第507話:貴族か親か その4
「とりあえず……グリマール侯爵殿、俺も失礼なことを言っても?」
ニコラを羽交い締めにしつつ、レウルスはそんな言葉を投げかける。するとグリマール侯爵は僅かに眉を動かしたあと、小さく頷いた。
「……ああ。構わんとも」
「それではお言葉に甘えて……そもそも、なんで先輩に会ったんです? 奥さんやその息がかかった人達を連れずに王都に来たってことは、最初から“そのつもり”だったんですよね? 会わない方が先輩達のためになると思うんですが」
状況的にナタリアも一枚噛んでいたのだろう。ラヴァル廃棄街を発つ前のニコラの様子から、ニコラも事前に知っていたに違いない。
(問題は、なんで俺までここにいるのかってことだけどさ……いやもう、本当になんでこんなことに……)
このような家庭内の騒動に巻き込まれるとは思っていなかった。ナタリアが意味もなく同行させるとは思わないが、その意図が理解できずレウルスとしては場違いに思えてしまう。
それでもニコラやシャロンに関することだからと尋ねてみると、グリマール侯爵はため息を吐く。その顔は、年齢以上に老けて見えるほど疲れているようだった。
「……私も良い歳だ。そろそろ長男に家督を譲り、隠居しようと思っている。そうすれば“アレ”も自分が生んだ長男から家督を奪われるとは思わず、ニコラやシャロンを領地に招いても文句は言わないだろうと思ってな……今まで苦労をかけた分、報いてやりたいのだ」
グリマール侯爵からすれば、ニコラとシャロンを比較的“安全な場所”――ナタリアの影響下にあるラヴァル廃棄街に避難させたという認識なのだろう。
そして今、苦労をかけた分、これから報いたいとグリマール侯爵は言っている。
だが、それをニコラがどう受け取るかといえば――。
「身勝手なことを言ってんじゃねえ! 俺はラヴァル廃棄街のニコラだって言ってんだろうが! 誰があんなところに戻るか! レウルス放せぇっ! もしくはお前が一発殴れ! 全力でだ!」
「全力で殴ったら冗談抜きで殺しかねないから、勘弁してくれよ……」
ニコラの言う通り、身勝手な言い分だろう。宣言通り殴っても良いかもしれないと思いかけたレウルスだったが、ニコラがあまりにも怒りを露わにしているため逆に冷静になってしまう。
全力で拘束から抜け出そうとしているニコラだが、そろそろ“うっかり”力が抜けて殴らせるのもアリなのでは、とレウルスが思うほどの激怒ぶりだ。
そんなニコラの怒り心頭な様子を眺めていたグリマール侯爵は、自戒するように苦笑を浮かべる。
「そうだ、身勝手なものだよ“俺”は……お前やシャロンを放置していたというのに、いざ会える機会が巡ってきたとなると、こうして恥知らずにも面会の申し出を受け入れたのだからな」
そう言って悄然と項垂れるグリマール侯爵からは、これまでレウルスが見たような威厳は存在しなかった。演技でも何でもなく、心から悔いているように目を伏せている。
しかし、そんなグリマール侯爵の姿は火に油を注ぐようにニコラの怒りを燃え盛らせる。
「今更そんなことを言うぐらいなら、最初から捨てるんじゃねえよ」
怒りが沸点を超えてしまったのか、怒鳴ることもなく静かな声色で詰るニコラ。
ニコラからすれば――おそらくシャロンもだろうが、グリマール侯爵が取った行動は本人達からすれば“父親に捨てられた”という評価から変わることはない。
ニコラとシャロンの身を案じた結果だとしても、そもそもそうなるよりも前の段階で正妻を止めろと二人は言うだろう。もちろんグリマール侯爵も努力はしたのだろうが、ニコラとシャロンからすれば母親が死に、父親からは廃棄街に放逐されたのだ。
グリマール侯爵が努力を重ねていたとしても、結果が伴っていない以上、何の救いにもならない。
「そう、だな……お前の言う通りだ。俺は駄目な父親だ……」
そしてそれは、グリマール侯爵も理解しているのだろう。ニコラがどんな言葉を返すかわかっていたように、素直に受け入れる。
レウルスはニコラの体から力が抜けつつあることを感じ取り、拘束を解く。するとニコラは音を立てるようにして椅子に座り、深々とため息を吐いた。
「アンタの立場は理解しちゃいるが、俺もシャロンもアンタを許すことはねえ……それは絶対だ」
「そうか……ああ、そうだろうな」
淡々と告げるニコラに対し、グリマール侯爵は納得を示すように頷く。
「今回は姐さんの顔を立てたが、俺としちゃあ二度と会いたくねえ……もう一度言うが、俺はラヴァル廃棄街のニコラだ。頼むから、放っておいてくれ」
「……わかった。それがお前達の望みなのだな」
ニコラはグリマール侯爵が頷いたのを確認すると、椅子から立ち上がってナタリアに視線を向ける。
「姐さん、俺は馬車の様子を見てるから話が終わったら来てくれよ」
そう言って、ニコラはグリマール侯爵に背を向けて歩き出す。それを見たグリマール侯爵は、僅かに躊躇してから口を開いた。
「……息災でな」
「…………」
グリマール侯爵の言葉に少しだけ足を止めたニコラだったが、何も言わずにそのまま歩き去る。それはまるで拒絶を示すようで、ニコラの後姿を見たレウルスは後を追うべきか迷う。
「ふぅ……情けないところを見せたな」
だが、それを妨げるようにしてグリマール侯爵が声を発した。そして老執事に紅茶を淹れ直させると、一息に飲み干してから再度となるため息を吐く。
「自業自得とはいえ、ままならないものだ……レウルス殿も気を付けるのだな。準男爵になったとしても、何が原因で家中が荒れるか……いや、貴殿ならばその辺りも上手く乗りこなすか」
「は、はぁ……」
グリマール侯爵が自嘲するようにして放ってきた言葉に、レウルスは曖昧な反応を返す。
(準男爵になりたいとは思っていなかったけど、侯爵の様子を見てると猶更嫌になってきたな……コルラードさんが家庭には安らぎが欲しいって言うわけだ)
グリマール侯爵の場合、政略結婚をした結果ニコラやシャロンが苦労をする羽目になったとも言える。グリマール侯爵でさえ駄目だったのならば、その難易度は如何なるものなのかとレウルスは戦慄する心境に陥った。
「私としては、ニコラの成長した姿が見られただけでも満足だが……向こうからすれば放っておけと思うのも当然か。シャロンも似たようなことを言うのだろうな……」
「あの子の場合、ニコラよりも過激かもしれませんよ? ニコラならレウルスが取り押さえられますけど、あの子なら魔法を撃ちますからね」
ようやく口を開いたナタリアだったが、この場にいる誰よりも余裕を保った態度で紅茶を飲んでいる。それを見たレウルスは、もっと早くに動いてほしかったと心底から思った。
「ふむ……ニコラに殴られるなり、シャロンに魔法で撃たれるなりしても当然の身ではあるが、もう関わらないでいる方があの子たちのためにもなるか……いや、今回会ったことも私のわがままだったがな」
ニコラに言われた通りこれから関わるつもりはないのか、グリマール侯爵がどこか寂しそうに言う。そんなグリマール侯爵の様子を敢えて無視するように、ナタリアが口を開いた。
「それでは、あの二人に関しては“正式に”こちらで引き受ける……それでよろしいですね?」
「ああ……ニコラだけでなく、シャロンもそう望むだろう。元々そういう約束だったが、何があろうと文句を言うことはせぬ……できれば二人とも無事に、元気に過ごしてほしいがな」
レウルスは無言で紅茶を飲み、ナタリアとグリマール侯爵の会話に耳を傾ける。
「アメンドーラ男爵殿には長い間、ニコラとシャロンの世話をしてもらったのだ。私の“弱味”を握った以上、上手く利用してくれたまえ」
「侯爵殿が家督を譲るまでは……ですか?」
「さて、な……」
とぼけるように言葉を濁すグリマール侯爵だが、そこに普段のキレはなかった。ニコラが歩き去った方向を眺め、目を細めている。
「それでは早速、お願いがあるのですが……こちらのレウルスが叙爵するに辺り、紹介も兼ねて祝宴を開きたいのですが、わたしが借りている邸宅だと広さが足りないんです。ご協力いただけませんか?」
「その点に関しては任せたまえ。マタロイ南部の貴族をまとめる立場としては、それは協力するというよりも義務の範疇だからな」
「ありがとうございます。詳細な日程は後日、お知らせいたしますわ」
そう言って微笑むナタリアだったが、それまでのニコラとのグリマール侯爵のやり取りを気にした様子も見せない素振りにレウルスは小さく眉をしかめる。
そんなレウルスの表情を見ながら、グリマール侯爵は戸惑いがちに口を開く。
「貴殿にも“頼みたいこと”があったのだが……いや、やめておこう。貴殿に殴られれば本当に死にかねん」
「……?」
何かを言いかけて、すぐさま取り下げるグリマール侯爵。気にはなったが、藪をつついて蛇が出てきては堪らないと追及は控えたレウルスだった。
「それで? 今回は何で俺を連れてきたんだ? 他所の家庭に首を突っ込ませるのが姐さんの趣味だっていうんなら、さすがに趣味が悪いぜ」
グリマール侯爵の邸宅を後にしたレウルスは、共に馬車に乗り込んだナタリアに問いかける。
その可能性はゼロに等しいと思っているが、今回ばかりはレウルスとしても文句の一つも言いたくなった。ニコラは仏頂面で馬車の手綱を操っているが、文句を言ってくる様子はない。
「あなたの“勉強”を兼ねて、同席できるようグリマール侯爵にお願いしておいたのよ……サルダーリ侯爵の時も聞いたけど、今回の件に関してあなたはどう思ったのかしら?」
「……先輩があそこまで怒ってなければ、俺が代わりに殴っていたかもな。というか、よくそんな条件をグリマール侯爵が飲んだな」
自らの恥部を晒すような真似を許容するとは思えず、レウルスは首を傾げた。
「それだけニコラやシャロンに関しては“貸し”が大きいのよ。あとはまあ、あなたが準男爵になるにあたって必要なことだと思って頼み込んだの」
「……必要、というと?」
「“家中の統制”はしっかりしないといけない、という話よ……ニコラには悪いけれど、今回のグリマール侯爵の件はまだ軽い方なのよね」
「姐さん、その言い方は……」
レウルスが注意を促すと、話を聞いていたと思しきニコラが肩越しに振り返る。
「気にすんな……あと、姐さんが言ってることは本当だぞ。俺もガキの頃に聞いたぐらいだが、他所の家中じゃ“今回の件”で例えれば正妻、側室、俺の母さんがそれぞれ家中の権力や家臣からの支持を三分割して、自分の子供を次期当主に据えようと殺し合うこともあったそうだしな」
血で血を洗う闘争だ、とニコラは鼻で笑うようにして言う。ナタリアはそんなニコラの話を否定せず、真剣な表情で口を開いた。
「貴族にも色々なしがらみや事情があるわ。しかも、家によってそれぞれ抱えている問題が違うし、解決法も共通しているわけじゃない……あなたは“避けられる問題”は避けるよう注意しなさい、という話よ。もちろん、避けるべきでない問題はきちんと解決すること」
「……それを教えるために俺を連れて行ったのか?」
「ええ。“どこの家”でも大なり小なり問題を抱えているから、常に気を付けてほしいのよ」
ナタリアなりの教育なのかもしれないが、せめて事前に話を聞かせてほしいところだった。そんなことを考えるレウルスだったが、ニコラから怪訝そうな声が届く。
「借りてる家の前に馬車が止まってるんだが……あれは避けるべき問題か?」
ニコラの言葉に気を引かれたレウルスが視線を向けると、そこにはたしかに、借家の前に馬車が一台止まっているのが見えた。
(見覚えのある馬車だな……)
そんなことを考えたレウルスの視線の先。そこには、馬車から下りるヴェルグ伯爵家の若き当主、ルイスの姿があったのだった。




