第548話:それぞれの戦い その2
今でこそグレイゴ教徒からは『狂犬』、それ以外の者からは『膺懲』とあだ名されるジルバだが、“最初から”そのような名前で呼ばれるに足る人生を送ってきたわけではない。
当然ながらジルバにも赤ん坊の頃があり、子供の頃があり、少年の頃があり、青年の頃があった。他の人間と変わらず、現在に至るまで己の人生を歩み、その結果として今があるのだ。
そんなジルバが信仰する宗教は精霊教だが、深く信仰するに足る劇的な“何か”があったというわけではない。
マタロイの中でも地方の村に生まれ、精霊教を信仰する両親の元に生まれ、成長を重ねてきた。精霊教が広く信仰されているマタロイならば、同じような境遇の者は探せばいくらでもいるだろう。事実、ジルバが知る精霊教徒の中には、同じような境遇の者は両手の指では足りないほどにいたのだ。
そんなジルバと他の精霊教徒の違いがあるとすれば、感受性が強く、魔力があり、幼少の頃は“精霊教の教えに疑問を抱いていたこと”だろう。
――火や水、風や雷、氷や土といった様々な“自然の属性”を司る精霊に感謝し、祈りを捧げる。
精霊教の教えというものは単純化すればそれだけのことだったが、“感謝する”と一口に言っても受け取り方は人それぞれだ。
かつて『国喰らい』と呼ばれ、現在に至るまでスライムの別称として知られるほどになった魔物を退治し、国や人々を救ったとされる大精霊コモナが感謝されて祈りの対象になるのは理解できる。
しかし、ジルバは属性を司る精霊まで感謝の対象に含めて祈りを捧げることに疑問を覚えたのだ。
両親に尋ねても“そういうもの”だと言われ、村にいた精霊教徒に尋ねても似たような返答しかもらえない。それでもジルバは疑問を抱きこそすれ、生活にも密着している精霊教の教えを守り、何かあれば祈りを捧げていた。
それでも年々疑問が大きくなる。何故だ、どうしてなのだ、と祈りを捧げる度に心の中で声が囁く。
その声が無視できなくなるほど大きくなった時、ジルバは決断を下す。
――旅に出よう。
この時の決断を下したジルバを今のジルバが見れば、肯定すると同時に苦笑の一つも向けていただろう。まだ少年から青年に差し掛かろうかという時期に、家を飛び出して旅に出た大馬鹿者め、と。
無論、ジルバとて意味も理由もなく旅に出たわけではない。自身の信仰心に疑問が混ざるのは、信仰対象である精霊を実際に見たことがないからだと考えたのだ。
閉ざされた村の中では精霊に会う機会などなく、また、若者特有の無鉄砲さがその決断を後押しした。魔力を持っていたため『強化』を扱うことができ、村の若者の中でも一番体力があり、腕っぷしも強かったことから精霊に会ってみたいという思いを抑えられなかったという側面もある。
だが、今でこそ食後の散歩でもするような気分で町から町へ、村から村へと移動できるジルバだが、旅慣れないどころか初めて村を出るような若者が安穏と過ごせるほど“外の世界”は温くない。
街道を進めば野盗に狙われ、野盗を嫌って森の中を進めば魔物に襲われる。一人旅では携行できる荷物にも限度があり、いくら『強化』が使えても荷物を増やせば足取りも重くなる。旅先で食料や水を確保できる保証もなく、命の危険に晒されたことは数えきれないほどあった。
村にいた精霊教徒が紹介状を書いてくれたため、街道で行き会った兵士などからは特に咎められることもなかった。しかし単独で精霊を探す旅をしていると言えば奇妙な顔をされ、心が萎えそうになる時もあった。
それでもジルバが旅を止めなかったのは、旅をする内に自身の胸の中にあった疑問の声が小さくなっていったからだ。
旅をしていれば、色々と思うことがある。
夜に焚いた火の温かさ。
水が尽きた時に辛うじて辿り着けた川で飲んだ水の美味しさ。
マタロイ北部を旅した時に味わった氷の冷たさ。
天候が崩れて巻き込まれた暴風の強さ。
数十メートルと離れていない場所に落ちた雷の怖さ。
何度も寝転びその身を預けた大地の雄大さ。
旅をする内に様々な経験を重ね、ある日ふと、ジルバは疑問の声が消えていることに気付いた。
そして、ああ、と声を漏らす。
“これ”こそが自然であり、感謝を捧げるべきものであると。そしてそれらの自然に、ひいては“属性”を司る精霊に感謝を捧げることに何の違和感もなくなっていた。
そうして己の中に答えを見つけたジルバだったが、精霊に会うことはできていない。
その頃には随分と旅に慣れ、街道で野盗に襲われれば逆に殴り倒し、森の中で魔物に襲われれば殴り倒し、人が立ち寄らない場所に潜んでいた犯罪者がいれば殴り倒す生活を送っていたが、当初の目的である精霊を見つけることはできなかった。
マタロイは広く、ジルバの足で歩き回っても確認できない場所はいくらでもある。隅から隅まで歩き回れば一体何年かかるかわからず、ここでジルバは新たな決断を下した。
――マタロイで見つからないのなら、大陸全土を巡ってみよう。
武者修行の旅というわけではないが、マタロイだけでなくカルデヴァ大陸のいたるところを巡れば精霊に会うこともできると考えたのだ。
さすがにヴァーニルが住むヴェオス火山に単身で突入するような真似はジルバもせず、ヴェオス火山を迂回するルートで旅をすることになったが、異国の風土というものはジルバの心を沸き立たせた。
しかし大国小国問わず巡るジルバだったが、旅自体に充実感はあれど精霊に会うことはできない。精霊がいそうな自然豊かな場所に足を運んでみてもそれらしい気配はなく、付近の住民に確認しても噂の一つも出てこないことが多々あった。
カルデヴァ大陸にいないのならば、他の大陸に行ってみるか。いっそのこと大精霊コモナが『国喰らい』と戦ったというパラディア中央大陸に足を運んでみようか。あるいは一番近い大陸であるジパングに渡ってみようか。
そんな、最早若者の無鉄砲さを超えた情熱を抱えて旅を続けるジルバだったが、まずは手近なところからと決断してジパングに向かおうとしたのだが――。
『ほほっ、これはこれは……中々面白い相をした若造じゃのう』
その途中、何が気になったのかユニコーンのアクシスに声をかけられることとなる。
ジパングに渡るべくカルデヴァ大陸の東へと向かっていたのだが、リルの大森林の近くで野営をしていたところ、声をかけられたのだ。
夜更けのことで、なおかつアクシスが一人だったことから最初は『変化』を使えるほど強力な魔物が何か目的を持って近寄ってきたのかと思ったが、話を聞く限り偶然のことらしい。
それでもアクシスが千年以上の時を生きるユニコーンだと聞き、精霊のことを知っていると思って色々を尋ねてみたのだ。
その対価として“雑用”を押し付けられ、何故か武芸の手解きを受けた。アクシス曰く見込みがあり、なおかつ気に入ったからだと言われたが、何を以て気に入られたのか今となってもジルバにはわからない。
そうしてアクシスから様々なことを学んだジルバは、結局他の大陸に渡ることなくマタロイへと帰国した。精霊自体数が少ないというのもあるが、探し回っても出会えていないのならば“そういう縁”なのだろう、と言われたのである。
そして、旅の途中で他の大陸に渡る前に片付けるべき問題に遭遇したというのもあった。
それこそがグレイゴ教であり、グレイゴ教徒の存在である。物騒な宗教があるとは聞いていたが、過去には精霊も狩られたと聞き、ジルバは自身でも驚くほどの激情に駆られた。
マタロイで精霊教を布教しつつも、時折思い出したように精霊を探す旅に出かけ、そして遭遇したグレイゴ教徒を狩って回る日々。
ジルバも世間では壮年の域を超えてそろそろ老人扱いされ始めるか、と思い始めた頃に、とうとう出会ったのだ。
それこそが火の精霊であるサラ、そして水と氷の精霊であるネディだ。ただし、精霊と実際に顔を合わせたジルバの心情としては、己が思っていたほどの衝撃はなかった。
もちろん、喜びはある。信仰がより強く、深くなったのも自覚できる。しかし精霊が――特にサラが思い描いていたほど神聖なものではなく、むしろ人間に近い感性を持つのだとわかり、必要以上に神聖視することも間違いなのだと悟ったのだ。
だが、ジルバにとって精霊と精霊教の教えが重要だという点には変わりはない。考え方、捉え方は変化してはいるが、長い旅の果てに辿り着いた“感謝の気持ち”は微塵も薄れなかった。
だからこそ“それ”を侵す輩――グレイゴ教徒を前にしたジルバの行動は変わらない。
司教が複数待ち受けているとレウルスから聞いても快諾し、仕留めるべく同行した。
しかし、相手側にいたワイアットを見た時、ジルバは戦慄する。ジルバとて戦いに身を投じた年数は二十年を超え、人間魔物問わず様々な、そして多くのものを打ち倒してきた。
グレイゴ教徒で言えば司教に司祭、助祭にそれ以下の者達と、数えきれないほど多くの者と戦ってきたのだ。
いくら魔法があるとはいえ人間である以上、ある程度の年齢を過ぎると肉体の最盛期を過ぎてあとは徐々に衰えていく。それはジルバとて痛感していることであり、年々肉体が衰えているのを感じていた。
だが、肉体が衰えようとも技術を鍛えることはできる。ジルバは肉体の衰えを感じているが、技術の研鑽によって去年の自分よりも今の自分の方が強いと感じている。
そして、対峙している大司教はそんな自分の“延長線上”にいる存在だとも感じていた。
ワイアットを誘い出すようにしてレウルス達のもとから離れたジルバは、拳と杖を交えながら相手の技量を推し量る。それによって距離を取ったのは正解だと確信していた。
「惜しい……惜しいのう。実に惜しい」
ほんの数合ながらもジルバと打ち合ったワイアットが、心底惜しそうに呟く。多少の距離とはいえ全力で走ったにも関わらず息の乱れはなく、ジルバと相対していながら肩を竦めてみせる余裕すらあった。
そんなワイアットを見ながら、ジルバは思う。
仮にレウルス達の傍で戦っていた場合、ワイアットがレウルス達の方へ向かえば止めきれない可能性が高かった、と。そして、ワイアットと戦っている状態では他の司教に意識を向ける余裕がなく、容易に隙を突かれて死んでいただろう、と。
「素手でありながらその技量……大したものじゃよ若造。司教でいえば第三位……いや、第二位にはなれよう」
「…………」
そんなものになるつもりはない。それだけの言葉を吐き出すこともせず、ジルバは気息を整える。
「用心深さもある……まったく、本当に惜しいわい」
そう言ってジルバを褒めるワイアットだが、何かを思いついたように顎を撫でながら目を細める。
「ふむ……お主のような手合いは、その信仰を崩せば転ぶかのう」
「……崩れると思うか?」
さすがに聞き逃せずジルバが尋ねる。
「お主、グレイゴ教徒が精霊を殺めたことに腹を立てているらしいが――“何故殺したのか”知りたくはないか?」
すると、ワイアットは口の端を吊り上げて笑うのだった。




