第550話:それぞれの戦い その4
久しぶりに前書きをお借りいたします。
拙作のコミカライズ版が更新され、10話後半が掲載されました。
よろしければそちらもお読みいただければ幸いに思います。
クリスとティナ、翼竜を相手にした戦いは優勢と呼べる状態だったものの、レベッカが参戦したことでその天秤は大きく傾きつつあった。
『傾城』あるいは『人形遣い』と呼ばれ、司教として第六位の地位にあるレベッカだが、その厄介な点は三つある。
一つは、『魅了』の『加護』によって他者を操ること。これは相手によっては通じないが、“通じる”ならば上級に匹敵する翼竜でさえ操る強力な能力だ。
一つは、魔法人形を作成できるほど魔法具作りの才覚に優れていること。他者の姿や性格どころか、劣化するとはいえ能力まで真似る魔法人形がどれほどの脅威になるかはエリザもよく知っている。
そして、最後の一つは――。
「さあ、悲鳴を上げなさい。ええ、わたしの王子様の耳に届くほど、大きな悲鳴を……さあ、さあ、さあ!」
そう叫びながら跳躍し、落下すると同時に拳を振り下ろすレベッカに対してエリザ達は一斉に飛び退く。
レベッカの拳が地面に“着弾”するなり響き渡る轟音。その一撃は地面を大きく陥没させ、すり鉢状の大穴を作り上げる。
他の武闘派の司教と異なり、レベッカは高い戦闘技術を修めているわけではない。属性魔法を使って攻撃するようなこともなく、武器を用いて戦うわけでもない。
“オトモダチ”に頼らない場合、レベッカはその身に宿る莫大な魔力を『強化』に回し、高めた身体能力を駆使して戦うのだ。
その魔力量によって、並の魔法使いが使う『強化』とは比べ物にならないほどの腕力を発揮するレベッカ。ある意味レウルスに近い戦い方だが、武器を用いて戦うレウルスとの違いはその身軽さにある。
「くっ……本当に厄介じゃな!」
レベッカが容易く地面を陥没させたことに驚きつつも、エリザは雷の杖を構えて魔法の準備に取り掛かる。しかし狙いを定めようとした瞬間にはレベッカの姿が消え、エリザの眼前へと迫っていた。
「っ!?」
エリザは息を呑みつつ、放たれたレベッカの拳を転がるようにして避ける。本来ならばそのような避け方をした時点で“詰む”のだが、そうしなければどのみち死んでいたと思われるほどにレベッカの拳は強力だった。
エリザを捉え損なったレベッカの拳は空を切り、エリザの背後にあった木の幹に命中する。そして、そのまま鈍い音を立てながら拳が木の幹へとめり込んだ。
「案外素早いのね……驚きました、ええ、驚きましたとも。未熟であっても吸血種であることに違いはない、と……それに」
そう言いつつ、レベッカは匂いを嗅ぐようにして鼻をひくつかせる。
「嗚呼…‥わたしの王子様の魔力を感じるわ……あなたにあの人の魔力が流れ込んでいる……精霊にも、ドワーフにも……」
匂いを嗅ぐような仕草をしながらも、感じ取ったのは魔力なのだろう。レベッカは木の幹にめり込んだ拳に力を入れたかと思うと、そのまま反対側まで貫通させる。
「吸血種のお嬢さん……あなたには一方的に親近感を覚えているわ。ええ、覚えているの。だから殺しはしない……でも、どうしてかしら? 少しだけ意地悪するつもりだったけど……」
ミシリ、ミシリと音を立てながら木の幹が“両断”されていく。レベッカは貫通させた右手とは別に左手を木の幹に添え、ゆっくりと五指を食い込ませていく。
「――力加減を間違えてしまいそう」
エリザの胴回りほどある木の幹が圧し折れ、それに驚く間もなくレベッカが体を旋回させる。そして体ごと回転した勢いを乗せて回し蹴りを放ち、エリザ目掛けて両断された木を蹴り飛ばした。
何をするつもりかと警戒していたエリザだったが、さすがにそのような攻撃方法は予想外である。そのため僅かに反応が遅れ、飛来した木に押し潰される。
「エリザちゃんっ!」
その直前に、駆け寄ってきたミーアが地面に鎚を打ち付けた。すると地面が隆起し、迫り来る木からエリザを守るようにして受け止める。
「わわっ! か、考えてたことと違う!?」
ミーアとしては“練習通り”地面を陥没させることでエリザを無理矢理回避させるつもりだったが、魔力を込め過ぎたせいか地面が盛り上がったのだ。
しかし、結果としてエリザを守る盾にはなった。そのことにミーアは安堵し――。
「土魔法とは珍しい……ええ、珍しいですわ」
レベッカの右腕が、ミーアが作り上げた土の壁を貫くようにして現れる。その手は正確にエリザの首を掴む軌道で迫っていたが、エリザは咄嗟に上体を逸らして回避した。
「ちょっとちょっと! わたしを無視するんじゃ――むむっ!?」
エリザが危険だと判断したサラは生み出した火球をレベッカに向かって放とうとしたが、それを邪魔するようにクリスから風の刃が放たれたため、そちらに向かって撃つことで相殺する。
「……邪魔しないで」
ネディはティナと魔法を撃ち合いつつ、レベッカが操る翼竜の相手を務めていた。普段は首に巻いている羽衣が意思を持ったように動き、鞭のような動きで翼竜を牽制している。
(いかん……ワシとミーアがレベッカ一人にかかりきりでは、サラとネディに負担がかかってしまう。じゃが、一人でこやつを抑えるのは……)
エリザは後方へ跳びつつ、そんなことを考える。その隙を補うようにミーアが前へと出ると、レベッカを相手に近接戦闘を挑み始めた。
「まあ……やっぱり、あなたからも王子様の魔力を感じるわ。ええ、感じますとも……」
「くっ!? やっぱり強い……というか怖いっ!」
鎚をレベッカ目掛けて振るうミーアだったが、真っ向から繰り出されたレベッカの拳と激突して拮抗する。その異常な現実に、思わず声が出るのも仕方がないだろう。
金属で作られた鎚が、『強化』を使っているとはいえ生身の拳と激突し、その上で“拮抗している”のだ。レウルスとの『契約』によって膂力を増したミーアだったが、鎚が拳で受け止められたことはさすがに恐怖を誘うほどの衝撃だった。
また、そのような荒業を披露したレベッカの表情が薄っすらと笑んでいるのも恐怖である。それでいて、これだけのことをしておきながらレベッカからは殺気が感じられなかった。
殺すつもりがない――などといった生温い考えではないのだろう。
この程度では死なないと思うが、死んだらそれはそれで仕方がない。そんな考えが透けて見えるような笑顔だった。
「ミーア!」
レベッカと鎚で打ち合っていたミーアだったが、背後から飛んできたエリザの声に鎚の軌道を変える。地面を叩いて陥没させ、ほんの数瞬とはいえレベッカが身動きできない状況を作り出すと、ミーアは瞬時に真横へと飛んだ。
そして放たれるのは、ミーアが稼いだ時間で完成させた雷撃。威力と完成速度だけを重視し、魔力を無駄に消耗しながらも威力を引き上げた雷撃は中級魔法と呼べるだけの威力があった。
エリザからすればレベッカは規格外の化け物だが、レウルスのように魔法を斬るような能力はないはずだ。そう思いながらエリザが放った雷撃は相殺されることも回避されることもなく、レベッカに直撃する。
「…………」
思ったよりもあっさりと命中した。そう思うエリザだったが、気を抜くつもりなどない。
雷撃が直撃したレベッカは衝撃で吹き飛び、地面を転がっていく。まるで放り投げた人形が転がるかのようなその動きにエリザは視線を険しくし、ミーアは気味が悪そうに頬を引きつらせた。
「……死んだの?」
ミーアがそう呟くが、エリザは答える代わりに再度雷の杖に魔力を通し、“次弾”の準備に取り掛かる。
司教がこの程度で死ぬのならば、かつてエリザの家族が襲われて殺された際もエリザの祖母であるカトリーヌが余裕を持って撃退できたはずだ。また、仮に死んでいたとしてもその確認は重要である。
エリザが再び雷撃を放つ。死んでいるのならその確認を、死んでいないのなら少しでも痛手を与えるべきだ。
そんな考えから攻撃を仕掛けたエリザだったが、雷撃を放つと同時にレベッカが動く。それまでの沈黙ぶりが嘘のように、地面を殴りつけたかと思うとその反動で雷撃を回避する。
「なんということかしら……服が汚れてしまったわ。これでは王子様の前に立てない……恥ずかしいわ、ええ、恥ずかしい」
そして、平然と立ち上がったかと思うと服に着いた土埃を払い始めた。雷撃を受けた影響を感じさせないその動きに、エリザは雷の杖を握り締めながら視線を強める。
(この場にいるのが師匠なら、今の一撃で終わってたのじゃ……)
エリザは脳裏にナタリアの姿を思い浮かべた。自由自在に風を操るナタリアならば、素手で向かってくるレベッカなど風の刃で首を刎ねて殺しているだろう。
ナタリアに師事しているが、一番扱いに長けているのが雷魔法のため攻撃に使用した。それで仕留めきれないのはエリザの未熟さもあるが、レベッカの耐久力が常人離れしているのも理由の一つだろう。
エリザとしてもさすがにレベッカがレウルスのように痛みを感じないように動いたり、傷を負っても即座に塞がり始めたりするとは思わないが、レベッカの魔力量ならば『強化』だけでも相当な耐久力がありそうだ。
(というか、焦げ目一つないんじゃが……あの服、魔力は感じぬが見た目に反して相当頑丈そうじゃのう)
レベッカが着ている黒いドレスを見ながらエリザはそんなことを思う。可能な限り威力を高めたつもりだったが、雷撃でもそこまで効果はないようだ。
常人ならば死ぬ威力ではあった――が、相手は常人ではない。
それでも、エリザとしても退けないのだ。
(レウルスの隣に立つために。わたしもスラウスの……おじい様のように強くっ!)
以前吸血種としての戦い方を“見せてくれた”スラウスの顔を脳裏に思い浮かべ、エリザは魔力を練り上げていく。
レウルスが『熱量解放』を使っているというのもあるが、エリザ自身が保有する魔力も並の魔法使いと比べれば多い。それが原因なのか、エリザは自身が魔法使いとして“一つ上の段階”に足をかけていることをなんとなく感じ取った。
しかし、そんなエリザの感覚を妨げるようにして、複数の足音が近付いてくる。それは騒ぎを聞きつけたグレイゴ教徒達のもので、エリザはただでさえレベッカの参戦によって押されているのが一気に敗北へと転げ落ちそうになっているのを悟った。
「こっちで戦闘の音が」
「――良いところにきたわね。あなたたち、“オトモダチ”になりましょう?」
そして、駆け付けたグレイゴ教徒達を即座に操り始めるレベッカの姿に、エリザはよりいっそう気を引き締めるのだった。




