第576話:三度目の その1
レウルスが行った頼み事は、特に悩む様子もなくルイスによって承諾された。
レウルスがそれを望むのならと、ルヴィリアと二人きりにしても“責任を取ってもらうような事態”は起きるまいと信頼されてのことだ。
――ルイスとしては、そのような事態が起きてもらっても構わないという気持ちもあったが。
ルイスの承諾を得たレウルスは、アネモネに案内されてルヴィリアの部屋へと向かう。ヴェルグ伯爵家にとっては領地の本邸ではなく別邸だというのに広く、案内がなければルヴィリアの部屋がどこかわからないほどだ。
「……ありがとうございます」
そしてふと、案内のために先を歩くアネモネから感謝の言葉を投げかけられた。しかしレウルスとしてはそのような言葉をかけられる理由がわからず、首を傾げる。
「え? 何がですか?」
「お嬢様の……ルヴィリア様を慮っていただけたこと、仕える者として感謝申し上げます」
「…………?」
何のことだ、とレウルスは再度首を傾げた。すると、アネモネの口から小さく笑い声が上がる。それは嘲る類の笑い声ではなく、温かみを感じさせる柔らかい笑い声だった。
「今回の件は個人と個人ではなく、ヴェルグ伯爵家とレウルス準男爵様の“家同士”のお話になります。当主であるルイス様とレウルス様の間で決まったことなら、ルヴィリア様の意思は関係ないのです……普通の貴族家なら」
「へぇ……そんなものなんですね。でも、結婚するのって当人同士の話でもありますし、できる限り意思の疎通は図っておいた方が良いんじゃないですか?」
ルヴィリアとの結婚に関する話を受ける、受けないは別として、その判断を下すに至る“過程”は重要だろうとレウルスは思う。
それが貴族の家の者として当然、などと言われてしまえばレウルスとしても何も言えないが、自分の結婚話ぐらいは納得のいくよう話をしたかった。
(というか、結婚後に“色々な問題”が発生しているのを見ちまったしな……仮に結婚するとして、家庭内に問題が発生したら目も当てられん)
無論、夫婦間で全く問題が起きないということはあり得ない。大小様々な問題が起きるだろうが、事前に話をしておくことで避けられるものもあるとレウルスは思った。
そんなレウルスの発言をどう捉えたのか、アネモネは苦笑を浮かべるようにして言う。
「そう……ですね。そんなレウルス様だからこそ、ルイス様も今回の話に関しては極めて前向きに捉えていらっしゃるのでしょう。ある程度の損も仕方がないと仰っていましたから」
「……まだ話を受けるって決まったわけじゃないですけどね」
レウルスが困ったように言うと、アネモネから伝わってくる苦笑の色が強くなった気がした。
そうしてアネモネに先導されているうちに、レウルスは綺麗な装飾が施された扉の前まで案内される。アネモネは規則正しくノックをすると、中からアネモネと同じく侍女服に身を包んだ女性が扉を開けて顔を覗かせた。
そしてその視線がアネモネからレウルスへと移るなり、驚きから目を見開く。
「お嬢様、アネモネでございます。少々お時間よろしいでしょうか?」
「アネモネ? どうしたんですか? 今はお兄様と一緒にレウルス準男爵様達の歓待をしている時間でしょう?」
侍女が驚きの声を上げるよりも先に、アネモネが扉の隙間から声をかけた。するとルヴィリアから不思議そうな声が返ってくる。
すると、アネモネは応対に出てきた侍女を手招きしつつ、レウルスへと視線を向けた。そのアイコンタクトに頷いたレウルスは、僅かに開いた扉に向かって声をかける。
「ルヴィリアさん、俺だ。レウルスだ。今、少しいいか?」
「……えっ? れ、レウルス様!? な、なんで……きゃっ!?」
ガタンゴトンと物が激しく揺れる音が響く。それを扉越しに聞いたレウルスは大丈夫かと心配になったが、アネモネがすまし顔で侍女に説明をしているため大丈夫なのだろうと判断した。
「ご結婚をお考えになるのなら、“素”のお嬢様もご覧になるべきでしょう?」
「……案外良い性格してますね」
どうやらルヴィリアの反応は予想通りだったらしい。レウルスは苦笑すると同時に、知らず知らずのうちに緊張していたように思えてリラックスするために軽く肩を回す。
(今となっちゃあ、戦いでも緊張することは早々ないんだがな……)
固い表情で訪ねればルヴィリアも何事かと思うだろう。ルヴィリアの反応で気が緩んだことを自覚しつつ、狙ってやったのなら侍女というのもやはり専門職なのだとレウルスは実感する。
そして、数十秒もするとゆっくりと扉が開き、おそるおそるといった様子でルヴィリアが顔を覗かせた。
「あの、アネモネ? どうしてレウルス様がここにいるかを説明して……いえ、その前に着替えたいので少しだけ時間を……」
「それではレウルス様、お嬢様をよろしくお願いいたします。飲み物等必要なものがございましたらお気軽にお呼びください」
扉の隙間からルヴィリアの服装を確認したアネモネは、問題なしと判断して同僚の侍女を連れていく。
(うーむ……一緒に旅をしてた時はもっと堅苦しい感じだったけど、一皮剥けた感じがするな……いや、侍女として振る舞う時はあんな感じなのか?)
おそらくは自分に合わせているのだろう、とレウルスは判断した。他の貴族が相手ならば失礼に当たるのかもしれないが、レウルスとしては今のアネモネぐらいの態度が丁度良いのだ。
(……なんて、いつまでも目を逸らしちゃいられないか)
そこまで思考したレウルスは、その視線をルヴィリアへ向ける。扉の隙間から顔を覗かせるルヴィリアはひどく恥ずかしげで、特に言葉を交わしていないというのに既に顔が赤くなっていた。
「れ、レウルス様、無事に戻られたこと、嬉しく思います。えっと……お兄様とお話されていたのでは……」
まさかレウルスが単身で部屋を訪ねてくるとは思ってもみなかったのだろう。それに加えて、アネモネが他の侍女を連れて下がることなど想像すらしなかったに違いない。
「ええ、ついさっきまでルイスさんと話をしてましたよ。ただ……あー……」
貴女との結婚に関して話をしに来ました、と即座に切り出せる流れでもない。そのためレウルスは一度咳払いをすると、ルヴィリアの目をじっと見つめ、言った。
「ルイスさんの許可をいただいて来ました。二人きりで話がしたいので、部屋に入れていただいても?」
ひとまずは直球を投げつけるレウルスに、ルヴィリアの肌がぐんと赤みを増す。
「え、お、応接室ではなく……ですか? わたしの部屋に?」
「二人きりで話せるのならどこでも良いんですが……いえ、せっかくなので、失礼ついでに入れてもらっても?」
侍女が掃除などをしているだろうが、部屋を見ればルヴィリアの“本当の性格”もわかるかもしれない。
例えば、レウルスが知る限りではエリザ達もそれぞれの性格を示すように自室の様子が異なるのだ。
エリザは全体的に小物が多いが、両親や祖母の教育の賜物かきちんと整理整頓がされている。
サラは用途不明の物体が置かれていたり、服が脱ぎっぱなしで置かれていたりする。あとは何故か焼き肉用の鉄串が何本もあったりする。
ミーアはエリザの部屋と比べれば散らかっているが、ドワーフとしての性なのか工具類や刃物を部屋に置いており、物の数や種類が多いからこそ片付けきれないタイプだ。
ネディに関しては、ほぼ私物がない。寝台と最低限の衣類を突っ込んだ箪笥があるだけだ。
そんなエリザ達と同様に、ルヴィリアも部屋を見ればこれまで知らなかった一面が見えるかもしれない。そう思ったレウルスがルヴィリアをじっと見ると、ルヴィリアは困ったように微笑む。
「あの……レウルス様? 未婚の女性の部屋に一人で……それも侍女まで下げて入るとなるとですね……えっと……あまり……いいえ、とてもよくないことなんです……」
「以前ルイスさんから聞いた覚えがありますね……ただ、今回はルヴィリアさんと二人きりで、一対一で話したいことがあるんです」
そこまで言って、レウルスは一度だけ深呼吸をする。そしてそれまで以上に強く、ルヴィリアをじっと見つめた。
「先ほど、ルヴィリアさんを正妻に迎えてくれないかとルイスさんから言われました。ルイスさんはヴェルグ伯爵家の当主として、俺は準男爵家の当主として……正式な話として、です」
「っ……」
レウルスの言葉を聞き、ルヴィリアは目を見開く。そして唇を震わせ、信じ難い話を聞いたように目を見開いた。
「それで……わたしの部屋に来られたということは……」
期待を込めてルヴィリアが言葉を紡ぐ。しかし、それを聞いたレウルスは申し訳なさそうに苦笑した。
「その“前段階”……ですかね。受けるかどうかを決めるために、ルヴィリアさんと話をさせてくれと頼みました」
「……? そ、そうなんですね……」
一瞬不思議そうな顔をしたルヴィリアだったが、レウルスの用件は理解したようだ。そのため恥ずかしそうにしながらも、扉を大きく開ける。
「で、では……その、どうぞ?」
そう言ってレウルスを部屋に招き入れるルヴィリア。レウルスはルヴィリアに向かって一礼してから部屋に足を踏み入れるが、部屋の中を確認するよりも先にルヴィリアの姿に視線を向けた。
「その服は……」
ルヴィリアが着ていた服は、これまで見たことがある華美なドレスとは全くの別物だった。動きやすさや着心地の良さを重視したのか余計な装飾がない、薄黄色のワンピースタイプの服である。意匠はドレスに近く、スカート部分の裾が膝下まで伸びていた。
「うぅ……部屋着なのであまり見ないでください……お兄様とのお話が終わる前に着替えて、少しでもお会いできればと思っていたんですけど……」
「俺としては部屋着でそんなに質の良さそうな服を着ていることに驚きましたけどね……」
そう言いつつ、レウルスはそれとなく視線を周囲に向けた。
やはりというべきか、部屋自体は侍女が掃除しているのか綺麗に片付いている。しかし棚には何冊もの本が置かれていたり、裁縫道具や色鮮やかな布地が置かれていたりと、エリザ達の部屋とは違った趣きがあった。
――部屋の隅にひっそりと、しかしきちんと手入れされた様子の“旅装”が置かれていたのが、おそらくは他の貴族の女性とは異なる点だろうか。
間違いなく、レウルス達と旅をしていた際に使用したものだろう。レウルスとしても見覚えがある服で、少しばかり懐かしく思う。
「あまり部屋を見られると……恥ずかしいです……」
ルヴィリアはレウルスの視線に気付いたのか、赤らめた頬を両手で押さえながら俯いてしまう。
そんなルヴィリアの様子を見たレウルスは、ここまで来て飾って話すのも違うな、と思った。
「ルヴィリアさん……いや、敢えて“以前”みたいに呼ばせてもらうか」
レウルスは手近にあった椅子を引くと、腰を掛けて柔らかく笑う。
「今日は話を……ああ、そうだ。俺はさ、君と話がしたくてここに来たんだよ――ルヴィリア」
結婚するかもしれない相手だ。それも貴族となれば、前世のように付き合ってから結婚といったプロセスを踏むのも難しいだろう。
そう判断したレウルスは、困惑した様子のルヴィリアを眺めながら口を開く。
「思えば、ルヴィリアには俺のことを話したことってなかったよな……まずは“色々と”話をさせてほしいんだ」
話を聞いた上でルヴィリアがどう判断するのか――それはレウルスにはわからなかった。




