第530話:大問題 その2
エリオからの報告を聞いたレウルスは、困惑を表情に浮かべながら口を開く。
「あのセラスって娘が襲ってくるよりも先に、西門から王都を出た……これって明らかに怪しいよな?」
あまりにもタイミングが良すぎる。ドーリア子爵によって自領から王都へ“追い出された”にも関わらず、わざわざ王都から出ていったことも心底疑わしい行動だ。
そもそも、執事には友人のところへ行くと言って王都から出ているのである。その友人が王都ではなく他の場所にいるのだとしても、外に出るのならば護衛も必要になるだろう。当然ながら食料や水も必要だが、それらを揃えた上で行動しているのか。
そう思ったレウルスがナタリアやルイスに視線を向けるが、二人は眉を寄せて深刻そうにしている。
「あからさますぎて、逆に怪しくない……そう考えるのは邪推が過ぎるかしら?」
「いや、これは……こちらの混乱を狙ったのか、何か他に考えがあるのか、あるいは……何も考えずに動いている……とか?」
ナタリアとルイスは顔を見合わせ、互いに言葉を交わす。二人の思考でも相手の考えが読めず、確証を持って話すことができないのだ。
「ルイス殿、わたしはその女性と直接の面識がないのですが、“頭が回る”人間ですか?」
「子爵家の令嬢として教育を受けていましたが、接したことがある身からすると特別優れたところがあるとは……良からぬことを考えるだけの知恵はありましたが、ここまで下手を打つかと言われればそうとも思えず……」
ナタリアの質問に対し、困った様子で答えるルイス。
「アメンドーラ男爵殿のように魔法が使えるわけでもないですし……エリオ殿、“あの女”が西門から出る際、護衛はいたのかい?」
「御者のみです。馬車の積み荷を確認しましたが、食料や水が積んであるだけで他の者が隠れている様子もなかったようで……」
「……ドーリア子爵家の別邸を確認してわかっていたことではあるが、セラス以外の娘二人は置き去り、か。それに護衛もなしに王都から出るなど、何を考えている?」
ルイスからすればあまりにも“ありえない行動”を取るセラスの母親に、困惑が深まるばかりだ。
「その御者が凄腕という可能性は?」
レウルスが疑問をぶつけると、ルイスは首を横に振る。
「もちろんゼロじゃないさ。ただ、仮に凄腕の護衛だとしても食事や睡眠は必要になる。最低でも三人は必要になるだろうし、ドーリア子爵家……いや、普通の貴族家には単独で街道の移動を任せられるような強者はいないんだよ。いたとすれば有名になるし、それが複数となるとね……」
そう言いつつ、ルイスは少しだけナタリアを羨ましそうに見た。
「アメンドーラ男爵家が普通だとは思わない方が良い。ナタリア殿だけでもお釣りが来るというのに、君やサラ様達、場合によってジルバ殿の助力も得られるんだ。こう言ってはナタリア殿が気を悪くするかもしれないが、新興の男爵家が抱える戦力としてはおかしいからね?」
「お褒めいただき恐縮ですわ。しかし、こうなると王都近隣に調査の兵を出してもらいたいところですが……」
「西門から出たものの、すぐに進路を変えて別の場所に向かっていたらお手上げってわけか。そもそも、御者の腕が悪かったら野盗なり魔物なりに襲われて死んでそうだけどな」
さすがにそんな自殺まがいの真似をしているとは思いたくないレウルスだったが、相手の行動が読めなさ過ぎて何を考えているかわからない。
「王都から逃げるだけ逃げて、あとは王都の外で護衛と合流する……なんてこともあり得るだろうしね。ただ、ドーリア子爵家の兵士が従うとは思えないし、王都の兵士を動かす権限もない。金で雇おうにも、手練れとなると高額だ。ドーリア子爵があの女にそんな金を持たせるかどうか……」
顔を突き合わせて意見を出し合うレウルス達だったが、答えは出ない。そうやって話し合っている内に扉がノックされたかと思うと、宮廷貴族と思しき中年男性とベルナルドが揃って入室してくる。その後ろには紙や羽根ペン、インク壺などを抱えた若者が二人続いた。
(……ん? 以前見た顔だな……)
宮廷貴族の顔を見たレウルスは、見覚えがあったためそんなことを考えた。叙爵の儀を受けた際、列席した者の中にいたのだ。それも、ソフィアのすぐ隣にいたためレウルスとしては記憶に残っていたのである。
「お待たせした。既に集まっておられるな」
宮廷貴族の男性はレウルス達の顔を確認してからそう言う。しかしナタリアやルイスはともかく、レウルスは名前も立場も知らない相手のため困ったように視線を彷徨わせた。
年の頃は五十代から六十代といったところだろう。宮廷貴族らしく豪奢な衣服を身に着けているが頭頂部は半ばまで禿げ上がり、その周囲を白んだ髪が囲っている。顔には年齢の積み重ねを示すように深い皴が刻まれており、腰もやや曲がっていて若干前傾姿勢を取っていた。
ただし、その瞳は爛々と輝いており、油断できる気配はない。
「先日の叙爵の儀以来ですな、レウルス準男爵殿。リベルト=マークス=マルド=フィオリと申す。一応、大臣の立場にあるが特に気にせんでくれ」
「……レウルスです」
名前から判断して侯爵か、と内心で呟くレウルス。そして、自身を準男爵に推薦した者の中にもその名前があった、とも思った。
男性――フィオリ侯爵はレウルスの顔を見ると、眉間に皴を寄せる。
「うむ……本題に入る前に準男爵殿、そろそろ家名と家紋の提出をしてくれぬか? 部下が困っておる」
「あ、はい……すみません。なるべく早く決めます」
「そうしてくれ……やれやれ、家名を得る機会を得た者ならば大抵はすぐさま提出するんだがのう」
そう言いつつ、フィオリ侯爵はレウルス達の前を横切って“上座”へと座る。
「よっこいしょ……まったく、この忙しい時期に面倒なことを……ああ、貴殿らも座ると良い。ルシーニ準男爵殿もな」
そう言ってフィオリ侯爵はベルナルドにも椅子を勧める。しかしベルナルドは首を横に振ると、エリオと共に壁際に立った。
「今回は事件現場を確認したエリオ=ネイト……更にその責任者として出席しております故、ご遠慮いたします」
「貴殿がそれで良いなら構わんがの……では話をして行こうかの。お主らはきちんと書き記すように」
そう言ってフィオリ侯爵は同行していた若者二人に声をかける。二人は記録係なのか、レウルス達から離れた場所に座り、机に紙を置いて羽根ペンを構えた。
「それでは、昨日起きた事件について最初から――」
フィオリ侯爵が質問をする形で“話し合い”が始まり、レウルス達もひとまずそちらへと集中するのだった。
フィオリ侯爵との話し合いは、レウルスが警戒していたよりも遥かに“まとも”だった。
いつ、どこで、誰が、誰から、どのようなことをされ、どのような被害を受けたか。
また、今回の事件が起こるにあたり、そのきっかけになり得るであろう事柄。これに関しては細かく、実際には関係なくても構わないから思い当たることをどんどん伝えるように言われ、レウルス達は伏せるべきところは伏せながらも大体の事情を伝えた。
「ふむ……こんなところかの」
一通り話を聞き終えるとフィオリ侯爵は書記の二人が書いていた紙を回収し、内容に目を通していく。そして内容に間違いがないことを確認すると、レウルス達にも紙を渡して内容に間違いがないことを確認するよう促された。
(取り調べの調書というか……あー……会議の議事録みたいだな)
後で“言った言わない”と揉めることを避けるためなのだろう。ナタリアもルイスもしっかりと紙に書かれたことを確認しているため、レウルスも間違いがないか必死に確認していく。
「貴族同士の揉め事となると、文章一つ、言葉一つ抜けてるだけで大変なことになるから注意せねばな。今回の場合は一方的な被害者ということで終わるとは思うがの」
フィオリ侯爵はそう言ってレウルスに苦笑を向ける。
「まあ、いきなり襲われた立場としては色々“思うところ”があるとは思うが……」
そう言いつつ、苦笑を浮かべたままで瞳だけは真剣な色を覗かせるフィオリ侯爵。その瞳はどこかレウルスの反応を探っているようでもあり、レウルスは敢えて苦笑を返した。
「俺よりヴェルグ伯爵殿の方が思うところがあるでしょう。下手人は捕まってますけど、その母親が姿を消してるわけですしね。ドーリア子爵殿は自領にいるらしいですし、どう処理したものやら……」
「準男爵殿も怒る気持ちがあるであろう? 共にいたということはヴェルグ伯爵家の次女殿とも仲が良いのだろうし、彼女が怪我を負わされた以上怒って当然だと思うが」
「それもヴェルグ伯爵殿の方が上でしょう? 身内を襲われたわけですし、毒を使われたわけですし」
レウルスがそう返すと、フィオリ侯爵は少しだけ意外そうな顔をする。しかしすぐさま表情を苦笑に戻すと、言葉を続ける。
「だが、貴殿も毒を浴びたのであろう? そんな身ですぐさま呼び出すのも申し訳なかったが、こういった話は時間が経てば経つほど不正確になっていくでな」
「ああ……毒は一晩寝たら治ったんで大丈夫ですよ」
「…………報告では、下手人のセラス嬢は昨晩遅くまで治療にかかりきりだったはずだが……」
報告が間違っていたか? と首を傾げるフィオリ侯爵。そんなフィオリ侯爵に対し、レウルスは小さく笑って返す。
「これでも体を鍛えてますし、昨日治療を受けましたしね」
「……ふむ、そんなものか」
レウルスの返答に小さく頷くフィオリ侯爵だったが、ナタリアやルイスが“議事録”に問題がないことを確認するとそちらへと視線を向ける。
「では、こちらの書類は清書して国王陛下にもご報告しておくでな。協力に感謝する」
そう言って若者二人と共に退室していくフィオリ侯爵。
「…………」
そして、そんなフィオリ侯爵をじっとナタリアが見つめていたのだった。




