第535話:大問題 その7
ソフィアの話を聞いて天井を見上げていたレウルスはしばらくその状態で思考を巡らせていたが、やがて視線をソフィアへと戻し、淡々と問う。
「ここまでの話を聞いていて思ったんですが……俺が依頼を受ける利点、ないですよね?」
グレイゴ教徒が暗躍していると聞いたが、ヴァーニルの性格を知るレウルスからすれば成功し得ないと判断せざるを得ない。そもそも、どのような準備を重ねたとしてもヴァーニルを殺しきれるとは思えず、盛大に自殺しようとしているようにしか思えなかった。
ドーリア子爵家やセラスに関しても、宮廷貴族が裏で糸を引いていると聞いて反応に困るほどだ。誰が、どのようにしてセラスを誘導して嵌めたのか警戒心を抱くが、そこまで“盤外戦”に長けた者ならば証拠も残してはいないだろう。
ルイス達に事情を説明する必要と義理はあるが、レウルスの心情としてはこのまま依頼を断って帰郷したいと思う気持ちが強まるばかりである。
(司教が複数人いるところに向かって殺し合うには報酬がなぁ……ヴァーニルには義理があるし、まあ、友情……みたいなものもないとは言わないけど……)
レウルスが知る“喧嘩友達”ならば、グレイゴ教徒が仕掛けた罠ごと粉砕するであろう信頼があった。
(というか、あのセラスって娘が暴れたのも……俺を西方に向かわせるための一手だろうな。俺が行けば良し、行かなくてもドーリア子爵家が削れるから良し、両方揃えば更に良し、みたいな……)
一体いつ頃からそのような準備を進めていたのかはわからないが、自身だけでなくナタリアやルイスの目すら掻い潜って手を打ってくるあたり、宮廷貴族の方が一枚にも二枚も上手なのだろうとレウルスは思う。
領地も武力も持たないが、策謀にかけては一流なのだろう、と。
そんなレウルスの心情を見抜いているのか、ソフィアは苦笑を浮かべる。
「利点はなくても理由はあるんじゃないかしら……相手は過激派の連中よ。それも司祭や助祭ではなく、過激派の上層部……司教が相手。“それ”はあなたにとって戦うに足る理由だと思うのだけど?」
そう言いつつ、ソフィアはその視線をエリザへと向けた。そして、それまで浮かべていた苦笑を引っ込めて真剣な顔へと変わる。
「そこの吸血種の娘の家族を殺した。それを命じた相手なら……どうかしら?」
「――――」
“それ”を聞いた瞬間、エリザが激発するよりも先にレウルスから殺気が放たれた。敵を前にしたかのような濃密な殺気に、ソフィアは表情こそ保っていたが僅かに身を震わせる。
「なる、ほど……なるほどなるほど……そう来るか……俺のことをよく御存知で」
そう言って、レウルスは犬歯を剥き出しにしながら笑う。獲物を前にした獣のように敵意と殺気が放たれ、その気配に反応したように立てかけていた『龍斬』が跳ねてレウルスの右手へと収まった。
「間諜が仕入れた情報だったけど本当だった、と……怖いわねぇ。ジルバさんに勝るとも劣らぬ殺気……ええ、報告は受けていたけど、大したものだと思うわ。直接対峙すると余計に……」
感嘆したように呟くソフィア。しかし今、おかしな現象を目の当たりにした気がしてその視線をレウルスの右手に向ける。
「って、ちょっと待って? 今、その剣、勝手に動かなかった? 動いたわよね? アンタ目掛けて飛んだわよね?」
「剣が喋るんです。勝手に動くこともあるでしょうよ……ははは……そうか、そうだよな。“話せる”司教がいたから控えちゃいたが、そうだった。なるほど、“俺を動かす”には最適な理由だよソフィアさん」
ギシリ、と骨が鳴るほどに強く『龍斬』の柄を握り締めるレウルス。
七面倒な策謀も、宮廷貴族の思惑も、グレイゴ教徒の考えも、レウルスの脳裏から消失する。
「っ……」
だが、コロナから息を呑んだような声が聞こえ、レウルスはそちらへと視線を向けた。今まで給仕を行っていたコロナはお盆を抱き締めてレウルスを見つめていたが、その瞳が怯えるようにして揺れている。
「…………ふぅ……悪い、コロナちゃん。ちょいと怒りで我を忘れかけたよ」
レウルスはコロナを怯えさせたことを詫びた。そしてバツの悪さを示すように右手で頭を掻こうとしたものの、『龍斬』を握っていることに“気付いて”眉を寄せる。
ソフィアに指摘されたものの怒りで流してしまったが、自分で握った覚えがない『龍斬』が手の中にあるというのは異常なことだった。
『よんだよね?』
「……いや、呼んでないぞ、うん」
『……そうなんだ』
『龍斬』が話しかけてきたため答えると、どこか不満そうな声が返ってくる。もしや怒りに任せてソフィアを斬れという意思表示だったのか、あるいは怒りに任せて振るうなら自分を使えということなのか。
そんな『龍斬』の“行動”によって怒りを抑え込んだレウルスは、今は優先するべきことがあると判断してその視線をエリザに向けた。
「……エリザ」
レウルスが名前を呼ぶと、エリザは唇を引き結んでレウルスの瞳を見つめ返す。そして何かを言いたげに口を開こうとしては閉じ、閉じては開き、数十秒ほど悩んでから口を開く。
「ワシ……ううん、わたしは……おばあ様やかあ様、とう様、生まれてくるはずだった弟か妹を殺したグレイゴ教徒が憎い……けど、“そのため”にレウルスやサラ達が危険な目に遭うのは……嫌、だよ」
悩みながらも、自身の復讐よりもレウルス達の安全を選ぶとエリザは言う。
(エリザが復讐よりも安全を望むって言うのなら……俺が何か言うのも野暮、か?)
グレイゴ教徒――それも司教が複数となれば、全力で挑んでも勝てる保証はない。ジルバと互角に渡り合ったカンナほどの手練れがいれば相打ちで一人、クリスやティナと同程度の力量ならば追加でもう一人仕留めきれるかどうかだろう、とレウルスは判断する。
そこにエリザ達が援護として加われば、どうにか三人までは仕留めきれるか。魔力の消耗も度外視で戦えば、カンナ並の手練れが入っていても三人まではどうにかできる可能性がある。
(手紙を寄こしてきた以上、レベッカはいる。クリスもいる可能性が高い……でも二人は正道派だ。過激派がどうのって言うなら二人よりも多く、三人以上いるに違いない……)
エリザ達も以前と比べれば強くなり、レウルスは新生した『龍斬』や防具がある。だが、それでも司教が五人以上いればどうなるか。
(……そう考えると、スラウスは本当に強かったんだな。いや、でも“戦い方”次第では五人以上でもいける……か?)
『契約』を通してエリザの力を借り、体を再生させながら戦えば勝機もある――かも、しれない。
エリザは望んでいないが司教と戦いになった場合のことをレウルスが考えていると、不意にそれまで沈黙していた人物が声を上げる。
「『風塵』殿、ティナは一つお願いがある」
それは、ソフィアから受け取った手紙を読んでいたティナだ。ティナの発言を受けたナタリアは、一体何事かと眉を寄せる。
「何かしら?」
「……ティナが彼に殺されそうになったら止めてほしい」
そして、ティナはレウルスを見ながらそう言う。その瞳には怯えの色こそなかったが、複雑な葛藤が垣間見えるほど揺れていた。
「『魔物喰らい』……ううん、レウルス。ティナはあなたに情報を渡す」
「情報?」
レウルスが怪訝そうに問いかけると、ティナはその視線を床に向けた。
「うん……そこの吸血種……違った、エリザのために退くのはお勧めしない。過激派の主目的は火龍だけど、あなたもエリザも狙いに入ってる。それに、精霊二人も……だから、ここで退いても狙われる」
「ッ……本当か?」
反射的に体が動きそうになったが、レウルスは全身に力を込めて止める。そしてティナに尋ねてみると、ティナは小さく頷いた。
「本当……特にレウルス、あなたは『神』を斬ったから、あなたを殺せば『神』の弱体化につながると過激派は考えてる。過激派は手段を選ばないから、動きが見えている段階で手を打った方があなた達のためになるとティナは思う」
「……過激派って言っても、ティナが所属するグレイゴ教って括りで見れば仲間だろ? その情報を信じられると思うか?」
レウルスとしてはティナが騙してくるとは思わなかったが、この場には大教会をまとめるソフィアがいる。言質を取られて後々面倒なことにならないよう疑いの言葉を投げかけると、ティナは力なく狐耳を倒し、尻尾を垂らした。
「思わない……でも、信じてほしい」
理由も根拠も示さず信じてほしいと告げるティナに、レウルスは小さく眉を寄せる。
(一度退いていつ襲ってくるかわからない相手に備えるか、それともこちらから仕掛けるか……いっそヴァーニルに全部ぶちまけて一緒に戦えないか誘ってみるか? いや、こちらから仕掛けるなら時間が足りるかわからねえし、“そういうこと”に巻き込もうとするのは拒否しそうだな)
レウルスはそんなことを考えながらも、ティナに向かって問う。
「仮に信じるとして、だ……何故それを話した?」
レウルスがそう問いかけると、ティナは手に握っていた手紙をレウルスへと差し出す。読んでも構わないということなのだろう。
手紙の内容はシンプルなもので、ティナにレベッカ達と合流するよう促す旨が記されている。差出人の名前はないが、レウルス達を誘き出すよう仕向けろ、とも。
その内容を確認したレウルスはティナへ視線を向けるが、ティナは相変わらず視線を床に向けたままだった。
「亜人が……エリザだけでなく、たくさんのドワーフが人間と一緒に暮らして、楽しそうにしてた……ティナだけではなく、クリスにとってもあの場所はきっと……」
そこまで話したティナは、一度頭を振って顔を上げる。そしてレウルスを真っすぐ見つめると、小さく微笑んだ。
「“良いもの”を……夢を見た。そのお礼」
外見不相応に大人びた笑みを見せるティナ。しかし、外見通りならばまだまだ子どもだろう。それでも何かしらの思いを飲み込んで話すティナに、レウルスはため息を吐く。
「そうか……それなら受け取っとく」
「うん、受け取って」
そう言って微笑むティナの姿を眺めつつ、レウルスは思考を巡らせる。
(ティナが戻れば……司教が六人以上、か? 司教以外のグレイゴ教徒がいないとも限らねえし……戦力が足りないか)
司教が複数動いているとは聞いたが、司祭や助祭が共に行動していないとも限らない。並の司祭や助祭ではヴァーニル相手ならば邪魔にしかならないだろうが、中にはローランのような手練れもいるのだ。
(それでも狙われているのがわかった以上、動かないわけにも……戦力、か)
レウルスはナタリアに視線を向けそうになるのを堪える。頼れば間違いなく頷いてくれるとわかっているが、仮にナタリアが命を落としてしまえばアメンドーラ男爵領やラヴァル廃棄街の“未来”が潰えてしまうのだ。
レモナの町でスラウスと戦った時は、アメンドーラ男爵領にも被害が及ぶ危険性があった。しかし、今回の場合はレウルス達が離れてしまえばアメンドーラ男爵領にもラヴァル廃棄街にも影響が少ない。
レウルスはそう考え――そんなレウルスの葛藤を見抜いたように、ソフィアが口を開く。
「戦力に関しては当てがあるわよ? まあ、当てといっても、グレイゴ教徒が相手なら向こうが勝手に飛び込んでくるんだけど」
「……ジルバさんか」
「ええ。スペランツァの町に教会を建てるために動いてたでしょ? でもあの人、途中で動きを変えたみたいでね……何を嗅ぎ取ったのか、こっちに向かってるみたいなのよね」
「……まあ、ジルバさんだしな」
レウルスは戦力的にも頼りになり、間違っても裏切りそうにないジルバが来てくれるのならば助かると思った。むしろ、放っておけばレウルス達抜きでグレイゴ教徒を狙いかねないのがジルバである。共闘できればこれほど心強い者もいなかった。
「狙われてるっていうのなら、今回の依頼は受けるしかない……か」
レウルスはそう呟き、あとはどのような“報酬”を引き出すか話し合いを始めるのだった。




