第515話:伏魔殿 その6
にこやかに笑うルイスと、顔を薄赤く染めて俯くルヴィリア。そんな二人の姿を捉えたレウルスは、頬を引きつらせながらも辛うじて笑顔を浮かべる。
いつの間にルヴィリアを呼び寄せたのか、だとか、タイミングを見計らっていたな、だとか、言いたいことはいくらでもある。しかしさすがにこの場でそれを言い出すようなことはせず、レウルスは内心だけで恨み節を呟く。
(ルイスさん、裏切ったな……いや、ある意味好機だと思ったのか?)
さすがは貴族だ、と恨み半分感心半分に思いながら、レウルスは軽く手を振る。
「いやぁ、謝罪ならルイスさんからしてもらいましたし、何度も顔を合わせているからわざわざ改めて紹介をしてもらう必要もですね……」
「だが、折角顔を合わせる機会があるというのに謝罪しないというのも不義理だろう? 可愛い妹にそんな不義理な真似をさせたくないんだ。それに、“以前は病弱だった”妹はこういう場に出てくるようになって日が浅い。君さえ良ければ相手をしてほしいんだ」
「ははは……なるほど……」
理由もきちんと作っているあたり、ルイスらしいとレウルスは思った。だが、レウルスとしては物申したい部分がある。
(俺の方がこういう場所に出てくる機会が少ないってわかってるだろうに……)
いくらルヴィリアが社交の場から離れていたとはいえ、レウルスと比べれば経験豊富で百戦錬磨と言えるほどの差があるはずだ。貴族の令嬢として教育を受けたルヴィリアと、今日にいたるまで“その手”の教育を受けたことがないレウルスでは、角兎と火龍ぐらいの差があってもおかしくない。
乾いた笑い声を漏らしつつ、このままナタリアのところに逃げようかと考え始めるレウルスだったが、それを見越したようにルイスがレウルスの肩に手を置く。
「俺と君の仲じゃないか……俺を謝罪もできない恥ずべき人間にしないでくれたまえよ」
「ははは……親しさを見せつけるために肩でも組んでみますか? ちょっと横腹に肘がめり込むかもしれませんけど」
「それはやめてくれ。君の力だと俺の肋骨が根こそぎ折れる」
逃がさないと言わんばかりのルイスに、レウルスは笑顔で反撃した。するとルイスは真顔で手を離し、声を潜めて呟く。
「宮廷貴族の御令嬢方への牽制も兼ねているんだ……もう少し付き合ってくれないかい?」
「それはありがたいんですがね……ルイスさんだけで話しかけてくれば良かったでしょうに」
「そうしたら俺も一緒に取り囲まれるだけだからね。おっと、“これでも”動くか」
ルイスがそう言うなり、レウルスは背後の気配が動くのを感じた。それは機を窺っていた女性達であり、レウルスに話しかけるためなのか笑顔で近付いてくる。
「あの――」
「すまない、お嬢さん方。今、レウルス君と“大事な話”をしていてね。申し訳ないが後にしてもらえないかな?」
「は、はい……」
だが、笑顔で言外に邪魔をするなと言ってのけるルイスが相手では、さすがに食い下がることはできないのだろう。それでもレウルスに近付こうとした者もいたが、ルイスが笑顔のままで鋭い眼差しを向け、その動きを即座に止める。
「というわけで、だ……改めて紹介するよ、レウルス君。妹のルヴィリアだ。君とは“私的に何度も顔を合わせている”けど、こういう場で紹介するのは初めてだったね」
「……ルヴィリア、です。改めて、よろしくお願いいたします」
ルヴィリアは相変わらず顔を赤らめたままで、ドレスの裾を摘まんで一礼する。そして頭を上げたかと思うと、レウルスと視線が合うなり恥ずかしげに目を伏せた。
その際、薄っすらと赤らんでいた頬を目指すように首元から赤みが増し、数秒もすると傍目にもわかるほど顔が真っ赤になる。
普段ならば褒め言葉の一つでもかけるところだが、今は“場所と状況”が悪い。そう判断したレウルスは、胸に右手を当てながら一礼した。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。お体の調子は如何ですか?」
「は、い……先日は御迷惑をおかけして、申し訳なく思っております。今は……えっと、大丈夫では……いえ、だ、大丈夫、ですっ」
(今、大丈夫じゃないって言いかけたか? 本当に大丈夫かよ……)
明らかに“何かあります”とでも言わんばかりのルヴィリアの態度に、レウルスは先ほど距離を取った女性達が何やら言葉を交わし合っていることに気付く。口元を隠した上で小声のため聞き取ることはできなかったが、その視線はルヴィリアに向けられていた。
そして当のルヴィリアはといえば、そんな周囲の状況にも気付いていない様子で俯いている。
汚れ一つない薄水色のドレスを纏っているが、顔や首だけでなく僅かに開いた胸元や鎖骨も朱色に染まっており、瑞々しくも華やかな色香が漂っているように感じられた。
「あー……うん、体は大丈夫なんだよ……体はね。もう健康そのものさ」
(そんな会話のボールを投げられても投げ返せねえよルイスさん……)
苦笑しながらも体以外はそうではない、と変化球を投げ込んでくるルイスに対し、レウルスは曖昧に笑うことで受け流す。ルヴィリアはそんなレウルスの反応に気付いていないのか、辛うじてといった様子で視線をレウルスと合わせ、嬉しそうに微笑んだ。
「今回準男爵に叙されたこと、本当に……本当におめでとうございます」
「ありがとうございます」
話している内に少しは平静になったのか、若干震えていたルヴィリアの声色も落ち着きを取り戻す。ルヴィリアは深呼吸をすると、胸元に手を当てながら涙で僅かに潤んだ瞳をレウルスに向けた。
「これでまた……レウルス様とお呼びすることができますね?」
「…………」
狙っての発言なのか、それとも何も考えることなく心からの言葉を紡いだだけなのか。相変わらず嬉しそうに、それでいて儚げに微笑むルヴィリアにレウルスは絶句する。
(以前も様付けで呼んでたっていうようなもんじゃないか……ルイスさんの仕込み……って、あれ? ルイスさんも焦ったような顔をしてる?)
思わず抗議するようにルイスを見たレウルスだったが、ルイスもルヴィリアの発言が予想外だったのか表面上は笑顔ながらも額に冷や汗が浮かんでいた。
「今は準男爵に叙されたとはいえ、以前冒険者だった時に様付け……?」
「それって、もしかして……」
ひそひそと、宮廷貴族の令嬢達が言葉を交わしているのが聞こえてくる。
レウルスが冒険者だということは知られているらしいが、ルヴィリアの発言にはさすがに驚いたのか声を潜めきれていない。
(こういう時はどういう風に誤魔化せばいいんだ……)
まずいと思ったレウルスだったが、ここで焦って誤魔化しに走っても騙せる者は少ないだろう。
それならばどうするか――と思った矢先、新たに近付いてくる足音があった。
「やあやあ! お邪魔するぞレウルス殿! おや、ヴェルグ伯爵殿もご一緒だったか!」
そう言って声をかけてきたのは、サルダーリ侯爵である。周囲の空気に気付いていないのか、あるいは無視しているのか、普段通り明るく朗らかに笑っていた。
「サルダーリ侯爵様……」
「んん? どうかしたのかね? ああ、この子か!」
「え?」
助け舟を出しに来てくれたのか、と思ったレウルスだったが、サルダーリ侯爵は合点がいったように体をずらす。するとそこには、サルダーリ侯爵の体に隠れるようにして顔を覗かせる少女の姿があった。
外見から判断する限り、年齢は十歳から十二歳といったところだろう。身長はそれほど高くなく小柄だが、低すぎるということはない。桃色のドレスで身を包み、腰まで伸びた真っすぐの金髪はよく手入れがされているのかサラサラと揺れている。
そして、そんな外見以上に特徴的なのがその瞳だった。色自体は碧眼で然して珍しくもないが、宝石のようにくりっとした瞳がやけに力強く見える。
「初めて会った時に言ったであろう? 余には娘がいると。他の娘は結婚していたり領地にいたりするが、この子には王都を見せたくて連れてきたのだ! ほれ、挨拶!」
「はい! お父様! サルダーリ侯爵家の四女、アリス=フォル=ド=サルダーリです! よろしくお願いします!」
少女――アリスはサルダーリ侯爵の言葉に従って挨拶をしたが、それは父親であるサルダーリ侯爵に負けず劣らず元気が良いものだった。アリスは挨拶と同時に一礼したが、それはルヴィリアが見せたものとは大いに異なり、音が立つような速度での一礼である。
(父親にそっくりで元気が良いな……前世で見た部活の後輩が先輩に挨拶する時みたいな……じゃねえ、なんでこんな状況で?)
レウルスとしては好感が持てる挨拶の仕方だったが、何故アリスを連れてきたのかとレウルスはサルダーリ侯爵に視線を向けた。すると、サルダーリ侯爵はポン、と自身の腹を叩く。
「うむ! よくできた! だが、もう少し淑女らしく挨拶しても良いのだぞ?」
「覚えてないからできません!」
「では仕方ないな! はっはっは!」
あっけらかんと言い放つアリスに、サルダーリ侯爵は目尻を下げながら口を開けて笑い声をあげる。レウルスはそんなサルダーリ侯爵とアリスの様子に呆気に取られていたが、サルダーリ侯爵の背後――壁際で以前見た北部貴族が何かを促すようにジェスチャーをしているのが見えた。
(手を振って……え、なに? 話を合わせればいいのか?)
“それまでの空気”を粉砕したサルダーリ侯爵とアリスを横目で見ながら、レウルスは北部貴族の男性とアイコンタクトを交わす。合っているかはわからないが、少なくとも状況が変わったことだけは確かだった。
「っと……丁寧な挨拶をありがとう。俺の名前はレウルスだ。家名はまだ決めてないけどよろしくな? 小さな御姫様」
名乗られたのならば返答しなければなるまい、と思いながらレウルスは片膝を折って目線の高さを合わせ、アリスに声をかける。すると、アリスは不満そうに頬を膨らませた。
「むむ! わたし小さくありません! “レウルス様”が大きいだけです!」
「ははは、そうか……いや、そうだな。君ぐらいの歳ならすぐに大きくなるし、失礼だったな」
まさにこれから成長期を迎えるであろうアリスに笑って返すと、アリスは自分の体を見下ろしながら首を傾げる。
「わたし、お父様みたいに大きくなりたいんですけど、大きくなれますか?」
「ああ、きっとなれ……ん? お父様みたいに? お母様ではなく?」
「はい!」
満面の笑顔で頷くアリスに、レウルスはどういうことかと首を傾げた。そしてその視線をサルダーリ侯爵に向けると、サルダーリ侯爵は笑顔のまま頷く。
「それで、どうかね? 以前は迷惑だと思って聞かなかったが、うちの娘を嫁にもらう気はないかね?」
「話の流れをぶった切りましたね!?」
今この状況でそんな話を振ってどうするつもりだ、とレウルスは叫びたくなった。しかし、父親の言葉を聞いたアリスは不満そうにサルダーリ侯爵の腹を叩く。
「わたし、お父様みたいな方と結婚したいって何度も言ってるじゃないですか!」
「ははは! そこでお父様じゃなくてお父様みたいな方というところが嬉しいやら悲しいやら、複雑だな!」
ポン、ポン、とサルダーリ侯爵の腹太鼓を連打するアリスだが、仲の良い親子がじゃれ合っているだけの微笑ましい光景に見える。それまでレウルスを再度囲もうとしていた女性達でさえ、サルダーリ侯爵とアリスの会話に目を白黒させているほどだ。
「サルダーリ侯爵殿みたいにってのは……体型が?」
「はい! 落ち着くんです!」
何が? と尋ねる勇気がないレウルスはそっと視線を逸らす。
「侯爵殿、俺じゃあ娘さんのご期待には沿えないようです」
「むう……そうか、残念であるな!」
「ええ……コルラードさんなら体型が近いんですけどね……町の開拓があるから仕方ないけど、コルラードさんも一緒に来てくれれば……」
こういう状況でも頼りになったのに、と後半は小声で呟くレウルス。
そうしていると、サルダーリ侯爵の騒ぎぶりが我慢の限度を超えたのか、グリマール侯爵が眉間に皴を寄せながら近付いてくる。
「サルダーリ侯爵、こっちに来てくれ……来い」
敬語も敬称も抜きでサルダーリ侯爵を連れて行くグリマール侯爵。それを見たアリスはサルダーリ侯爵の後を追いかける――その前に振り返ってレウルスに一礼した。
「騒がしくしてごめんなさい! もう少し“落ち着いて話せば良かった”ですね!」
「……いや、子どもは元気が一番だよ」
「ありがとうございます! 興味深い話も込みで感謝いたします!」
アリスはレウルスに向かってウインクをすると、サルダーリ侯爵の後を追って早足で立ち去る。
それを見送ったレウルスは小さく首を傾げた。
(興味深い話って……なんだ?)
そんな疑問を抱くものの、サルダーリ侯爵とアリスのおかげでそれまでの場の空気が一変したのは事実だ。
視線を向けてみればルヴィリアも顔色が平常に戻り、毒気を抜かれたように目を丸くしている。
そのため再度サルダーリ侯爵とアリスに内心で感謝の言葉を投げかけてから、レウルスはルヴィリアとルイスに向き直るのだった。




