第556話:それぞれの戦い その10
レウルスやエリザ達が戦っている頃、ワイアットとの“問答”を終えたジルバも戦いに身を投じていた。
レウルスは一対三、エリザ達は四対十以上と数的不利があったが、ジルバはワイアットと一対一での戦いである。その点から見ればレウルス達と比べれば楽な戦いと呼べる――わけではなかった。
周辺に木々などの障害物がないのをいいことに、ジルバもワイアットも高速で駆け回ってはぶつかり、ぶつかっては再び駆け回って隙を探り、至近距離で足を止めたと思えばジルバは拳を、ワイアットは杖を繰り出していく。
その動き、その速度は常人の目には留まらず、戦いに身を置いてきた者でも思わず感嘆するほどの“技巧戦”だった。
既に拳と杖を交わし合って百合を超え、互いに被弾はない。
ジルバが繰り出す拳打は受け流され、捌かれ、あるいは回避され。
ワイアットが杖を用いて放つ突きも殴打もその全てがジルバを捉えるには至らない。
互いにこれまで長い年月を戦い抜き、修めた技は異なれど腕を磨き続けていた。“若さ”という点で有利なジルバは身体能力で勝り、老境に至るまで技を磨き続けたワイアットが技術で勝る。
無論、ジルバの技術が拙いはずもなく、ワイアットの体力が乏しいというわけでもない。互いの優劣が噛み合った結果、互角と呼ぶべき状態に陥っていた。
「俺が言えた台詞ではないが……老体の割によく動く。それに大した腕だ」
相手はグレイゴ教徒だが、ジルバはワイアットが修めた技に対して敬意を払いながらそう呟く。普段ならばグレイゴ教徒に対してそのような真似はしないが、ワイアットが積み重ねてきた研鑽を目の当たりにすればさすがのジルバといえど思うところがあった。
そして同時に、自分が相手を務めて正解だったとも思う。仮にレウルスがワイアットと戦っていた場合、技術の差で攻撃が当たらず、完敗していた可能性が低くないのだ。
それでもジルバは息一つ乱さず、拳を構えながら吐いた言葉には体力的な余裕が窺える。
「カカカッ! まだまだ若い者には負けんわい」
ジルバの言葉に笑って返すワイアットだが、その額には徐々に汗が浮かびつつある。いくら鍛えていても体力の衰えは隠せず、未だに息は乱れていないが微かにその兆候が見え隠れしていた。
疲労が積み重なれば動きが鈍る。動きが鈍れば対応が遅れる。そして、対応が遅れればジルバの攻撃が捌けなくなる。
ワイアットとて疲労が重なった場合でもすぐさま動きを鈍らせるような鍛え方はしておらず、“誤魔化し方”も心得ているが、ジルバが相手ではそれも通じない。
「しかし……貴様はともかくとして、『魔物喰らい』達の方はどうなっておるかのう。見た限り『魔物喰らい』はたしかに手練れのようじゃが、あの精霊達はそこまでの手合いではあるまい。『魔物喰らい』とて、エイダン達を相手にすれば……さて、どうなっているかのう?」
ワイアットは体の疲れを抜くように、それでいてジルバの攻撃を誘うように杖から手を放して軽く振る。それと同時にジルバの焦りを誘うべくそんな言葉を投げかけた。
遠くからは何度も銃声が響き、戦闘の激しさが伝わってくる。ワイアットからすればレウルス達の中で“最大戦力”であるジルバを抑えている以上、ジルバさえ片付けばあとはどうとでも料理できると考えていた。
「ふ……はははははははははははっ!」
だが、ワイアットの言葉を聞いたジルバは大きく口を開けて笑う。面白い話を聞いたと言わんばかりの大笑ぶりに、ワイアットは怪訝そうに眉を寄せた。
「はて、儂はおかしなことを言ったつもりはないんじゃがな。あの男の……『魔物喰らい』の動きを見る限り、エイダン達に勝てるとも思えんが?」
ワイアットの目から見て、レウルスにはたしかに強者の雰囲気があった。しかし些細な動きを見るだけでも自身やジルバと異なり、武を磨いてきた者とは思えないほど隙があったのである。
人間相手でもそれなりに戦えるだろうが、元々冒険者ということで魔物相手に戦い方を磨いてきたのだろう。それでは魔物だけでなく人間が相手でも戦えるように腕を磨いている司教に勝つことは不可能だ。
ワイアットの見立てでは、ブレインに勝つことはできてもエイダンに勝つことはできない。二人揃って戦っている以上、レウルスに勝ち目はない。どんなに優れた武器を持っていても、『神』は斬れた実績があったとしても、“それだけ”では勝てないのだ。
ワイアットはそう思い――ジルバはその判断を鼻で笑う。
「なるほど、わからない話ではない……が、あの司教共も“そんな判断”をしたというのなら結果は見えたな」
「……何じゃと?」
ワイアットの話はジルバにも納得できる。普通ならば確かな技術を修めた相手に力任せの剣で勝つのは不可能に近い。それが複数となればレウルスの勝機は限りなく薄いと考える方が妥当だろう。
そう――普通でなければ勝つのも不可能ではなくなるのだ。
そして、ジルバが知る限りレウルスは普通ではない。その能力も、戦い方も、武器も。まともに武芸を学んだ人間にとって、“逆に戦い難い”ほどに。
「だが、貴様の言う通りレウルスさん以外は少し心配でな……早々に仕留めて向かわせてもらおう。精霊様の人間に対する愛情の深さを知った以上、これまで以上に働かねばならんのでな」
そう言って、ジルバは半身開いて腰を落とす。左拳を前へと突き出し、右拳は腰の横に添え、気息を整えるように大きく息を吐く。
「カカッ……やれるものならやってみるがいい!」
そんなジルバに対し、ワイアットは自ら仕掛けた。
ワイアットが振るう杖は頑丈かつ粘りがある樹木から切り出し、『強化』の魔法文字を刻んだ代物である。
ワイアットの腕力で振るえば最早金属の鈍器と大差なく、頭部に直撃すればそのまま爆散するほどの威力があった。また、相手が刃物を振るおうとも断ち切るどころか表面に僅かな傷を刻むことすら困難なほど硬く、盾の代わりになるほどである。
そのような凶器を、ワイアットはジルバの側頭部目掛けて繰り出す。ジルバなら回避することは容易で、ワイアットもジルバならば回避すると見込んだ上での一撃である。
「ぬっ!?」
しかし、そんな一撃をジルバは敢えて左腕で受けた。鋼線を束ねたような分厚い筋肉を持ち、『強化』を使うジルバだが、その一撃を止めた代償に左腕から骨が圧し折れる音が響く。
ワイアットはそんなジルバの行動に小さく驚きの声を漏らしつつも、即座に杖を引いてジルバの攻撃に備えようとした。
「――ハアッ!」
引かれる杖に合わせて、ジルバが踏み込む。左腕が折れたことに意識すら向けていない、ごく自然な動作でワイアットを致命的な間合いまで引き込んだ。
そうして放たれるのは、これでもかと言わんばかりに握り固められた右拳。踏み込んだ勢いを十全に乗せ、構えられた位置から最短の距離を通ってワイアットの胸部へと叩き込まれる。
「甘いわっ!」
下手すればそのまま胸部を貫通するのではないか、と思われるほどの一撃を前にしたワイアットが取ったのは、回避でも防御でもなく攻撃だった。
引きかけていた杖の軌道を変化させ、ジルバの左側頭部を強打する。頭骨が圧し折れかねない威力の打撃に常人ならば怯むだろう。だが、ワイアットが対峙しているのは常人ではない。
殴られたことにすら構わず、ジルバの拳がワイアットの胸部に突き刺さる。その一撃は胸骨を根こそぎまとめて圧し折り、即死させるだけの威力があった――が、ジルバは右拳に返ってきた手応えに眉を寄せる。
直撃はしたが、奇妙なほどに手応えが硬いのだ。ワイアットは服の内側に防具を着込んでいるわけでもないというのに、金属を殴りつけたかのような手応えをジルバは感じていた。
「……なるほど、『金剛』とはよく言ったものだ」
その硬さに思わずそう呟くジルバ。そんなジルバの拳を胸部で受け止めたワイアットは、口の端から僅かに血を流しながらも至近距離で獰猛な笑みを浮かべる。
「貴様こそ……大した一撃じゃな。儂の防御を拳で抜いたのは貴様が初めてじゃよ」
そう話すワイアットに、ジルバはその“絡繰り”を瞬時に推察する。
ワイアットが使ったのは『強化』――それだけである。
身体能力を高める魔法だが、この『強化』を一点に集中させることで鎧染みた頑強さを発揮し、ジルバの打撃を防いだのだ。
至近距離で動きが止まったため、ジルバもワイアットも迂闊には動けない。退けばその隙に攻められ、そのまま押し切られかねないのだ。
それでも負傷の度合いではジルバの方が重く、折れた左腕は使い物にならない。『治癒』で骨をつなぐこともできるが、それを許すほどワイアットも甘くなかった。また、殴られた側頭部からも痛みが走り、ジルバの集中力を妨げようとしている。
対するワイアットも、ジルバの拳を止めはしたがその“衝撃”までは完全には止めきれず、内臓に痛みが走っていた。それでもジルバと比べれば軽傷で、このまま戦い続ければ時間はかかるが押し切れると判断する。
――故に、“それ”は油断でも未熟でもなく、反射的な行動だった。
「っ!?」
レウルス達が戦っている方向から立ち昇る、異質な魔力の気配。その大きさと禍々しさは大司教であるワイアットでさえも息を呑むほどで。
「――――」
“その気配”と突然さに覚えがあったジルバは、思考するよりも先に体が動いていた。
突き立てていた拳を掌打の形に変え、密着状態ながらも僅かな隙間に踏み込み、ワイアットの胸部を――心臓を衝撃で強打した。
「カ――ハ――」
ごぽり、と音を立ててワイアットの口から血の塊が吐き出される。ワイアットは己の身に何が起きたのか理解できないように目を瞬かせたが、二歩、三歩と後退して地面に座り込むと、苦笑するような笑みを浮かべた。
「カ、カカッ……この程度、で……隙を……晒す、とは……のう……」
自身の失態に向けてそんな言葉を吐き出し、ワイアットはゆるゆると頭を振った。
「やれ、やれ……歳は、取りたくな、い……もの、じゃ……」
そんな言葉を最期に、ワイアットは沈黙する。ジルバはそんなワイアットを睨みながら十秒ほど構えを取り続けたが、ワイアットから魔力が消え、呼吸が止まったのを確認してからゆっくりと近付いていく。
「……ふぅ」
脈が止まり、完全に息絶えていることを確認してからジルバは大きな息を吐いた。その顔には疲労の色があったが、折れた左腕に『治癒』をかけながらジルバは立ち上がる。
「何かあったようですね……レウルスさん達の援護に向かいたいところですが……」
そう呟くジルバの視線の先には、先ほどの魔力を感じ取ったのか駆け寄ってくるグレイゴ教徒達の姿があった。
「アレらを仕留めてから向かうしかない、ですね……」
さすがに多数のグレイゴ教徒を引き連れてレウルス達のもとへ戻るわけにもいかない。ジルバは再度息を吐くと、息絶えた様子のワイアットを見て驚愕するグレイゴ教徒達へと襲い掛かるのだった。




