第49話:無自覚
エリザがラヴァル廃棄街に来てから十日の時が過ぎた。
それはエリザが冒険者として活動した期間とほぼ一致するが、エリザと共に連日魔物退治へと出かけたレウルスは一つの確信を得る。
「もしかしてとは思っていたけど……エリザがこの町の近くまで逃げてこられた理由がわかったな」
そう言ってレウルスが視線を向けたのは、今しがた仕留めた角兎の死体だ。冒険者組合から借りた剣で“背後から”斬り付けた角兎は一撃で即死しており、傷口から流れ出る血が地面を赤く染めている。
「魔物に遭遇しないと思っていたけど、これは予想外……」
周囲を警戒しながらシャロンが呟く。普段は冷静で表情をほとんど変えないシャロンだが、この時ばかりは信じられないように驚きの表情を浮かべていた。
レウルスとしてもシャロンの心境がよく理解できる。そのためどうしたものかと頭を掻き、ため息と共に言葉を吐き出した。
「まさか、釣ってきた魔物がエリザに気付くなり逃げ出すとはなぁ……」
時を遡り、精霊教徒のジルバから『客人の印』を受け取った翌日。昨日の大雨が嘘だったように朝から晴れ渡り、絶好の魔物退治日和だと考えたレウルスはいつものように魔物退治に出かけた。
レウルスが買い与えた動きやすい服に着替えたエリザを連れ、指導係であるシャロンと合流し、装備を整えてから向かったのはラヴァル廃棄街の南に存在する森である。
エリザには自身の魔力を感じ取る訓練を行うよう言い渡し、レウルスとシャロンはエリザを守るように周囲を固めながら森の中を探索していた。
時折シャロンから習っている途中だった森の中での歩き方や注意点、自生している食料や薬草などについて聞きつつ魔物がいないか、あるいは何か異常がないかを確認していく。
――だがその日、魔物と遭遇することはなかった。
明けて翌日。
今日こそはと再び南側の森へと向かうレウルス一行。エリザは相変わらず魔力の感知の訓練をしながらだが、昨日とは別の道に歩を進めて魔物を探していく。
――結局、その日も魔物と遭遇することはなかった。
さらに明けて翌日。
森の中に自生している薬草などの採取、薪や蔓などを集めるだけでは今の生活を維持するだけで精一杯だ、と焦りを覚えたレウルスは普段以上に気を張って魔物の気配を探った。
――それでも魔物と遭遇することはなかった。
次の日、レウルス達は場所が悪いのだと判断して今度はラヴァル廃棄街から見て西側へと足を向ける。ラヴァルの城壁を右手に見ながら森とは言えない林の傍を通り、魔物がいないかを確認しながら進んでいく。
――その日も空振りだった。
これはさすがにおかしい。そう考え始めたレウルスとシャロンは、魔物退治ではなくラヴァル廃棄街の北にある畑へ向かう農作業者の護衛依頼を受けた。
エリザは相変わらず魔力の感知訓練が言い渡されていたが、普段と違って守るべき護衛対象がいるという状況に激しく緊張している。実際はレウルスも緊張していたのだが、予想通りというべきか、レウルス達が“働く”機会はなかった。
――五日連続で魔物と遭遇しなかったのである。
そして今日、レウルスは一つの疑念を抱きながら提案した。
「ちょっと俺一人で森に入ってみる。先輩とエリザはここで待っててくれ」
仲間がいる状態で言い出すことではないが、この時ばかりはシャロンも了承する。
たしかに魔物と遭遇しない日も珍しくないものの、さすがに五日連続となると珍しいでは済まない。ラヴァル廃棄街に害が及ばないのは喜ぶべきことだが、魔物と遭遇しなさすぎるのもまた問題だった。
エリザはレウルスが離れることに対して不安そうな顔をしたが、確認する必要があるのだとレウルスが訴えると渋々引き下がる。
森の中に入るということで、身軽さを重視して大剣は置いていく。魔犬との戦いを教訓としたレウルスは最初から剣を抜いて森の中に足を踏み入れると、周囲の気配を探りながらわざと足音を立てて歩き回る。
普段ならばわざわざ魔物をおびき寄せるような真似はしないが、今日ばかりは特別だ。レウルスは歩くだけでなく、時折無作為に周囲の木を蹴りつけて大きな音を立てる。
「……ん? かかったか?」
そうやって歩き回って五分も経つと、レウルスの感覚に引っかかるものがあった。それは怖気を伴わない弱い違和感。その感覚で判断する限り、角兎がレウルスの存在に気付いて近づいてきているようだった。
森の中ということで見通しが悪く、その姿までは見えない。それでも自分の勘を信じたレウルスは踵を返し、即座に撤退する。
ドミニクの大剣を背負って歩き回ったおかげか、革鎧一式と剣を持った状態でも体が軽く感じられた。レウルスは徐々に近づいてくる気配との距離を測りつつ、時折木々を盾にして走ることで距離を詰めさせない。
それでも森の中では角兎の方が速かった。背後から迫る悪寒が強まったのを感じ取った瞬間、レウルスは横に跳んで角兎の突撃を回避する。
「っとと、あぶねえあぶねえ。ほら、鬼さんこちらっと」
レウルスは挑発するように手を叩き、エリザとシャロンがいる場所へ角兎を誘導していく。木の根にでも躓けば一気にピンチになるが、ここしばらくの間は足場が悪い場所を歩き回ったのだ。今更躓くこともない。
レウルスは角兎が逃げないよう挑発を繰り返し、エリザとシャロンのもとへとたどり着く――が、そこで角兎は予想外の行動に出た。
『ッ!?』
森の外に出てエリザの姿を確認するなり、突如として引き返していったのだ。それはまるで逃げるようでもあり、レウルスは焦りの声を漏らす。
「ちょっ!? いきなりすぎるぞテメェ!」
もしかしたら、という思いはあった。それでも人間を見れば即座に襲い掛かってくる魔物が一目散に逃げ出すその姿を見たレウルスは、咄嗟に短剣を抜いて投擲する。
走って逃げる角兎を仕留められるコントロールはない。それでも動きを止めることができれば良いと思って投げた短剣は角兎の進路上に落ち、その動きを鈍らせた。
「よい――しょっとぉ!」
動きを鈍らせた角兎に追いつき、抜いていた剣を振り下ろす。思い切り踏み込んで振り下ろした剣は角兎の背中を切り裂き、勢い余ってそのまま地面まで食い込むほどだった。
レウルスは剣を引き抜いて血を振るい飛ばし――そして冒頭に至る。
「しかしまあ、この中で一番弱いはずのエリザを見て逃げるなんてなぁ……」
「ボクとしても反応に困る……」
レウルスは回収した短剣で角兎を解体しながら、シャロンは周囲を警戒しながらでの会話だ。
ひとまず二本の角を回収したレウルスは角兎の足に蔓を結ぶと、近くに生えていた木の枝に吊るして血抜きを行う。すると辺りに血の臭いが広がったが、その臭いに釣られて魔物が寄ってくることもなかった。
「なあ先輩、魔物が寄ってこなくなるような能力……あー、『加護』だっけ? そんなのってあるのか?」
「ボクは聞いたことがない……でも、ないとも言えない」
もしかしたら『加護』の一種だろうか。そう考えて尋ねたレウルスだったが、さすがのシャロンも知らないらしい。
「血の臭いで寄ってくる気配もない、と……たまたま近くに魔物がいないだけなのか、それとも逃げたのか」
ボタボタと角兎の血が地面に落ちる音を聞きながら周囲の気配を探るものの、レウルスの勘に引っかかるものはなかった。
レウルスが挑発しながら“釣って”きたため角兎もここまで追ってきたが、魔物ならばエリザの姿が見えなくても何かしら感じるものがあるのかもしれない。
「ま、これでエリザがここまで逃げてこれた理由もわかったな。魔物の方が逃げるんなら、食べ物と水さえどうにかなれば国の一つや二つは越えられるか」
エリザは一ヶ月以上かけて旅をしてきたようだが、魔物の脅威さえなければその道中は比較的安全と言えるだろう。街道を歩けば野盗の類と遭遇する危険性もあるが、魔物が跋扈する森の中などを移動すればその危険性も一気に低くなる。
レウルスは見たことがないが、仮に街道に関所のようなものがあってもエリザには関係がない。“普通ならば”通れない場所を通り、国を跨いで逃げることができるのだ。
「といっても、食い物なんかを集められるかはエリザ次第だろうし、山や森を突っ切っていくのは心臓に悪そうだなぁ……」
レウルスの場合、シェナ村から鉱山に運ばれる途中でキマイラに襲われ、森の中で一晩を明かす羽目になった。その時は木の上で身動き一つせずに夜が明けるのをひたすら祈っていたわけだが、魔物が近づいてくる度に絶望したものである。
魔物が近寄ってこないというのは逃亡者にとって非常に魅力的な力だろう。それでも一ヶ月以上一人で、いつ終わるともしれない逃避行を続けるのは精神的にも辛そうだ。
キマイラが追ってきているかもしれないという恐怖。キマイラ以外の魔物に気付かれて襲われるかもしれないという恐怖。飢えと疲労で力尽きてしまいそうな恐怖。更には人里がどこにあるかもわからないという恐怖。
レウルスが放浪した時間はエリザと比べて短いが、凝縮された恐怖に晒された。今ならばともかく、奴隷として売られた時は武器も防具もなかったのである。魔物に見つかればロクな抵抗もできずに死んでいただろう。
完全に気を抜くことはできないものの、魔物に見つからないどころか相手から避けてくれるのならば便利だとレウルスは思った。
「……エリザ?」
そこまで考えたレウルスは、まったく口を挟まないエリザに怪訝そうな視線を向ける。エリザは無言で俯いており、その唇は真一文字に引き結ばれていた。
「ワシは……やはり化け物なんじゃろうか」
それでも辛うじて発した言葉は、どうしようもなく揺れている。よくよく見ればエリザの体は震えており、今にも泣き出しそうな気配が漂っていた。
「ワシもな、おかしいとは思っておったんじゃ……かあ様もとう様も、そしておばあ様もいないのに、逃げられるはずがない……そう思っていたというのに、魔物に襲われることもなくここまで逃げてこられたんじゃから……」
「…………」
涙が滲んだその言葉に、シャロンは何も言わなかった。その代わり、レウルスに視線を向けてどうにかするよう促す。
「そうじゃよなぁ……いくらおばあ様ととう様が強いといっても、魔物が住む山の中で生活の場を整えることなど不可能じゃよなぁ……はははっ、思い返してみれば、魔物を倒していたのはとう様が周囲の見回りに出た時がほとんどじゃった」
自嘲するように笑うエリザ。レウルスとしても山の中で生活基盤を整えていたという話に驚いたものだが、実際にはエリザの“力”に因るところが大きいらしい。
「勝手に怪我が治るし、魔物も逃げる……これでは正真正銘化け物ではないか……」
エリザの頬を涙が伝い、地面へと落ちていく。その姿にシャロンからの向けられていた視線が強くなったが、レウルスは黙ってエリザの話を聞いていた。
「かあ様もとう様も、おばあ様も、ワシが吸血種だろうと気にしなかった……じゃが、それは本当なのかのぅ……心の中で疎んじていたのではないか? ケルメドから追い出される原因になったんじゃ。挙句の果てに殺されて……ワシを恨んでおるじゃろうな……」
エリザが吐き出すのは、自責と後悔の言葉。涙を流しながら切々と語るエリザの姿は、レウルスと比べて付き合いが浅いシャロンすらも同情するものであり。
「――馬鹿かお前」
それまで黙ってエリザの話を聞いていたレウルスは、鼻で笑い飛ばしていた。
「なっ!? 馬鹿……じゃと……」
「おう。疎んじていただの恨んでいただの、両親とお婆さんが聞いたらきっと凹むぞ。疎んじていたならとっくの昔にお前を放り出していただろうし、恨むとすればお前じゃなくて襲ってきた相手だろ」
エリザからすれば違った感想を抱くのだろう、と苦笑しながらレウルスは言葉を続ける。端から聞いていれば、エリザの家族が何故そんな行動を取ったのかは単純な話だ。
「魔物が寄ってこないなんて“便利”な能力だ。付き合いが短い俺でさえ気付いたんだから、お前の家族だって気付いていただろうさ。仮に……仮に、だぞ? お前のことを疎んじていたのなら、辺境の村にでも売り払うだろうよ」
魔物が寄ってこないなど、魔物の被害に悩まされている町や村からすれば喉から手が出る程欲しい能力だろう。そもそもエリザが吸血種だと騒がれた時にグレイゴ教に突き出せばそれで解決だ。足手纏いのエリザを突き出して自分達だけで逃げれば良い。
そうせずにエリザを守り、不便な山の中で暮らし続けたのは何故か。
それはきっと、言葉にすれば単純で――。
「お前が化け物かどうかなんてどうでも良かったんだろ。お前の両親にとっては可愛い娘で、お婆さんにとっては可愛い孫だった。だから守りたかった……それだけだろ」
前世と違ってこの世界では当たり前とは言えない、家族としての愛情がそうさせたのだろう。命が軽いこの世界においてわざわざ住んでいた町から逃げ、魔物が生息する山の中に住んでまでエリザを守る理由が他にあるのか。
少なくとも、レウルスには思い付かない。
「そう……なんじゃろうか? ワシはかあ様達に愛されていたんじゃろうか?」
信じきれないように震えた声で尋ねるエリザ。レウルスは肩を竦め、笑顔を浮かべて言う。
「さあ? 俺の勝手な予想ってだけで、保証はできないな」
「……そこは断言するところじゃろう!?」
ここまで語って突然放り出すレウルスに、エリザは目を剥いて怒鳴る。しかしレウルスはそんなエリザの剣幕に構わず、吊り下げた角兎の解体を再開した。
「俺が断言しても意味はないだろ。色々と話しておいてなんだけど、俺はお前の家族に会ったこともないしなぁ……ただ、ジルバさんも言ってたけどさ。人の姿をしていて人の言葉を話して、人のように感情がある。それなら化け物じゃなくて人でいいんじゃないか?」
レウルスとしても、エリザが化け物だろうと人だろうとどうでも良かった。出会って二週間にも満たない付き合いだが、その素直な性根を見ればエリザの家族がエリザを守りたいと思ったのも、遠く及ばないだろうが共感できたのである。
「それよりお前の“これから”について考えようぜ。全自動魔物避け装置とか便利すぎて洒落にならんし、さすがにこれは姐さんに相談する必要があるだろ」
「……たしかに。ボクもそれには同意する」
魔物がエリザを避けるのならば、農作業を行う者達を護衛するのに役立つだろう。上手くいけば魔物を誘導して一網打尽にすることも可能かもしれない。
「レウルス、お主なぁ……はぁ……なんだか深刻に考えておったのが馬鹿らしくなるわい」
「はっはっは。つまり、深刻に考えなくても良いってことだろうさ」
残酷なようだが、エリザの家族は既に死んでいるのだ。どう思っていたかなど他人のレウルスにわかるはずもなく、エリザが自分自身で解釈するしかない。
レウルスにできることがあるとすれば、エリザが自分を化け物だと“貶めた”時に鼻で笑ってやることぐらいだ。
「というか、お前みたいに可愛い化け物がいるかよ。せめてキマイラ並の威圧感を覚えてから出直してこい。あと、化け物なら涙と一緒に鼻水ダラダラ流して、人の服を塗り固めて窒息しそうにはならねえよ」
人の服に顔面を押し付け、涙と鼻水で窒息しそうになる化け物がいたら見てみたいものである。
「あの時のことは言うでないわっ!? ……と、ところで、か、可愛い……かの?」
「え? なんだって?」
「お主絶対聞こえておったじゃろ!? この距離で聞き逃すなど有り得んじゃろ!?」
「ああはいはい、可愛い可愛い。プリティープリティー」
「ぷりてぃってなんじゃ!?」
先程までの凹みっぷりはどこにいったのか、顔を真っ赤にして飛びかかってくるエリザ。レウルスは解体していた手を止めて両手でエリザを受け止めると、そのまま『高い高い』をしてやる。
「はーい良い子だー。でもまずは大人しく魔法の練習をしようなー。獲物の解体を邪魔するとどんな行動に出るか自分でもわからんぞー」
「子ども扱いするでないっ……って後半が怖いわっ!」
小柄ではあるが身長の割に軽いエリザの体を上下に揺らすと、優しくそっと地面に下ろす。そして真っ赤になりながら唸るエリザに破顔し、レウルスは角兎の解体を再開する。
「――――ん?」
だが、そこで不意に奇妙な感覚を覚えた。レウルスは角兎を解体しようとした手を止めて周囲を見回す。そんなレウルスの仕草にシャロンは杖を構え、周囲に視線を向けた。
「敵?」
「いや……魔力っつーか気配っつーか、視線? 誰かに見られてたような……」
レウルスが周囲を確認すると、僅かに覚えた違和感も消え失せる。詳細がわからないためなんとも言えないが、エリザの能力には効果範囲があり、その範囲ギリギリのところから魔物が窺っていたのかもしれない。
「……ナタリアさんに報告する前に、その辺りのことも確認しておこう」
「了解だ先輩。それならまずは兎の解体を終わらせるかね」
魔物が寄ってこないと言っても、どれぐらいの範囲で、“どこまでの相手”に通用するのかわからないのだ。角兎は逃げたが、キマイラなどの強力な魔物にまで通じるかは検証しなければわからないのである。
エリザ自身の戦闘力が低くとも、“魔物避け”になるのならば冒険者として活動することも可能だろう。日に日に怖さを増していくナタリアの笑顔を崩すためにも、しっかりと確認しておこうと思うレウルスだった。
おかしい……アホの子のじゃロリ吸血鬼(種)よりも中年男性の方が食いつきが良いぞ……
どうも、作者の池崎数也です。
前話を更新して多くのご感想をいただきましたが、↑が真っ先に浮かんだ作者の心境でした。
多くのご感想をいただきありがとうございました。毎度作者のモチベーションになっております。
いつの間にか『小説家になろう』様の読者層のトレンドが変化して、ヒロインよりも中年男性を求めているのかと考えてしまったのは内緒です。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。