第527話:大騒動 その4
ルヴィリアの容態を確認に向かう間、真っ先にセバスに声をかけたのは主であるルイスだ。
「今回の件、失態だったねセバス」
「は……申し開きのしようもございません」
淡々と声をかけるルイスに対し、セバスは腰を折って深く頭を下げる。それを見たルイスは真顔だったが、数秒してから深々とため息を吐いた。
「まあ、さすがにドーリア子爵家が破滅しかねない……こんな馬鹿げた真似をしてくると考える方が難しいさ」
「ですが、事前にレウルス様から警戒を促されていてこの体たらく……処分は如何様にでもお受けいたします」
「その話は後だ。まずはルヴィリアの様子を確認しなければ……あとはセラスの状態も、か。まったく、頭が痛いよ……」
頭痛を堪えるように額を押さえるルイスだったが、すぐさまその視線をセラスが治療を受けている部屋へと向けた。
「セバス、ソフィア殿が治療に当たっている以上ドーリア子爵家の執事も迂闊な真似はしないと思うが、“口封じ”をしないか見張っていてくれるかい? 今更殺しても意味は薄いだろうけど、証言を得られないのは面倒だ」
「かしこまりました」
頷いたセバスはこれまで以上に老けて見えるほど精神的な疲労が大きいようだったが、それが当然の職務と言わんばかりに歩き出す。ルイスはそんなセバスの背中を見送ると、レウルスとナタリアに小さく頭を下げてからルヴィリアが治療を受けている部屋の扉をノックした。
「ルヴィリア、様子を見に来たよ……入っても大丈夫かい?」
『…………』
ルイスが優しく声をかけたものの、中から返事がない。そのためルイスは首を傾げ、再度扉をノックした。
「ルヴィリア?」
ルイスがもう一度名前を呼ぶと、部屋の中で人が動く音と何かを喋る声が聞こえる。そして僅かな間を置いて扉が開いたが、中から顔を覗かせたのはルヴィリアの治療を担当していた女性だった。
「ヴェルグ伯爵様ですね? 私はルヴィリア様の治療を担当していた者です」
「っと……これはこれは、妹がお世話になりました。後日、改めて“謝礼”を持って伺わせていただきます……妹はどうしたんですか? もしや、喋れないような状態とか……」
ルイスが心配そうに尋ねると、女性は何故か微妙そうに表情を歪めた。
「いえ……ここに運び込まれた時点で毒の影響も大部分が抜けていたようですし、背中の傷も塞ぎ終わりました。安静にしていれば数日で元通り元気になると思います」
「それでは一体何が? ああ、もしや疲れて眠ってしまいましたか?」
それなら返事がないのも当然だ、とルイスが言う。しかし、女性は表情を変えずに室内へと振り返った。
「見ていただいた方が早いかと……」
「……? では失礼して……ああ、すまないけどレウルス君達は部屋の外で待っていてもらってもいいかい? 一応、会うのは俺が確認してからにしてもらいたいんだが」
ルイスが申し訳なさそうに言うが、レウルスとしてはそれも当然だろうと頷く。
「そりゃ構いませんよ。んじゃ姐さん、俺達は部屋の外で――」
「いえ、『精霊使い』様もご一緒の方がよろしいかと」
だが、女性が遮るようにして言葉をぶつけてきたためレウルスは首を傾げた。それはルイスも同様で、怪訝そうな顔をしている。
「治療をしていただいたことには感謝しますが、さすがにそれは……」
「では、先にルヴィリア様の様子を確認されてから判断をしてくださいませ」
女性の物言いにルイスはますます怪訝そうな顔をするが、ひとまずレウルス達に断ってから部屋に入る。そして、部屋の中からドタバタと物音がしたかと思うと、三分と経たない内に扉が開いた。
「レウルス君、ちょっと」
「ちょっと……なんです? え? 入って良いんですか?」
ルイスに手招きをされ、レウルスは不思議そうに目を丸くする。しかしレウルスとしてもルヴィリアの容態が気になっていたため、ナタリアに一言断ってから部屋に足を踏み入れた。
ルヴィリアが治療を受けた部屋は、レウルスが治療を受けた部屋と同じく精霊教が客人に貸し出す客間だった。寝台に机、椅子に箪笥と最小限ながらも生活に必要な物が置かれている。
部屋はそれほど広くなく、十畳程度だ。そんな部屋の中にルヴィリアはいた――のだが。
「……ルヴィリアさん? 一体何をしてるんです?」
「っ……」
思わずそう問いかけたレウルスの視線の先。そこには寝台の上に座り、レウルスが購入した外套を頭から被って顔や体を隠すルヴィリアの姿があった。
「失礼だからと外套を取ろうとしたら、全力で抵抗されてね……毒を受けた割に元気そうで、嬉しい限りだよ」
そう言ってルイスは苦笑を浮かべようとしたものの、失敗した様子で頬を引きつらせる。そしてルイスは説明を求めるように、ルヴィリアの治療を担当した女性へと視線を向けた。
「いつからこんなことに?」
「治療が終わって、落ち着きを取り戻したと思ったら“何かを思い出した”様子で突然外套を被りまして……」
女性がそう言うと、外套を被った状態でもわかるほどにルヴィリアの体が震える。
「一緒にいたレウルス君なら何があったのかわかるかもしれないと思って呼んだんだ。レウルス君、ルヴィリアに何かなかったかい?」
「何かって言われましても……」
レウルスは首を傾げるが、もしやと思い、女性に小声で尋ねる。
「毒を浴びて皮膚が変色してたんですが、それは?」
「毒が直接当たった背中の部分に少し変色が残っていましたけど、『解毒』で毒を抜いたら綺麗になりましたよ?」
(じゃあ違うか……他に何かあったか?)
そんなことを思いながら再度ルヴィリアの様子を観察するレウルス。座っているため頭から足の先まですっぽりと外套で隠れているが、僅かに存在する隙間から見えたルヴィリアの肌は真っ赤だった。
「……ルヴィリアさん、足が丸見えではしたないですよ」
「っ!?」
実際は見えていないがレウルスがそう言うと、ルヴィリアは盛大に慌てた様子で外套を羽織り直す。その際見えたのは心底恥ずかしそうなルヴィリアの表情と、真っ赤になった顔で――。
(あー……そういえばルヴィリアさん、“色々と”言ってたもんな)
毒に冒され、今にも命を落としそうな状態だったとはいえ、ルヴィリアは二度目となる“告白”を行っていた。治療が終わり、一段落したタイミングでそれを思い出したのだろう。
(それで恥ずかしくなって外套を被ってる、と……これ、ルイスさんに伝えて良い話か?)
“一度目”の時、レウルスはルヴィリアから伝えられた気持ちを他者に話すことはなかった。ナタリアに問い詰められた時でさえ話すことはせず、黙っていたほどである。
ルヴィリアが他者に話したかどうかはわからないが、立場を思えば隠していたに違いない。その態度までは隠せていたとは思わないが、今回のこともレウルスから話すのは憚られた。
(……でも、今回はエリザも一緒にいたんだよな。御者席にいたミーアにも聞こえていたかもしれねえ……いや、かといってこの場で話す理由にはならないか)
そう考えたレウルスは、小さくため息を吐いてからこの場は自分が泥をかぶることにした。
「ルイスさん、怒らないで聞いてほしいんですが……」
「ん? 君には今回のことも含め、借りがたくさんあるんだ。セラスがしたような、馬鹿げた真似をしていなければ怒ることなどありえないさ……してないよね?」
レウルスの言葉を聞いたルイスは、確認を装って念押しするように尋ねる。それを聞いたレウルスは苦笑を浮かべ、肩を竦めた。
「多分ですけど、ルヴィリアさんは恥ずかしがってるんですよ。なんというかですね、毒の治療をする際に背中を……肌を見てしまったものですから。ほら、ルヴィリアさんとしても、それに気付いて恥ずかしがってるんだろうなって」
実際はルヴィリアの肌がどうとか、気にしている余裕はなかった。しかし、ルヴィリアから二度目となる告白と受けたと答えるよりはマシだろうとレウルスは判断する。
「それは……いや、怒るようなことではないさ。君がルヴィリアに配慮した結果、毒が回って死んでしまったのなら意味がないしね。さすがにそれで責任を取ってくれ、なんて口が裂けても言えないさ」
「ははは……そう言ってもらえると助かりますけど、こうしてルヴィリアさんが恥ずかしがっているわけですしね」
何かあったのなら責任を取ってもらう、と聞こえたのはレウルスの錯覚か。もちろん、レウルスとしては疚しいことなど何もないのだが。
(返事は伝えてないんだよな……どうしたもんかね)
レウルスとて木石ではない。ルヴィリアに好意を持たれているのは一見するだけで理解できた――が、まさか今際の際に想いを伝えてくるほどだとは思わなかった。
しかしさすがに今の状況で返答するわけにもいかず、レウルスは曖昧にお茶を濁すことしかできないのだった。
その日、治療を受けたレウルスはエリザ達と共にひとまず借家へと帰宅することになった。
毒に耐性があるレウルスや純白のミサンガによって毒の大部分が消えたルヴィリアと違い、セラスの治療にはまだまだ時間がかかるということで一時的に帰宅することになったのである。
何かあった際に大変だろうからと大教会に残ろうとしたレウルスだったが、一応は怪我人ということでナタリアに追い出されてしまったのだ。
レウルスが――『精霊使い』が襲われて大教会で治療を受けていると聞きつけた精霊教徒が詰めかけているというのもあり、元気ぶりをアピールするためにレウルスは自宅へ徒歩で帰ったのである。
セラスの監視と今後の相談を兼ねてナタリアが大教会に残り、ルイスが連れてきたヴェルグ伯爵家の精鋭二十名、そこにルイスとセバスが加わり、セラスが他者に害されることも自殺することも防ぐ態勢を整えている。更にはエリオ達騎士や兵士も事情聴取という名目で大教会に詰めているため、戦力としては相当なものになるだろう。
(いやまあ、政治的な話はわからないけどさ……俺、一応当事者なんだけどな……)
借家に戻ってきたレウルスはそんなことを考えるが、大教会にいてもすることがないというのも事実だった。何があったかは既にエリオ達にもナタリア達にも話しており、これ以上レウルスにできることはない。
ドーリア子爵に関しては、子爵領に向けて事態の説明を行うための早馬が差し向けられている。セラスの母親に関しても王都内で捜索が始まっており、遠からず見つかるだろう。
だが、それらには時間がかかるため、レウルスはしっかりと休むようナタリアに言い含められている。後処理は任せ、せめて一晩だけでもゆっくり休むように言われてしまえばレウルスとしても逆らえない。
そのためレウルスは借家へと戻り、心配するコロナやニコラを安心させてから食事を取り、風呂にもしっかりと入った。そしてレウルスの個室として割り当てられた部屋でゆっくり休もうと寝台に座り――ノックの音が響く。
「レウルス……少し話がしたいんじゃが……」
そう言って、エリザが寝間着姿で扉から半分顔を覗かせたのだった。




