第516話:伏魔殿 その7
サルダーリ侯爵とアリスの行動により、場の空気が変わったのがレウルスとしても感じ取れる。それはルイスも同様だったのか、レウルスに向かってからかうような苦笑を向けた。
「振られてしまったね」
「ですねぇ……ま、外見が好みじゃないと言われたら仕方ないですよ」
ルイスの言葉にレウルスも苦笑を返す。サルダーリ侯爵に似た外見が良いと言われてしまえば、レウルスとしてはお手上げだった。もちろんその発言が本気かどうかはわからないが、アリスが持つ明るい雰囲気を前にすれば笑って済ませられる程度の話でしかない。
(というか、子どもの言葉をいちいち真に受けていても仕方がないしなぁ)
子ども扱いすればアリスも怒るだろうが、レウルスとしてはそう思う他なかった。幼いと形容するほど“子ども”ではないが、あの年頃の少年少女はあんなものだろう、と穏やかな気持ちにさえなる。
「しかしあれは……いや、さすがにないか……」
「どうしました?」
ルイスは何か気になる点があったのか、歩き去るアリスの背中を細めた目で見ていたが、レウルスが首を傾げるとすぐさま首を横に振った。
「なんでもないさ。俺の気のせい……ああ、きっと気のせいだ」
「気になる口振りですね……」
「なに、俺にも君にも何の影響はないだろうさ……ところで話は変わるんだが、王都でも評判の薬屋があるんだ。ルヴィリアの体を治療することはできなかったけど、質の良い薬や魔法薬を扱っている店でね。興味はないかい?」
「ものすごく話が変わりましたね……でも興味はありますよ。コルラードさんにお土産を買っていくのに丁度良さそうですし」
そういう約束をしているんですよ、とレウルスは笑うが、ルイスは思わぬ反応を受けたと言わんばかりに頬を引きつらせた。
「そ、そうかい……君さえ良ければ今度連れて行くよ」
「ええ、楽しみにしてます……質の良い胃薬が売ってると良いんですがね」
コルラードとの会話の中で冗談半分に言ったことだが、レウルスとしては本当に質の良い胃薬が売ってあるのならば大枚を叩いてでも買って帰るつもりである。
大金貨で買えれば良いが、などとレウルスが思案していると、レウルスとルイスの会話を聞いていたルヴィリアが笑顔を浮かべながら口を開いた。
「わたしも何度か行ったことがありますし、レウルス様さえ良ければご案内しますよ? お兄様は色々とお忙しいですし……」
「……あ、ああ、そうだね。うん、それもそうだ……レウルス君、妹もこう言っているし、君さえ良ければどうかな?」
ルヴィリアの発言に僅かに困惑したルイスだったが、すぐさま表情を取り繕ってレウルスに話を振る。それを聞いたレウルスは困ったように頭を掻いた。
「ありがたいお話ですけど、さすがにそれは――」
「先日の件の謝罪も兼ねていますからお気になさらず。こちらで馬車も準備しますし、御者はセバスさんに頼みますから」
レウルスとの距離を一歩詰めながらルヴィリアが言い募る。
(サルダーリ侯爵達のおかげで落ち着いたと思ったら、今度はぐいぐいとくるな……でも、セバスさんが一緒なら……こっちもエリザ達を同行させたら“周囲の目”も大丈夫か?)
いくら知り合いとはいえ、貴族の令嬢と共に外出すれば嫌でも噂が立つだろう。そう思ったレウルスは頭の中で言葉を選びながら口を開く。
「せっかくなので、“サラやネディ達”を連れて行っても良いですか? 久しぶりにルヴィリアさんにも会いたいでしょうし、王都を見て回る良い機会ですから」
かわし方としては酷いと思いつつも、精霊であるサラやネディが一緒ならばルヴィリアと共にいても“何もない”と示すのも簡単なはずだ。そう思ってレウルスが話を振ると、ルヴィリアではなくルイスが反応する。
「精霊であるサラ様やネディ様がご一緒とは、実に光栄な話だよ。ルヴィリアもそう思わないかい?」
「ええ……そうですね。わたしも久しぶりにお会いしたく思います」
まずはこれぐらいで良い、という判断なのか、ルヴィリアに話を振る体を取って話をまとめにかかるルイス。しかしルヴィリアの口振りに何かを感じ取ったのか、ルイスはレウルスに向かって軽く笑いかける。
「ただ、俺としては妹と二人きりで出かけてもらっても構わないんだけどね」
「お、お兄様ったら……恥ずかしいです」
ルイスの言葉を聞き、ルヴィリアは落ち着いていたはずの顔を再び赤らめて俯いてしまう。それでも期待するようにチラチラと視線が飛び、レウルスは苦笑しながら頬を掻いた。
(今度は直球できたな……もう一回サルダーリ侯爵が来てくれないかな……)
グリマール侯爵に連行されたサルダーリ侯爵は部屋の隅で身を縮こまらせており、その背後に立つ北部貴族の男性がグリマール侯爵に向かって『申し訳ない』とでも言わんばかりに頭を下げているのが見えた。
レウルスがサルダーリ侯爵を横目で見ていると、ルイスが声を潜めて小さく口を動かす。
「君が陛下から依頼された件についてもこちらで情報を集めておくから、ルヴィリアと会う時に受け取ってほしい」
「……わかりました」
情報の受け渡しに関する“隠れ蓑”にしろということなのだろう。もっとも、それならばルイスと直接会って情報を交換するだけでも良さそうなものだったが。
そんなレウルスの考えを見透かしたのか、ルイスは潜めていた声を普通通りに戻す。
「俺としては“家に残った”可愛い妹のためだからね。良縁のためならいくらでも口を挟むさ」
「相変わらず兄妹仲が良いですね……」
ルイスの意図するところを敢えて踏み込まず、きちんと答えているようで答えていない言葉を投げ返すレウルス。それを聞いたルイスは口の端を吊り上げて笑い――ふと、レウルスの聴覚が僅かな声を拾った。
「……可愛い妹……て……」
「それじゃあ……残っていない……」
「……爵家……の……が離……」
その声が聞こえたのは、先ほどからレウルスに話しかけようとしていた女性達が固まっている方向からである。それとなく視線を向けたレウルスだが、それぞれが口元を手で隠すようにして喋っているため声が途切れ途切れかつ誰が喋っているかもわからない。
中にはルヴィリアに向けている視線に侮蔑の色が混ざっている女性もおり、レウルスは小さく眉を寄せる。
「レウルス様? どうかされましたか?」
喋っているのはレウルス達だけでなく、祝宴に参加した者達のほとんどである。そのため周囲が騒がしく、ルヴィリアは声を聞き取ることができなかったのだろう。
頬を桜色に染めながら首を傾げるルヴィリアに対し、レウルスはゆっくりと首を横に振った。
「……いや、なんでもないですよ。その薬屋に行くのはいつ頃が良いか考えていただけでして……」
「レウルス様さえ良ければ三日後はどうでしょう?」
「それでは三日後ということで……今日のことも色々と考えたいですしね」
三日でルイスがどれほど情報を集めるかわからないが、ルヴィリアは純粋に楽しみにしているようだ。嬉しそうに笑うルヴィリアの姿を視界に収めながら、レウルスは小さくため息を吐く。
そしてその後、ルヴィリアとルイスが離れるなり再びドレスを着込んだ女性達に取り囲まれることとなり、レウルスは精神に激しい疲労を負うのだった。
グリマール侯爵の邸宅で行われた祝宴は夕方から始まり、夜が更けるまで続いた。
それでも日付が変わる前には借家へと戻ることができたレウルスは、肩を落としながら扉に手をかける。一時の仮住まいとはいえ、自宅を前にして深々とため息を吐く。
「ずいぶんと疲れたようね」
「さすがにな……いやもう、あんなのは二度とごめんだよ」
ナタリアが苦笑しながらかけてくる声に答え、そっと扉を開ける。時間が時間だけにエリザ達も眠っていると思ったのだ。
「おっかえりー!」
だが、扉を開けるなりサラが抱き着くようにして突っ込んでくる。レウルスはそれを真正面から受け止めると、サラの頭に手を置いた。
「なんだ、まだ起きてたのか?」
「みんな起きてるのじゃ……って、妙に疲れた顔をしておるのう」
サラの代わりに答えたのは居間から顔を覗かせたエリザである。ただし、レウルスの顔を見るなり珍しいものを見たと言わんばかりに目を丸くしていた。
「疲れた……ああ、疲れたよ……」
知り合いとの会話はともかく、取り囲んでくる女性達との会話が難題だった。
ルヴィリアの誘いを受けたのだから自分も、と言い出すぐらいなら可愛いもので、中にはレウルスやレウルスに関わりのある人物の情報を得ようと話を振ってくる者がいたのである。それも一人や二人ではなく、レウルスが“失言する”のを期待してあれやこれやと話しかけてくるのだ。
それに余計なことを言わないよう注意しつつ、『結婚に関してどう考えていますか?』と直球を投げ込んでくる令嬢から逃げつつ、純粋にレウルスから武勇伝を聞きたい――という体で情報を引き抜こうとする令嬢を誤魔化し、ひたすら疲労する宴だった。
「おかえりなさい、ナタリアさん、レウルスさん」
ため息を吐きすぎて喉が枯れ果てそうな気分になるレウルスだったが、エリザ達だけでなくコロナも出迎えてくれる。それも夜更けにも関わらず侍女服を着たままで、エプロンまで装備していた。
「すぐに休まれますか? それともお腹に何か入れますか? サラちゃんとネディちゃんがお風呂の準備もしてくれていますけど、どうされますか?」
そう言って穏やかに微笑むコロナ。時間が時間なだけに眠気もあるだろうが、それを微塵も感じさせない笑顔にレウルスも笑みを浮かべる。
「それじゃあ俺は飯で……姐さんは?」
「わたしはお風呂に入って寝るわ……さすがにわたしも疲れたもの」
そう話すナタリアの顔には、レウルスほどではないが疲れの色が浮かんで見えた。レウルスの“上役”として朝から晩まで付き添っていたため、さすがのナタリアでも疲労を感じているのだろう。
そうしてそれぞれ思い思いの行動を取り始めるレウルス達だったが、コロナはレウルスを居間に案内しながら小さく首を傾げた。
「そういえば……準男爵様になられたわけですけど、もうレウルスさんって呼ばない方が良いんでしょうか? レウルス様?」
「……コロナちゃんに様付けされるのは妙に申し訳ねえな。“これまで通り”でお願いするよ……というか、姐さんのことはさん付けじゃないか」
「ナタリアさんは……というか、ラヴァル廃棄街で年上の人はみんなお兄さん、お姉さんですから」
もちろんコロナとて公的な場では様付けで呼ぶだろう。レウルスに対しても、確認というよりは冗談として尋ねたように見える。
「それなら仕方ないな……って、コロナちゃんと話してたら腹が空いてきたよ。結局、食べる暇も全然なかったしな……」
条件反射なのか、コロナの顔を見ていると疲労で忘れていた空腹感が湧き上がってきた。それを伝えると、コロナはにこりと微笑む。
「すぐに温めますから、少しだけ待っていてくださいね」
そう言って厨房へ向かうコロナを見送ったレウルスは、大きく息を吐く。
(……やっぱり落ち着くな)
先ほどまでグリマール侯爵の邸宅で祝宴があっていたことが、夢か幻のように思える。そう思いたいほどに面倒で、疲れる場所だった。
「ねーねーレウルス。お城ってどんな感じだったの?」
「ワシも気になるのう」
「あ、ボクも気になる。遠目にしか見てないから詳しくはわからないけど、どんな建て方だったの?」
「……聞いてみたい」
だが、夜更けにも関わらず今日あったことを話してほしいと寄ってくるエリザ達に、レウルスは今まで感じていた疲労が癒されるような気持ちになる。
(……うん、やっぱり“こっち”が落ち着くな)
準男爵になろうとも、その心根まで変わってしまうわけではない。そう自覚したレウルスは、疲れも忘れて今日一日あったことを話し始めるのだった。




