第51話:絶望
それは、エリザにとって一瞬の出来事だった。
「……レウ……ルス?」
エリザにできたのは、たったそれだけの言葉を吐き出すことだけで。
「迎えに来たよぉ――化け物」
そう言ってニタニタと笑う男がレウルスを殴り飛ばすのを、エリザは呆然と見ることしかできなかった。
宙にレウルスの血と砕けた石片が舞う。血は短剣で刺された腹部から流れ出たものか、あるいは頭部を殴られたことで出たものか。エリザに理解できたのは、レウルスが人形のように殴り飛ばされたということだけである。
男がレウルスを刺し、殴り飛ばすまでかかった時間は五秒にも満たないだろう。男があまりにも自然に、挨拶でもするような気軽さでレウルスに短剣を突き刺したその光景は、エリザにとって現実味がないものだった。
ほんのさっきまで、レウルスと“今後”の話をしていた。見習いとはいえ正式に冒険者と認められ、ドミニクの料理店を出て家でも借りるかと笑うレウルスの姿がしっかりと記憶に残っていた。
“これから”は少しでも幸せになれるのでは、と。
両親や祖母のことは忘れられなくとも、新たな思い出を刻んでいけるのでは、と。
そう思っていた――その矢先の出来事だった。
「誰か――ヴッ!?」
それでも咄嗟に助けを求めようと声を発したのは、短い期間とはいえ冒険者として過ごした日々の賜物だろう。
それに気付いた男が瞬く間に距離を詰め、固めた拳を鳩尾に叩き込んできたことでエリザの声は途切れたが。
強制的に口から空気が吐き出され、強烈な吐き気と共に目の前が真っ白に染まっていく。意識が遠退き、手足の感覚すらも消失していくのが感じられる。
「……レウ……ルス……」
意識が消える前に残した呟きに応える者は、誰もいなかった。
エリザが目を覚ましたのは、全身に伝わる激しい衝撃と痛みで強制的に意識が覚醒したからだった。
突如としてつながった意識。エリザは自分の身に何が起きたのかわからず、激しく困惑しながら周囲の様子を確認しようとする。
「ぃぎっ!? う、ぶ、ぐぅ……」
だが、周囲の様子を確認するよりも先に体が激痛と吐き気を訴えてくる。一体何があったのか全身が痛い。その中でも特に腹部の痛みが強く、強烈な不快感と共に胃の中身を吐き出しそうになった。
(な……に、が……)
激痛でまとまらない思考の中、エリザは何が起きているのか理解しようとする。
止めようとしても勝手に浮かんでくる涙で滲んだ視界。既に日が落ちているのか周囲は真っ暗になっており、少し離れた場所に設置された焚き火が薄っすらとした視界を確保している。
場所は森の中であり、エリザは地面に転がされていた。手足などは特に縛られていないが、地面に転がす際に放り投げられたのか全身に伝わる激痛によってまともに動けない。
「――お眼覚めかぁい?」
混乱するエリザの耳に、聞き覚えのない声が響いた。怖気と共に全身を舐めるようなその声にエリザは身を震わせ、恐る恐る声が聞こえた方へと視線を向ける。
「ぐ、ぬ……お、お主、は……」
少し言葉を紡ぐだけでも体が痛み、胃の中身を吐き出しそうだ。それでもエリザは疑問の声を発し、焚き火の傍に立つ男を見る。
身長はレウルスよりも若干高く、体の厚みもレウルスより勝るだろう。茶色がかった髪を乱雑に伸ばし、その顔付きには大きな特徴がない。町や街道ですれ違っても記憶に残らないような、地味な顔だった。
男は何が面白いのか目を細めており、ニコニコと笑って地面を這うエリザを眺めている。
「やぁ、初めましてだねぇ化け物。うん? いやいやさっきぶり? 俺のことは覚えてるかぁい?」
「…………」
吐き気を堪えながらエリザは男の顔を注視する。おぼろげな記憶でもその男の顔は覚えていた――が、“そんなこと”よりもエリザには優先すべきことがあった。
「レウルスッ! レウルスはどこじゃ!?」
痛みを堪え、噛み付くようにエリザが叫ぶ。目の前の男のことも、自分の体の痛みも、今はどうでも良い。それよりも短剣で刺され、石で頭を殴られたレウルスの安否の方が気にかかった。
「レウルスは――あぐっ!?」
レウルスの姿を探すエリザだったが、そんなエリザの行動に何を思ったのか男の姿が消える。そしてエリザが気付いた次の瞬間には男が目の前に踏み込んでおり、無造作に振るわれた足がエリザの体を蹴り飛ばしていた。
地面に転がっていたはずの体が宙に浮き、背後に生えていた木の幹に叩きつけられる。体の内部から骨が軋む音が聞こえ、エリザの体は重力に引かれて地面へと落ちた。
ラヴァル廃棄街で農作業者の護衛依頼を受けた後だったため、エリザは防具を身に着けていない。着ているのはレウルスが購入した動きやすさを重視した私服だけである。男の蹴りは的確に革鎧がない腹部を捉えており、地面に落下した衝撃と痛みもあってエリザは嘔吐した。
「うぉぇっ!? が、はっ……ぐ、あああああぁっ!」
胃の中身をぶちまけ、少しでも痛みを逃がそうと地面を爪で掻きむしる。体が勝手に痙攣を繰り返し、滲んでいた涙は量を増していく。
男は相変わらずニコニコと笑ったままでエリザの傍に歩み寄ると、肩を蹴り飛ばしてエリザを無理矢理仰向けにした。続いてエリザの胸に右足を振り下ろし、エリザを地面に縫い付ける。
「おいおいおーい、人の話は聞きましょうって親に習わなかったのかぁい? 人の質問にはちゃんと答えてほしいなぁ」
「ぎぃっ! やめっ、ぐっ、あああぁっ!」
男は笑いながら足に体重を乗せていく。それに合わせてミシミシと体の軋む音が聞こえ、エリザは涙ながらに止めるよう懇願した。
「んん? 聞こえないなぁっと!」
足を退けたと思えば、再度の蹴り。痛みに呻くエリザにはそれを回避することも防ぐこともできず、再び蹴り飛ばされて地面を転がっていく。
「~~~~ッ!」
最早痛みを訴える声すら出てこない。エリザは激痛と目の前の恐怖から逃れるように体を丸め、ガタガタと体を震わせる。
「おいおいどうしたよ化け物ぉ。そのぐらいどうってことはないだろぉ? ほら、丸まってないで立てよ、ほらぁ」
丸くなったエリザの姿に、むしろ蹴りやすくなったと言わんばかりに男が近づいていく。その声色も態度も心底楽しそうで、エリザは心から恐怖した。
「……なんだ、その程度の怪我も治せないのか」
男は震えるエリザをしばらく眺めていたが、不意に声から笑みを消す。そしてエリザの襟首を掴んで持ち上げると、顎を掴んで無理矢理エリザの顔を上げさせた。
「白けるなぁまったく……なんだいそのザマは」
「――ひぃっ!?」
声だけでなく、男は真顔になっていた。それまで細めていた目も薄っすらと開いており、正面から男の目を見たエリザは恐怖で息を呑む。
目の前の男は、自分のことをなんとも思っていない。冷徹に観察するようでいて、道端に落ちた小石ほどにも興味を抱いていない。そうエリザは察してしまった。
「あーあ、これじゃあおっそろしい“狂犬”の目を掻い潜った意味がないじゃあないか……化け物なら化け物らしくしてろよなぁおい」
男が何を言いたいのか、エリザには理解できない。相変わらず続いている激痛と吐き気が冷静な思考を許さない。
「レウ、ルスは……」
「ん?」
「ワシと……一緒にいた、男は……」
だが、それでも、エリザはレウルスの安否を確かめたかった。ラヴァル廃棄街の近くまで辿り着いて出会った男のことを、短い間でも共にいた男のことを確認したかったのだ。
「あーあー、お前と一緒にいた男ねぇ……ヒヒッ」
そんなエリザの問いかけに、男の目が再び細まる。その顔に浮かんだのは、残虐な笑みだった。
その表情に、嫌な予感が高まる。まさかと、そんな馬鹿なと、全身を駆け巡る激痛を忘れてしまうほど強烈に、エリザの胸を締め付ける。
「アイツは死んだよ」
「――――」
男の言葉が、エリザには理解できなかった。何を言っているのか、理解できなかった――したくなかった。
痛みや吐き気とは別に、急速に血の気が引いていく。鳩尾を殴られて気絶した時のように視界が白く染まっていく。それでもエリザは辛うじて踏み止まると、必死さを滲ませて叫ぶ。
「う、そ……じゃ! そんな馬鹿なこと、あるものかっ! あやつは、レウルスは強いんじゃぞ!? 死ぬものかっ!」
「強いねぇ……まー反応は悪くなかったなぁ。あの状態で短剣を抜ける辺り肝も据わってたねぇ……死んだけどな」
否定してほしいと叫ぶエリザに対し、男は笑みを浮かべたまま手を振る。一体何事かと怯えるエリザだったが、気付いた時には男の手に短剣が握られていた。
「俺が腹を刺したのは覚えてるかぁ? あの短剣にはなぁ、たぁーっぷりとラーシェの毒を塗っておいたんだ。海にいる魔物だが、アレの毒はやべぇぞぉ。生半可な魔法使いの『解毒』じゃ効かねえ」
ラーシェという名前の魔物をエリザは知らない。それでもこの状況で男が嘘を言う必要は微塵もなく、話を理解するにつれて顔色を真っ青に変えていく。
「少し掠めただけでも致命傷なんだよなぁ……あの毒で死ぬ奴は何人も見てきたが、どいつもこいつも口から泡吹いて体を痙攣させるんだ。これが傑作でなぁ、上から下から出すもん全部出して、のた打ち回りながら死ぬんだよぉ……ヒヒヒッ、ありゃ見物だぜぇ?」
何が楽しいのか、男は心底愉快そうに笑いながらエリザへと近づいてくる。地面に転がっていたエリザは逃げようがなく、男は腰を落として至近距離からエリザに笑いかけた。
「毒が回ると体がラーシェみたいにブクブク膨らんでなぁ。涎糞尿垂れ流して臭いのなんのって。あの毒の良いところはな? 即死せずに死ぬまでじぃーっくりと苦痛を与えるところなんだよ。あの毒を知ってる奴がいたらとどめを刺してやってるだろうねぇ」
「うそ……じゃ……そんな……」
エリザは呆然と、それでも現実を認めないように呟く。それを聞いた男は周囲の暗闇に視線を向ける。
「なんかよぉ、その辺にいる魔物でも連れてきてくれぇ。ちぃと離れれば何かいるはずだからよ」
「――はい、司祭様」
今までエリザは気付かなかったが、他にも人がいたらしい。その事実にエリザの恐怖感が増すが、男はエリザから視線を外して暗闇と言葉を交わす。
「で、さっきの町の様子はどうだぁ?」
「殺気立っていました。武装した者が司祭様を追いかけようとしていましたが……」
「ヒヒッ、無理無理。あんなゴロツキ共じゃあどうにもならねぇよぉ。ここしばらく観察してたが、“使える”奴はほんの少しだったしなぁ。ガキ一人担いでいても逃げ切れるってもんだぁ……狂犬は?」
僅かに声の調子が落ちる。恐怖に震えるエリザにはその変化が読み取れなかったが、男は何かを警戒しているらしい。
「陽動の助祭様の方へ向かったようです」
「そうかいそうかぁい……ヒヒヒッ、上出来だねぇ」
暗闇からの報告を聞き、男は上機嫌に笑う。そうしている内に先ほど指示を出した者が戻ったのか、魔物らしき生き物の鳴き声が近づいてくる。
「司祭様」
「ああ、そのまま持ってなぁ……っと」
『ギャゥッ!?』
焚き火の光が届く範囲までは近づいてこないのか、声の主は姿を見せなかった。男はそんな相手に向かって手に持っていた短剣を投擲すると、魔物の悲鳴が上がる。
「どうぞ」
「はいはぁい、ご苦労さん」
すっと差し出されたのは、エリザも見覚えがある角兎だった。ただし胴体に短剣が突き刺さっており、額の角を握った男の手から逃れようと暴れている。
『ギュウウゥゥッ! ッ!? ギッ!?』
だが、すぐに変化が訪れた。男の手から逃れようとしていた角兎が痙攣を始め、短剣が刺さった痛みとは別の理由で苦しみ出す。角兎の口からは白く濁った泡が溢れ出し、徐々に体が膨らんでいく。
「“コレ”でもほんの少し毒を塗っただけなんけどなぁ……そのレウルス? だっけか。ソイツに刺した短剣にはたっぷりと毒を塗ってたからなぁ……今頃は腐って死んでるだろうよぉ」
そう言って男が角兎を放り投げ、ドシャリと湿った音と共にエリザの傍に落下してくる。男が説明したように角兎は全身を痙攣させながら涎糞尿を垂れ流し、体をブクブクと膨らませ――それでもまだ死んでいない。
『ギッ……ィ……ギィ……』
角兎は前足で地面を引っ掻きながら、掠れた鳴き声を漏らす。痛みと苦しさに耐えているのか、それともとどめを刺すようエリザに求めているのか。
「ま、そんなわけでぇ、そのレウルスってのはもう死んでるよぉ。あの町には精霊教師もいるが、ありゃあ駆け出しも良いところで『解毒』も使えねぇ。治す手段はゼロってわけさぁ」
ニコニコと笑ったままで男はエリザの傍に腰を下ろす。そして角兎の腹に刺さった短剣を引き抜くと、エリザの手を取って柄を握らせた。
「……なに、を……」
「ほら、苦しんでるんだからちゃんと殺してやれよぉ」
そう言うなり男はエリザの手を自身の手で覆い、エリザが手放さないよう握りしめる。続いてエリザの手を持ち上げると、のた打ち回っている角兎の首へと振り下ろさせた。
短剣の刃先が毛皮を突き破り、肉を穿ち、骨まで断ち切る。その感触は生々しく、角兎を殺す感触を無理矢理味わう羽目になったエリザは怯えと恐怖で顔を歪ませた。
「おいおい化け物、なんでこの程度で怯えてるんだぁ?」
男はそんなエリザの表情を見て不思議そうに首を傾げる。しかしすぐに何かしら納得できたのか、不快そうに顔を歪めた。
「……本気で使えねえなお前」
ぼそりと、心底からアテが外れたと言わんばかりの声色で男が呟く。その言葉は得体の知れない恐怖を伴っており、エリザは大きく体を震わせた。
男はエリザの様子に鼻を鳴らして立ち上がると、息絶えた角兎を蹴り飛ばしてから大仰に肩を竦める。
「あーあー面倒くせぇ。こんなもん助祭か他の司祭に任せりゃいいんだよ。大体他の奴らが先走った尻拭いをどうして俺がせにゃならんのだ」
「司祭様」
「あーうんわかってるわかってる、わかってますぅ。仕事はちゃんとやりますぅ」
暗闇から聞こえた声に、男は心底面倒そうに答えた。それでも気を入れ替えたようにエリザの傍に腰を下ろすと、蹲ったままのエリザに笑顔を向ける。
「それで? お前はあの町で何人の血を吸ったんだ? 十人ぐらいは吸ったか?」
そして、エリザにとっては理解しがたい質問をしてきた。何の脈絡もない、それまでの会話を忘れたかのような問いかけ。
「そんな……こと、してないっ」
たしかに自分は吸血種だが、人の血を吸おうと思ったことはない。ラヴァル廃棄街でも人の血を吸ったことなどなかった。そんなエリザの返答に何を思ったのか、男は深々とため息を吐く。
「はあぁぁぁ……おーい、俺もう帰っていいかぁ? 身内を殺されて復讐に走らねえような奴を“育てて”も意味ねぇって」
――その言葉が、妙に引っかかった。
「育て……る?」
なんだ、それは。エリザは男の言葉が理解できない。それでも痛みと吐き気が大部分を占める思考の中で必死に考えを巡らせ、エリザは呟く。
「まさか……ワシを……」
「うん? あーあー、そうかそうか。“環境”が悪かったんだなぁ」
男はエリザの呟きを無視し、何事かを思いついたように両手を打ち合わせた。最早エリザの言葉など聞いておらず、合わせた手を解いて額に右手を当てる。
「どうするかねぇ……まさかこんな化け物を拾う物好きがいると思ってなかったしぃ? 今度は拾おうと思わないような……うーん……」
男は地面に転がるエリザに視線を向けた。その視線からは無関心さが垣間見えたが、同時に狂気の色が宿っている。
「なぁ化け物。そのレウルス君ってのにはどうやって近づいたんだぁ? 見た目はガキだし迷子ですぅとでも言って近づいたのか、それともその貧相な体を使ってもらったのかぁ? ヒヒッ、もし体を使ったっていうのならその男もずいぶん物好きだよなぁ」
エリザを頭から爪先まで眺め、嬲るように男が言う。
「ッ! レウルスはそんな――あがっ!?」
「はいうるさぁい」
それまでの体の痛みを忘れたように顔を上げるエリザだったが、虫でも払うように放たれた拳がエリザの横顔を殴り飛ばす。その衝撃と痛みで再びエリザは地面を転がるが、男は気にした様子もなく頭を掻いた。
「つまぁり、ただの善意ぃ? おいおい、おいおいおい、頭腐ってんじゃねぇかソイツ……ああ、もう毒で頭腐って死んでるのかぁ」
男は痛みに呻くエリザから視線を外し、右に左にと首を捻る。
「でもなぁ、それなら失敗したかぁ……せめて『契約』結ばせてから殺すべきだったなぁ。いや、ソイツも連れてくるべきだったかぁ……目の前でバラしてやればこの化け物の目も覚めたかもしれなかったなぁ……嗚呼、もったいないもったいない」
「っ……」
エリザは男の言葉が理解できない――理解したくもない。
痛みで涙が滲む視界に映ったのは、相変わらずニヤニヤと笑っている男の姿。エリザはそんな相手に何の抵抗もできない我が身が情けなく、恨めしかった。
「もう一度逃がせば似たような奴が見つかるかねぇ……でも二度目……いや、三度目はさすがに化け物でも学習するだろうしなぁ――よし、決めた」
男の雰囲気が変わる。無造作にエリザの元へ近づくと、肩を蹴り上げてエリザを仰向けに転がして首に足を振り下ろした。
「がっ!?」
「そんな顔してるとまたアホがわくからな。化け物らしくしてやるから感謝しろよぉ? 耳……いや、目かねぇ。両方でいいか。ついでに頬も削って、と」
首が折れない程度に体重をかけてくる男の言葉に、エリザは一体何をするつもりなのかと目を見開く。男はそんなエリザの心境を読み取ったのか、ニコリと微笑んだ。
「化け物らしい顔にするだけさぁ。目と耳を片方ずつ落として、あとはでっかい傷でもつければレウルス君みたいに化け物のガキに欲情する変態も近づかないだろぉ? ヒヒッ、感謝していいんだぜぇ?」
そう言って男は短剣を握る。その言葉には一切の嘘がなく、眼前の男ならば躊躇せずにそれを実行するだろう。
焚き火の光で鈍く反射する短剣の刃がとても恐ろしい――が、この時のエリザが抱いたのは恐怖ではなく怒りだった。
「……り……せ……」
「あぁん?」
「取り……消せっ! レウルスは、そんな男ではないっ! 見知らぬワシを庇ってくれて、優しくしてくれたんじゃっ!」
首が締まっているにも関わらず、エリザは叫ぶ。男の言葉を否定するように、レウルスを馬鹿にするなと叫ぶ。
「…………」
そんなエリザの叫びを聞き、男は何故かきょとんとしていた。エリザの言葉を理解できなかったように、意味がわからないといわんばかりに目を丸くしている。
「ヒ――ヒヒヒッ、ハハハハハハハッ!」
だが、数秒もすれば男の口から大きな笑い声が漏れた。その反応はエリザとしても予想外で、苦しさを忘れたように睨み付ける。
「何が……おかしいっ!」
「ハハハァ……あーあ、何がおかしいってお前」
それまでの哄笑が嘘だったように男の表情が引き締まる。
「庇ってくれた? 優しくしてくれた? そうかそうか、このご時世に珍しいぐらい頭お花畑な奴だったんだなっていうのと……」
男はエリザに顔を近づける。そして口の端を吊り上げると、裂けたような笑みを浮かべて言った。
「――そんな奴を“騙して”利用していたお前がよく言えたなって話だよ」