第552話:それぞれの戦い その6
エイダンとブレインを相手にした戦いは、レウルスが優勢と呼べる状況で進みつつあった。
本来ならばこのような状況にはならなかっただろう。優勢どころか良くて互角、精々、負けはせずとも劣勢で凌げるかどうかのギリギリの戦いになっていた可能性が非常に高かった。
“腹いっぱい”魔力を蓄えたレウルスでも、司教を二人同時に相手取るというのはそれほど不利なことなのだ。
それでもレウルスが優勢で戦いが進んでいる理由は、至極単純である。エイダンもブレインもレウルスの強さを見誤った――それだけのことだ。
無論、司教として戦ってきたエイダンとブレインが相手の強さを見誤るというのは早々に起きることではない。だが、“予め知っていた情報”との大きな乖離が結果としてレウルスの有利に働いたのである。
エイダンとブレインがレウルスに関して知っていたのは、『魔物喰らい』と呼ばれるに足る実績。そして『精霊使い』と呼ばれるきっかけとなったサラやネディとの『契約』に、大剣を用いて戦うということだ。
莫大な魔力を蓄えていることも、ある程度の傷ならば治ることも、痛みを無視して動けることも、毒に耐性があることも、サラやネディだけでなくエリザやミーアとも『契約』を結んでいることも――ただの大剣ではなく精霊剣ラディアを振るうことも。
先にエイダン達と合流したレベッカは様々な思惑からレウルスに関する表面的な情報しか渡さず、クリスは別れてから先のことは知らず、唯一それらの情報を知るティナは口をつぐんだ。
仮にそれらの情報全てを知っていたならば、エイダンもブレインも最初から全力で殺しにかかっていただろう。それこそ上級の魔物と相対した時のように、初手で最高威力の攻撃を叩き込んでいたに違いない。
上級の魔物を幾体も仕留め、『神』すら斬ったと聞いたが、レウルスの立ち居振る舞いがどこか素人臭いことから所詮は冒険者上がりだと無意識の内に侮ることもしなかっただろう。
それらの意図せぬ要因が、レウルスの優勢につながったのだった。
「オオオオオオオオオオオオオオォッ!」
絶好の機会にレウルスは咆哮する。ブレインを庇うように立つエイダン目掛けて一直線に疾走する――と見せかけてジグザグに動いていく。
土煙どころか地面を蹴りつける度に抉れた土砂を飛び散らせながら、残像が残りそうな速度でエイダンとブレインの周囲を駆け巡る。
周囲にはほとんど遮蔽物がなく、精々木が数本生えているだけだ。そのためレウルスは気兼ねなく駆け回り、エイダンが少しでも隙を晒すのを虎視眈々と狙う。
咆哮し、殺気を撒き散らしながら周囲を駆けるレウルスの姿をエイダンはどう見たのかはわからない。それまでの戦いを楽しむような笑みはなく、真剣な眼差しでレウルスが移動するのに合わせて立ち位置を変えていくだけだ。
「く、そ……やってくれる……」
そんなエイダンに庇われたブレインは、背負っていた木箱から硝子瓶を取り出した。そして封を切ると、自身の右足へと振りかけていく。
レウルスが斬りつけた右足は、両断こそされていなかったものの半ばまで断たれていた。骨まで斬られ、歩くことはおろか立ち上がることすら難しいほどの重傷である。
司教として激痛に苦悶の声を漏らすような真似はしなかったが、痛み以上に出血が酷く、ブレインは『治癒』の魔法薬で傷を塞ごうとしていた。
「サセルカアアアアアァッ!」
駆け回りながらレウルスが愛剣を振るう。そうして放たれたのは魔力の刃で、地面に座り込んでいるブレインの首を刎ねる軌道で刃が宙を舞った。それも一発ではなく、位置を変える度に剣を振るい、次から次へと魔力の刃を放っていく。
「それはこっちの台詞だっての!」
しかし、それを見逃すエイダンではない。槍に炎を纏わせて振るい、レウルスが放った魔力の刃を相殺していく。
それを見たレウルスは、僅かに進路を変えて周囲に数本だけ生えていた木の一つ――最も幹が太い木を通りすがりに両断すると、そのまま通り過ぎて距離を取り、全力で駆けて傾きつつあった木に跳び蹴りを叩き込んだ。
幹を強打された木が宙を舞い、ブレインへと迫る。それを見たエイダンはブレインを抱えて避難しようとしたが、宙を舞う木の幹――更にその上をレウルスが疾走していることに気付いた。
「本当に人間かテメェ!?」
エイダンは槍を振るい、濁流のような炎を生み出す。そして迫り来る巨木を端から焼き払っていくと、炎が到達するよりも先にレウルスが木の幹を蹴りつけ、宙へと舞った。
「ガアアアアアアアアアアアァッ!」
跳躍した勢いもそのままに、大上段にラディアを構えながら迫るレウルス。それは胴体ががら空きで隙だらけに見え、エイダンはレウルスの考えが読めないままに刺突を放とうとした。
エイダンの技量ならば、落下してくるレウルスの胴体を槍で貫くことなど造作もないことである。さすがに殺気で騙される状況でもないため、例えどれほど強力な防具を身に纏っていようとも貫いてみせると思い――エイダンの体は本能に従って回避を選んでいた。
地面に座るブレインを蹴り飛ばし、その反動を利用するようにして真横へと転がるエイダン。蹴られたブレインは何事かと思いながらも地面を右手で突き飛ばし、側方回転をしてから着地した。
「いきなり何を――」
エイダンの行動に抗議の声を上げかけたブレインだったが、レウルスが振り下ろしたラディアが地面へと“着弾”する。
落下の勢いを乗せて振り下ろした一撃はそのまま地面を断ち割り、数メートル先まで亀裂を走らせながらようやく停止した。
「……有利を捨てて相打ち狙いたぁ、イカれてんなテメェ」
体勢を立て直したエイダンは再びブレインを庇うように立ちながら、戦慄を込めて呟く。
レウルスが取った方法は単純で、わざと胴体をがら空きにして斬りかかっただけだ。仮にエイダンがそのまま胴体を貫いていれば、“そのまま”大剣を振り下ろしてエイダンとブレインをまとめて両断するつもりだったのである。
エイダンがレウルスの胴体を貫いたということは、正面に立っているということだ。そして、その背後には庇われたブレインがいるため、ラディアを真っすぐ振り下ろせば二人まとめて仕留めることができたはずである。
エイダンとて時には捨て身で戦うことで活路を拓けることを知っているが、間違っても優勢な立場の者がすることではない。それも、胴体を槍で貫かれればほぼ確実に死ぬとわかった上で実行することではないのだ。
「チィ……あのまま突いてくれば手っ取り早かったんだがな……」
まとめて仕留めることに失敗したレウルスは、口惜しそうに呟く。
切断した木を蹴り飛ばし、その上を走るという曲芸を見せ、なおかつ明確な隙を晒したというのにエイダンは乗ってこなかった。正確に言えば乗りかけたものの、乗れば死ぬと戦士としての勘が全力で叫んだ結果である。
「おいブレイン、まだか……さすがにお前さんを庇ったまま勝てるような奴じゃねえぞ」
「すまない。でもあと少しで……」
「シャアアアアアアアァッ!」
傷が塞がりつつあるブレインだったが、それを悠長に待つ必要性など欠片もない。
レウルスが弾丸のように駆け出すと、それを見たエイダンが自身の周囲に炎の弾を生み出した。そして瞬時に形を変え、槍状になってレウルスへと一斉に放たれる。
レウルス目掛けて放たれた炎の槍は五本。レウルスの回避先を潰すように更に三本飛来し、それを見たレウルスはラディアに魔力を込めていく。
「しゃらくせぇっ! まとめて――」
『ていや』
レウルスの周囲に氷の槍が現れ、迫る炎の槍へと叩き込まれる。それによって炎の槍が相殺され、氷が水蒸気へと瞬時に変換された。
レウルスに助力をするためだったのか、あるいは魔力を込めたことを勘違いしたのか、“援護射撃”を行うラディアにレウルスは驚きつつも表情には出さない。
『よくやった! でもあとで説教だ!』
『なんで?』
炎の槍を斬り払うつもりだったレウルスは、僅かに体勢を崩しながらも駆ける。そんなレウルスの“不自然な動き”に目を細めたエイダンは、再度炎の槍を生み出しながら自身も槍を構えた。
「魔法具だとは思ったが、さっきは炎で今度は氷魔法? どうなってんだ? 複数の属性魔法が使える魔法具か?」
魔力を込めれば特定の属性魔法を使える魔法具ならば、値段は張るが存在する。しかし、複数の属性魔法を発現させる魔法具となるとエイダンでさえ見るのは初めてだ。
「――良い」
そして、ラディアが氷魔法を使ったのを見たブレインの口から、ポツリと声が漏れた。右足の傷が完全に塞がるまでまだ時間がかかるが、それを忘れたようにふらりと立ち上がる。
「一目見た時から良い武器だと思ったけど……複数の属性魔法を扱う魔法具? 魔法人形ならまだわかるけど、剣に魔力を込めて複数の属性魔法……どんな仕組みだ? 『宝玉』を複数使えば……いやいやっ! そんな単純なものじゃない!」
そう言って血走った眼をレウルスに――ラディアに向けるブレイン。
「欲しい……ああ、欲しいなぁ! 欲しくて堪らないなぁ!」
そう叫び、ブレインの魔力が強まる。それを感じ取ったレウルスは、塞がり切っていないブレインの右足から血が噴き出しているのを目視し、嫌な予感を覚えて後方へと跳んだ。
(治りかけの傷からまた血が噴き出し始めたってのに、全然気にしてねえ……なんだ?)
自分のように勝手に傷が塞がるわけでもあるまいに、とレウルスは警戒を強める。それでも何かをする前に仕留めれば良いと判断したレウルスだったが、牽制のようにエイダンから炎の槍が放たれた。
「おいおい……まさか、“使う”つもりか?」
レウルスが炎の槍を斬り払うほんの僅かな時間。その間に背負っていた木箱を地面に下ろしたブレインの姿に、エイダンが確認するような声をかける。
「あの剣を手に入れるためなら……いや、『魔物喰らい』を殺すためだからね。仕方ないよね……そう、仕方ないことだよ……」
そう言いつつ木箱の天面を開け、何かを取り出すブレイン。それを見たレウルスは、今度は何が出てくるのかと防御に意識を割きながらラディアを正眼に構える。
(毒に銃に爆弾に……次は……なんだ、生物兵器でも出てくるか?)
毒には耐性があっても、細菌などにまで耐性があるかはレウルス自身にもわからない。そのため何か投げてくれば焼き払おうと魔力をラディアに込めるレウルスだったが、ブレインが取り出した物はレウルスの予想を裏切るものだった。
(魔法人形……か?)
それは、“おそらくは”魔法人形であろう物体だった。ただし、レウルスが以前見たことがある魔法人形の残骸とは異なり、既に誰かを模した上で人形の大きさまで縮めたかのような外見である。
「火龍を殺すために用意したものだけど……『魔物喰らい』を殺した上で火龍を殺せば良いよね。“あっちの準備”も進んでいるし……ああ、あの剣が欲しい……」
物欲しげに濁った感情のこもった瞳をラディアへと向けながら、ブレインが言う。そしてブレインが握る人形が発光したかと思うと、瞬時に人形が巨大化した。
(……なんだ?)
人型に姿を変えた魔法人形。その姿を見たレウルスは、同時に強大な魔力を感じ取って僅かに困惑する。
魔法人形が形取ったのは、レウルスと大きな歳の差はないであろう女性だった。
美人と呼んで差し支えない顔立ちに、腰まで伸びた黒髪。服装はカンナやクリス、ティナのように和装だったが、白一色の白装束である。
(……やばい、な)
その女性を見たレウルスは、勝手に冷や汗が湧き出て流れ落ちるのを感じるのだった。




