第571話:閑話 その14 信仰の重さ
王都ロヴァーマに帰還した翌日。
昨晩はコロナが作った食事に舌鼓を打ち、風呂にのんびり入り、夜もゆっくりと眠ったレウルスだったが、疲れを抜くためにもその日は朝からダラダラとしていた。
ダラダラといっても自堕落に過ごしているわけではない。ラディアや『首狩り』の剣、短剣や鎧などの防具一式、旅の最中に使用した道具の手入れを行いつつ、時折背中に抱き着いてきて構ってほしいと訴えるサラなどの相手をしながらのんびりと過ごしているのである。
あとはコロナについて回って家の掃除を手伝うティナや、そんなティナの後ろを不満そうな雰囲気を放ちつつもついて回るクリスを“監視”しているぐらいだ。
依頼を達成して帰還したことは既に王城にも知らせてあり、翼竜の首も提出済みである。あとは依頼の報酬が準備されるのを待ち、呼ばれて登城するだけとなっていた。
王都の住民にも広く知られたこと、レウルス達が依頼の亜龍退治だけでなく“武装集団の排除”を主導したとベルナルドが報告したことにより、報酬に関して協議の真っ最中らしいのだ。
なお、報告や翼竜の首を持って登城したのはレウルスではなく、ナタリアである。レウルスの後見人としてベルナルドと組み、レウルス達は旅の疲れがあるから先に報告だけでも、という理由で笑顔で突撃したのである。
亜龍退治に関しては巨大な翼竜の首という動かぬ証拠があり、武装集団――グレイゴ教徒との戦いに関してはベルナルドが報告しているためレウルス達が声を上げて戦果をアピールする必要もない。
また、レウルス達に同行したジルバがソフィア経由で報告を行っているため、戦果を横から取り上げられることもないと思われた。
それらの事情からのんびりと構えていたレウルスだったが、サラとネディに膝枕をしている最中にジルバが訪れたことから事態は一変する。
「レウルスさん、少しお時間をいただいてもよろしいですか? できればお一人で……お話したいことがありまして」
「……場所を変えた方が良いですかね?」
「そうですね……よければ外を歩きませんか?」
サラとネディがくつろいでいるにも関わらず用件を切り出すジルバに、レウルスは少しだけ嫌な予感を覚える。それでも余程重要なことだろうと思ったレウルスは、近くを通りかかったミーアを捕まえて自身の隣に座らせ、サラとネディの頭をミーアの太ももの上に移動させてから立ち上がった。
「レウルスの膝も良かったけど、ミーアの太もも気持ち良い……」
「……これはこれで」
「えっ? あの、レウルス君? ボクはどうすればいいの? あっ、ちょ、ちょっとサラちゃん? ネディちゃんもくすぐった――」
そんなサラ達の会話を背中に聞きながらレウルスはひとまず短剣だけ腰の裏に差すと、ジルバと連れ立って家を後にする。
ラディアも鎧も置いてきたおかげか、道行く人々もレウルス達にそれほど注意を向けなかった。
「用件というのは、クリスとティナのことに関して……ですか?」
ジルバと軽く雑談を交わしながら歩いたレウルスは、周囲に人気がなくなったのを見計らってそう尋ねる。ジルバとしてはサラやネディ、ラディアの近くに司教がいるというのは落ち着かないだろうと判断しての質問だった。
しかし、ジルバはそんなレウルスの予想に反して首を横に振る。
「あの二人に関してはレウルスさんにお任せします。姉の方はともかく、妹の方は……まあ、レウルスさんの仰った通り、“子ども”のようですから」
「……ですか。それなら用件は……」
クリスとティナのこと以外で何かあったのか、とレウルスは首を傾げる。まさか以前の宣言通りソフィアに拳骨を落とし、勢い余って殺してしまったわけではないだろうかと冗談半分で考えた。
「サラ様とネディ様、それにラディア様に関して……いえ、精霊様に関して、ですね」
「……聞きましょう」
ジルバがわざわざ精霊のことを話題にするということは、軽い内容ではないだろう。そう考えたレウルスに対し、ジルバは大司教ワイアットから聞いた“精霊の話”を行うのだった。
「――というわけでして」
気の赴くままに歩きながら、かつて暴走して人に害を成した精霊について話を聞く。レウルスはジルバが話し終わると、足を止めて空を見上げた。
(『契約』していた相手を他者に殺されて、暴走した精霊か……俺の場合、サラは俺が死ぬと一緒に死んでしまうから暴れようがないけど、ネディはどうなるか……)
『契約』を結んでいる相手と限定すれば、エリザやミーアもそうだ。ラディアに関しても、似たような境遇と言える。
グレイゴ教徒はその“暴れた精霊”を倒しただけだとワイアットは語ったようだが、自分が当事者でなければそれも仕方ないと思える話だった。
(ジルバさんも深刻そうな……いや、深刻? 普段通りというかむしろ上機嫌に見えるような……)
話を終えたジルバの表情を確認してみるが、どこか満ち足りた顔付きに見えるのはレウルスの錯覚か。
(さ、さすがに気のせいだよな……)
まだ疲れが抜けていないのだろうか、とレウルスは頭を振る。そしてまずは気になったことを尋ねることにした。
「それで、ジルバさんはどう思ったんですか? わざわざ俺に話したってことは、その大司教の話も嘘だとは思っていないんですよね?」
いくら『契約』を結んだ人間を殺されたからとはいえ、信仰対象である精霊が人間を殺したと聞けばジルバとて心乱されるはずだ。そう思っての問いかけに、ジルバは精霊への祈りを捧げるように右手を己の心臓へと当てる。
「お恥ずかしい話ですが、あまりの歓喜に己を抑えきれず……敵の前で落涙してしまいました」
「――――?」
レウルスは思った。
あれ? 聞き間違いかな――と。
「落涙……つまり、涙が出たと?」
もしや謎の言語変換能力がおかしくなったかな、などと思いながら尋ねるレウルス。すると、ジルバは深々と頷いた。
「ええ……精霊様はそこまで人間を愛して下さるのだと知った途端、自然と涙が溢れたのです。サラ様やネディ様を見ていれば理解できたはずだというのに……私の信心もまだまだ足りないということですね。お恥ずかしい」
「なるほど……なるほど?」
レウルスは一度頷き、ジルバの言葉を脳裏で繰り返し、首を傾げる。
(敵の肩を持つわけじゃないが……ジルバさんと戦った大司教は度肝を抜かれたんじゃないだろうか……)
少なくとも自分ならば度肝を抜かれる、とレウルスは思った。ジルバの信仰の深さ、強さは理解していたつもりだが、“そこまで”だったか、と。
(ああ……道理でここ最近、サラ達へ祈る姿がより熱心に見えたわけだ……)
ジルバとしては、祈りを捧げることへの対価など求めていないだろう。ただ、祈りを捧げる相手が、“人間を愛してくれる”という確信を得た。レウルスにはわからないが、それはジルバにとってはきっと――。
「あの日以来、気を抜けば溢れ出しそうになるこの気持ちをどうしたものかと悩むほどで……スペランツァの町に建てる予定だった教会も、もっと大きなものにしなければなりませんね。そうだ、知り合いの精霊教徒に声をかけて更に労働力を」
「ま、待ってください。ジルバさんの信仰心はよくわかりましたから、少しだけ待ってください。その辺りはほら、こっちが勝手に決めて良いことじゃないですし……ね? 姐さんに聞いて許可を取らないといけませんし……ね?」
レウルスの脳裏に嬉々として資材を調達し、自ら建設に励むジルバの姿が浮かび上がる。ジルバの心が赴くままに教会を建てられた場合、建設予定のナタリアの邸宅より大きくなる可能性も否定できない。領主の邸宅よりも大きな教会となると、要らぬ騒動を招きそうだった。
「おっと……これは失礼をいたしました。やはりまだまだ修行が足りませんね」
「ははは……まあ、ほどほどでお願いします」
家に帰ったらサラやネディ、ラディアに頼んでジルバが無茶を仕出かさないよう釘を刺してもらおうか、と頭を悩ませるレウルス。
そんなレウルスを眺めながら、ジルバは穏やかな声色で話しかける。
「話が脱線しましたが……レウルスさん、私も他人のことを言えないので無茶も無理もするなとは言いません。ですが、“後に遺される者”がいることを頭の片隅にでも置いてもらえれば、と思ったんです」
「ええ……俺もあいつらを遺して死ぬつもりはありませんよ。これからのことを思えば、死ぬほど面倒そうですが」
アメンドーラ男爵領の開拓はともかく、王都でやることが面倒の一言に尽きる。レウルスとしては亜龍退治の報酬を受け取ってから即座に帰郷したいところだった。
「私にできることがあれば何でも言ってください。ソフィア様を動かせば様々な方面に声をかけられますし、私も協力を惜しみませんよ」
「何かあればお願いします」
そう答えてレウルスは苦笑を浮かべる。
借家に戻ったらサラやネディ、ラディアにもっと構おう――そんなことを考えるのだった。




