えかけてくる。
「あらら……これで退いてくれないかぁ。仕方ない……」
大剣を構えて殺気を漲らせるレウルスを見て、ヴィラは困ったように呟く。そして懐に手を突っ込んで“何か”を取り出した。
それは黒い球体で一本の紐が飛び出ており、ヴィラは紐を噛みながら球体を引っ張る。
「おい……まさかっ!?」
その形状と動作はレウルスの前世の記憶を刺激するものだった。レウルスはヴィラに斬りかかるべきかこの場から逃げるべきか迷ったが、ヴィラの方が速い。
ヴィラは黒い球体を地面に叩き付け、火薬が炸裂する轟音と共に黒い煙が周囲に広がった。
手榴弾のようなものではなく、煙幕だったらしい。闇に紛れて周囲に広がる黒い煙を見たレウルスはその匂いを嗅ぎ――即座に背を向けてエリザを抱きかかえる。
「ヒヒッ、良い判断だねぇ……それじゃあ、また会えることを祈っておくよ」
エリザを抱きかかえて距離を取ったレウルスの姿に、ヴィラは笑いながら踵を返して撤退に移った。急速に離脱していくヴィラの背中を見たレウルスは、歯噛みをしながらその場から逃げ出す。
「あの野郎……いくら逃げるためといっても毒を撒くかおい!?」
ヴィラが展開した煙幕。それはラーシェの猛毒を含んだものであり、レウルスは匂いを嗅いだ鼻と肌にピリピリとした痛みを覚えた。
毒に耐性があるレウルスならば即死はしないだろう。レウルスと『契約』したエリザも、もしかしたら死ぬことはないかもしれない。
だが、エリザは雷魔法の自爆で全身に傷を負い、血を流しているのだ。傷口から毒が回れば死なない保証はなく、レウルスは即座に撤退を選択した。
(くそっ! せめて他のグレイゴ教徒だけでも……っ!?)
毒の霧は闇夜に紛れて目視が困難だ。それでもヴィラ以外のグレイゴ教徒だけでも仕留めたいと思ったレウルスだったが、撤退の途中で見かけたグレイゴ教徒の姿を見て息を飲む。
「おいおい……自決かよ」
そこにあったのは、短剣で喉を突いた格好で息絶えたグレイゴ教徒の死体だった。ヴィラの撤退に合わせ、虜囚になるならばと自ら命を絶ったらしい。
その死に様を見たレウルスは数秒だけ瞑目すると、エリザを抱きかかえたままで駆け出した。毒の霧がどこまで広がるかわからないが、森の外まで届けばラヴァル廃棄街の面々にも被害が出てしまう。
他のグレイゴ教徒との戦いがどうなっているかわからなかったが、味方に被害が出ることだけは避けたかった。
「ヒヒッ……あーあー、だいぶ数が減っちまったなぁ」
毒の煙幕を撒き、そのまま撤退に移行したヴィラは思わずそう呟いていた。その周囲には少ないもののグレイゴ教徒の姿があり、撤退するヴィラに付き従って森の中を駆けている。
レウルスとエリザによって手傷を負うか、撤退の進路にいなかった者は自決した。ラヴァル廃棄街の面々と交戦していた者達もほとんどが殺され、撤退できていない。
いくら味方の数が少なかったとはいえ、ここまでボロボロになって撤退したのはいつ以来か。そんなことを脳裏の片隅で考えつつも、ヴィラの思考の大部分はレウルスとエリザに向けられている。
「司祭様。結果は如何でしたか?」
ヴィラに付き従うグレイゴ教徒の一人がそう尋ねた。その問いかけを受けたヴィラは上機嫌に笑う。
「まだまだこれからって感じだけどねぇ。でも“見込み”アリさぁ……もっと腕を磨けばあの化け物は上級まで届く。それがわかっただけでも収穫だ」
前半は陽気に、後半は真剣な口調で呟いた。その呟きを聞き、周囲のグレイゴ教徒達は興奮するようにざわめく。
ヴィラが見た限り、エリザは吸血種として未熟も良いところだ。自己治癒力だけは中々だったが、傷が治るよりも『詠唱』による自爆で傷が増える方が早かった。あれでは魔法使いとしても未熟に過ぎるだろう。
だが、それでも――。
「『契約』した相手が良かったのか、あの化け物が吸血種として上物だったのか、一人の血を吸っただけであれほどの魔力を得たんだ。育て方次第では上級の中でも上位に食い込むだろうさ」
ヴィラの脳裏に映るのは、自爆覚悟で雷魔法を行使したエリザの姿。本来ならば使えないであろう雷魔法を、魔力量と『詠唱』だけで発現させたのだ。魔力の扱いに慣れ、魔力を大量に蓄えればどこまで“伸びる”か。
「上級上位と言えば白龍や黒龍に匹敵しますな。少なくとも属性龍は越える……」
「ああ、楽しみだねぇ。あとは司教様達の判断次第だけどぉ……今回みたいな尻拭いは二度としないからな。先走るような馬鹿はさっさと処分するに限る」
それまで上機嫌のヴィラだったが、途中から吐き捨てるような口調に変わった。それでも気分を持ち直したのか、細目を歪めて楽し気に笑う。
「まあ、そんな馬鹿でも“狂犬”を引き付ける餌になったんだし? 有効利用ってのは大事だねぇ」
ラヴァル廃棄街に潜入するにあたり、厄介なのは“それ”だけだった。ヴィラは敵が無能な味方を処分してくれたことに感謝し――真剣な表情を浮かべて足を止める。
「司祭様?」
急に足を止めたヴィラに、周囲のグレイゴ教徒が怪訝そうな声をかけた。レウルスと戦った森からは既に三十分近く走って離れており、今更レウルス達が追い付けるはずもない。
夜間でもマタロイの正規軍が巡回している可能性があるため、主要な街道は避けて森の中を移動しているのだ。レウルスの身体能力などには驚いたが、一度見失えば捕捉は不可能だろうとヴィラは見ている。
夜間の森の中ということで魔物と遭遇する可能性もあったが、グレイゴ教徒は言わば魔物退治の専門家だ。上級の魔物ならばともかく、中級以下の魔物程度どうとでもあしらえる。
「――こんばんは」
故に、ヴィラが真剣な表情で相対した相手はその全てに該当しない。
一体いつからそこにいたのか、ヴィラ達の行く手を遮るように一人の女が立っていたのだ。
森の中、木々の切れ目に降り注ぐ月の光を浴びながら、悠然と立つその姿。その女が纏うのは、魔物が跋扈する森の中で着るには不似合いな黒いワンピース。
様々な装飾が加えられたソレは一見ドレスのようにも見えたが、清楚さや気品さは微塵もない。豊かな胸を強調するように胸元が大きく開いており、淫蕩な雰囲気が漂っている。
その女――ナタリアは煙管に火を灯して咥え、蓮っ葉に煙を吐いてから艶っぽく微笑んだ。
「良い夜ね……こんなにも月が綺麗な夜だというのに、そんなに急いでどこへ行くのかしら?」
色気が溢れるその笑みは、いっそ蠱惑的ですらあった。出会った場所と時間さえ違えば、多くの男が見惚れるだろうその美貌。ただし、今の状況で遭遇するにはあまりにも不自然かつ不似合いだ。
「……何者だ?」
相対するヴィラの声は、自然と強張っていた。『熱量解放』を発動して襲い掛かるレウルスを前にしても保っていた余裕は既になく、ナタリアの一挙手一投足を注視する。
「何者? あらあら、これは失礼をしたわね」
ヴィラの警戒を受け、他のグレイゴ教徒達もそれぞれ得物を抜いて構えを取った。そんなヴィラ達の警戒の視線を一身に受けるナタリアは、優雅に煙管を吸いつつ微笑む。
「ラヴァル廃棄街の冒険者組合で受付をしているナタリアと申しますわ。ふふっ、“短い間”ですがお見知り置き下さいな」
そう言って一礼するナタリアだったが、ヴィラの目から見ても隙がない。華奢な体は抱きしめれば折れそうに見えるものの、そもそも指一つ触れられる気がしなかった。
ナタリアは警戒を強めるヴィラ達を見回し、くすくすと笑う。それは童女のような笑い方だったが、同時に、首筋に刃物を当てられたような怖気を伴う笑い方だった。
「……何がおかしい?」
「あら、ごめんなさい。あなた達の顔が“化け物”にでも会ったみたいに強張っているんですもの。それがおかしくてつい、ね……」
そう言うなり、ナタリアの笑い方が変わる。ケラケラ、ケラケラと、転げた箸を見て笑う少女のように、華やかに笑った。
「…………」
「まあ、怖い顔ですこと。か弱い女性に向ける目ではないわねぇ……でもね? 怒りたいのはこちらも同じなのよ?」
無言で睨みつけるヴィラに対し、ナタリアは笑みを引っ込めた。
「うちの坊やとお嬢ちゃんがお世話になったんですもの。そのお礼はしっかりしないと……ねぇ?」
「それはわざわざご苦労なことで……踏み倒してくれても構わないんだけどねぇ」
ナタリアと話している内に、口の中がカラカラに乾いていることに気づく。そのためヴィラは大仰に肩を竦めようとするが、右腕が斬り飛ばされていたことを思い出して眉を寄せた。
――どうやら、腕の痛みを忘れるほどに驚愕していたらしい。
「そんなことできませんわ。ラヴァル廃棄街の流儀に則り、きちんとお礼をさせてもらいますとも。差し当たっては、あなた達の今回の行動を“無駄なもの”にさせてもらおうかしら」
「……どういうことだ?」
「あら、理解できない?」
ふふっ、とナタリアが笑う。そして煙管で森の中を指し示すと、暗闇を掻き分けるようにして大柄な男が近づいてくる。
その男を、ヴィラはよく知っていた。周囲にいるグレイゴ教徒達からも驚きの声が上がる。
高位の魔物を狩るグレイゴ教徒をして、憎悪と畏怖を持ってその名を呼ばれる人物。
『狂犬』、『精霊教徒第二位』、『膺懲』。様々な忌み名で恐れられる人物――ジルバが両手を真っ赤に染めて立っていた。
「陽動は彼が全て片付けたし、ラヴァル廃棄街の周囲にいた“目”もわたしが念入りに潰した……あとはあなた達さえ消えれば全てが丸く収まるのよ。おわかり?」
ジルバに気を取られたグレイゴ教徒達を見たナタリアは、嘲るような笑みを浮かべる。
「もう一度言うわね……あなた達の行動は全て“無駄”だった。知ったことはグレイゴ教には伝わらないし、あなた達はここで無駄死にするの。ふふっ、残念だったわねぇ」
嘲り、嬲るような声色だった。その言葉にヴィラの顔色が変わり、咄嗟に散開してこの場からの離脱を命令しようとする。
――だが、最早遅い。
「言ったわよね? 全てが無駄だったって」
気が付けば、目の前にナタリアが立っていた。それに反応して短剣を抜こうとしたヴィラだったが、思考に体がついてこない。
「ああ、でも……」
何故か“逆さま”に映ったナタリアの顔。つまらないものを見るように、冷徹な眼差しがヴィラを射抜く。
「坊やとお嬢ちゃんが強くなったみたいだし、その点に関してはラヴァル廃棄街を代表して感謝させてもらうわ。ありがとうね」
目だけで周囲を見回したヴィラの視界に映ったのは、“自分と同じように”首を刎ねられたグレイゴ教徒達の姿。それぞれが自分の身に何が起こったのか理解できないように、不思議そうな顔をしていた。
ナタリアが煙管を咥え、煙を吐き出す。その煙が不自然に揺れているのを見たヴィラは、風魔法によって首を刎ねられたのだと悟り――そこで意識が途絶えた。