第528話:本音
久しぶりに前書きをお借りいたします。
拙作のコミカライズ版が更新され、10話前半が掲載されました。
よろしければそちらもお読みいただければ幸いに思います。
扉から半分顔を覗かせ、窺うようにして視線を向けてくるエリザ。それを見たレウルスは首を傾げる。
「こんな時間に珍しいな……どうした? 何かあったのか?」
「う、む……その前に、じゃな。体は本当に平気なんじゃな? 実は無理をしていたりは……」
「ないよ。なんだ、遠慮してるのか?」
エリザの言葉にレウルスは苦笑を浮かべた。大教会で治療を受けたこともあり、体調はそれほど悪いわけではない。一晩ぐっすりと眠れば完治するだろうと思えるぐらいだ。
ただし、だからといってエリザを追い出すような選択肢は存在しなかった。レウルスは苦笑を浮かべたまま、自身が座っている寝台を軽く叩く。するとエリザはおずおずと、どこか不安そうな表情を浮かべて部屋に入ってきた。
扉をしっかりと閉め、ゆっくりと歩くエリザ。そんなエリザの姿を見たレウルスは、ふと思う。
(やっぱり、身長が伸びたよな……ベッドに腰かけた状態だと、目線の高さも大して変わらないし……)
レウルス自身身長が伸びたが、エリザもまた、身長が伸びていた。綿で作られた寝間着――ワンピースタイプの衣服を身に着けたエリザは初めて会った時と比べて身長だけでなく髪も伸び、顔立ちもどことなく大人びて見える。
そんなエリザはレウルスの前で数秒右往左往していたが、やがてレウルスが示したように寝台に腰かけた。そうしてエリザが口を開くのを待っていると、エリザはレウルスに向かって小さく頭を下げる。
「……ごめんなさい」
「ん? 何がだ?」
謝られるようなことをエリザがした覚えがなく、レウルスは不思議そうに首を傾げた。するとエリザは視線を下げ、俯きながら呟く。
「今日……その、わたしがちゃんと風魔法を使えていたら、毒も防げたから……レウルスだけじゃなくて、ルヴィリアさんにも庇われちゃったし……」
“素”の口調でそう話すエリザに、レウルスは合点がいったように目を丸くする。たしかにエリザの言う通り、風魔法を使っていれば毒が降りかかるのを防げただろう。だが、レウルスとしてはエリザを責めるつもりなど毛頭なかった。
「そんなこと言ったら、俺も相手が襲ってくる前に鎮圧できなかったしなぁ……いやまあ、“あんな真似”をするとは思ってなかったし、虚を突かれたよ」
敵意を感じ取り、事前に警戒していたにも関わらず防げなかったのだ。セラスから魔力を感じ取れず、精々罵声を浴びせて騒ぐぐらいだと高を括っていた。それがまさか『強化』もなしに少女の細腕で硝子窓を殴り砕き、握り込んだ毒瓶も一緒に砕いて中身を撒き散らすと考える方が難しいだろう。
窓や毒瓶だけでなく、拳までもが砕けるのに構わず殴ってくるなどレウルスも驚く所業だった。かといってセラスが襲ってくるよりも先に殴り倒していた場合、子爵家令嬢をいきなり攻撃したとそれはそれで騒ぎになりそうだ。
(そう考えると、防ぐのは難しかったのかもな……セバスさんとしても、実家に突き返したといっても元々はルイスさんの妹……仕える一族の人間だったわけだし)
その上、前ヴェルグ伯爵と離縁している以上、セラスは他家の令嬢である。セバスの立場では止めにくいものがあっただろう。
そんなことを思考するレウルスだったが、今はエリザの方が優先である。思考を打ち切り、隣に座るエリザへ視線と共に苦笑を向けた。
「というわけで気にし過ぎることじゃないって……ルヴィリアさんが庇ってくれなかったらエリザ達全員を守れたか怪しいから、偉そうなことは言えないけどさ」
レウルスがそう言うと、エリザは小さく身を震わせる。そして戸惑いを孕んだ瞳でレウルスを見上げると、数度迷うように口を開閉してから声を発した。
「その、それと……もう一つ、聞きたいことがあって……」
「……聞きたいこと?」
そのエリザの雰囲気に、レウルスは質問されるであろうことを直感で悟る。そして、その直感を裏付けるようにエリザが質問を口にした。
「ルヴィリアさんがレウルスのことを……好き、って言ってたのは……」
「……ああ」
やはり聞いていたか、とレウルスは思う。そのため誤魔化すような真似はせず、重々しく頷いて見せた。
「……うん、ルヴィリアさんが“そう”だっていうのはわかってた……けど……“一度振られた”ってことは……」
「ルヴィリアさんがいない以上、詳細は話せねえ……でも、そのままの意味だ」
レウルスがそう答えると、エリザは口を閉ざして唇を引き結ぶ。その表情には迷いの色が濃く出ていたが、やがて恐る恐るといった様子で再度口を開いた。
「じゃあ……“今回”はどうするの?」
「…………」
その問いかけに、レウルスはどう答えたものかと視線を宙に向ける。
“前回”と違い、今回は何も返事をしていない。返事をする暇も余裕もなかった、というのが正しいが、聞かなかった振りをしてスペランツァの町に戻るというのも不義理が過ぎるだろう。
「準男爵になったレウルスなら、伯爵家の次女とけ……結婚、するのも不可能じゃない。初代の準男爵が相手なら、“今後”を考えるとつながりとしては十分、だし……なにより、ルヴィリアさんはその気……だよ?」
「…………」
「ルイスさんも、きっと止めない……治療して元気になったって言っても、元々病弱って話が広がっていて、今回の件で猛毒を浴びてるし……レウルスはルヴィリアさんの、結婚……相手としては最上だと思う、から……」
無言のレウルスに対し、エリザは己の考えを述べていく。
「準貴族っていっても、貴族の一員として考えるならルヴィリアさんと――」
「エリザ」
小さな呼びかけだったが、それだけでエリザの言葉が止まる。特に怒ったわけでもないというのにエリザは体を震わせ、恐々とレウルスを見つめた。
その瞳には涙が浮かんでおり――レウルスは頭に浮かんでいた様々な考えを放り投げる。
セラスが起こした事件も、レウルスでは想像も予想も難しいマタロイの貴族事情も、自身が準男爵になったことさえ頭から追い出した。
「今更こんな話をするのもなんだが……いや、今更というか、単に話す機会がなかったというかだな……」
レウルスは頭を掻き、困ったように苦笑する。
「実は俺、『まれびと』ってやつらしくてな……『まれびと』って知ってるか?」
そう問いかけると、エリザは困惑した様子で首を横に振った。
「そうか……それなら一つ問題を出すんだが、“俺”は何歳だと思う?」
「……十七歳」
「ああ、それはこの世界での年齢だな。実は他所の世界で一度死んでて、前世も込みで考えると四十歳を超えてるんだ」
そう話し、レウルスは『まれびと』に関して軽く説明をしていく。エリザは何の話なのかと困惑した様子だったが、話が進むにつれてどこか納得したように表情を変える。
「……なるほど。たまにおかしいって思う時があったけど、道理で……」
「おかしかったか? 言葉に関しては俺もよくわかってない部分があるから、おかしいって言われたら否定できないけど……」
「ううん……言葉もだけど、それ以外にも色々と……そっか、“そうだった”んだ……」
エリザはレウルスの話を聞いても疑う素振りを見せず、逆に心から納得したように何度も頷く。
「なんだ? その反応は予想外というか、気になるんだが……」
「だって、レウルスからすればわたしは“子ども”にしか見えないんでしょう? 年下の女の子に興味ないのかな、とか、背とか胸とか小さいのが悪いのかなって思ってたけど……」
「…………」
エリザの発言に、レウルスは再度沈黙する。どう聞き違えても“好意”をぶつけているとしか思えないエリザに対し、どう反応するべきか迷ったのだ。
「知り合いで例えるなら、ドミニクさんとコロナぐらいの年齢差だもんね……そっか、“そういう理由”だったんだ……」
納得したように呟くエリザだったが、レウルスはそれに待ったをかける。
「あー……勘違いさせたようで悪い。たしかに年齢差ってのもあるけど、それ以上に俺に問題があってだな……」
「問題?」
「ああ……今はそうでもないんだが、魔力が一定量を下回るとどうにも思考や感覚がおかしくなってな」
そう言ってレウルスは己の頭を指で突き、続いて腹部を指さす。
「具体的に言うと、食欲以外の欲求が弱くなる……食欲が強すぎて他のことを考えられないって言った方が適切か? 眠気すらあまり感じなくなるぐらいでな」
「……すごく納得した」
レウルスの“これまで”を記憶で探り、エリザは心からそう呟く。しかしすぐに疑問を覚えた様子で首を傾げた。
「今はそうじゃないってことは……“あなた”が本当のレウルス……なの?」
「いや……以前も今も俺のままだよ。ただ、“何を思うか”が変わるってだけさ」
レウルスがそう言うと、エリザは納得半分、疑問半分といった様子で眉を寄せる。
「レウルスの秘密を知ることができたのは嬉しいけど……その、ルヴィリアさんの件は……」
「それなんだが、異性として気になっているかは断言できなくてな。その辺の感覚も狂ってるみたいで、エリザ……お前達のことは大切に思っているし好きなんだが、ルヴィリアさんも“そう”とは言えないってのが正直なところだ」
「……そう言ってくれるのは嬉しいけど、貴族同士の結婚なら好悪は別だし……」
レウルスの言葉を聞き、エリザは少しだけ照れたように俯きながら言う。しかしそれを聞いたレウルスは思わず苦笑してしまった。
「俺が死ぬ前にいた国じゃあ、政略結婚ってのはほとんど見かけなくなっててな。好き合った……うん、経済的な面も関係するけど、基本的に好き合った者同士で付き合ったり、結婚したりするんだよ。その感覚が抜けてないのか、どうにも違和感がな……」
この世界に生まれて十七年経っても前世の感覚が薄れていないだけなのか、“腹がいっぱい”だからなのか、レウルスにも断言はできない。
「家のためだとか、貴族だからだとか言われても、正直にいえば俺にはよくわからん。ルヴィリアさんのことは好ましいと思うけど、それで結婚するかと言われると……」
そのため断言まではしないが、エリザの質問に返す言葉としては“そうなって”しまう。
「そう、なんだ……」
だが、エリザの反応はどこか迷いを含んだものだった。それでもレウルスの視線に気付いたエリザは顔を上げ、小さく微笑む。
「……でも、レウルスの秘密が聞けて嬉しかったかな。『まれびと』って言うんだ」
「ああ。俺も姐さんに聞くまでは知らなかったんだけどな」
レウルスがそう答えると、エリザの表情が瞬時に固まった。
「な、ナタリア……ううん、師匠も知ってたんだ……じゃ、じゃあ、わたしには二番目に教えてくれたの?」
「ん、んん……人間だと二番目、かな? 姐さんに話を聞いてから、ヴァーニルにも事情を説明して話を聞いたから……」
「わたし人間じゃなくて吸血種だよ!? あとヴァーニルより遅くて三番目!?」
そう叫ぶエリザに、レウルスは誤魔化すように苦笑を浮かべるのだった。




