第563話:果たすべき約束 その5
“その翼竜”が抱いている感情を人間の尺度に当てはめるならば、怒りと表現するべきだろう。
何年間にも渡り、レベッカの『魅了』によって操られ、時には移動するための“足”として使われ、時には戦いに駆り出され、時にはレベッカ本人に殴り飛ばされもした。
戦うことに関しては、まだ良い。並の翼竜を遥かに上回る体躯を持ち、上級に匹敵する強さを持つ翼竜からすれば、戦いというものは生活の一部のようなものだ。
それでも、レベッカに『魅了』という『加護』があったにせよ、他者に操られて好き勝手に利用されたのでは堪ったものではない。
翼竜にとっては酷く屈辱的で、怒りを抱くのも当然といえる所業だった。
そんなレベッカの『魅了』が突如として消え失せ、正気を取り戻した翼竜は困惑した。一体何を企んでいるのかと、今度は何をするつもりなのかと警戒したが、一向に操られる気配がない。
それを理解した翼竜は、自分が自由の身であることを悟った。そうであるならばこの場に留まる理由もないと、そう思ったのだが――ふと、クリスの姿が視界に入った。
長い年月を生きた翼竜からすればつい最近の出来事ではあるが、レベッカと共に“自分の背中”に乗せたクリスの姿。それを見た瞬間、翼竜は怒りを覚えて攻撃していた。
振るった尾でクリスを吹き飛ばし、そのまま炎で焼き払おうとする。しかし雷撃で炎が相殺され、何事かと視線を向ければそこに“クリスがもう一人”いた。
実際のところは双子のティナだったわけだが、翼竜からすれば早々見分けがつくものではない。
その奇妙な事態に翼竜は警戒する。“こんなこと”が起こり得るとすれば、それはこれまで自分を操っていたレベッカが何かをしたのだろう、と疑うほどだった。
再び『魅了』される危険性が高いが、危険は取り除くべきだ。仮にそれが難しくとも、レベッカがどうなっているかは確認するべきで、生きているのならば業腹ながら退くべきだろうとも思った。
そうして翼竜が警戒するレベッカは、首を落とされて死んでいた。“奇妙な生き物”が傍にいたが、アレがレベッカを殺したのだろうかと不思議に思う。
それでも長年間近でレベッカを見ていた翼竜は、首が落ちたぐらいでは死んでいない可能性もあると考えてレベッカを焼き払おうとした。そこには操られていた怒りの感情があり、また、自身が安心するためという考えもあった。
だが、結論から言えば翼竜は逃げるべきだった。長い間『魅了』されていたことで野生の勘が鈍ったのか、“敵”の力を見誤ったのか。
――生き永らえるためには、逃げるべきだったのだ。
ずいぶんと執拗にレベッカの遺体を狙ってくるな、というのがレウルスの感想だった。翼竜はやけに警戒した様子で距離を取り、大きな翼を羽ばたかせて滞空しながら何度も火球を放ってくる。
レウルスはその都度ラディアを振るって火球を斬り裂いていたが、翼竜の慎重な――臆病とも言い換えられそうな攻撃の姿勢に疑問を覚えていた。
レウルスがこれまで戦ったことがある上級の魔物は、その多くが攻撃的かつ好戦的だった。『城崩し』や『国喰らい』、『首狩り』やヴァーニルなど、上級に分類されるに足る力を振るって襲い掛かってきたものである。
厄介ではあったが好戦的と呼ぶには疑問が残るスラウスや、強くはあるのだろうが殺し合ったわけではないアクシスなど、例外的な存在もいるが翼竜は前者だろう。
レウルスには翼竜の気持ちはわからない。翼竜が人語を話せるなら理解もできただろうが、向けられる怒気と殺気から推測することしかできない。
(レベッカに対する恨み……ってところか。そりゃあんな扱いなら恨みもするだろうが……)
このままでは埒が明かないと判断したのか、狙いをレウルスへと変えた翼竜が再び火球を放つ。それを見たレウルスが動じることなく火球を両断していると、今しがた『思念通話』で声をかけたエリザ達の魔力が近付いてくるのを感じ取った。
レウルスが視線を向けてみれば、誰一人として欠けることなくエリザ達が駆け寄ってくるのが見える。時折サラが後方に向かって火球を放っているが、おそらくはグレイゴ教徒達を牽制しているのだろう。
グレイゴ教徒まで寄ってくるのは面倒な話ではあるのだが――。
(司教を欠いた状態で挑んでくるか?)
過激派のグレイゴ教徒ならば可能性はあるが、そこまで命知らずとも思えない。既にブレインが死に、レベッカはレウルスが仕留め、エイダンはレウルスが重傷を負わせた上でレンゲに追い詰められている。
この状況で戦いを挑むのは、無謀を通り越して自殺に近いだろう。
「レウルス! 怪我はなさそうじゃな!」
「さっき見た司教が一人死んでるし、レベッカも死んでる……さすがねレウルス!」
「ごめん、レウルス君。こっちはその、状況が……ティナちゃんはお姉さん? を治療し始めたんだけど、他のグレイゴ教徒はしつこくて……」
「…………」
レウルスに合流したエリザ達はそれぞれ声をかけるが、ネディだけは反応が違った。レンゲへと視線を向け、どこか不機嫌そうに眉を寄せている。
「……レウルス、アレは何?」
「魔法人形……らしい。これまで戦ったことがある魔法人形の中じゃ一番強いけどな……アレがどうかしたのか?」
「むぅ……アレ、まずい……かも?」
抽象的なネディの言葉。それにレウルスは疑問を覚えるが、レンゲが危険だというのはレウルスとて肌で感じ取っている。
「……やっぱりアレは『神』なのか?」
レモナの町で戦った『神』とは若干毛色が違うように思えるが、レウルスはある程度の確信を込めて尋ねる。すると、ネディは僅かに沈黙してから首を傾げた。
「本当はいいこなのに、わるいこになりそう? ううん……よくないもの……へんなこ?」
「……とりあえず、倒した方が良いってのはわかった」
元々仕留めるべきだとは思っていたが、ネディが“このようなこと”を言うということは取り逃がせば厄介なことになりそうだ。そう思ったレウルスは、翼竜が放った火球を斬り捨てながらレンゲを睨む。
(近付かせると厄介だしな……魔法で吹き飛ばすか)
いっそのことエイダンと共に魔法で吹き飛ばせば良いのではないか、などとレウルスは思考する。エリザにサラ、ネディと属性魔法が得意な者が揃っている以上、レウルスとミーアが時間を稼げば強力な魔法の行使も可能だろう。
(相殺されるかもしれないが……“その間”に斬ればいいな)
あとは翼竜の始末をどうするか、とレウルスは思考していく。すると、そんなレウルスの様子に違和感を覚えたのか、エリザが声を上げた。
「あの……レウルス?」
「……ん? どうかしたか?」
遠慮するようなエリザの声に、レウルスは数拍置いてから反応する。エリザはレウルスの顔をじっと見つめると、どこか不安そうに尋ねた。
「妙に不機嫌に見えるんじゃが……気のせいじゃろうか?」
「……そういうわけじゃないさ。飛んでる翼竜をどう叩き落として、向こうで戦ってる司教や魔法人形をどう倒そうか悩んでただけだよ」
レウルスは努めて柔らかい笑顔を浮かべて言うが、そんなレウルスの反応にエリザは少しだけ視線を彷徨わせた。
「……それなら、いいんじゃが」
「ああ……というわけで、作戦を決めた。エリザとサラ、ネディはできる限り強力な魔法を撃って相手を吹き飛ばす、俺はとりあえずあの翼竜を斬る、ミーアはその間に敵が近付いてきたら対処してくれ」
極力シンプルに作戦を伝えると、サラが早速魔法の準備に入った。続いてネディも魔法の準備に入り、遅れてエリザが雷の杖に魔力を込め始める。
「レウルス君、とりあえずあの翼竜を斬るって言ったけど……どうやって斬るの?」
ミーアは鎚を構えつつ、そんな疑問をレウルスにぶつけた。そんなミーアの疑問に対し、レウルスは小さく笑う。
「“その答え”を見せる前に、だ……ミーアが作ったこの子は、本当に大した剣だよ。胸を張ってくれ」
「え? あ、ありがとう?」
レウルスの言葉に、ミーアは困惑しながら頷く。そんなミーアの様子に笑みを深めたレウルスは、ラディアの柄を握る右手に力を込めた。
「さあ……行くぞ、ラディア! さっきみたいに“足場”を頼む!」
『はーい』
レウルスは思い切り地面を蹴りつけて跳躍する。『熱量解放』を使った状態のレウルスが全力で跳べば、鎧を着た状態でも軽々と数メートルは垂直に跳び上がることができた。
そこまで跳べば、次はラディアの仕事だ。レウルスの足元に氷の塊を生み出し、レウルスは氷を蹴りつけることで一気に翼竜との距離を詰めていく。
『グルゥッ!? ガアアアアアアアアアァッ!』
レウルスが空を駆けたことに驚いたのか声を漏らし、続いて咆哮する翼竜。それでも自由に空を飛び回れる翼竜からすればレウルスの動きは曲芸の域を出ず、その速度も大したものではない。
翼を持たない人間が生意気な、とでも言いたげに翼竜は大きく息を吸い込む。そうして口内に煌々とした炎の輝きを生み出すと、レウルス目掛けて瀑布の如き炎の濁流を吐き出した。
並の人間ならば瞬時に燃え尽き、数秒も浴びれば骨も残らないような熱量。そんな炎が迫るのを見上げたレウルスは、ラディアが生み出した一際大きな氷を全力で蹴りつけて一気に加速する。
――そして、ラディアを構えたままで炎の濁流へと突っ込んだ。
そんなレウルスの行動に、翼竜は嘲笑うようにして吐き出す炎の勢いを増す。いっそのことこのままレベッカの遺体も焼き払おうと思考し――炎をそのまま突っ切ったレウルスが眼前に飛び出した。
「なんだよお前……レベッカが操っていた時の方が強かったじゃねえか」
多少火傷を負っているが、平然と言い放つレウルスに翼竜は驚愕する。レウルスはそんな翼竜の動揺に構わず、翼竜の首目掛けてラディアの刃を振るう。
それは奇しくも、“主人”であるレベッカと同じ死因。しかし翼竜がそのようなことに思考を回すことはなく、首が断たれたその巨体を地面へと落下させるのだった。




