第501話:それはまるで御伽噺のような その1
サルダーリ侯爵の邸宅を訪れた日の翌朝。
コロナは他の者達が眠りについている早朝から、居間に隣接している厨房で朝食作りに励んでいた。服装は王都に来てから購入した侍女服であり、時折自分の服装を見下ろしては“何か”を思い出すように頬を桜色に染め、ぶんぶんと頭を振って我に返る。
今のコロナの立場はナタリアの侍女兼料理人だ。ナタリア達が起きてくるまでに朝食の準備を整えておく必要があるため、余計なことに時間を割いている暇はないのである。
だが、包丁を握ってスープの具材を刻んでいたコロナは自身が集中力を欠いていることを自覚していた。それは服装の影響もあるが、それ以上に昨日訪れたサルダーリ侯爵の邸宅のことが頭にあったからだ。
生まれも育ちもラヴァル廃棄街のコロナからすれば、サルダーリ侯爵の邸宅は一生足を踏み入れることがないような場所である。
御伽噺に出てくるような豪邸に、洗練された執事や侍女。饗応に出された料理はコロナの想像を超えるものばかりで、味もさることながら見栄えまで考慮された逸品揃いだった。
そもそも、コロナからすれば王都自体が御伽噺に出てくるような場所である。普通ならば廃棄街に住む人間が王都を訪れるような機会などなく、仮に訪れようと思ってもその道中で魔物や野盗に襲われて命を落とすだろう。
ナタリアが購入して渡してきた侍女服も、これまで着たことがないような手触りや意匠で着るのが申し訳なく思えるほどだ。値段も小金貨一枚と、コロナが普段着ている服が数着買えそうな値段である。
それでもコロナとて年頃の少女である。仕事に必要なものとはいえ、新品の服を着られるのは喜ばしいことだ。加えて言えば、侍女服を着た自身の姿を見た際、レウルスが見せた反応も喜ばしいものだった。
――よく似合ってる。可愛いし綺麗だ。
コロナの脳裏に、“一部”削られたレウルスの声が自然と再生される。レウルスらしく真っすぐと、本心からのものだとわかる声色でかけられた言葉はコロナにとって驚くような衝撃があった。
「~~~~っ!!」
包丁を置いたコロナは、頬に両手を当てながら小刻みに頭を振る。恥ずかしさと嬉しさが混ざり合った衝動は日を跨いでも色褪せない。
それでもコロナは自身の仕事を思い出し、こほん、と取り繕うように咳払いをした。誰も見ていないが、気恥ずかしい思いがあったのだ。
しかし、である。気を落ち着ければそれはそれで暗い感情が首をもたげそうになる。
サルダーリ侯爵の邸宅での一件は様々な驚きがあったものの、その中でも一番の驚きはレウルスの態度だ。
侯爵というコロナからすれば雲の上の存在を相手に、堂々と受け答えをするその姿。それはラヴァル廃棄街に来たばかりの頃のレウルスを知るコロナからすると、非常に“距離”を感じさせた。
元々レウルスは常識などは知らずとも、ラヴァル廃棄街に来る前は農奴だったとは思えないような言動をする時があった。コロナはその点に関して特に気にしていなかったが、今になって振り返ってみると、本当に農奴だったのかと疑わしく思うことがある。
無論、仮にレウルスの出自が何であれ、その点に関して何かを言うつもりはない。レウルスはレウルスであり、ラヴァル廃棄街の仲間であり、短い期間ではあるが同じ屋根の下で生活した“家族”であり、そして――。
「っ!」
橙色をした根菜を包丁が勢い良く両断し、コロナは手を止める。
どうにもいけない、このままでは指を切りそうだ、とため息を吐いて少しだけ休憩をすることにした。
そして、コロナは何とはなしに厨房を眺める。実家であり父親のドミニクと共に営む料理店と比べると広く、コロナどころか四、五人同時に調理をすることが可能なほどの広さがある。
王都の市場で買い求めた野菜は瑞々しく、ラヴァル廃棄街で手に入るものと比べれば大きく味も良い。レウルスは当然だが、コロナでも生で齧って食べられるのでは、と思うほどに美味なのだ。
また、味付けのために用意された調味料も様々な種類が置かれている。塩だけでも産地別に三種類、香辛料は味や大きさが異なるものが五種類、砂糖やコロナが扱ったことがない液体の調味料なども存在し、料理人としては探求心がくすぐられるものの経験不足からどう扱えば良いかわからないものが多かった。
ここ最近はドミニクから本格的に料理を学んでいるものの、そのドミニクとてラヴァル廃棄街で店を開くために料理を覚えたに過ぎない。サルダーリ侯爵の邸宅で食べた料理は繊細な味付けがされていたが、ドミニクもコロナも大味な料理しか作ったことがなかった。
それでも他の廃棄街と比べると、ラヴァル廃棄街はレウルスの活躍によって香辛料や砂糖が手に入る分、料理人としては腕が磨きやすい環境にある。しかしサルダーリ侯爵が雇っている料理人のような腕を持つには、どれだけの研鑽を積めば良いかわからない。
ナタリアからは貴族相手にも出せる味の料理を作れるようになってほしいと言われているが、コロナとしてはその難易度がどれほどのものか見えてしまい、自信を持つことができなかった。
仮にナタリアからの提案を断り、開拓が進んでいるスペランツァの町で将来的に料理店を開くとしても、商機を求めて他所から料理人が流れてくれば太刀打ちできるか怪しい。ラヴァル廃棄街からの付き合いがある者達は贔屓にしてくれるだろうが、他の料理店に流れる者も少なくはないだろう。
ナタリアが望むような料理人になる。あるいはスペランツァの町で店を開く。そして、あるいは――。
「難しいなぁ……」
「何が難しいって?」
「ひゃっ!?」
ため息と共に吐き出された呟きに返答があり、コロナは思わずその場で飛び上がってしまった。慌てて振り返ると、厨房に顔を出した状態で固まっているレウルスの姿が見える。
「悪い、驚かせちまったな……おはよう、コロナちゃん」
「お、おはようございますレウルスさん……今日は早いんですね」
コロナが誤魔化すように尋ねると、レウルスは苦笑を浮かべた。
「王都の中だから安全だとは思うけど、コルラードさんもいないし警戒自体はしておいた方が良いと思ってね……ほら、サルダーリ侯爵のところだと門のところに人がいただろ? さすがに夜通し警戒する気はないけど、夜明け前とかは一番警戒が緩むしね」
「そうなんですね……」
王都の中で夜討ち朝駆けを仕掛けてくるような者がいるとは思わないが、警戒しておくに越したことはない。そんなレウルスの言葉にコロナは感心した様子で頷くと、料理が途中だったことを思い出して作業に戻る。
包丁を持ち、野菜を刻み始めるコロナ。そんなコロナの姿を眩しいものでも見たように目を細めて観察するレウルスは、椅子を持ち出して腰を下ろした。
「…………」
「……あの、レウルスさん? さすがにじっと見られるとその……料理が作りにくいというか、恥ずかしいというか……」
困ったように微笑むコロナだが、少しばかり嬉しそうにも見えたのはレウルスの目の錯覚か。
「悪い悪い。コロナちゃんが料理をするところは何度も見てるけど、その格好で料理するのは初めて見たからつい……ね」
「……もうっ」
頬を膨らませたコロナは料理に集中するべく視線を逸らす。
「何か食べたいもの、ありますか?」
「塩スープがいいな」
「いつもそれじゃないですか……飽きませんか?」
「不思議なことに、飽きないんだなぁこれが」
そう言ってレウルスは笑う。そんなレウルスにコロナも笑みを返したが、視線を外して野菜を切りながら、ポツリと呟いた。
「でも……昨日、サルダーリ侯爵様のところで食べた料理の方が美味しい……ですよね?」
コロナ自身、それを認めている。だからこそレウルスもそうだろうと思い、尋ねていた。
「んー……そうか? 俺はサルダーリ侯爵のところで食べた料理より、コロナちゃんが作ってくれた料理の方が美味しいし、好きだけどな」
だが、レウルスはあっさりと言ってのける。それはお世辞でもなんでもなく、心底からそう思っていると感じさせる声色だった。
“それだけ”で沈みそうになっていた心が浮き上がってくるのを感じ、コロナはそっと目を伏せる。
「し、塩の取り過ぎは体に悪いって聞きますから、ほどほどにしてくださいね?」
「毎食でも良いんだけどな……ほら、冒険者として体を動かすから汗を掻くし、塩分が必要だしさ」
「王都でそこまで汗を掻くようなことってないと思うんですけど……」
「そう言われると……冷や汗とか?」
何気ない会話をしながら、コロナは料理を作っていく。何が面白いのか、レウルスは椅子に座ったまま移動することはなく、コロナの手が空いた時を見計らって声をかけてきた。
それが妙に心地良く――結局、他の者が起き出すまでレウルスとコロナの会話は続いたのだった。
その日の午前中、朝食を終えて後片付けまで済ませたコロナは来客を知らせるノックに気付いて玄関へと向かった。
なるべく侍女らしくと自分に言い聞かせ、扉を開ける。ナタリアからもどのような対応をすれば良いか教えてもらったため、その手順を思い出しながら笑顔を浮かべた。
「どちら様で――」
そんな声をかけながら視線を向けた先。そこにいた人物を目視したコロナは、思わず言葉を途切れさせてしまった。
一人は、先日顔を合わせたマルトーのように洗練された物腰の執事らしき男性。
そしてもう一人は、外出用なのか飾り気は少ないもののコロナが見たことがないような華麗なドレスに身を包んだ女性である。
「アメンドーラ男爵家の侍女の方でしょうか? 私はセバスと申します。“偶々”近くを馬車で通りかかったのですが、アメンドーラ男爵様やレウルス様が王都にいらっしゃるとお聞きしたためご挨拶をと思いまして。こちらは――」
「ルヴィリア=イェル=セク=ド=ヴェルグと申します。レウルス様は御在宅ですか?」
そう言って女性――ルヴィリアは花のような笑顔を浮かべるのだった。




