第558話:混迷 その2
その男――ブレインは驚愕と憤怒と羨望が混ざり合った感情を抱いていた。
驚愕はラディアを握った途端、全身を炎に包まれたから。
憤怒は全身に負った火傷の痛みから。
羨望はそれほどの魔法具を持つのが自分以外だったから。
『収集家』と呼ばれるほどに魔法具や“面白い”と思った道具を集めることに熱意を燃やしていたブレインからすれば、今の状況は腸が煮えくり返るほどの激情を覚えるに足る。
それでも、このままでは危険だと判断したブレインはレンゲに治療を命じた。しかし、レンゲは僅かな時間『治癒』を使ったかと思えば、ブレインを放置してレウルスへと襲い掛かる。
それは。ブレインとしては予想外の行動で。
「あらあら……まあまあ、予想以上に素敵な状況になっていますね。ええ、素敵だわ」
笑顔を浮かべながらレベッカが歩み寄ってきたことも、予想外のことだった。
「けい……せい……何故、ここ……に……」
ずいぶんとやる気がなさそうで、邪魔にしかならないと思ったことからエリザ達の方へと向かわせたはずのレベッカ。そんなレベッカが妙に楽しげな様子で戻ってきたことに疑問を覚えたものの、ブレインは丁度良いと判断した。
「いや……それは、いい……『傾城』、僕の木箱……から、魔法薬を……」
全身に負った火傷の影響で満足に動けないが、ある程度回復するだけならば用意していた『治癒』の魔法薬で事足りる。そう考えたブレインが声をかけるが、レベッカは笑みを深めるだけだ。
「ふふっ……」
「何を、笑って……『傾城』……早く、しろ……お前でも、それぐらいのこと……は、できる……だろう……」
口の端を吊り上げ、心底楽しそうに笑うレベッカ。その笑顔に嫌な予感を覚えながらも声をかけるブレインだったが、レベッカの笑い声は強まるばかりだ。
「ふふふ……ふふっ……あはは……あはははははは!」
倒れ伏すブレインの姿を見て、暴れるレンゲを見て、そしてそんなレンゲと戦うレウルスを見て、レベッカは哄笑する。
レンゲと戦うレウルスは手一杯なのか、レベッカに気付く様子はない。そんなレウルスと戦うべく駆けるエイダンも血だらけで、レウルス相手に重傷を負ったことが見て取れた。
「『傾城』! いい加減に」
「――ああ、おかしい」
ブレインの怒声を遮れるような大きさの声ではなかった。だが、その声に込められた感情の強さ、深さにブレインは思わず口を閉ざす。
司教という立場に在るブレインは、これまで相応に死線を潜り抜けてきた。しかしそんなブレインでさえ聞いたことがないようなレベッカの声色に、自然と口を閉ざしてしまったのだ。
「おかしい……ええ、おかしいわ。こうまで“上手く事が運ぶ”とおかしくてたまらない……いえ、違うわね。ええ、違うのよ」
そう呟きながらレベッカはその視線をレウルスへと向ける。頬は上気し、愛しい男を見つめるようでいて、その瞳にはどす黒い狂気の色があった。
「ああ……やっぱり! わたしの王子様と愛し合うために運命が導いてくれているのよ! あの御老人は『狂犬』が始末して、『火閃槍』は重傷。そして『収集家』、あなたは」
そこまで言って、レベッカの瞳がブレインを捉える。仮に何も知らない者が遠目から見れば見惚れそうなほど美しい顔に笑みを浮かべ、レベッカは嗤う。
「そこに倒れ伏している。ふふっ、本当……おかしくてたまらないわ」
「『傾城』……貴様っ!」
火傷の痛みを堪え、ブレインが立ち上がろうとする。だが、それを見たレベッカは無造作に足を振るい、ブレインを地面へと蹴り倒した。無造作に繰り出した蹴りは爪先がブレインの胸部へとめり込み、胸骨を圧し折るほどの衝撃を与えてブレインの口から血を吐かせる。
「あらごめんなさい。はしたなかったわね、ええ、はしたなかったわ」
黒いドレスの裾を翻しながらレベッカは笑う。
「な、にを……す……る……」
そうして笑うレベッカにブレインが言葉をぶつけてみるが、返ってくるのは相変わらずの笑顔だ。
「その何をする、というのは今わたしがやったことかしら? それとも、“オトモダチ”にあの御老人と『狂犬』の戦いを監視させていたこと? 『狂犬』に関しては大丈夫よ、ええ、大丈夫だわ。今はせっせと司祭や助祭を狩っているもの。ああ、もしくは……」
そこまで話したレベッカは、レウルスと戦うレンゲに視線を向けて笑みを深めた。
「あの子が暴れていること……かしら?」
「……何? まさか……『傾城』、貴様……」
「ああ、勘違いしないで。ええ、勘違いしては駄目だわ。“ああなった”ことに関してはわたし、無罪だもの。何もしてないもの。あんな風に『神』のような力を振るわせるなんて、とてもじゃないけどできないわ」
そう話すレベッカだが、ブレインとしては到底信じ切れるものではない。レベッカが何かをして、その結果としてレンゲが暴れ出したのだろうと判断した。
そのためブレインは憎悪のこもった眼差しをレベッカへと向ける――が、レベッカからすればそのような視線は何の痛痒も覚えない。
「“あんなもの”を使おうとするから足元を掬われるのよ。まあ、わたしはある意味あの子を救ってあげるんですけどね……ふふっ」
自分で言った言葉に笑いを深めるレベッカ。しかし、不意にその笑顔が消え、見下すようにしてブレインを見る。
「ところで……わたし、『傾城』という呼び名は嫌いなの。ええ、大嫌いなの。知ってるわよね?」
その声と視線に、ブレインは己の未来を悟った。同時に、最早抵抗するための手段が残されていないということも。
「っ……この、頭のイカれた淫売が! 父親に襲われた拍子に頭の大事な部品をどこかに落としたんじゃないのか!?」
ブレインにできたのは、最早罵詈雑言を遺すことだけで。
「ええ、そうよ――わたし、とっくの昔に壊れているの」
そう言って笑みを浮かべ、レベッカはブレインの頭部目掛けて拳を振り下ろしたのだった。
「ごめんなさい、待ったかしら?」
笑顔を浮かべながらブレインを撲殺したレベッカの姿に、エイダンはおろか、さすがのレウルスでさえも動きを止めていた。
そして、そんなレウルスの様子を隙と見たのか、レンゲが氷の薙刀を振るい――。
「あら、いけない子ね。『少し待って』ちょうだい、ええ、少しでいいわ」
咄嗟にラディアで受けようとしたレウルスの眼前で、薙刀が止まった。それを見たレウルスは即座にレンゲを斬り殺そうとしたが、レンゲは即座に回避行動を取り、後方へ跳躍したかと思うとレベッカの隣に立つ。
「ふふっ……訂正するわ。いい子ね、あなた」
「……おい、『傾城』。一つだけ聞かせろや……テメェ、一体何のつもりだ?」
右手から返り血を滴らせながらレンゲに笑いかけるレベッカに対し、エイダンが鋭い視線と声を投げかける。それを聞いたレベッカは不思議そうに首を傾げた。
「あなたも曖昧な尋ね方をするのね、『火閃槍』。その点では後ろのアレに似ているわ、ええ、似ていますとも」
ピキッ、と音が立ちそうなほど明確にエイダンのこめかみに血管が浮かび上がった。エイダンは槍の穂先をレベッカへと向け、ゆっくりと腰と落としていく。
「裏切るか、貴様」
「裏切る? おかしなことを言うのね、ええ、おかしなことだわ……グレイゴ教という枠組みにはいたけれど、わたしとあなた達は裏切るという言葉が出てくるような間柄だったかしら?」
言外に、仲間ではないだろうと言ってのけるレベッカ。それを聞いたエイダンはますます怒りを募らせたが、自身を落ち着けるためか大きく息を吐く。
「……そう言われちまえば何も言えねえなぁ。ったく、こんな奴でも受け入れるうちの教義が悪いのか、こいつ自身が悪いのか……やれやれだ」
槍を構えたまま、左手を離して頭を掻くエイダン。そんなエイダンの様子に最早興味を失ったのか、レベッカはレウルスに笑顔を向ける。
「……エリザ達はどうした」
『契約』でのつながりを感じるため、死んではいない。それはたしかだが、レウルスとしては今のレベッカに得体の知れないものを感じ、尋ねざるを得なかった。
そんなレウルスの質問に対し、レベッカは何故か“少しだけ困ったように”笑う。
「少しだけ意地悪をして置いてきたわ、ええ、そうなの。精霊は殺しても良いかな、とも思ったのだけど……吸血種の子は、一方的にだけど親近感を抱いているから殺したくないのよ」
そこまで話したレベッカは、ふと何かを思い出したように笑顔で両手を合わせる。
「そうそう、ドワーフの子には驚かされたわ。ええ、驚きましたとも。邪魔をしたから潰そうと思ったけど抵抗されて……あの子も伸びるわね、ええ」
「……そうかい」
レベッカの口ぶりからエリザ達が全員生き残っていると察し、レウルスは小さく安堵の息を吐いた。だが、その視線をレンゲに向けると険しい目付きへと変わる。
「それで? その物騒なお人形は“元々”アンタのオトモダチってわけか?」
レベッカならば――『人形遣い』ならば魔法人形に何かしらの仕掛けを施していてもレウルスとしては驚かない。
ブレインはレベッカが使う魔法人形よりも優れていると誇らしげに語っていたが、レウルスからすればレベッカの方が得体が知れず、レンゲに対して何を仕出かしていても不思議ではないと思っていた。
「んー……そういうわけでもないのよ、ええ、違うのよ。この子が“こうなっている”のはわたしとしても予想外のことで……王子様、あなたこの子がここまで反応するような物を持っているでしょう? その剣かしら?」
「さて、な……」
レウルスはとぼけるが、レベッカとしてはどんな返答でも構わなかったのだろう。楽しげに笑ったかと思うと、レンゲの肩を優しく撫でる。
「王子様は魔法人形に関してどこまで御存知かしら? わたしでも作れるような紛い物はともかく、“本物”の魔法人形の材料に関して何か聞いたことはあるのかしら?」
「…………」
レベッカの問いかけに対し、レウルスは沈黙を返す。以前、ドワーフのカルヴァンに魔法具に関して尋ねたことがあるが、その際に魔法人形に関しても話をしていた。
最低でも『変化』を『魔法文字』で刻める魔法の腕。材料は『魔石』に――そこまで話して口を閉ざしたカルヴァンに対してレウルスも深く尋ねることはしなかったが、同時に、制作方法に関してカルヴァンが“外法”と評していたことからロクなものではないのだろうとも思う。
「スライムで例えるなら『核』みたいなものが魔法人形にもあるのよ。ただ、“ソレ”に関してはわたしでも手が出せなくて……わたしもね、試してみたけど成功したことはないのよ、ええ、失敗ばかりなの。上級の魔物の材料で誤魔化してみたけど、本物みたいにはならないの」
そう語りながらレンゲの頬を撫でるレベッカ。それはまるで、出来の良い作品を愛でるかのようだった。
「でも、これは本物よ。優れた魔法使いの魂を加工して『核』にした、本物の魔法人形……魂が剥き出しだからこそわたしの『魅了』も通じるのでしょうけど、その点、本物の割に質が悪い方かもしれないわね。あるいは、“割と最近作られた”代物なのかしら」
「魂……だと?」
そんなレベッカの話に、レウルスは思わず反応を返してしまうのだった。




