第543話:開戦 その4
「……司教か」
姿を見せた二人組の男の立ち姿に、レウルスは強者の匂いを嗅ぎ取る。グレイゴ教徒には手練れが多いがその中でも指折り――間違いなく司教の立場にある者だろうと。
そして、そんなレウルスの呟きが聞こえたのか、片方の男が反応を示した。
「応よ。そういうアンタは『魔物喰らい』だな?」
「自分からあまり名乗ったことはないが、そう呼ばれてるな」
レウルスに対して言葉をかけた男は、レウルスと大差ない長身である。短く切った赤茶色の髪を逆立て、精悍と評すべき顔立ちには好戦的な気配が色濃く宿っている。体格も筋肉質で傍目にも“厚み”があり、顔立ちと相まって戦士と呼ぶべき風格があった。
衣服の上に心臓などの急所を守る部分鎧を身に着け、『強化』と思しき『魔法文字』が刻まれた手甲や脚甲を装備している。そして二メートル近い赤い槍を担いでおり、レウルスを興味深そうな目で見ていた。
「むむ……レウルス、そいつってばなんかこう、ぼやぁってしてる。“周囲と温度が同じ”にしてある……みたいな?」
熱源を感じ取れなかったサラが険しい顔で男を見るが、そんなサラの発言を聞いた男は意外な言葉を聞いたように片眉を上げた。
「おっ、そこの嬢ちゃん良い勘してるねぇ……いや、勘じゃねえか。『魔物喰らい』……『精霊使い』と一緒にいるっていう精霊だろうしな」
火の精霊だっけか、と男は呟き、言葉を続ける。
「魔物の中にはこっちの体温で位置を探るやつもいるからな。こいつはちょっとした癖みたいなもんだ」
「……そいつはご丁寧にどうも。それで? こっちのことは知っているようだが、名乗るつもりはあるかい?」
そう言いつつレウルスは愛剣を握る力を強めるが、それと同時に、僅かな疑問を覚えた。
(ジルバさんなら問答無用で襲い掛かりそうなもんだが……動かないな。いや、何かを警戒している?)
相手が司教ということもあり、慎重になっているのか。ジルバが動かないことからそう考えたレウルスだったが、相手が司教だからと“大人しくしている”ような性格ではないだろう。
「おっと、こいつぁ失礼。これから殺し合う間柄っつっても、自分を殺す相手の名前ぐらい知っておきたいわな」
「……別にわざわざ名乗る必要はないと思うけどね」
先ほどからレウルスと言葉を交わしている男とは別に、もう一人の男が呆れたように言う。
こちらは身長はレウルスほど高くないが、それでも百七十センチを僅かに超えているだろう。濃紺の髪を乱雑に伸ばし、髪の隙間から除く目の下には濃い隈が浮かんでいる。槍を持った男と比べれば理知的な雰囲気があるが、身長と比べて体自体はやや細く見えた。
武器や防具の類は見当たらず、まるでレウルスの前世で研究者が着ていたような白衣に近い服を身に着けており、外見だけで見れば戦いに身を置く者には見えない。ただし材質はわからないが大きい長方形の箱を背負っており、本人だけでなく箱の方からも魔力が感じ取れた。
「ははは、そう固いこと言うなよ。せっかく強ぇやつと殺り合うんだ。気分が高まるってもんだろ?」
「君と一緒にしないでくれよ……でもまあ、興味を惹かれるのは確かだね」
箱を背負った男は、爬虫類染みた眼差しでレウルスを――正確に言えばレウルスが握るラディアを見る。次いで『首狩り』の剣を見て、更にレウルスが身に着けている鎧を舐めるように見た。
「グレイゴ教、司教第四位『火閃槍』のエイダンだ。死ぬまではよろしくな」
「グレイゴ教、司教第七位『収集家』のブレイン……よろしくしないで良いから、さっさと死んでくれるかい?」
槍を持つ男――エイダンは気さくに。
箱を背負った男――ブレインは面倒臭そうに名乗りを上げる。
(二人とも魔力持ち……それも魔力量だけでいえば姐さん並か?)
エイダンとブレイン、二人から感じ取れる魔力は大きく、ブレインの方が若干大きく感じ取れる。それに加えて背負った箱から感じ取れる魔力も大きく、合わせれば相当なものになるだろう。
「ジルバさん、どちらの相手をしますか?」
相手が司教となれば、エリザ達に任せるわけにはいかない。そのためジルバと分担しようと考えたレウルスだったが、その問いかけにも反応せずジルバは無言を貫いていた。
「……ジルバさん?」
あまりにも反応がないためレウルスが再度名前を呼ぶと、ジルバはポツリと呟く。
「臭う……臭うな。反吐が出るような臭いだ……」
そんなことを言いながらジルバはエイダンやブレインから視線を外し、体ごと横を向いた。距離が離れているため隙を突かれることはないが、そんなジルバの行動に驚きながらもレウルスは前に出てラディアを構える。
「……何がいるんですか?」
ジルバの言動から、“他の何か”がいるのだと判断してレウルスは問いかけた。
「気配も殺気もありませんがねぇ……どうにも、臭うんですよ……」
「――カカッ」
殺気を滾らせながらジルバが視線を向けた先。そこにはいつの間に姿を現したのか、一人の老人が立っていた。
「なるほどのう……『狂犬』などと呼ばれるのも納得じゃわい。大した感覚じゃ」
そう言って男の老人は感心したように笑う。
年齢はおそらく七十歳前後だろう。髪一本ない禿頭に深い皴が刻まれた顔、服装は華美でこそないが質の良い無地の貫頭衣を身に着けており、防具の類は見当たらない。木で作られた杖を突いているが背中が曲がっているようなことはなく、手足が不自由なようにも見えない。
(……あの爺さん、どこから現れた?)
エイダンやブレインと異なり、レウルスも気付くことができなかった。仮に殺気を向けられていれば気付いただろうが、老人は“そこにいるのが当然”のように姿を見せたのだ。
「おいおい爺様、気付かれてんじゃねえか」
「今のは『狂犬』を褒めるべき……いや、『狂犬』がおかしかったというべきだろうね」
「で、あろうのう。いやはや、若造の癖に大したもんじゃわい」
年齢差によるものか、ジルバを“若造”と呼ぶ老人。そんな老人に対してジルバは最大限の警戒を示しており、ゆっくりと腰を落として構えを取る。
「レウルスさん、あの老人は私が相手をします。司教の二人を頼めますか?」
「ちょいとばかり厳しそうですが、なんとかやってみますよ……“そうするべき”なんですね?」
ジルバが意味もなくそんなことを言うとは思っておらず、レウルスはそう尋ねた。すると、ジルバは険しい表情を浮かべながら口を開く。
「アレは大司教の一人です」
「……大司教? でもたしか、大司教は……」
「ええ……以前、グレイゴ教徒に関して説明しましたね。司教の上に大司教がいますが、奴らは歳を取ったことから一線を退いてグレイゴ教の運営などに回るため、大抵が司教よりも劣る強さしかない、と……ですが、アレは例外です」
レウルスが疑問を浮かべると、ジルバは表情に劣らぬ険しい声色で答える。傍目には杖を突いた老人にしか見えないが、油断できる手合いではないのだろう。
「カカカッ……そう褒めてくれるな『狂犬』よ。儂はもう、老い先短いただの老人じゃぞ?」
「…………」
老人の言葉に答えず、ジルバはよりいっそう意識を集中させていく。それを感じ取ったレウルスも意識を集中させると、エイダンとブレインへ視線を向けた。
「……うげ」
そして不意に、サラが心底嫌そうな声を漏らす。それを聞いたレウルスは何事かと思ったが、“その原因”にすぐさま気付いて眉を寄せた。
「チィ……向こうの方から来やがったか」
遠くの空に見えたのは、通常のものよりも巨体の翼竜である。一直線にレウルス達の方へと飛来してくる翼竜の背中には三つの人影があり、それを目視したレウルスは眉間の皴を深いものに変えた。
グレイゴ教徒が現れている場で、翼竜に乗って移動してくる者など一人しかいない。そして、その人物と共に行動している可能性がある二人組は、レウルスが知る限り多くない。
「――嗚呼、この日を幾日、幾十日、“幾年”待ったことでしょう」
飛来した翼竜から飛び降り、地面に着地した人物――レベッカが心底嬉しそうにそんな声を発する。
以前見たままの、黒いドレスに似た衣服。その顔に浮かぶのは、蕩けるような満面の笑み。
「ようやく再会できましたね――わたしの王子様」
「レベッカ……」
レウルスは小さくその名を呼ぶ。それだけでレベッカの表情は華やぎ、歓喜を示すように魔力が膨らんだ。
「いきなり飛び降りないでほしい……」
「…………」
そして、そんなレベッカに続くようにしてクリスとティナも翼竜から飛び降りてきた。クリスは狐面越しに呆れたような視線をレベッカに向けているが、ティナは無言で視線を僅かに下げている。
(想定に近い数だが……あの大司教が“予想外”か……)
レウルスは彼我の戦力差を計算しながらそう思考する。
大司教の老人がいなければ、司教が五人。レベッカが操る翼竜を含めても、戦力的には司教が六人程度。レウルスとジルバが二人ずつ受け持てば辛うじて拮抗できるかどうか、という戦力差だ。
だが、ジルバが大司教の老人の相手をするため、残った戦力は丸々レウルス達が抑える必要がある。その上、下手すれば周辺に散っているグレイゴ教徒が集まってくる可能性もあった。
レウルスにエリザ、サラにミーア、ネディにジルバ。相手側の翼竜を除けば同数だが、戦力まで同等かといえば――。
(それでもやるしかない……か)
体力も魔力も十全で、どこまで喰らい付けるかわからない。それでも戦う前から負けることを考えても仕方がない。
「エリザ、サラ、ミーア、ネディ……クリスとティナ、それとレベッカの翼竜の相手を頼む。残りは俺が引き受けた」
クリスとティナは近接戦闘も行えるが、どちらかといえば魔法に主体を置いた戦い方をする。近接戦闘よりも魔法が得意な者が多いエリザ達にとって、相性は悪くないだろう。
レベッカが操る翼竜に関しては、これまで数回戦ってきた、あるいは戦うところを見てきたため、最悪、サラ一人でも抑えられるという計算があった。
「おいおい……こいつは驚きだ。司教相手に三対一? 豪気だなぁ」
「へぇ……」
エイダンは感心したように呟き、ブレインは不快そうに目を細める。
「――――」
そして、他の司教と“ひとまとめ”にされたレベッカは、それまでの笑顔が嘘のように真顔になったのだった。




