第502話:それはまるで御伽噺のような その2
ルヴィリアと名乗った女性を失礼にならない程度に眺めたコロナは、内心で感嘆の声を漏らす。
(うわぁ……すごく綺麗な人……まるでお姫様みたい)
言葉としては知っているものの、実際に見たのは初めてとなる“お姫様”の姿がそこにはあった。
薄水色をしたドレスは足首まで長さがあり、スカート部分は僅かに膨らみを帯びている。生地は光沢を帯びており、見ただけでもコロナが触れたこともないようなきめ細かさが見て取れた。
袖口から伸びた腕は肌が白く、シミもくすみも見当たらない。コルセットを着けていないにも関わらず胴体は細く引き締まっており、程よく膨らんだ胸元が強調されるようだった。
それでいて腕周りや胸元の印象を隠すようにフリルがあしらわれており、自身も裁縫をするコロナの目から見ても自身が身に着けている侍女服が何着あれば買えるのかわからないほどだ。
顔立ちも非常に整っており、可愛らしさと綺麗さが同居している。腰よりも若干長く伸びた金髪は真っすぐで、こちらもよく手入れがされているのが窺えた。
(苗字がヴェルグ……ナタリアさんから聞いた、ヴェルグ伯爵様のお姫様? あれ? でも腕に何か……)
そんな美姫の姿に困惑と感動を抱くコロナだったが、右の手首に巻かれているものに気付く。それは真っ白な紐状の腕飾りだったが、ドレスなどと比べるとやや浮いているように見えた。
――浮いているといえば、履いている靴も妙に履き慣れた見た目の革靴だったが。
「……あの?」
思わずルヴィリアの姿に見入っていたコロナだったが、当の本人から困惑したような声をかけられて我に返る。セバスはともかく、扉を開けてみれば御伽噺に出てきそうな姫君が立っていたのだ。その衝撃は非常に大きく、コロナは慌てて口を開いた。
「も、申し訳ございません。美しいお姿でしたので、つい見入ってしまい……」
そして正直に内心を吐露すると、ルヴィリアは小さく目を見開いて破顔する。
「まあ……褒めていただいて嬉しく思います。アメンドーラ男爵家の侍女の方……ですよね?」
そう言って、小さく首を傾けるルヴィリア。その際真っすぐな金髪がさらりと揺れたが、そのような姿さえ様になっているとコロナは思った。
「は、はい……コロナと申します。えっと、ナタリアさ……いえ、当家の主に御用とのことでしたが」
「はい。それとレウルス様に」
ルヴィリアは微笑みを浮かべ、レウルスの名を呼ぶ。
(っ……この、人……)
そして、その“呼び方”にコロナは内心で驚きの声を上げた。
レウルスを様付けで呼ぶこと自体は、現状ではおかしなことではない。ルヴィリアは伯爵家の人間だが、レウルスは準男爵という立場を得ようかという人間だ。
伯爵家の娘が準男爵の名前を呼ぶのならば、様付けでもおかしくはない。今はまだ準男爵に叙されていないが、最早叙爵は撤回できない段階になっている。そんなレウルスを呼ぶに辺り、ルヴィリアの発言はおかしなものではないのだが――。
(でもそんな、まさか……)
ルヴィリアの声色に含まれている感情。それは友好的に感じられるだけで“それ以外の感情”は隠されていたが、この時のコロナはルヴィリアの表情を見て隠れている感情の一端を読み取っていた。
それは長年ドミニクと共に料理店を営み、多くの人間と接してきたからか。あるいは女の勘か。
それでもまさかという思いがあり、コロナは困ったように微笑んだまま小さく頭を下げて表情を隠す。
「当家の主に確認してまいります。少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。こちらが押しかけた側ですから……ね」
頷くルヴィリアの表情に喜色の色が混ざっていたのは、コロナの目の錯覚か。しかしそれを問い質せるような立場にはなく、コロナは一礼してから扉を閉める。
「コロナ? 来客かしら?」
そして居間に向かうと、来客に気付いていたのかナタリアがそんな問いを投げかけた。居間にはレウルス達もいたが、慌てた様子のコロナの姿に目を丸くしている。
「はい……その、ヴェルグ伯爵家の方です。ルヴィリア様、それとセバス様と名乗られる方が……偶々馬車で通りかかったので、ナタリアさんとレウルスさんに挨拶をしたいと」
「そう……思ったより動くのが遅かったわね。エリザ達は二階に行っていてちょうだい。レウルスはわたしと一緒に応対して。コロナは飲み物の準備よ」
「はいっ!」
ナタリアの指示を聞き、コロナはすぐさま動き出そうとした。だが、それを止めるようにナタリアが言葉を続ける。
「それとコロナ? 相手が友好的でなければ失礼だと言われていたところよ。慣れない内は仕方ないけれど、もう少し落ち着きなさいな。あなたならそれができるはずよ」
「は、はい……」
どうやら会話も聞かれていたらしい。そう悟ったコロナは、恥ずかしさで顔を真っ赤にするのだった。
「急な来訪となり、申し訳ございませんアメンドーラ男爵様。失礼とは思いましたが、偶然近くを通りかかった以上、ご挨拶をしないのもまた失礼かと思いまして」
「いえ、ヴェルグ伯爵家と当家の“友誼”を思えば失礼などとは思いません。お元気になったようで何よりですわ」
ナタリア自ら居間に案内されたルヴィリア達だったが、まずはルヴィリアとナタリアによってそんな会話が交わされた。
その間、レウルスはルヴィリアに付き従っていたセバスへと声をかける。
「お久しぶりですセバスさん」
「お久しゅうございます、レウルス様。遅くなりましたが、“ルヴィリア様の件”に関して改めて感謝申し上げます」
「いえいえ、そういう依頼でしたから。ルヴィリア様がお元気になって良かったですよ」
「ははは……時折馬車ではなく自分の足で歩きたいと仰られ、アネモネと共に振り回されておりますがね」
レウルスの言葉に苦笑するセバスだったが、その表情は柔らかく、ルヴィリアが快復したことを心底喜んでいるように見えた。セバスほどの年齢になれば、主家の娘とはいえルヴィリアは孫娘のようなものなのだろう。もちろん、それを前面に出すような真似はセバスもしないが。
そうしてセバスと言葉を交わすレウルスだったが、久しぶりに再会したルヴィリアの様子をそっと横目で窺う。
(以前王都で会った時は色々と“まずかった”が……もう大丈夫、か?)
ルヴィリアはレウルスに視線を向けることもなく、ナタリアと言葉を交わしている。それは社交辞令の範疇に過ぎなかったが、互いに友好的だと態度で示すような雰囲気が漂っていた。
半年以上顔を見ることがなかったが、以前と比べてもルヴィリアは健康的になったように思える。身長はそれほど変わっていないが、快復する前と比べれば全体的に肉付きが良くなったように見えた。
ドレスで着飾ってこそいるが動きやすさに重点を置いた意匠であり、何よりかつて共に旅をした時のように頑丈な革靴を履いている辺り、セバスの話も嘘ではないのだろう。以前ルヴィリアも旅の楽しさを知ったと言っていたが、貴族の令嬢としては異質なことに今でも自らの足で歩き回っているらしい。
(……まあ、そっちの方が体にはいいよな。以前は儚げな深窓の令嬢って感じだったけど、今は健康的な美人って感じだし)
適度に体を動かす方が病気にもかかりにくいだろう、とレウルスは内心だけで頷く。長年体調不良で悩まされたルヴィリアだからこそ、体力の大事さを痛感しているはずだ。
他所の貴族家を訪れるというのに、少々くたびれた様子の革靴を履いてきたのはどうなのだろうとレウルスは思ったが。
(ミサンガもつけたままだし……というか、アクシスの爺さんから渡すように言われたけど、あれって結局何の意味があるんだ?)
ルヴィリアの右手首に巻かれたミサンガを見て、レウルスは小さく首を傾げた。貴族の令嬢が身に着ける装飾品としては地味だがアクシスの――ユニコーンの毛で作られたものである。
僅かとはいえ魔力を感じるが、何の用途に使うものなのか未だにわからないのだ。
(さすがに普段からつけっ放しってわけじゃないだろうけど……つけっ放しじゃないよな?)
レウルスは記憶を探り、ミサンガを渡した時のことを思い出す。ルヴィリアに渡した時は右手首に巻いた気がするが、今もなお右手首に巻かれているのは偶然か。
そうやって思考するレウルスだったが、会話が一段落したのだろう。ルヴィリアがレウルスへと視線を向けてくる。
それに気付いたレウルスは、貴族として何か面倒な話があったとしてもナタリアがいるから問題ないだろう、と気楽に構えた。
「お久しぶりです、ルヴィリア様」
「はい、お久しぶりで――」
そこでふと、ルヴィリアの言葉が途切れる。レウルスと“目が合った”ルヴィリアは嬉しそうに笑みを浮かべたものの、言葉の途中で驚いたように目を見開いていた。
「……ルヴィリア様?」
何か失礼でもあっただろうか、とレウルスは首を傾げる。もしかすると顔に何かついているのかもしれないと思って顔を触るが、特に異常はなかった。服装も私服でこそあるものの、失礼にならない程度には質の良いものを身に纏っている。
(え? なんだこの反応……)
思わぬルヴィリアの反応にレウルスは困惑の表情を浮かべる。ナタリアも何事かと眉を寄せ、セバスもルヴィリアの態度を見て困惑したように目を瞬かせた。
「お、お久しぶり……です」
十秒ほど経ってから、ルヴィリアはようやくといった様子で声を絞り出す。小さく丸めた右手を胸の前に置いたかと思うと、言葉を発するなり首筋から頬にかけて徐々に桜色へと色付いていく。
(…………?)
ナタリアを前にしていた時は貴族らしい態度を取っていたというのに、急激に崩れた。それがあまりにも唐突過ぎて、レウルスは困惑することしかできない。
「えーっと……御加減が悪いんですか?」
「い、いえっ、そんなことは……」
小さく首を横に振るルヴィリアだが、レウルスの目から見ても異常は明らかだ。ただし急激に体調が悪くなったというわけではないらしく、ルヴィリアの表情には強い困惑の色が見て取れた。
「わたしの目から見ても、尋常ではない御様子ですが……」
ナタリアも怪訝そうに声をかける。するとルヴィリアは数秒間レウルスの瞳を見つめ、真っ赤になった顔を隠すように伏せた。
「……いえ、どうやら体調を崩してしまったみたいです。今日のところは失礼いたしますね」
「……お嬢様?」
セバスもまた、困惑したように声をかける。しかしルヴィリアはそれに答えず、セバスを促してレウルス達の元を辞した。
「あの……飲み物をお持ちしたんですけどお客様はどちらに?」
その一分後、ナタリアの指示通り飲み物を運んできたコロナが怪訝そうに尋ねたが、レウルスもナタリアもそれに答える術を持たなかった。




