第526話:大騒動 その3
これは大変なことになった、とレウルスは治療を受けながら心中で呟く。
ルイスやナタリアの様子からだけでもそれを察せられるが、兵士に同行する形で姿を見せたドーリア子爵家の執事の顔色に、それを強く痛感せざるを得なかった。
「現在我が主……ドーリア子爵は領地におりまして……今回の件も、その、我々としても何が起きたのか……」
王都に建つドーリア子爵家の別邸――そこで家政を取り仕切る年嵩の男性執事は、顔色を青くしながら冷や汗を大量に流し、今にも倒れそうな様子で言葉を吐き出す。
セラスが起こした凶行は寝耳に水で、しかもそれを王都を巡回していたエリオ達兵士に知られ、多くの目撃者まで存在するのだ。
元々隠し通せる規模の事件ではないが、セラスが襲った相手が新興とはいえ準男爵、伯爵家の次女、更には大教会が認めた精霊と、何故襲ったのか執事自身叫び出したいほどの面子だった。
そんな執事の男性を前にして、ルイスもナタリアも険しい雰囲気を隠そうともしない。直接的な被害者であるレウルスの方が、大人しく事態の推移を見守っているような有様だった。
「何も知らなかった……それで済むとは思っていないだろうね?」
怒りを無理矢理抑え込んだような低い声でルイスが言えば、執事の男性は顔を引きつらせながら何度も頷く。
「も、もちろんでございます! ただ、私としましても、本当に何が起きたのかわからない状態でして……当家を訪れた兵士の方から話は聞きましたが、セラスお嬢様が本当にそのような真似を……?」
心底困惑した様子で疑問をぶつける執事の男性。それを聞いたルイスのこめかみがピクリと動いたが、ルイスは大きく息を吸ってゆっくり吐き出し、今にも剣の柄に伸びそうになる右手を左手で押さえ込む。
「その質問は、我々が嘘を吐いてドーリア子爵家を陥れようとしている……そう聞こえるが、それがそちらの本意かい? わざと猛毒を被って死にかけたと? そちらのレウルス殿の背中を見て同じことが言えるかい? 当家のルヴィリアはレウルス殿の助けがなければ死んでいたし、今も治療を受けているんだが……それを理解した上でそう言っているのなら、大した度胸だと感心するよ」
「い、いえ! 誤解を招いたのなら謝罪いたします! ですが、こちらは何の情報も得ていないことをご理解いただきたく……」
「ルイス殿、気持ちはわかりますが執事を責めてもどうしようもないでしょう?」
今にも斬りかかりそうなルイスをナタリアが止める。その言葉を聞いた執事の男性はほっとしたように表情を緩めたが、それに気付いたナタリアは優しげに微笑んだ。
「ああ、自己紹介が遅れました。わたしはレウルス準男爵殿の“後見人”であるナタリア=バロウ=マレリィ=アメンドーラと申します……『風塵』と名乗った方が王都の方には通りが良いでしょうか?」
「ふ、『風塵』……“あの”第三魔法隊の元隊長!?」
「御存知のようで恐縮ですわ……ええ、本当に」
(ルイスさんを止めたと思ったら今度は姐さんが笑顔で威嚇し始めた……え? これ俺が止めた方が良いのか?)
被害者であるはずの自分よりも怒り心頭な様子のルイスとナタリアの姿に、レウルスはかえって冷静になる。
レウルスとしても今回の一件は非常に腹立たしいが、周囲が自分よりも怒っているのを見て逆に落ち着きを取り戻してしまったのだ。
「精霊であるサラ様とネディ様、精霊教の『客人』であるレウルス様を巻き込んだ件……当大教会からも正式に“抗議”をすると精霊教師のソフィア様も仰られておりました。ご留意ください」
ルイスとナタリアの発言に便乗し、レウルスの治療を担当している男性までもがそんなことを言い出す。背後にいるためレウルスには表情が見えなかったが、声を聞くだけでも怒りの感情が込められているのが感じ取れた。
執事の男性の顔面から血の気が引いているのを見たルイスは、何度も深呼吸をしてから口を開く。
「彼女が……敢えてこの場では以前のように呼ばせてもらうが、何故セラスが王都にいた? 当家との縁が切れて以降、領地で“静養している”と聞いていたんだが? 王都に来ていると知っていれば、こちらも対処のしようがあったんだがね」
怒りを抑えながらルイスが尋ねる。すると、執事の男性は視線を彷徨わせてルイスの視線から逃げた。
「……それは……当家の内情に関わることでして……」
「これだけのことを仕出かしておいて隠し通せると思うのか!? 当家の軍と共にドーリア子爵家まで直接問い質しに行くが、それでも良いのだな!」
そして当然ながらルイスはそれを逃がさない。ナタリアはひとまずルイスに任せることにしたのか、杖を握ったままで執事の男性をじっと見る。
「は……それが、主も扱いに手を焼いていまして……孫娘ではあるが、手元に置いておきたくない、と……つい先日から王都に滞在を……」
だが、出てきた言葉にさすがのレウルスでさえ呆れてしまった。思わず『え?』と声が漏れかけたほどだ。
「あの女……失礼、“ドーリア子爵家の御令嬢”はどこにいる? 王都にいるのか? いるのなら何故ここに来ていない?」
ルイスの言葉が指しているのは、セラスの母親だろう。仮に王都に来ているのなら、眼前の執事よりも“責任者”として適切なはずだとレウルスは思った。
「ゆ、友人のところに顔を出してくると……行き先を尋ねても答えていただけず……朝から屋敷を留守にしていた次第で……」
そう言いながら頭を下げる執事の姿に、レウルスは心底思った。
(俺が知ってる貴族ってみんな油断できなかったり、サルダーリ侯爵みたいに特殊な人柄だったりするけど、そういう人もいるのか……)
貴族の事情にそれほど詳しくないレウルスでさえ、“まずい事態”に進みつつあると理解できる。既に現状でさえ相当にまずい事態だが、責任を取れるドーリア子爵が王都におらず、セラスの母親も別邸を空けているなど頭を抱えたくなった。
「……戻ってきたら当家の別邸に来いと伝えておけ。いいな?」
ルイスは堪忍袋の緒が切れかかっているのを自覚しつつも、辛うじてそう言う。執事の男性が今の状況で嘘を吐く理由はなく、仮に庇っているのだとしても朝から家を空けて行き先を執事にも伝えていない、などと評判が落ちるようなことは言わないはずだ。
ルイスは先ほどから何度も剣の柄に伸びようとする右手を左手で強く握り込むことで自制し、怒りで声が震えそうになるのを堪えながら尋ねる。
「……何故、セラス達を自領ではなく王都に追いやった? “管理する”のならば適当な村にでも置いておけばいいだろう?」
「それは……はい、そうなのですが……ヴェルグ伯爵家との御縁はなくなりましたが、ドーリア子爵家が領する土地では姫君であることに変わりはなく……王都ならば“わがまま”にも限度があるだろう、と……」
そう語る執事の男性は、冷や汗を流し過ぎて襟元が色濃く濡れている。
「なるほど……その“限度があるはずのわがまま”でうちのレウルスは死にかけた、と。ふふっ……面白い話ですわ」
それまでルイスと執事の男性の会話を黙って聞いていたナタリアが、薄く微笑みながら呟く。それを聞いた執事の男性は極度の体調不良を起こしたかのように顔色を真っ白にするが、ナタリアはすぐさま真顔になる。
「まあ、そちらの事情は大体掴めました……現場を担当した騎士や兵士から話を聞いてみてくださいな。何が起きたのか、しっかりと理解できるはずですから……」
「は、はい……」
ナタリアの言葉を受けた執事の男性は、大きく肩を落とすのだった。
「改めて……レウルス君、本当にすまなかった。まさかセラス達が王都に来ていたとは思いもしなくてね……いや、これは言い訳だな」
執事の男性が退室してエリオに話を聞きに行くなり、ルイスが頭を下げてそんなことを言い出す。それを聞いたレウルスは苦笑しながら首を横に振った。
「さっきの人もつい先日王都に来たって言ってましたし、仕方ないですよ」
「そう言ってもらえると助かるけど……思ったよりも怒っていないように見えるのは俺の気のせいかな? 君達は完全に巻き込まれた立場だ。俺個人としても、ヴェルグ伯爵家としても、謝罪すべき立場なんだが……」
そう言って訝しむルイスだが、レウルスとしてはセラスやドーリア子爵家に対して怒るよりも先に呆れの感情が先に来ていた。
そして、ルイス達ヴェルグ伯爵家に関しては微妙な心境である。
ルヴィリアを狙った凶行に巻き込まれた形になるが、被害が出たのは主にルヴィリアである。レウルスも毒を浴びたが、“痛い”で済んでいるため必要以上に責めるつもりもない。
『解毒』の魔法薬を購入した代金に関してもヴェルグ伯爵家が補填し、溶けた衣服に関してもヴェルグ伯爵家が弁償を申し出ているため、金銭的な被害もない。
問題があるとすれば、今も治療を受けているように精霊教に借りを作ってしまったことぐらいだ。少なくともレウルスとしてはルヴィリアやルイスを責めるつもりはなかった。
「エリザ達に怪我がありませんでしたからね……もしもエリザ達に毒がかかっていたら、どんな行動に出たか自分でもわかりませんけど」
「そ、そうかい……」
レウルスの発言にルイスは顔を引きつらせる。
「俺としちゃあ、ルヴィリアさんが命がけでエリザ達を守ってくれたから感情的にはトントン……姐さん、そんな感じじゃ駄目か?」
「駄目よ」
「駄目かぁ……」
レウルスは先ほどから表情が固いナタリアに話を振るが、返ってきた反応はにべもない。そのため困ったようにレウルスが苦笑すると、ナタリアはため息を吐く。
「先ほどルイス殿も言っていたでしょう? 巻き込まれたあなた達を守るために、ヴェルグ伯爵家の次女として当然の行動をしたと……“巻き込まれたこと”に対する補償を求めるべきだわ」
「と言っても、ルヴィリアさんは死にかけたわけだしな……むしろなんで助かったのかってぐらい酷い毒だったんだが……」
「待ってくれ、君がそこまで言うほどの毒だったのかい? 死ぬような毒ではあるけど、『解毒』の魔法薬で持ち直すぐらいだったんじゃ……」
レウルスとナタリアの会話に待ったをかけ、ルイスが尋ねる。そのルイスの反応に、レウルスはおや、と首を傾げた。
「兵士の人から話を聞いたんじゃ……」
「聞いたけど、ルヴィリアが『解毒』の魔法薬が必要になるほどの毒を浴びた、今は持ち直しているけど毒が残っているから大教会で治療を受けている、と……」
「あー……」
ルヴィリアが“本当に”死にかけ、それでも辛うじて持ち直したのはレウルスとエリザしか見ていない。その直後に駆け付けたエリオや兵士からすれば、『解毒』の魔法薬で回復したように見えたのだろう。
(これ、話さない方が良いんじゃ……話したら今からでも治療中の襲撃犯を殺しに行きそうだし……)
そう思考したレウルスだったが、ナタリアから鋭い視線が向けられていることに気付く。隠し事をせずに告げろということなのだろう。
「えっとですね……『解毒』の魔法薬を二本使ったんですよ。傷口に一本、飲ませるのに一本……でも、それでもほとんど効果がなくてですね」
「……なんだって? それならどうして妹は生きているんだ? もしかしてエリザさん達の中に凄腕の治癒魔法の使い手がいた……という話かい? それなら是非ともお礼をしたいんだが」
「いえ……それがですね、ルヴィリアさんが身に着けていたミサンガ……じゃない、白い腕飾りが毒を吸収しまして……全部は吸いきれなかったんですが、なんとか持ち直せるぐらいには効果があったみたいなんですよ」
実際、あの純白のミサンガがなければルヴィリアは死んでいただろう、とレウルスは思う。アクシスからルヴィリアに渡すよう言われて渡した代物だが、かつて毒を盛られた以上、同じことが起こり得ると警戒したのかもしれない。
(毒が強くて全部は打ち消せなかったみたいだけど、それでも十分すぎるよな……あの爺さん、アフターサービスもばっちりかよ)
今度会う機会があったら酒の一杯でも奢ろう、とレウルスは思った。そして、そんなことを考えるレウルスとは対照的に、ルイスはレウルスの言葉を心中で整理する。
(ルヴィリアの腕飾り……あの“レウルス君からもらった”白い紐状のやつか!? ルヴィリアがずっと大切そうにしていたが、まさかそんな効果があったなんて……なるほど、以前のレウルス君の様子を見る限りルヴィリアには興味がなさそうだったけど、レウルス君なりに心配してくれていたわけか……)
ルイスは、レウルスが“もしも”に備えて用意した魔法具だったのだろうと判断した。そして、それが功を奏してルヴィリアは命を拾っている。
「……巻き込んだ謝罪だけでなく、ルヴィリアを助けてもらった恩も返さなければいけないね。君にはいくつも借りがあるのに、一体どこまで借りが膨れ上がるのやら……」
「……んん? ルイスさん、何か勘違いがあるような……俺はルヴィリアさんに渡しただけで、用意したのはアクシスの爺さん……ユニコーンなんですよ」
感心したようなルイスの口振りに疑問を覚えたレウルスは、即座に訂正を行う。しかし、そんなレウルスの言葉をどう捉えたのか、ルイスは柔和に微笑んだ。
「ははっ、俺が恩に感じないよう言ってくれるのかい。君が君なりにルヴィリアを心配してくれていたという気持ちもわかった。その気遣いだけでこの胸を焦がすような怒りも和らぐよ……なるほど、節穴だったのはルヴィリアではなく俺の方だったのか」
何やら納得したように頷くルイス。それを見たレウルスは誤解が深まっているように感じ、咄嗟に止めようとする。
「……ルヴィリアお嬢様の治療が終わりました」
だが、そんなレウルスを遮るようにして、悄然とした様子のセバスが声をかけてきたのだった。




