第569話:果たすべき約束 その11
グレイゴ教徒との戦いを終えたレウルス達は、元来た道を辿りながら王都ロヴァーマの西門まで到着した。
誰一人として欠けることなく、“依頼”も達成したため文句を付けられることもないだろう。証拠である翼竜の首も腐ることがないようネディが凍らせ、馬車に乗せてある。
王都の西門まで到着したレウルス達がそのまま馬車を進めると、門番の兵士が駆けてきて馬車を止めた。時刻は昼時を過ぎたばかりだが、城門での検査を待つ者も少ない様子だった。
「職務により誰何を……失礼、レウルス準男爵様ですか?」
ナタリアが所有する馬車ということもあり姿勢よく声をかけてきた兵士だったが、レウルスの出で立ちを見てそう尋ねてくる。それを聞いたレウルスは僅かに首を傾げるが、すぐさま首肯した。
「ええ、レウルス……準男爵です」
自分で準男爵と名乗ることに違和感を覚えながらも肯定するレウルス。すると、兵士はただでさえ良かった姿勢を直立不動のものに変え、腰を折って一礼した。
「お話は聞いております。こうして戻られたということは、亜龍退治は……」
「無事に終わりました。あ、これが証拠です。一応爪とか牙とか皮とか骨とかもありますけど、見ますか?」
そう言ってレウルスが翼竜の首を掴んで持ち上げると、兵士が驚きからか目を丸くする。しかしすぐさま表情を取り繕うと、好意的な笑みを浮かべた。レウルスよりも年上だが、まだまだ若いと言える顔立ちの男性兵士は感嘆の声を漏らす。
「これはまた巨大な……いやはや、お噂通りですね」
「はぁ……」
噂とはなんぞや、と思いつつもレウルスは相槌を打つ。
「えーっと……通らせていただいても? 他にも荷物を確認しますか?」
「これは失礼をいたしました。通っていただいてけっこうです。ただ、ナタリア元隊長……いえ、今はアメンドーラ男爵様でしたね。男爵様および第一魔法隊のベルナルド隊長より伝言がありまして、城門を通ったらその亜龍の首を見える場所に置いてから進んでほしいとのことです」
「姐さんとベルナルドさんが?」
レウルスは思わずそう呟く。ナタリアとベルナルドが言うからには何か意味があるのだろうが、それが何なのか皆目見当もつかない。
それでもレウルスは言われた通りに御者台の隣に翼竜の首を設置すると、ニコラが嫌そうな声を漏らす。
「隣に翼竜の首を置いたまま手綱を握ったことがある御者なんざ、マタロイでも俺だけじゃねえかな……」
「凍ってるから臭くはないだろ?」
「そういう問題じゃねえよ」
ニコラはため息を吐き、手綱を振るって馬車を進ませる。そうして城門を潜り、ひとまず借家へ戻るべく道を辿っていると、レウルスは周囲からの視線を強く感じた。それと同時に囁き合うような声が聞こえ、その声は徐々に大きくなっていく。
「……何か騒がしくないか?」
御者台の傍に翼竜の首があれば騒ぎの一つも起こるだろうが、それにしても反応が少しばかり過剰に思えた。
「むむ……なんかこう、熱源がワラワラと集まってきてる?」
レウルスの声が聞こえたのか、サラがそんなことを言う。それにつられてレウルスが視線を向けてみると、馬車が通る道を譲りながらも大通りの両脇に人が集まりつつあるのが見えた。
「あれがレウルス準男爵様……すごい鎧だな」
「見て! 大きな魔物の首があるわ!」
「王命で亜龍退治に赴いたという噂は本当だったのか……」
ひそひそと話していた声がやがてザワザワとしたものに変わり、向けられる視線も強さを増していく。
(姐さんもベルナルドさんも、俺を晒し者にしたいのか……いや、あの二人がそんなことのために“こんな真似”をさせるとは思えないな。となると……必要だから、か?)
そう思考したレウルスは、ため息を吐きたくなるのを堪えながら座った状態から立ち上がる。そして翼竜の首を掴むと、遠くの者にも見えるよう掲げてみせた。
すると、最初こそ驚いていた王都の住民からさざ波のように歓声が上がり始める。それはやがて大きなうねりとなり、馬車を引く馬が驚いて棹立ちになりそうなほどの声量へと変化した。
(これで良い……よな?)
ナタリアとベルナルドならば理由があるのだろうと判断し、レウルスは内心でそう呟くのだった。
そんな王都の住民の歓声に晒されることしばし。
ナタリアが借りている家の前へ到着したレウルスは、深々とため息を吐いた。端の方とはいえ多くの貴族が邸宅を構える区域になるため、馬車を追いかけてくる者や騒ぐ者もいない。
(ようやく帰ってこれた……そこまで長い旅でもなかったってのに、妙に懐かしく思えるな)
十日近く空けていただけだというのに、妙に懐かしく思える。それもラヴァル廃棄街やスペランツァの町にある自宅ではなく、王都で借りているだけの家だというのに不思議なものだった。
借家の前で馬車を止めると、それを見計らったように借家の扉が開く。
そして顔を見せたのはナタリアとコロナで、コロナはレウルス達が全員無事だということを確認すると口元を両手で覆いながら目に涙を溜め始めた。
「皆さん……無事なんですね……本当に良かった」
「ええ、本当に良かったわ」
コロナの言葉に同意するようにナタリアが言う。ナタリアは普段通りの表情だったが、それでも安堵の感情が伝わってくる声色だった。
「それとレウルス、こちらの伝言通りの対応をしてくれたみたいね。ここまで歓声が届いていたわよ?」
「ここまで聞こえたのかよ……」
げんなりとした顔付きでレウルスが呟く。歓声が聞こえたということは、レウルス達が帰還したことを知らせる良い合図になったことだろう。しかしレウルスはすぐさま表情を戻すと、ナタリアに疑問をぶつけることにした。
「それで? わざわざ門の人に伝言を頼んでまであんなことをさせた理由はなんだい?」
「あなたを守るため……あとは民衆を味方につけるためってところかしら。あそこまで大々的に手柄を主張しておけば誤魔化しようがないでしょうし、今回の依頼の報酬を踏み倒されることもないわ。それに、これで“どちらにも転べる”し、あとは向こうの出方次第といったところね」
「帰って早々、聞きたくない話がわんさかとありそうだな……」
せめて今日だけは休ませてほしいと思うのは贅沢な願いなのだろうか。そんなことを考えるレウルスだったが、さすがにナタリアも帰ってきて早々に厄介事を放り投げてくるつもりはないようだ。
――必要ならば遠慮なく投げてくるのだろうが。
はたしてどんな問題がいくつ飛んでくるのか、などと思いながらレウルスは借家に足を向ける。しかしナタリアが右手をかざしてそれを遮ったため、レウルスは怪訝そうな表情を浮かべた。
「レウルス、何か言うことがあるんじゃない?」
「え? 何かって……ああ」
レウルスが視線を向けたのは、心底安堵した様子のコロナだ。コロナはレウルスから視線が向けられていることに気付くと、慌てた様子で涙を拭い、恥ずかしそうに頬を赤らめる。
それを見たレウルスは頬を掻き、ああ、と心中で声を漏らした。
「ただいま、コロナちゃん。無事に帰ってきたよ」
「――はいっ! おかえりなさい!」
最後に残った果たすべき約束を今、無事に果たせたのだ。
コロナの花咲くような笑顔を受け止めたレウルスは、今まで以上に強く、“帰ってきた”と実感した。
「ちゃんと食事の仕込みをしてますからね? 今から作るので、少しだけ待ってもらいますけど……」
「もちろん大丈夫だよ。旅の汚れを落とさないといけないしね」
僅かに申し訳なさそうな顔をするコロナに対し、レウルスは笑って返す。すると、そんなレウルスとコロナの会話を聞いていたエリザ達が声を上げた。
「むぅ……この状況で声を上げるのも申し訳ないんじゃが……ただいま帰ったのじゃ」
「たっだいまー!」
「ただいま。あー、今回はさすがに疲れたね」
「……ただいま」
『ただいまー』
エリザ達だけでなく、ラディアも帰宅の挨拶をする。コロナはそれぞれに返事をし、ラディアを除いて正面から抱き締めて無事の帰還を祝うと、不意にその視線をずらした。
その視線は馬車の陰に向けられており、そこにいる人物に気付いたコロナは柔らかく微笑む。
「ティナちゃんもおかえりなさい。あなたのお姉さんのことも紹介してね?」
そう言ったコロナの視線の先には、狐面を取った状態で所在なさげに立つティナと、そんなティナの隣で狐面を付けたままそっぽを向くクリスの姿があった。
ジルバがやれやれと言わんばかりに首を振っているのが見えたが、一体どうしたのかとコロナは不思議に思う。
「えっと……あの、その……ただいま、コロナさん」
それでも、申し訳なさそうにしながらも、どこか嬉しそうに言葉を返すティナの姿に相好を崩した。
「……クリスはティナがどうしてもって言うからついて来ただけだから」
そんなティナの態度とは対照的に、クリスは不満を隠さずにそう言う。しかしティナと同じ背格好のクリスがそのような態度を取ってもコロナには通じなかった。
「クリスちゃんって言うのね。わたしはコロナです。よろしくお願いしますね?」
平然とクリスとの距離を詰め始めるコロナの姿に、レウルスは小さく苦笑する。
「レウルスさん、わかっていますね?」
レウルスに対し、静かに近付いたジルバがそう釘を刺す。それを聞いたレウルスは苦笑を深めながら頷いた。
「俺としちゃあ、あの二人はただのガキにしか見えないもので……それでもこちらの不利益になるような行動を取ったら、容赦なく斬りますよ」
――ついていきたいと頼んだティナに対し、レウルスが悩んだ末に下した決断は承諾だった。
グレイゴ教の司教であるティナからは様々な情報が得られるだろうという打算もあったが、それ以上に一ヶ月を超える共同生活でティナが外見以上に“幼い”ということに気付いたレウルスは、そのまま別れて再び戦場で会ったら殺し合うというのも如何なものか、と思ったのである。
無論、レウルスとしてはクリスやティナが自分達を害する行動を取った場合、即座に斬るつもりだった。だが、クリスはともかくティナが今更そのような真似をするだろうか、という思いもある。
(半人前扱いされていようが、司教に数えられるような腕を持つ魔法使いが加わればアメンドーラ男爵領もより安全になるしな……)
あとはグレイゴ教から精霊教に宗旨替えしてくれれば良いのだが、とレウルスは思った。そうすればジルバが襲い掛かることもない――はずである。
問題があるとすればティナではなくクリスの方だが――。
「クリスちゃんは嫌いな食べ物がありますか?」
「え? いや、ない……食べ物を嫌っていたら生きていけなかった」
「そう、ですか……いっぱい食べさせてあげますからねっ」
コロナの何に触れたのかはわからないが、早速クリスに構い始めるその姿にレウルスは再度苦笑を浮かべるのだった。
王都ロヴァーマから北西に進んだ場所にある平野。
レウルス達が去り、ベルナルド達も去ったその場所で――ピシリ、と音を立てるようにして空に小さなヒビが入るのだった。




