第500話:サルダーリ侯爵 その3
(俺が望むこと、か……)
サルダーリ侯爵からかけられた言葉に、レウルスは心中で呟く。
ナタリアに視線を向けてみるが、目が合っても何かを言うことはない。レウルス自身の願いを言葉にするよう促しているのだろう。
ナタリアならば今回の件で“迷惑をかけられた”という理由を持ち出してサルダーリ侯爵に対して何かしらの条件を付けそうだが、その予想に反して口を開く様子はなかった。
「何かあるであろう? 金……はやはり余の感謝の気持ちが伝わりそうにないから微妙だな。貴殿が望むのなら、当家の領地を一部割譲しても良いのだが……いるか? 準男爵になるのなら他所の土地だろうと村一つ、いや! 余が捻じ込んで町の一つでも領有させてみるが!」
沈黙したレウルスをどう思ったのか、サルダーリ侯爵はそんなことを言い出す。
ただのリップサービスか、あるいは本気なのか。自身が領有する町の一つすら割譲しても良いと言い切るその姿に、レウルスとしては裏を勘繰りたくなる。
(俺……いや、“俺達”の戦力をアテにしている……のか? それとも純粋な厚意? くそっ、邪気がなさ過ぎて逆に狙いがわからねえ)
レウルスとしても取っ付きやすい人柄をしているように思えるが、サルダーリ侯爵とて貴族だ。何か狙いがあるのだとレウルスは推察したが、狙いが読めなさ過ぎて逆に判断がつかない。
それでも、レウルスが現状で願うことがあるとすれば、それは――。
「少し……いや、かなり失礼なことを言っても?」
レウルスは泥沼にはまりそうな思考を投げ捨て、真っ向からサルダーリ侯爵と向かい合う。するとサルダーリ侯爵は数度瞬きをしたあと、ポン、と自身の腹を叩いた。
「うむ! 必要ないどころか迷惑なものを渡すという“不義理”をしたのはこちらが先なのだ! 家名に誓って、何を言おうとも咎めはせぬ!」
その言葉を聞いたレウルスは、もう一度だけナタリアを見る。ナタリアはそんなレウルスの視線に苦笑を浮かべると、小さく頷いた。言いたいことを言え、ということなのだろう。
「では失礼をして……正直なところ、俺は騎士爵だとか準男爵だとか、自分が得る分に限れば立場は重要なものだとは思っていません。そのため、今回の件も本音で言うと困っている面が大きいです」
「ふむ……」
地位を欲しがる人間が聞けば、怒りで顔を真っ赤にして殴りかかってきそうな話だ。しかし、サルダーリ侯爵は真剣な表情を浮かべて相槌を打つだけである。
「知り合いにコルラード準男爵がいるのですが、彼を見ていると自分は爵位に見合う教養も知識も能力も経験もありません。騎士爵でも持て余しそうですし、準男爵となると何をすれば良いか見当もつかない状態です」
これは、レウルスにとって偽らざる本音だ。降って湧いた叙爵の話だが、断れるのならば今からでも断りたいと心底思っている。それは立場の面倒さもあるが、それ以上に“能力”が足りないからだ。
「村や町を領有できると言われても、俺が治める領民の方がかわいそうでしょう。俺は冒険者として切った張ったしかできない人間ですからね」
「その“切った張った”で得た功績が、非常に優れているからこその推薦だったのだが……優れた武人が優れた領主になれるとは限らんか。貴殿ならば上手く回りそうな気もするのだがなぁ」
「ははは、そう言ってもらえると嬉しいですよ。でも、俺が望むのは今の生活を続けること……アメンドーラ男爵領を開拓したり、仲間と騒いだり、家族と過ごしたり……それぐらいしか、望むことがないですね」
レウルスとしては、今の生活は十分以上に充実しているのだ。
このままアメンドーラ男爵領の開拓を続け、ラヴァル廃棄街の仲間達が“普通の生活”を送れるようにして、共に生きていく。
それで良い――“それだけ”で良いのだ。
つまるところ、サルダーリ侯爵が騎士爵に推薦したことも厚意は嬉しくとも迷惑でしかない。そう言うに等しい発言を行ったレウルスに対し、サルダーリ侯爵は激昂する――。
「ううむ……これはこれは! アメンドーラ男爵殿は随分と忠義心に篤い家臣……いや、“仲間思い”の人物を見つけたものだ! うむ! 当家の家臣が劣っているとは思わぬが、羨ましい限りである!」
――などといったことはなく、何故か感心したようにレウルスの肩を叩き始める。
「いや、本当に羨ましい! 前言を撤回するのは主義ではないが、当家に仕えてくれるなら喜んで迎え入れて娘を嫁がせるのだがなぁ……駄目か? 本当に駄目か?」
「駄目ですね」
「むむむ……残念だ! アメンドーラ男爵殿が羨ましい!」
心底惜しそうに、地団駄でも踏みそうな様子で残念がるサルダーリ侯爵。しかしすぐさま顔を上げると、得心したように頷く。
「では、余は貴殿がアメンドーラ男爵殿の下に……いや、“仲間や家族”と共に在れるよう努めようぞ! 仮に領地が下賜されるとしてもアメンドーラ男爵領のすぐ傍か、アメンドーラ男爵殿と交渉して領地の一部を割譲してもらえるように計らうのである!」
そう言うなり、サルダーリ侯爵はナタリアへと振り返る。
「どうだろうかアメンドーラ男爵殿! 貴殿としても、レウルス殿ほどの手練れは傍に置いておきたいと思うのだが! 無論、タダでとは言わん! サルダーリ侯爵領からは距離があるから難しいが、マタロイ南部の商人に声をかけて資材を運ばせようぞ!」
「当家の領地は爵位と比較すると非常に広いですからね……信頼できる者を傍におけるのなら、それに越したことはありませんわ」
サルダーリ侯爵の勢いに、ナタリアは苦笑を深めるしかない。ただし、ナタリアとしてはレウルスが準男爵という立場を得たとしても自身のもとに、あるいは近隣にいてくれるというのは非常に助かる話だった。
加えて、アメンドーラ男爵領が男爵という立場に比べて広すぎるというのは事実である。将来的にコルラードに一部を割譲する予定だったが、そこにレウルスが加わったとしてもまだまだ広すぎるぐらいだ。
アメンドーラ男爵領の開拓が順調に進んだとして、“広すぎる”と宮廷から難癖をつけられても割譲する相手が決まっていればどうとでもなる。
「ではそうしよう! 余は知り合いの貴族に声をかけておくぞ! いや、むしろ今から声をかけに行って――」
「旦那様、まずはアメンドーラ男爵様達の歓待が先でございます」
そして、今にも駆け出しそうだったサルダーリ侯爵がマルトーに止められるのだった。
「それで? あなたはサルダーリ侯爵のことをどう思ったのかしら?」
サルダーリ侯爵の邸宅からの帰り道。馬車に乗り込んだレウルスは、ナタリアからそんな話を振られて眉を寄せる。
サルダーリ侯爵に関しては、事前にナタリアからも情報を得ていない。どんな性格か尋ねても、会ってみればわかるの一点張りだったのだ。特に問題はない、会っても“大丈夫”だから、と。
そして、何も言わなかった――言う必要がなかったのだろう、とレウルスは察した。
「俺もこれまで何人か貴族に会ってきたけど……あの人がマタロイ北部の貴族を取りまとめてるってのは本当なのか?」
サルダーリ侯爵の顔を思い出しながらレウルスが尋ねる。
侯爵という立場にあるのだから、さぞ裏のある曲者なのだろうと勝手に思っていた。しかし、蓋を開けてみれば最初から最後まで“あの調子”で、レウルスとしては肩透かしをくらった気分である。
そんなサルダーリ侯爵だが、会ってみて悪い気はしない。むしろ知り合えて良かったと思えるぐらいには好印象を抱く相手だった。
ただし、あのサルダーリ侯爵が北部の貴族を取りまとめていると言われると首を傾げてしまう。マタロイ南部の貴族を取りまとめているグリマール侯爵と同じような立場だと考えると、どうにも違和感を覚えてしまうのだ。
グリマール侯爵は貴族らしい威風があり、他の貴族を従えていても不思議ではない雰囲気があった。しかし、サルダーリ侯爵にそんな雰囲気があったかというと素直には頷けない。
そうやって悩むレウルスを見てどう思ったのか、ナタリアは苦笑を浮かべる。それは純粋で裏がない、心底からの苦笑だった。
「妙な人でしょう? 口さがない者は『無能侯』なんて呼ぶ者もいるけど、あなたはどう思う?」
「貴族にしては裏がなさ過ぎて、それが逆に怖い……かな?」
レウルスが答えると、何がおかしかったのかナタリアは苦笑を純粋な笑みに変えて噴き出した。くすくすと笑うナタリアに、馬車の手綱を操っていたニコラがびくりと震えて馬車が僅かに揺れる。
「貴族なのだから、何か裏があるはずだ……そう考えるのはあなただけじゃないのよ。宮廷雀の中にもあの人を無駄に警戒して、空回りする者がいるぐらいだもの」
「裏を読もうとするけど、裏に何もなくてそれが警戒につながるってことか?」
「それどころか、裏の裏の裏ぐらいまで読もうとして、でも何もなくて混乱する。けれど真っすぐな気性だからか“それ”すらも演技に見える……狙ってやってるのなら大した役者だわ」
レウルスの発言の何が面白いのか、ナタリアは目の端に涙が浮かぶほど笑っていた。そのナタリアらしからぬ様子にレウルスは疑問を覚えたが、今はサルダーリ侯爵の話である。
「あの人、狙ってやってるのか?」
「さて、どうでしょうね? わたしが知っているのは、あの人は『無能侯』なんて名前で呼ばれるほどではないけれど、優れた能力を持っているわけではないってことよ。魔法は使えないし、剣術も嗜み程度。馬に乗ればすぐに馬の方が音を上げるとか。政務も優秀な家臣がいるから任せることが多いらしいわ」
「……本当に侯爵なんだよな?」
レウルスが知る侯爵はサルダーリ侯爵以外ではグリマール侯爵やソフィアだけだが、後者二人は立場に見合った能力があるように思えた。そのため失礼だとは思いながら尋ねると、ナタリアは口元に手を当てて楽しそうに笑う。
「ふふっ……間違いなく侯爵よ。そして、マタロイ北部の貴族達もあの人が“上”に立っていることに文句を言わない……それが何故だかわかる?」
「いや、わからないな。悪い人じゃないってのはわかるんだが……」
立場に見合った能力がなくとも、周囲の貴族が文句を言わない。それはある意味異常事態に思えるが、ナタリアとしては別の見解があるらしい。
「北部の貴族に何人か知り合いがいるけど、面白いことを言っていたのよ。サルダーリ侯爵がそう言うのなら仕方がない、サルダーリ侯爵の頼みなら受けてみよう……なんて言葉をね」
「……能力はないけど、人望はあるってことか?」
「ええ……サルダーリ侯爵も言っていたでしょう? 当家の家臣はすごい、優秀だって。あれも本心だからこそ家臣がついていくの。周囲を従えるのではなく、周囲に“助けてもらえる”……非常に稀だけど、ああいった貴族もいるということよ。これも一つの経験になったわね?」
そう言って笑うナタリアだが、レウルスとしても腑に落ちる部分があった。
今回の準男爵への叙爵に関して引き金を引いたと言える人物だったが、不思議と怒りは湧かない。顔を合わせて話をしてみると、周囲の思惑があったとはいえ『運が悪かったのだな』と思うだけで済ませてしまいそうになるのだ。
「貴族は普通、自分の家を第一に考えるわ。これは北部の貴族も変わらない……でも、不思議なことに二番目、三番目ぐらいに他家の貴族であるサルダーリ侯爵のことを考慮して動こうとするの」
「本人が助けてくれって言ってないのに、か?」
「そうよ。サルダーリ侯爵家の動きを見て、『まずいことになりそうだから少し手を出しておこう』とか、『必要な情報を集めておこう』だとか、直接間接問わず手を差し伸べたくなるらしいわ」
そう話すナタリア自身、サルダーリ侯爵に対して悪感情を抱いていないように見える。
「そういった『加護』があるとか……いや、魔力は全然なかったし、あれは素か」
本当に稀だろう、とレウルスは思う。ついていきたくなるカリスマがあるというわけではないが、助けたいと思わせる“何か”があるのだ。そしてそれは、生来の性格がそうさせるのだろう。
「ひとまず、これであなたの叙爵に関する発案者が味方についてくれたわ。それどころか北部の貴族に手を回してくれるそうだから、仮に宮廷貴族が何か企んだとしてもかなり抑え込めるでしょうね」
ナタリアはそう言って笑うが、普段と比べればどこか楽しげで嬉しげだ。それに気付いたレウルスは首を傾げながら尋ねる。
「姐さん、妙に機嫌が良くないか? サルダーリ侯爵の歓迎がそんなに嬉しかったのか?」
そう言いながらレウルスはサルダーリ侯爵の邸宅で行われた“歓迎会”を思い返す。
用意された料理の数々はどれも絶品で、中にはメルセナ湖やレテ川で獲れたものを氷魔法で凍らせ、わざわざ王都まで運んできた魚などもあった。
また、ナタリアが恥を晒すようで恐縮だが、と侍女や執事の教育がまったく行き届いていないことを伝えると、本来は同席できないコロナ達を同席させた上でマルトー達の働きぶりを見せてくれたのだ。
料理を食べたコロナが目を丸くし、傍にいた侍女にあれこれと聞いていたが、ナタリアとしても得難い経験を積ませることができたと思っているのか。
そんなレウルスの質問に対し、ナタリアはその視線を外して遠くを見るように目を細める。
「別に、そんなことはないわ。ただ……」
そう言って僅かに唇を動かすナタリア。それはあまりにも小さな呟きで、レウルスはおろか馬車に乗り込んでいた他の者達も聞き取ることはできない。
「――爵位よりも“今の生活”が大切だって言ってくれたこと、嬉しかったわ」
心底嬉しそうに呟かれたその言葉は馬車が進む音に紛れ、そのまま消え散るのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、お気に入り登録や評価ポイント等をいただきありがとうございます。
今回の更新で拙作はプロローグを除いて500話に到達しました。
それもこれも、拙作を読んでくださる皆様のおかげです。改めて感謝いたします。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




