第538話:準備 その3
ジルバが王都に到着し、一通りの説明を終えたレウルス達はすぐさま出発する――というわけにはいかない。
準備が整っていないというのもあるが、王都に来るにあたり、ジルバが強行軍で駆け抜けてきたとわかったからだ。
エリザの力で下級の魔物が寄って来ず、野盗にも遭遇しなかったレウルス達がラヴァル廃棄街から王都に至るまでかかった期間は十日程度。
ジルバはラヴァル廃棄街よりも遠い、レモナの町やアメンドーラ男爵領近辺でスペランツァの町に建てる教会の資材の手配や精霊教徒との折衝を行っている最中にレウルスの叙爵を知り、なおかつその経緯に“きな臭いもの”を感じて単身で駆け抜けてきたのである。
今回の王都行きでのレウルス達の移動速度でも二週間近くかかる距離を、ジルバは十日とかけずに走破した。それを後から聞いたレウルスは頬を引きつらせ、ひとまずしっかり休むよう提案したのだ。
「異教徒共が蠢動しているというのなら、私は疲れなど忘れて戦えるのですが……」
「グレイゴ教徒だけでなく、他にも問題を抱えてるんで少し時間的な余裕があるんですよ。だから休んでいてください。サラとネディは家にいますし、好きなように祈ってもらって構いませんから……」
レウルスがそんな提案をするほどに無茶なスケジュールで駆け抜けてきたのがジルバである。もっとも、レウルスとしてはジルバだから仕方ない、とも思っていたが。
「あと、ティナがいますけど殺さないでくださいね? 俺達が王都を出発する時に別れますから、せめてそれまでは見逃してくださいね?」
「……善処しましょう」
レウルスがティナに関して注意を促すと、ジルバは渋々といった様子で頷く。それを見たレウルスは、サラとネディになるべくティナの傍にいるよう頼もうと思った。
そうしてジルバへの対応を終えたレウルスは、エリザとミーアを連れて借家を後にする。グレイゴ教徒が潜んでいる可能性を考慮し、鎧を全て着込んだ上で精霊剣ラディアに『首狩り』の剣、短剣を身に着けた完全武装の状態でヴェルグ伯爵家の邸宅を目指す。
レウルス達はグレイゴ教徒との戦いがあるが、ルイス達はそうではない。ドーリア子爵家とのいざこざを解決するのが目的であり、レウルス達が王都を離れている間にそちらの対応は全て任せようと思っているのだ。
ナタリアも第三魔法隊の隊長だった頃の伝手を当たり、少しでも状況を好転させる材料がないか探しに出かけている。時間的に厳しい面もあるため、ルイス達との話し合いはレウルスが片付けておく必要があった。
ヴェルグ伯爵家の邸宅は貴族達の邸宅が建ち並ぶ一角にあるため、王都の住民達とすれ違う機会は少ない。しかし、完全に武装を整えた上で外套を羽織ったレウルスの姿に何事かと目を丸くする者がちらほらいた。
そうしてヴェルグ伯爵家の邸宅を訪れると、門前に立っていた門番がぎょっとした顔付きになる。しかしレウルスの顔を見知っているからか、愛想笑いを浮かべて頭を下げた。
「こ、これはこれはレウルス準男爵様。本日の御用件は……」
「先日の一件に関して、ヴェルグ伯爵殿に話があって来ました。御在宅ですか?」
「しょ、少々お待ちを……」
レウルスの言葉を聞き、門番の一人が即座に駆け出す。その反応にレウルスは首を傾げていたが、数分としない内に門番が戻り、門を開けた。
レウルスは門番に軽く頭を下げ、ヴェルグ伯爵家の邸宅へと歩を進める。すると、遠目に冷や汗を掻くルイスと、その隣に立つ、自然体ながらも僅かに警戒した様子のセバスの姿が見えた。
「やあ、レウルス君。門の兵から君が鎧を着込み、武器を携えて訪れたと聞いたんだが……やっぱりセラスの件で怒ってたんだね? でもさすがに討ち入りは勘弁してほしいんだが……」
少しだけ頬を引きつらせながらそう話すルイスに、レウルスは真顔で首を横に振るのだった。
「いや、報告を受けた時は本当に驚いたよ。あ、やっぱり怒ってたんだって……誤解で心底良かったけどね」
「お騒がせしてすいません……ただ、今話した通り、グレイゴ教が絡んでましてね」
応接室に通されたレウルスは、ルイスの誤解を解くべく“これまで”の経緯を軽く話した。さすがにグレイゴ教の目的やレウルス達が狙われる理由は伏せたが、亜龍の件は偽りでグレイゴ教徒が暗躍しており、それを退治するために依頼を受けたと伝えたのだ。
武装は王都にもグレイゴ教徒が潜り込んでいる可能性を考慮したためで、ヴェルグ伯爵家に対しては何の含みもないことを重ねて伝えている。
「しかし、そうか……またアイツらが……」
自身の領地でもグレイゴ教徒が関わっていた過去を持つルイスは、苦々しい顔で呟く。
「ええ……今回はこっちにも飛び火してきそうなんで、放っておくわけにもいかないんですよね」
「君達なら大丈夫……とは、断言できないか。アメンドーラ男爵殿も動けないのだろう? 王軍の支援もないとなると、さすがに……」
「一応、戦力のあてというか、ジルバさんが駆け付けてくれましたよ」
「当家の兵を貸し出そうと思ったんだけど、むしろ足を引っ張りそうだね。そうか、ジルバ殿が……」
グレイゴ教徒が相手ならば、これほど頼もしい人物もいないだろう。そう思ったレウルスと同じ心境だったのか、ルイスは安堵したように息を吐く。
「だがそうか……そんな戦いに身を投じるのか……セバス」
ルイスはセバスを近くに呼ぶと、小声で何かを囁く。するとセバスはレウルス達に一礼して静かに応接室を退室し、数分してから戻ってきた。
「ルイス様、お持ちいたしました」
「うん、ありがとう」
セバスは手に小さな木箱を持っており、それをルイスへと手渡す。そのやりとりを見ていたレウルスは、内心だけで首を傾げた。
(なんだあれ? 魔力を感じるけど……)
セバスが運んできた木箱からは、隠しようもないほどに強い魔力を感じた。
ルイスは木箱を開けて中身を確認すると、一つ頷いてから立ち上がり、レウルスの傍へと歩み寄る。
「レウルス君、これを」
そう言って長方形の木箱を差し出すレウルス。木箱はレウルスが片手で掴める程度の大きさだったが、表面には花の彫り物がしてあり、木箱自体も角などが金属で補強されている。
「……これは?」
「セラスの件の詫び……その“前金”さ。開けてみてくれ」
レウルスは首を傾げていたが、ルイスの言葉に従って木箱を開けた。そして中身を確認すると、レウルスは目を見開く。
木箱の中には絹の布地を折り畳んで作った“台座”が三つ並んでおり、その台座の上には直径五センチ程度の紫色の宝石が置かれていた。
「これは……『魔石』ですか?」
レウルスがそう尋ねると、ルイスは頷きを返す。
「ああ、当家で所有している『魔石』でね。君なら金よりもこういった物の方が喜んでくれると思ったんだ」
「丁度欲しかったですし、金より嬉しいですけど……これ、かなり高いんじゃないですか?」
『魔石』は魔力を蓄えた鉱石だが、魔力の蓄積量によって色の濃さも変わる。レウルスがこれまで見た『魔石』と比べるとやや小ぶりだったが、感じ取れる魔力は中々に大きいものだった。
さすがに『宝玉』と比べると安価だが、レウルスが知る限り『魔石』も相当に高価な代物である。
「金額としては……まあ、それなりってところかな? でも、当家と君の仲がこじれることと比べれば些細な出費だよ」
「“これ”で些細な出費ですか……」
今回の依頼を受けるにあたって渡された支度金といい、貴族というものは本当に金を持っているのだな、とレウルスは思った。もちろん、金がなくて貧乏な貴族も存在するのだろうが。
レウルスが思わず漏らした感想を聞いたルイスは、苦笑を浮かべながら肩を竦める。
「誠意として話しておくけれど、セラスの件に関して君は当家とドーリア子爵家のいざこざに巻き込まれた形になる。わかるかい? アメンドーラ男爵殿が言っていたけれど、君は“一方的に”被害を受けた立場なんだ」
「そんな感じで話をしてましたね。ルヴィリアさんの行動でトントンって思ってますけど、そうもいかないんですっけ?」
「うん……正直に話をしてしまえば、君がドーリア子爵家だけでなく当家に対しても報復すると言うのなら止められないぐらいの事態なんだ。そして、俺としては“そんな事態”は絶対に避けたい……そのための和解金さ。これは金じゃないけどね?」
そう言って苦笑を深めるルイスの姿に、レウルスは横目でエリザを見る。するとエリザがすぐさま頷きを返したため、レウルスは木箱の蓋を閉めてひとまず目の前の机の上に置いた。
「ありがとうございます。でも、なんだか申し訳ないですね。俺としてはドーリア子爵家はともかく、ルイスさん達相手に暴れる気なんて微塵もないんですが」
「そう言ってもらえると助かるよ……ただ、話ついでに言うけれど、仮に君が当家と敵対して剣を向けてきた場合、当家としては君を止められるだけの戦力がないからね。“そうなった場合”の被害を思えばこれぐらいは安いものさ……うん、本当にね」
(そう聞くとカツアゲしてるみたいだな……)
レウルスとしてはそのような気持ちは欠片もないが、ルイスからすると鵜呑みにすることはできないようだ。
「それと、これはあくまで前金だからね? ドーリア子爵家を“締め上げたら”、また改めて和解金の話をさせてほしい。あの家にも払うべきものを払わせるからさ」
そう言いながらルイスは凄味を感じさせる笑みを浮かべた。セラスの件に関していえば、レウルスはヴェルグ伯爵家だけでなくドーリア子爵家からも被害を受けた立場である。
ただし、これまで全く付き合いがないドーリア子爵家が相手であり、なおかつルヴィリアを危険な目に遭わせたこともあって怒り心頭なルイスがいるため、ドーリア子爵家に関してはレウルスも丸投げするつもりだった。
グレイゴ教徒との戦いの趨勢次第では、関わるどころの話ではなくなるというのも理由の一つである。
「わかりました。ですが、もしも俺が戻らなかった場合は……」
「そんな仮定はしたくないけどね……その場合、君の“上役”であるアメンドーラ男爵殿と話し合うさ。直接被害を受けたレウルス君に渡すものと比べると、数段以上和解金も低くなるだろうけどね」
「お願いします」
レウルスが頭を下げると、ルイスは何故か咳払いをした。そして居住まいを正したかと思うと、真剣な瞳でレウルスを見る。
「ただ、“そういった状況”でも君に子どもがいれば和解金を満額払うべきだと俺は思う……妻も子もいない俺が言えた義理ではないけどね」
「はぁ……まあ、そうでしょうね」
レウルスは準男爵であり、家督を継承できる身分になった。そのため、“跡継ぎ”がいれば解決する話だろう。
曖昧に頷くレウルスをどう思ったのか、ルイスは僅かに身を乗り出し――すぐさま我に返ったように椅子に腰を下ろした。
「……そういうわけで、俺としては君の武運を祈るよ。戦いに絶対はない……でも、無事に帰ってきてくれ。これはヴェルグ伯爵ではなく、君を友人と思っている身からの言葉だ」
「ええ……俺も死ぬ気はありませんよ」
ルヴィリアのことを言われると思ったレウルスは、少々肩透かしを喰らった気分になりながらもそう答える。
(さすがに生きて戻るかわからない相手に妹を勧めたりはしない、か……ルヴィリアさんの様子を見ていこうと思ってたけど、こりゃそのまま退室した方が良さそうだな)
思わぬところで『魔石』を入手できたが、これから先日世話になった薬屋に行き、魔法薬等を買う予定なのだ。
(……直接渡せるかわからないし、コルラードさん宛ての胃薬も買って姐さんに渡しとくか)
そんなことを考えながら、レウルスはエリザとミーアを連れてヴェルグ伯爵家の邸宅を後にするのだった。




