第529話:大問題 その1
明けて翌日。
昨晩はエリザと話をした後眠りについたレウルスだったが、早朝に目覚めると己の調子を確認し、小さく頷く。
(毒の影響は……まあ、無視できるぐらいか)
僅かに違和感があるが、痛むというほどでもない。ひとまず行動に支障はないと判断し、レウルスは自室を出て一階の居間へと降りる。時間が少しばかり早いからかエリザ達が起きている様子はないが、居間には人の気配があった。
「……起きたのね。調子はどう?」
すると、どこか疲れた様子のナタリアが椅子に座っていた。そんなナタリアの様子に気付いたレウルスは申し訳なく思いながら頭を下げる。
「ぼちぼちってところかな。というか姐さん、昨晩は結局帰ってこなかったよな……そんなに長引いたのか?」
レウルスは毒を浴びていたため先に帰って休むよう言われたが、それを命じたナタリアは大教会に残り、様々な“面倒事”を片づけてきたようだ。コロナが用意した朝食を前に、疲れを含んだため息を零す。
「長引いたしまだ終わってないわ……ひとまず今日のところは予定を中断して王城に向かうから、もう少し時間が経ったら準備してちょうだい」
「……え? また王城に行く必要があるのか?」
ナタリアの言葉を聞いたレウルスは反射的にそう尋ねてしまう。
王城どころか最早王都から脱出して帰宅の途に就きたかったが、国王であるレオナルドから話を振られた亜龍退治を受けるかどうか返答する必要もある。しかし、今回の場合は昨日起きた事件に関してだろう。
「さすがに王都で……それも王都の民があれほどいた場所で“あんな真似”をされた以上、呼び出しを受けるのも仕方のないことよ。呼び出しと言ってもあなたは被害者だから、話を聞かれるぐらいでしょうね」
「そんなもんか……」
「そんなものよ。ヴェルグ伯爵家とドーリア子爵家とわたしと……ああ、でもドーリア子爵家は領地に早馬が向かってる途中だから、まずはわたし達だけで話を聞かれるわね。あとは下手人の母親……ドーリア子爵家の御令嬢が“どうなる”か……」
前半はレウルスに言い聞かせていたものの、後半は自身の考えをまとめるようにぶつぶつと呟くナタリア。普段のナタリアと比べれば注意力散漫といった様子だったが、レウルスとしては自身の後始末のために奔走してくれたナタリアには感謝しかない。
「どうなるって、さすがに出てくると思うんだが……あれだけの騒ぎになったのなら耳に入るだろうし、エリオさん達も探してくれてるんだろ?」
「そうね……でも、わたしがここに戻ってくるまでに見つかったって話は聞いてないのよね。ドーリア子爵家の別邸にも兵士が向かっているから、帰宅すれば嫌でも知ることになるはずなのだけど……」
そこまで語ったナタリアは、ふと何かを思い出したように顔を上げる。
「そういえば、ルイス殿から伝言があるわ。本当はルヴィリア殿からあなたに話すよう任せていたらしいけど、今回の件で伝えることができなかったそうなのよ」
「というと、王様が言ってた亜龍退治の件か? ベルナルドさんは亜龍を見つけた報告なんて聞いていないって言ってたけど……」
今回の事件も面倒だが、亜龍退治に関してもきな臭さしか感じない。そのためレウルスが顔をしかめていると、ナタリアは同意するようにため息を吐く。
「ええ……ルイス殿も伝手を当たって調べたみたいだけど、本当に亜龍がいるかは非常に怪しくてね。御用商人やその周囲から話を聞いたらしいけど、亜龍なんて危険な魔物がいるのなら西方の街道を利用する商人や旅人も減ってしまう、むしろ今は“魔物が減って”安全に思えたって話らしいわ」
「なるほど、街道を行き来する商人から情報を……そりゃ参考になりそうだ」
街道を移動して商品を運ぶ商人からすれば、危険な魔物の有無は死活問題だろう。それが下級や中級の魔物ならば腕の立つ護衛さえいればどうにかなるかもしれないが、空を飛べる亜龍が相手となると生半可な護衛では相手にならない。そんな魔物がいるのならば情報も即座に出回りそうだ。
「亜龍はいない、でも魔物は減っている……グレイゴ教徒が何か企んでるのか、それともこの話を持ってきた王様やその周辺が何か企んでる?」
「さて……可能性だけなら何とでも言えるわ。あのレベッカという司教はどう? 翼竜を操っていたわよね?」
「そうなんだが……アイツはグレイゴ教徒っていうか自分の目的最優先って感じの奴だし、どうかな……」
そしてその“目的”に関しても、レウルスが知る限りこのような回りくどい真似をしても叶わない。レベッカならば諸事を終えればすぐに向かってくるのではないか、という嫌な信頼があった。
「まあ、今日王城に行けば陛下や宮廷雀が新しい情報を渡してくるかもしれないわ。今は目先の問題を片づけましょう」
「そうだな……っと?」
レウルスがナタリアと話をしていると、二階から人が下りてくる音が複数聞こえた。そのため視線を向けてみると、寝間着姿のエリザやサラ、ミーアやネディが下りてくる。
「おう、おはよう」
「あっ……うん、おはよう」
「おっはよー」
「おはよう、レウルス君」
「……おはよ」
レウルスがそう声をかけると、エリザ達は各々挨拶の言葉を返す。そんなレウルスとエリザ達のやり取りを見ていたナタリアは、怪訝そうに首を傾げた。
「レウルス……あなたエリザに何かした?」
「えっ? なんでだ?」
「口調が“素”になってるわ。昨晩何かしたの?」
どうやらエリザの口調だけで即座に疑問を覚えたらしい。レウルスはそんなナタリアの鋭さに頬を掻くが、当のエリザは慌てた様子で視線を彷徨わせ、サラ達に疑惑の視線をぶつけられていた。
「なになに? エリザってばレウルスと何かしたの?」
「昨晩……えっ?」
「……何したの?」
純粋な瞳で尋ねるサラとネディ。ミーアだけは目を見開いているが、エリザはやがて開き直ったように胸を張る。
「ごほんっ……なんでもない、とは言わぬ。ただワシは、レウルスの秘密を知って――」
「ああ、何かしたっていうか、話の流れで俺の素性に関して伝えたんだよ。実は俺、『まれびと』ってやつらしくてな。隠してたわけじゃないんだが、どうにも話すきっかけがなくて……悪い」
「そんなあっさり!?」
レウルスの発言を聞き、エリザは目を見開いて驚愕する。レウルスとしては自分が何者であるか、自分が“何なのか”気になる気持ちはあるが、『まれびと』であることを隠す気は最早なかった。
「『まれびと』って?」
サラは一度頷いたものの、すぐに首を傾げて不思議そうな顔をする。そのためレウルスが自分のことに関して説明すると、サラ達はそれぞれ三者三様な反応を見せた。
「ふーん……で? それってレウルスがレウルスであることに何か関係あるの? 年齢も意識が生まれてからの年数で言えばわたしの方が上だしねー」
「『まれびと』……聞いたことがあるような、ないような……でも正直なところ、レウルス君が更に年上だったってだけで特に思うところはない……かな?」
「……やっぱり“へんなこ”」
精霊とドワーフだからか、サラ達の反応は鈍い。
サラは自分の方が年上だと胸を張り、ミーアはエリザのようにどこか納得した様子である。そしてネディは珍奇な生き物を発見したようにレウルスを見つめるが、割とよくあることだったためレウルスとしては気にならなかった。
「ああ……まだ伝えてなかったのね。あなたのことだから、もっと早く伝えるものと思っていたのだけど……」
「といっても、前世の記憶がありますーとか言ったらヤバイ人扱いされる世界で生きてたもんでな。こっちの世界だとその辺どうなのか微妙だけど……」
「レウルスはヤバイ? 人だから大丈夫よ!」
よくわかっていないのか首を傾げながらも笑顔で言い放つサラ。それを聞いたレウルスは、怒れば良いのか笑えば良いのかもわからなかった。
その後、朝食を取ったレウルスは正装に着替えてナタリアと共に王城へと向かう。“前回”と異なる点があるとすれば、今回は正装ながらも『首狩り』の剣を腰に差していることだろう。予備の武器として短剣も腰裏につけており、次に何かあれば即座に動くことができる。
前回と異なり準男爵になったため、“責任を取れる立場”になったということで武器を携帯するだけならば問題ない。
当然ながら王城で剣を抜けば大問題で即座に兵士が襲ってくるだろうが、今回の事件で身を守るためという名目もあるため、止められることはないだろう、というのがナタリアの見解だった。
仮に問題があれば馬車の中に放り込み、手で触れないよう注意を促してからニコラに頼めば良い。
レウルスはそう考え、王城に足を踏み入れた。そしてナタリアと共に王城一階の一室――応接間と思しき部屋へと案内される。叙爵の儀と異なり、わざわざ謁見の間を使用して大勢が集まるということはないようだ。
「やあ、昨日ぶりだね。体調はどうだい?」
すると、部屋の中にいたルイスが声をかけてきた。ただしナタリアと同様に夜を徹して事態の収拾に当たっていたのか、その表情は疲れて見える。
「一晩眠ったら快復しましたよ……ルイスさんも眠そうで、申し訳ないですけどね」
「ははは……さすがに被害者かつ猛毒を浴びた君に無理はさせられないさ」
そこまで話したルイスは、苦笑を浮かべて言葉を続ける。
「そうだ……一応伝えておくけど、ソフィア殿がかかりきりで治療をしてくれたおかげかセラスは峠を越したらしい。まだ毒が完全には抜けきっていないけど、とりあえず死ぬことだけは避けられそうだ」
(死ぬこと“だけは”、か……穿ち過ぎかね?)
ルイスの言葉に頷きを返しつつ、レウルスは内心でそんなことを考える。
「ここに来る前にルヴィリアの様子も確認したけど、だいぶ元気になっていたよ……数日安静にしたら元に戻ると思う。改めて言うけど、これは君のおかげだよ」
「いえ……俺がしたことはほとんどないですから」
「いやいや、君がわざわざ妹のために用意してくれた魔法具が活躍したんだ。感謝してもしきれないよ」
「いえいえいえ……アレはアクシスの爺さんが用意したものであって、俺はあくまで渡しただけですから」
軽く雑談がてら言葉の応酬を繰り広げるレウルスとルイス。そうしていると応接間の扉がノックされ、返事とするとゆっくりと扉が開く。
「……って、エリオさん? どうしたんですか?」
そして、姿を見せたエリオにレウルスは疑問の声をぶつける。すると、エリオは意気消沈した様子でため息を吐いた。
「俺も現場の責任者として呼ばれたのさ……あと、頭の痛いことがあってね」
「頭の痛いこと?」
普段のエリオらしからぬ落ち込んだ様子に、レウルスは不思議に思いながら尋ねる。すると、エリオは再度ため息を吐いてから、呟くようにして言う。
「ああ……今回の事件の下手人のセラス嬢……その母親なんだが、王都中を探しても見つからなくてね。これはおかしいと思って王都の各門に確認を取ってみたら、事件の直前に西門から出ていたことが確認されたんだ……」
だから捕まらなかった――そう告げるエリオに、レウルス達は顔を見合わせるのだった。




