第546話:開戦 その7
「あーあー……せっかく上等な獲物だったってのに、あんなもん使いやがって」
レウルスを飲み込むようにして発生した紫色の煙。それを見たエイダンは不満を込めてブレインに声をかけるが、ブレインは悪びれもせず肩を竦めてみせる。
「普段なら止めはしないけど、今回は相手が相手だしね。確実に仕留めるべきだよ」
「そうは言うがよぉ……ああもったいねえ。例え死んでねえとしても、アレを浴びたんじゃあまともに戦えねえだろうしなぁ」
レウルスの周囲十メートル近くを飲み込むように広がった紫色の煙は、ブレインが作り上げた特製の『魔法具』によって発生したものだ。
効果はいたって単純で、強力な毒である。相性次第ではあるが上級の魔物だろうと殺し得るそれは、間違っても人間相手に使うものではない。
液体のままかけても効果を発揮するが、気体になっても十全に効果を発揮するため霧に飲み込まれた時点で既に手遅れだ。
高位の治癒魔法の使い手――それこそユニコーンのアクシス並に優れた魔法使いでも即座に『解毒』することは難しく、時間をかけて少しずつ毒を抜いていかなければ容易に致命傷になり得る代物だった。
風魔法の使い手ならば液体なり気体なりが体に付着する前に風で吹き飛ばせるだろうが、レウルスはそうではない。“事前の情報”からそれを知っていたブレインとしては、エイダンでも容易に仕留められない相手を殺すにはうってつけの魔法具だと考えていた。
「ガアアアアアアアアアアアアアァァッ!」
故に、紫色の煙の中から聞こえた咆哮は断末魔である。そう思考したブレインの思考を無視したようにレウルスが紫色の煙の中から姿を見せ、一直線に突っ込んできたのは幻か錯覚か。
「嘘だろおい!?」
隙を晒すブレインの首を薙ぐようにして大剣を振るうレウルスだったが、驚愕しつつも即座に反応したエイダンが槍の穂先を跳ね上げ、斬撃の軌道を逸らす。それによって命を拾ったブレインは目を見開きつつも後方に跳び、信じ難いものを見たようにレウルスを注視した。
「馬鹿な……風魔法の使い手だった? いや、それらしい気配は……どういうことだ?」
「考えるのはあとにしろや! コイツ、動きがほとんど鈍ってねえぞ!」
一撃必殺の機会を潰されたレウルスはエイダンに狙いを定め、再び接近戦を展開する。ブレインと比べれば落ち着いているが、それでも先ほどまでと比べれば僅かに動きが鈍ったエイダン目掛けて次から次へと斬撃を繰り出していく。
エイダンと異なり、レウルスが繰り出す斬撃はその全てが必殺だ。技量差が大きいためフェイントは通じず、逆に隙を晒しかねないと判断して駆け引きを行わず、暴れ狂う竜巻のような勢いで“磨り潰そう”と刃を叩きつけていく。
しかし防御に回ったエイダンを崩すことは叶わない。さすがに無傷とはいかないが槍の穂先で、柄で、石突で、次から次へと迫る斬撃を凌いでいく。
司教であるエイダンが得物に選ぶだけあり、振るう槍自体も逸品なのだろう。ラディアと打ち合いながらも折れることはなく、エイダンの技量を十二分に発揮させて致命傷を避けていく。
『おかえし』
「ッ!?」
だが、ラディアの刃が腕を掠めた瞬間、エイダンが僅かに苦悶の声を漏らした。レウルスが先ほどつけられた傷と同じように“斬った上で焼いた”ような跡が刻まれ、エイダンの動きが僅かに鈍る。
そんなラディアの“援護”はレウルスとしても予想外だったため、僅かに態勢が崩れた。剣を振った状態から返す刃でエイダンの首を刎ねようとするが、エイダンは既に両足に力を込めて後方に跳ぼうとしている。
また、動揺から立ち直ったのかブレインが再び銃を構えており、レウルスが剣を振れば頭が来る位置へと弾丸を放っていた。
(斬れねえ――でも殺す)
レウルスは剣ではなく、蹴りを繰り出す。エイダンの胴体を貫くつもりで前蹴りを放つ。
貫けずとも胸骨や肋骨を根こそぎ圧し折る心算で蹴りを放ったレウルスは、頭部から僅か五センチ程度の位置を弾丸が通過していくのを目で見つつ、右の前蹴りをエイダンに叩き込んだ。
エイダンの両足が地面から離れ、体が宙を飛ぶ。だが、レウルスの右足に返ってきた感触は軽い。衝撃が完全に伝わるよりも先にエイダンは後方へ跳び、蹴りの威力を削いだようだ。
それでも、宙に浮いたということは隙を晒したということでもある。レウルスはエイダン目掛け、蹴り出した右足を地面にめり込ませる勢いで踏み込みつつラディアを振るう。
体勢が不十分なエイダン目掛け、レウルスは縦に真っ二つにするつもりで魔力の刃を放つ。だが、それに気付いたブレインが横合いからエイダンを蹴り飛ばし、魔力の刃の軌道上から強引に避難させた。
「カ、ハッ……おお、いてぇ……助かったぜブレイン」
「油断……は、してないよね?」
「応とも。加減も手抜きも一切なしだ……“こんな傷”をつけられた以上、油断するような真似はできねえな」
そう言いつつ、エイダンは自身の二の腕につけられた傷を軽く撫でる。レウルスがつけられた傷と比べれば浅く、戦闘に支障をきたすほど痛みも強くない。
だが、傷の深さはともかくとして、自身と同様の攻撃方法で“傷をつけられた”ことは無視できなかった。
「上物だとは思ったが、心底予想外だぜテメェ……ここまで沸き立つのはいつ以来かわからねえほどだ」
そう言って槍を構え直すエイダン。その全身から殺意と戦意が溢れ、槍だけでなく周囲にも炎が現れていく。
ブレインも銃に新たな弾丸を装填すると、油断なくその瞳をレウルスへと向ける。
そして、そんな二人と戦うレウルスは、不意を打つ形になったにも関わらず仕留めきれなかったことに眉を寄せていた。
(さすがに影響なしってわけにはいかねえか……明らかに毒だったしな)
エイダンの技量の高さも理由の一つだが、浴びた毒が原因なのか僅かに動きが鈍ってしまった。『熱量解放』を使っているため痛みはあまり感じないものの、セラスがばら撒いた毒に匹敵するか、それを上回る毒性があったように感じられる。
レウルスは毒の煙が付着した地面や草花が紫色に変色しているのを見て、眉間の皴を濃くした。
「チッ……健康と環境に悪そうなものを使いやがって。『収集家』って名前の割に趣味が悪いんじゃねえか?」
「……健康に悪い、なんて“優しい代物”は使ってないんだけどね。事前の情報が間違っていたのかな? 君、人間だって聞いていたんだけど……」
「どこの誰から仕入れた情報かは知らねえが、人間で合ってるぜ。どう見てもそうだろう?」
得体の知れない生き物を見るような眼差しをしながらブレインが問いかけるが、レウルスとしては他に答えようがない。人間以外の可能性もあるが、レウルスは自分のことを人間だと認識しているのだ。
「……人間どころか並の魔物でも耐えられないほど強い毒だったんだけどね。さすがに火龍を殺すには足りないだろうけど、僕が作った毒の中では自信作だったのに……」
「作った?」
ピクリ、とレウルスが反応を示す。毒の作り方も種類も知らないが、王都でも毒を浴びた身なのだ。
レウルスはエイダンに隙を突かれないよう注意しつつ、その視線をブレインへと向ける。
「そういえば、以前戦ったグレイゴ教徒の中にも毒を使う奴がいたっけなぁ……その作った毒、他人にばら撒いてたりしないだろうな?」
馬鹿正直に尋ねることはせず、以前戦ったグレイゴ教徒を引き合いに出すレウルス。すると、ブレインは小さく笑う。
「さて……そんなことを教える義理はないね」
「そうかい……ま、俺一人殺せないような毒だしな。受け取るやつはいないか。ああ、馬鹿なことを聞いたよ。忘れてくれ。以前戦った司祭が使ってた毒はそれなりに効いて苦しめられたから“お返し”がしたかったんだけどな……作ったのは別人か。そうだよな」
そう言ってレウルスが笑い返すと、ブレインの頬が僅かに引きつった。
「……どんな手段を使ったのかはわからないけど、長期間苦しませるための毒ならともかく、即効性のある毒で死ななかったのは君が初めてだよ。それでも、そんな君が苦しんだというのなら僕が作った毒で間違いないね。司祭が持っていたとなると僕が渡したやつだろうし」
何か矜持に障ったのか、ブレインがそう言い募る。それを聞いたレウルスはエイダンとの間合いを測りつつ、鼻を鳴らすようにして笑った。
「こうやって戦えるぐらいにしか効かない毒を自信作だって言うんだ。渡したのはアンタだけど作ったのは別人ってオチだろ? 殺す前に確認が取れただけ儲け物だよ。まったく、どこのどいつがあんな面倒な毒を作ったのやら……」
最早興味はない、と言わんばかりに視線を切り、エイダンと殺気をぶつけ合うレウルス。当然銃撃を警戒しながらではあるが、ブレインは頬を引きつらせたままで動かない。
「っ……僕が作った毒はこのマタロイでさえ需要があるんだよ? 他の誰でもない、僕が作った毒がね。“君が準男爵として仕える国”では以前から注文があるぐらいさ」
「……ま、口では何とでも言えるしな。それに以前からって言っても割と最近で、需要も少しだけって話だろうよ」
レウルスが“遠回しに尋ねていること”は、レウルスにとっては重要でもブレインにとってはそうではない。それが原因なのか、あるいは『収集家』という名前に反して自身が作った物に対する自負があったのか、ブレインは情報を零す。
「この国の貴族で一番古い顧客は“七年前”から買っているし、効果にも満足しているさ。残念ながら使った毒は『解毒』されたみたいだけど、今なら当時を遥かに超える物が作れる……最近作った毒も、この国の貴族が買い求めたぐらいだからね」
(七年前……か。それに最近の毒も……)
素直にセラスのことを聞いても答えるかもしれないが、さすがにそこまでは望み薄だろう。ルイスがドーリア子爵家に関する問題を片づけていると信じ、情報さえ持ち帰れれば答えも自ずと見えてくるだろうとレウルスは判断する。
そして、仮にセラスが使った毒を作ったのがブレインだったならば。
(……元々斬るつもりだったが、“もう一つ”斬る理由ができたな)
ルヴィリアの件も込みで、ブレインを斬ろう。
レウルスはそう思うのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、評価ポイントやお気に入り登録をいただきましてありがとうございます。
拙作、『世知辛異世界転生記』のコミカライズ版の2巻が本日(12/1)発売となります。
活動報告も更新していますので、ご興味のある方はそちらも見ていただけると嬉しく思います。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




