第537話:準備 その2
馬車の進路に立つジルバは、スペランツァの町で最後に別れた時と変わらない旅装だった。黒い修道服を着込み、旅具が入った革袋を背負ったままで立つその姿は、久しぶりに会ったこともあってレウルスに言い様のない安心感を与える――などということはなかった。
(あ、あれ? ジルバさん……怒ってるというか、キレてる?)
レウルスに向けられているわけではないが、ピリピリと帯電するような殺気を感じる。その殺気の矛先はソフィアへと向けられており、レウルス達と視線が合うとジルバがゆっくりと動き出した。
「色々と……そう、色々と言いたいことがあるのですがねぇ。私は以前、精霊様と精霊教の教えを信仰しているのであって、精霊教師を信仰しているわけではない……そう言ったはずですが、覚えていませんかねぇ」
一体何を聞いたのか、ドスの利いた低い声を吐き出すジルバ。殺気だけでなく、その言葉の向かう先もソフィアである。
「あ、アレはまずいというかヤバいわね。一体何を聞いて……れ、レウルス君? ちょーっとジルバさんの誤解を解いてくれない? 冗談抜きで殺されるわ」
ズンズン、と足音を立てながら近付いてくるジルバ。その剣幕に怯えたのか馬車を引く馬が暴れそうになり、ニコラが必死に宥める。
ジルバは馬車の前まで歩み寄ると、不意に殺気を消し、普段通り柔和な笑顔をレウルスに向けた。
「お久しぶりです、アメンドーラ男爵様。レウルスさん、準男爵に叙されたとお聞きしました。レウルスさんにとっては嬉しく思えないかもしれませんが、以前から付き合いのある方が世間に認められたこと、私は嬉しく思います」
「は、ははは……ありがとうございます……」
この状況で柔和な笑みを向けられたことに対し、レウルスは頬を引きつらせる。ジルバはそんなレウルスの言葉に何度も頷き――僅かに視線を動かす間に再び真顔に戻った。
「それで? ソフィア様……まさかとは思いますが、大教会も認める精霊教の“客人”を奸計に巻き込んでなどいませんよね? 例えば、そう……レウルス殿を準男爵に推薦したり、厄介事を押し付けたり……精霊教師ともあろう方が、そのような真似をしてはいませんよね?」
「あはは……まさかまさか、そんなわけないじゃないの……ええ……うん……」
そう言いつつ視線を逸らすソフィア。その様子にレウルスは不思議そうな顔をするが、ジルバは畳みかけるようにして尋ねる。
「本当に? 大精霊様に誓えますか? 私の……“俺”の目を見て、嘘偽りなく、答えられるか?」
「ほ……ほん……おほほほ……」
笑って誤魔化そうとするソフィアだったが、ジルバの瞳がギラリと輝くのを見て口を閉ざす。そしてソフィアはため息を吐き出してから真剣な表情を浮かべると、ジルバの瞳を真っ向から見返した。
「ジルバさん、貴方が何を聞き、何を思ったのかは知りません。ですが、わたしはこの国の侯爵として恥ずべきことはしていませんよ」
「大教会の精霊教師としては恥ずべきことをしたと?」
「さて……それを“恥ずべきこと”だと判断するのが貴方だというのなら、そうかもしれません。ですが、わたしは自分の立場と理念に従って行動しました。それを恥ずべきだとは思いませんがね」
「…………」
ソフィアの返答を聞いたジルバは無言で視線と殺気をぶつける。しかしソフィアの表情が崩れないことを悟ると、小さく息を吐いてからレウルスとナタリアを見た。
「レウルスさん、アメンドーラ男爵殿、ソフィア様がご迷惑をおかけしませんでしたか? そうであるならば、私も拳骨の一つでも落とすのですが」
「迷惑は……まあ、多少?」
ジルバの拳骨ならばそのまま撲殺することになりかねないのでは、と危惧したレウルスはソフィアを庇うためにも曖昧に答える。
「ちょ、レウルス君!? やめなさいよ!? この人冗談が通じない時があるんだから!」
「と、言われても……面倒事を持ち込みましたよね? 途中から協力的になりましたけど、下手したら何も知らないままでグレイゴ教の司教複数人と戦う羽目になってましたよね?」
どうせすぐに知るのだからとジルバに事情をぶちまけると、先ほどとは比べ物にならないほどの殺気がジルバから放たれた。
「っとぉっ!? ジルバの旦那! 馬が怯えちまうから落ち着いてくれや!」
そして、そんなジルバの殺気に怯えた馬が暴れ出しそうになったためニコラが悲鳴のような声を上げる。ジルバは渋々といった様子で殺気を抑えると、ナタリアに向かって一礼した。
「事情をお聞きするためにも、このまま同行してもよろしいでしょうか?」
「ええ……むしろこちらからお願いするわ。今回はジルバさんの力を是非とも借りたいのよ」
そう言って苦笑いするナタリアの様子にジルバは小さく目を見開いたが、この場では人目につくからと借家へと移動するのだった。
借家へと到着したレウルス達は居間に集まり、ジルバを相手に“これまで”のことを説明していく。話が進むにつれてジルバの眉が急角度を描き始めたが、話が『龍斬』に関する話題に移ると椅子を蹴立てる勢いで立ち上がった。
「おお……おおっ! まさか……このようなことがあるとは……」
そして、『龍斬』に突進したかと思うと膝を突き、右手を胸に当てながら祈り始める。
「うん……予想通りの行動ではあったんですが、その剣の声は聞こえます? 精霊だって認定したのはソフィアさんですけど、信じきれます?」
「残念ながら私には聞こえませんが、レウルスさん達には聞こえるのでしょう? それに、ソフィア様に関しては色々と思うことがありますが、“この手”のことに嘘を吐くとどうなるかよく御存知ですからね……今回は信用できますよ」
そう言って熱心に祈るジルバ。その熱中ぶりを見たレウルスは、椅子に座って緑茶を飲むソフィアへ視線を向けた。
「前々から思ってたんですが、ジルバさんと仲が悪いんですか? それとも実は仲が良いんですか?」
ジルバが我に返るまで数分はかかるだろうと判断したレウルスは、そんな話題をソフィアに振る。人間単純に好きか嫌いかだけで分類するのは難しいが、ジルバとソフィアの関係は輪をかけて難解だ。
「わたしは別に嫌いじゃないのよ? 信頼しているし、そうでなきゃ愚妹の補佐を任せようとは思わないでしょ。あと、面倒な性格ではあるけど宮廷貴族の面々や大教会に詰めてる精霊教徒と比べれば融通が利くしね」
緑茶を飲みながら語るソフィアだったが、おそらくは本心なのだろう。そう感じさせる声色にレウルスは相槌を打つと、今度は視線をミーアに向けた。
「ところで……ミーアが精霊に近くなってるって言ってましたけど、ミーアも精霊に認定したりは……」
「したいならしても良いけど、しない方が良いと思うわよ? ただでさえサラ様とネディ様が一緒だしねぇ。あの剣についても伏せておいた方が良いわ……精霊が剣に宿るって何事よ……」
レウルスの質問に対し、ソフィアはため息を吐きながら答える。伏せておいた方が良いということは、ソフィアとしても大々的に“利用”するつもりはないということだろう。あくまで今のところは、と警戒する必要はあるだろうが。
「ふぅ……今まで聞いたことがないような、剣に宿られた精霊様……そのお声を聞けないのが残念で仕方ありませんね……」
そうやってレウルス達が言葉を交わしていると、ひとまずは満足したのかジルバが戻ってくる。エリザ達もそんなジルバの“いつもの姿”を苦笑一つで流したが、ジルバは深刻そうな表情でレウルスに疑問を投げかけた。
「あとは……レウルスさん、この精霊様のお名前は決まっていないのですか?」
「あー……考えてはいるんですけどね……ええ。いきなり毒液浴びせられたり、グレイゴ教からお手紙が届いたりしてたんで……」
「傍から聞くと何を言ってるんだコイツって思われそうね」
ソフィアが茶々を入れるが、傍から聞けば冗談でもレウルスからすれば実際に起こったことでしかない。それでもこのまま後回しにするのもどうかと思う気持ちもあった。
(名前かぁ……家名の件もあるしなぁ……)
家名に関しては、これからの戦いで命を落とせば考えるだけ無駄となる。しかし、『龍斬』に宿った精霊の名前に関しては早い方が良いだろう。
「んー……名前、名前……こういうのって、考えれば考えるほど“コレだ”って感覚から遠ざかっていくような……自分の子どもが生まれたらこうして悩むんですかねぇ」
「よし、独り身のわたしに対する宣戦布告と受け取ったわ」
レウルスの発言を聞いたソフィアが拳を構えるが、それを見たジルバがため息を吐く。
「そう思うのなら早く結婚をしてください……いえ、私もこの点に関しては何も言えませんがね」
ジルバも独り身のため強くは言わず、その視線をレウルスへと向ける。
「レウルスさん、名前というものは大事なものから取ったり、そのものの起源となるようなものから取ったり……家名の場合は地名から取ったり、他の家名にあやかって付けたりと様々な付け方があります。レウルスさんが思うようにつけるのが一番でしょう」
「そうですよね……そうだなぁ……」
領地はないため地名などからつけるのは難しいが、レウルスにとって大切なものはいくつも存在する。それでも、『龍斬』に限ってはその“生まれ”に因んだ名前が良いだろう。
(剣の精霊……精霊か。サラ、ネディ……あとはミーアも精霊に近くなったって言われたし、制作に携わってくれたし……)
そんなことを考えながら、レウルスはサラ、ネディ、ミーアを順に見る。こういったものは考えすぎるよりも直感が大事だと思い、ポツリと呟いた。
「……ラディア、とか。ちょっと性別が怪しいですけど……」
「ふむ……ラディア様ですか」
サラ、ネディ、ミーアから名前をもらった形になるが、レウルスとしてはしっくりとくる。ジルバもその語感を確かめるように呟き、何度も頷いた。
「人名っぽいけど良いんじゃない? 剣に宿った精霊…‥そうねぇ、その剣は『龍斬』って呼んでるんでしょ? さすがにいかついし、精霊剣ラディアとか……」
ソフィアも便乗してそんなことを言い出す。それを聞いたレウルスは、ふむ、と顎に手を当てた。
「剣に精霊が宿ってるから精霊剣、ですか。シンプル……じゃねえ、名は体を表すって感じで良いと思いますよ」
レウルスがそう返していると、視線の端にエリザの姿が映る。どこか愕然とした様子で自分を指さし、何事かを訴えかけていた。
「……ワシは? 精霊じゃないけど、ワシは?」
「いや、エリザからは“別のもの”をもらおうと思ってな」
仲間外れ? と言いたげなエリザに苦笑を返し、レウルスは尋ねる。
「ところで、エリザって家名があるよな? ヴァルジェーベ……だっけ?」
「う、うむ……そうじゃが? この国とは名前の付け方も変わるが、レウルスが知る者で言えば……ほれ、セバスさんがヴェルグ伯爵家から家名を授けられているじゃろ? ワシの場合、功績を挙げて家名を授けられたおばあ様の孫ということで一応は名乗れるわけじゃ」
「そっか……その家名、もらってもいいか?」
「……え?」
レウルスの発言を聞いたエリザは、呆然としたように目を丸くした。
「ほら、『龍斬』……じゃない、ラディアに関してはサラ達から名前をもらっただろ? それなら家名に関してはエリザからもらえればなって思ったんだ」
レウルスが知る“家名持ち”はそれなりにいるが、そこからもらうとそれはそれで問題がありそうだった。そのため“家族”であるエリザの家名ならばどうかと思って提案してみると、エリザは目を丸くしたまま動きを止めている。
「レウルス、さすがにそのまま家名を流用するのはまずいわ。それ、“他国”の家名でしょう? あなたが名乗ったら、その国の人間と主張される可能性があるわ」
「え? さすがにそんな話は……」
ナタリアがやんわりと止めたためレウルスが抗議の視線を向けると、ナタリアはため息を吐く。
「そんな無理を通してでも欲しい戦力なのよ、あなたは……せめてもう少し縮めるか、何か足して違う家名にしてちょうだい」
「えー……それなら……そうだな。ヴァルジェーベはさすがに少し長いから、ヴァルザは? 短くした上でエリザの名前も足すってことで……準男爵だからレウルス=バネット=マルド=ヴァルザ?」
どのみち長いな、とレウルスは思った。可能な限り名乗りたくないぐらい長いな、と思ったほどだ。
「ヴァルザ……ヴァルザ……とりあえず、わたしが知る限りマタロイでは聞いたことがない家名だわ。あとはエリザ、あなた次第よ? あなたの家名、一部とはいえレウルスにあげてもいいの?」
ナタリアはそう言いながらエリザへ問いかけるが、ナタリアは何か気になることがあったのか言い直す。
「いえ、違うわね……一部でもあなたの家名を“遺せる”のだけど、どうするの?」
「っ!」
ナタリアの言葉に反応を示すエリザ。その表情は驚きと喜びが等分に混ざっており、輝かんばかりの瞳をレウルスに向ける。
「うん……うんっ! レウルスにわたしの家名、あげる!」
「そうか……なら、ありがたくいただくよ」
レウルスは柔和に微笑んでエリザへと言葉を返し、力強く頷いた。
「あとは、無事に戻ってきて家名と家紋の申請をしないとな……ラディアもよろしく頼むよ」
『ラディア……ラディア? それがなまえ……』
「っ!?」
レウルスは期待を込めてラディアの名前を呼ぶ。すると、ナタリアやジルバ、コロナが何かに反応したように視線を動かした。
「今、声が聞こえたわね……」
「えっと……はい、幼い感じの声が……」
ナタリアとコロナが視線を交わし合う。
「今のお声がラディア様の……もう一度祈りを捧げねばっ!」
そして、即座に『龍斬』――精霊剣ラディアに向かって膝を突いて祈り始めるジルバの姿に、レウルス達は困惑した後に苦笑を浮かべるのだった。




