第54話:経験値の差
「ただの人間、ねぇ……」
レウルスの名乗りに対し、男は不快そうに顔を歪める。
「化け物は化け物だろぉ? 取り繕ってるんじゃ……っ!?」
名乗りこそしたが、男の話に聞く耳を持たず問答無用で斬りかかるレウルス。無言で、自身に出せる最速で、躊躇も油断もなく大剣を振り下ろす。
男は僅かに驚いたものの、レウルスの動きに反応して半身捻ることで斬撃を回避した。だが、レウルスは止まらない。男が大振りのレウルスに短剣を突き刺すよりも早く、斬り下ろした大剣を跳ね上げる。
「っとぉっ! ははっ、危ないなぁ」
直撃すれば首を刎ね飛ばすであろう一閃。それを上体を逸らしながら回避すると、男は後方回転してレウルスとの間合いを広げた。
「うーん……毒が効かなかったわけでもないだろうに、その体でよくそこまで動けるねぇ。見張ってる時はここまで“動ける”人間だとは思わなかったんだけどなぁ」
男は不思議そうな顔でレウルスを見るが、わざわざ説明する義理もない。レウルスが無言で大剣を担いで前傾姿勢を取ると、男は肩を竦めた。
「おいおぉい、だんまりかい? お話しようぜぇお優しいレウルス君。その背中に庇ってる化け物はさぁ、君を騙してただけなんだって」
目を細め、ニコニコと笑う男。その言葉に取り合わず隙を探るレウルスだったが、軽い口振りに似合わず隙がない。
「俺としても驚いたんだけどさぁ、君ってその化け物を無償で助けたんだって? まあね? 化け物だけど外見はただの子どもだし、顔もまあ整ってる。体付きは貧相だけど、そんな外見の化け物が媚びて寄って来たから同情したんだろうけどさぁ」
ジリジリと間合いを詰め、一撃で仕留められる距離を探るレウルス。虎視眈々と必殺の間合いを測るレウルスの姿に男は笑みを深めた。
「君、騙されてたんだよ。その化け物は打算があって君に近づいただけさぁ。それだけ動けるのなら、あの町でも重宝されてるんだろぅ? そんな君を利用してただけなんだって。その本性は化け物らしい薄汚いものなんだよ?」
エリザを嬲るように言葉を続ける男。その言葉を聞いたレウルスは思わず笑っていた。
「ははっ、そりゃ逞しくて何よりだ」
「……逞しいぃ?」
レウルスの反応が予想外だったのか、男は細めていた目を僅かに見開く。
「理解できないなぁ……化け物に利用されてそんな感想が出てきた意味がわからないなぁ」
「生まれ故郷を追い出されて山の中で生きて、その上いきなり家族全員を殺されたガキが打算もなく寄ってくるかよ。俺を利用した? あっはっは、そりゃまたけっこうなことだ。人間らしくて実に良いね」
笑い飛ばすレウルスだが、別にエリザの全てを疑っていたわけではない。
吸血種と名乗られて突然斬りかかった負い目があったが、様々な仕草が演技だったとしても関係ない。“そんなこと”とは関係なしに、自分に似ていると思った子どもを見捨てることはできなかったのだから。
「むしろアレが素だったらこっちが困るわ。ガキの癖に媚びたり怯えたり、絶望したような目で見てくるし、のじゃのじゃ言ってるし、泣いたと思ったら人の服を涙と鼻水でガチガチに固めたんだぞ……ああ、いや、“アレ”は素だったのか」
今はだいぶ打ち解けているが、それでも時折窺うような視線を向けてくるのだ。レウルスの反応からどのような表情を浮かべれば良いのか考えていたらしく、エリザのような子どもがそんな真似をしているのは気持ち悪くて仕方がなかった。
「つーわけで、エリザが化け物だなんだって言ってる“そっちの事情”は知らねえし興味もねえ」
そう言ってレウルスは威嚇するように大剣を一振りすると、両手で握って構え直す。
「お前が喧嘩を売ってきたから買ってやった。それだけの話だろうが――化け物」
エステルからグレイゴ教について話を聞いてはいたが、いきなり町中で人様を刺してくるような連中だ。エリザよりも余程“化け物”だろう。
「なるほどねぇ……その化け物の言葉を信じていたわけじゃないけど、どうやらただのお人好しってわけでもないみたいだぁ。いやぁ、困ったなぁ困ったなぁ」
微塵も困った様子を見せず、笑顔のままで頭を掻く男。気が抜けているように見えるが、レウルスの一挙手一投足をじっと見ており、油断の欠片もなかった。
「一応聞いておくけどさぁ、お金をあげるから手を引いてくれない? ほら、アレだよアレ、慰謝料。とりあえず大金貨3枚でどう?」
「へぇ、大金貨3枚か。そりゃ大金だな」
「だろぉ? で、どうかなぁ?」
レウルスが興味を示したと思ったのか、男は懐を探る仕草をする。それに合わせてレウルスも構えていた大剣をゆっくりと下ろした。
「殺して身ぐるみ剥ぐ時の楽しみにしとく」
「だよねぇ――俺でもそうするよ」
それまで細めていた男の目が、殺気を帯びて吊り上がる。それと同時に男の体に魔力が漲った。それは『強化』による身体強化の兆候である。
男が懐から取り出したのは大金貨などではなく、手の平に収まるサイズの短剣だった。短剣の柄尻には紐が結ばれており、男は殺気と共に短剣を投擲する。
一息の間に投じられた短剣の数は三つ。そのどれもがレウルスの急所を狙ったものであり、『強化』を使った状態で放たれた短剣の速度はまるで弾丸のようだった。
「オオラアアアアアアアアアァァッ!」
下げていた大剣を跳ね上げ、咆哮と共に振り上げる。そして大剣の腹で飛来する短剣を弾き飛ばし――。
「はぁいざんねぇん」
ぬるりと、蛇のような動きで男がレウルスの懐に潜り込んでいた。意識の隙間を突くように、レウルスが大剣を振り上げたことでほんの一瞬とはいえ視線が切れたことを利用し、男は距離を詰めていたのだ。
踏み込みと同時に突き出される短剣。その一撃は鋭く、革鎧を貫いてなお余りある威力を秘めている。例え大剣を振り下ろしても男の刺突の方が速いだろう。
故に、レウルスは大剣を振り下ろさなかった。
「っ!?」
むしろ振り上げた大剣をそのまま頭の後ろへと振り、大剣の重さと勢いで上体を後ろに逸らす。続いて上体を逸らした勢いを使用して右足を振り上げ、男の腕を蹴り上げた。
そして、蹴り上げた右足を引き戻して踏み込みとし、今度は振り上げていた大剣を男の頭頂部へと振り下ろす。
それは風を切るどころか、直撃すれば男を頭から股下にかけて真っ二つに切り分けるであろう剛撃。『熱量解放』によって強化された身体能力に物を言わせた、必殺の一撃だった。
――だが、それでも届かない。
「いやはや、驚いたねぇ……冒険者ってやつは魔物ばかりと戦っていて対人戦なんてできないと思ってたんだけどねぇ」
いつの間に間合いを開けたのか、男は後方に跳んでレウルスの斬撃を完全に回避していた。レウルスが蹴り上げた右腕の調子を確認するように振っているが、折れてはいないようだ。
「しかも動きが滅茶苦茶だなぁ……我流もいいところだろうに、よくそこまで動けるもんだよ」
そう言って男は観察するような視線を向けてくるが、レウルスとしては舌打ちしたい気分だ。
繰り出した斬撃は全て必殺のつもりだった。それこそ当たりさえすれば短剣ごと眼前の男を両断できるだろうが、掠めることすらできていない。
「魔物を斬るのは躊躇しなくても、人を斬るのは躊躇するって奴もいるんだけどさぁ……君は全然躊躇しないねぇ」
「殺さなきゃ殺される状況で躊躇するかよ。というかテメェ、人の腹をいきなり刺すような相手に容赦するわけねえだろ――というわけでさっさと死ね」
“縦”の斬撃では容易く回避されてしまう。そう考えたレウルスは踏み込みと同時に体を捻り、男の胴体を輪切りにするつもりで大剣を横に薙ぎ払う。
「あっはっは。その考え方は割と好きだなぁ。いやいやぁ、残念だ。君みたいな男はグレイゴ教が合いそうなんだけどなぁ」
しかし、どれほどの動体視力を持っているのか男は服すら斬らせずに斬撃を回避した。それは必要な分だけ後ろに跳ぶという単純な回避方法だったが、剣先を掠らせることもできない。
「……生憎と、グレイゴ教なんて信仰しねえよ」
「へぇ? それじゃあ精霊教を信仰してるのかぁい?」
「とある飯屋の女神様なら命がけで信仰しても良いね」
言葉を交わしながら間合いを測るレウルス。背後にエリザを庇っていなければ身体能力に物を言わせて攪乱することもできるのだが、眼前の男は時折エリザに殺気を向けていた。
――明らかに戦い慣れている。
(グレイゴ教ってのはこんなに強いのかよ……いや、さすがにこの場じゃコイツだけか?)
素人判断だが、『熱量解放』を含めれば一撃の重さ、速度、身体能力において自分の方が勝っているだろうとレウルスは思う。
男は『強化』を使っているが、いくら魔法によって身体能力を底上げしても『熱量解放』には届かない。しかし、それを補って余りある戦闘経験が状況を拮抗に持ち込んでいた。
レウルスにとって一番強い敵と言えばキマイラだが、目の前の男とキマイラでは様々な面が異なる。
雷魔法を使ってくることもなければ、頭が二つあるわけでもない。三本の尻尾で鞭のような打撃を繰り出すこともなく、前腕に生えた黒曜石のような外殻で斬撃を弾くこともない。巨体を利用して突撃してくることもないのだ。
それでも――目の前の男の方が戦いにくい。
キマイラも一定以上の知能が感じられたが、目の前の男はキマイラの比ではない。突如乱入したレウルスを相手にして戸惑うこともなく、『熱量解放』によって身体能力で上回るであろうレウルスの攻撃を回避している。
それでも、このまま戦い続ければレウルスが勝つだろう。強引な力押しで“最終的に”は勝てるはずだ。
それまでにレウルスの魔力が尽きなければ、だが。
(“まだ”魔力はもつ……でも、コイツを倒せるまでもつかはわからない、か……)
己の中に感じる魔力の量を大雑把に見積もったレウルスはそう判断した。
この場にいるのが目の前の男だけならば相打ち覚悟で攻めることもできる。だが、レウルスの感覚には周囲の暗闇に潜む魔力が引っ掛かっていた。おそらくはグレイゴ教徒が潜んでいるのだろう。
さすがに目の前の男ほどの手練れが潜んでいるとは思いたくないが、加勢されれば厄介だ。そう考えたレウルスは大剣を構えたままで僅かに体勢を変える。すると、それを見た男が口の端を吊り上げた。
「おや? おやおやぁ? 逃げるつもりかぁい?」
どうやら観察眼も優れているらしい。レウルスは内心だけで舌打ちすると、背後のエリザに意識を向ける。今ならば担いで逃げることもできるかもしれないが、それで逃げ切れる保証はない。
それに加えて、森の入口付近ではラヴァル廃棄街の面々とグレイゴ教徒たちが戦っているはずなのだ。どちらが優勢かわからないが、下手すれば動揺を招きかねない。
「お優しいレウルス君が生きていたのなら、そこの化け物も見逃していいかもしれないなぁ……でも、わざわざ助けに来てくれたんだし? 化け物の前で端から刻んでいくのも面白そうだぁ……」
男は手の中で短剣を弄びながらそんなことを言い出す。しかし周囲の暗闇を軽く見回すと、笑いながら問いかけた。
「君達はどう思う?」
「司祭様の御心のままに」
「んっんー、そうかぁい……」
暗闇からの言葉に、男の笑顔が消え失せる。
「放っておく方が面倒だ――殺せ」
「っ!」
男の言葉と同時に、周囲の殺気が膨れ上がる。それに気付いたレウルスは即座に身を翻すと、エリザに向かって叫んだ。
「そのまま伏せてろ!」
風を切ってエリザに迫る何本もの短剣。レウルスは大剣の刃を立てず、ラケットでも振るように大剣の腹で飛来する短剣を弾き飛ばす。
「頑丈でいい剣だねぇ」
「チィッ!」
背後から聞こえた声に、レウルスは右手一本で腰の短剣を抜きながら反応した。そして音も立てずに接近していた男が繰り出す刺突を短剣で弾き、宙に火花を散らす。
「ふんっ!」
「おおっ!? 片手でも振れるのかぁい?」
レウルスは大剣を握る左手に力を込め、再び距離を取ろうとする男を切りつけた。かなりの重量がある大剣を片手で振るってくるとは思わなかったのか男は驚きの声を上げるが、さすがのレウルスも左手一本で振るうには大剣が重い。
斬撃の軌道が僅かにずれ、男は悠々と回避する。その間にも周囲の暗闇からは殺気が感じられてレウルスは内心で焦りの声を上げた。
(魔力があるってことは魔法使いだろうな……『強化』だけか? それともキマイラみたいに何か飛ばしてくるか?)
魔法を撃たれたとしても、キマイラの時のように斬り払えば良い。そうは思うものの、“あの時”と違って魔法を斬れるイメージが湧かなかった。
「れ、レウルス……」
周囲から放たれる短剣を弾き、気が付けば距離を詰めている男の短剣を弾き、防戦一方のレウルスを見たエリザは自然とその名前を呼んでいた。
レウルスが助けに来てくれたことは嬉しい。だが、このままでは圧倒的にレウルスが不利で、その原因は自分にあるとエリザは思った。
魔法も使えず、戦えず、己の身を守ることすらできないのだ。レウルスを危険に晒すだけで、最早足手纏いを超えて害悪でしかない。
――それならば、このままここで蹲っているか?
――このままレウルスが殺されるのを黙って見ているか?
――助けてほしいという願いに応えてくれたレウルスに対して、何かできることはないか?
レウルスが大剣を振るう風切り音と、空中で弾ける鋼の音を聞きながらエリザは必死に考える。これまで生きてきた中で、一番と断言できるほどに思考を回転させる。
だが、何も思い浮かばない。
そうこうしている間に司祭の男がレウルスの短剣を弾き飛ばし、レウルスの首を狙って自身の短剣を突き出す。
回避できないと悟ったレウルスは、右腕の手甲で短剣を弾く。それでも男の振るう短剣は業物だったのか、手甲が裂けてレウルスの右腕から血が噴き出した。
「い――ってえな!」
それでも首を突かれることは避けられた。レウルスは痛みを誤魔化すように咆哮し、男の腹部に前蹴りを叩き込んで吹き飛ばす。
「……それを痛いで済ませるなんて、実は君も吸血種だったりするのかぁい?」
男の呆れたような声が響く。さすがに今のレウルスに蹴られては無傷でいられなかったのか、僅かに動きが鈍っていた。
その光景を見ていたエリザは、自身の頬に雨粒のようなものが当たったのを感じ取る。しかしその雨粒は温かく、錆びた鉄のような匂いがした。
――噴き出したレウルスの血が顔にかかったのだ。
「ぁ…………」
血の匂いだと気付いたエリザの脳裏に、一つの考えが過ぎる。そして、“その考え”が浮かんだ時には叫んでいた。
「レウルス! ワシを抱えて逃げてくれっ!」
その叫びに驚いたレウルスだったが、エリザの目は真剣だ。ただこの場から逃げ出したいわけではないと判断すると、中々に無茶を言うな、と苦笑する。
「乗り心地は保証しないぞ?」
――それでも、子どもの我が儘に応えるのは大人の仕事だろう。
レウルスは痛む右手を無視して両手で大剣を握ると、思い切り地面に叩きつけて目潰しを行う。そして無理矢理作り出した隙を利用してエリザを抱きかかえ、走り出すのだった。