第498話:サルダーリ侯爵 その1
王都の大店で侍女服や執事服を購入した翌日。
もうじき正午になろうかという時間に、レウルス達は馬車に乗って訪問を約束していたサルダーリ侯爵の邸宅を訪れていた。
レウルスは先方の希望通り、正装ではなく冒険者としての装備を身に着けている。赤みを帯びた鎧一式を身に纏い、ナタリアから贈られた外套を羽織る。その上で背中には『龍斬』を背負い、腰には『首狩り』の剣を、腰裏には短剣を装備した“いつもの姿”だ。
レウルスとしては着慣れた装備ということで気が楽だが、他の面々の姿を見ると本当にこれで良いのかと首を傾げてしまう。
ナタリアは動きやすさを重視した意匠ながらも黒いドレスを身に纏い、サラとネディは大教会から贈られた『精霊の証』を首に下げ、赤い外套と青い外套をそれぞれ身に着けていた。
エリザやコロナは昨日購入したばかりの侍女服に着替えており、馬車の手綱を操るニコラも執事服を着ている。ミーアは以前王都で購入したドレスに近い意匠をした薄茶色の礼装を身に着けていた。
なお、ティナは借家で留守番である。さすがにグレイゴ教の司教を別の貴族の家に連れ込むわけにもいかず、王都を自由に散策して良いとナタリアは言っているが、ティナは自らの意思で留守番を引き受けていた。わざわざ王都で問題を起こす気など微塵もないのである。
「あれがサルダーリ侯爵の邸宅、か……でかいな」
馬車の中からサルダーリ侯爵の邸宅を視界に収めたレウルスは、思わずといった様子でそう呟いた。
領地を持つサルダーリ侯爵は、当然ながらメルセナ湖周辺の一帯が本拠地である。それだというのに到着した邸宅は見上げる必要があるほどに高く、庭も建物も広い。
邸宅の周囲を石造りの壁で囲い、正門は金属で作られた両開きの扉。今は開け放たれているものの、その先に見えるのは邸宅へ続く石畳とその両側に設けられた花壇だ。
(グリマール侯爵のところもそうだったし、ルイスさんのところもそうだったけど、王都にこんなでかい家を建てるなんて貴族ってのは金持ちなんだな……)
グリマール侯爵の邸宅も大きく立派だったが、サルダーリ侯爵の邸宅とどちらが“上”かと聞かれれば答えに窮してしまう。それは同じ侯爵としての面子がそうさせるのか、あるいは敢えて同程度の規模にしてあるのか。
侯爵二人と比べると、ルイスの邸宅は二回りほど小さいものになる。元々子爵であり、ここ一年と経たない間に伯爵になった身ではさすがに侯爵の邸宅と比べると小規模になるのだろう。
――それでも、レウルス達が現在寝床にしている借家と比べれば大きな差があるが。
正門の両脇に立つ門衛は、馬車と乗り込んでいる者達を確認すると特に止めることもなく仕事に戻る。馬車が通る直前に一礼をするあたり、教育が徹底しているのだろう。その立ち居振る舞いから、侯爵家の門番を務めるに足る技量があることも窺い知れる。
ニコラは馬車の速度を落とし、慎重にサルダーリ侯爵の邸宅へと近付いていく。さすがに馬を暴れさせるような真似はしないが、花壇に突っ込みでもすれば騒ぎになるからだ。
そうやって邸宅に近付いていくと、それに気付いていたのか邸宅の扉が開き、先日使者として顔を合わせたマルトーが姿を見せた。そして恭しく一礼すると、扉の中から三名ほどの執事が姿を見せる。
「馬車をお預かりいたします」
「あ、ああ……じゃない、お願いします」
レウルス達が馬車から下りると、執事の一人がニコラから手綱を預かり、邸宅の脇へと誘導していく。そして残った二人の執事が扉の傍に控えると、いつでも開けられるようにドアノブに手をかけるのが見える。
「急なお誘いにも関わらずご来訪いただき、主に代わって感謝申し上げます。主も皆様にお会いできる日をお待ちしておりました」
「お招きいただきありがとうございます。こちらこそ感謝いたしますわ」
マルトーの言葉を聞き、柔和な笑みを浮かべたナタリアが答える。マルトーはそんなナタリアの言葉に微笑みながら一礼すると、半身だけ振り返るようにして邸宅の扉へ視線を向けた。
「主もお待ちしております。僭越ながら、私めがご案内を」
マルトーの言葉が終わるかどうかというタイミングで、二人の執事が扉を開けていく。分厚い木製の扉だったが、きちんと整備されているのかほとんど音を立てず、スムーズに扉が開かれた。
そんなオルトーや執事達の所作を見たレウルスは、表情に出すことはしないものの内心だけで感嘆の息を漏らす。
(貴族の家って、あれぐらいは平然とできる人達を雇わないといけないのか……姐さんが頭を抱えるわけだ)
戦いのプロ――などと名乗るつもりはないが、冒険者は基本的に魔物相手限定だが荒事の専門家とも言える。しかし、彼ら執事は他者に仕える専門家であり、レウルスの素人目から見てもその所作が非常に洗練されているように感じられた。
開いた扉の先は、広々とした玄関ホールになっていた。床には赤い絨毯が敷かれており、レウルスでは価値の程は見抜けないが高級そうな壺や絵画が飾られているのが見える。
そして、扉を開けた先には執事や侍女と思しき者達が整列しており、更にその先には豪奢な服に身を包んだ男性が立っていた。
歳の頃は三十代の半ばといったところだろう。少々色合いが抜けてきている金髪をオールバックに撫で付け、口の上には綺麗に整えられた髭が伸びている。
身長はレウルスと同じぐらいあり、百八十センチに届くかどうか。しかし“横幅”もあって恰幅が良いためレウルスよりも大柄に見える。燕尾服に似た黒服を身に着け、もこもことしたガウンのような上着を羽織っていた。
魔力は感じ取れず、その外見からも“戦う者”特有の気配はない。何が嬉しいのかニコニコと笑っており、レウルス達の姿を見るなり両腕を広げる。
「おお……おお! 今日はなんという良き日だ! かの『風塵』殿に、我が領の危機を救ってくれた勇士! それに大教会も認める精霊様がお二人……一度にこれほどの賓客を当家の屋敷に迎え入れるのは一体いつぶりか! いや、当家が誕生してから初と言えるのではないか!」
そう言って男性が足音を立てながら近付いてくる。両腕は相変わらず広げたままで、恰幅の良さもあって普通ならば威圧感のある光景だった。
「余はルーベン=マークス=マルド=サルダーリ。サルダーリ侯爵家の当主である! ナタリア殿……いや、今はアメンドーラ男爵殿か! 顔を合わせるのは何年ぶりか? 先の叙爵では王都に来れずすまぬな!」
「お久しぶりです、サルダーリ侯爵殿」
ナタリアは男性――サルダーリ侯爵の言葉に苦笑を浮かべながら応える。
「そして……おお! 貴殿がレウルス殿か! 『魔物喰らい』にして『精霊使い』! 会えて光栄であるぞ!」
そう言いながら距離を詰めてくるサルダーリ侯爵だが、不思議と威圧感を覚えない。浮かべた笑みは人懐こく、レウルスに会えたことを心底から喜んでいるように見えた。
「初めましてサルダーリ侯爵様。アメンドーラ男爵領所属、冒険者のレウルスと申します。なにぶん礼儀を知らぬ無礼者ですので、失礼がありましても御寛恕いただきたく」
「なに、今回はこちらが無理を言って招いた身! 多少の無礼など咎めはせぬとも!」
ははは、と笑いながらレウルスの手を取り、上下に振るサルダーリ侯爵。その姿は侯爵という身分と邸宅の見事さに反し、非常に砕けたものだった。
(侯爵……というか、俺が知る貴族ってもう少しこう……なんだ。厳格な雰囲気があった気がするんだが……)
身内であるナタリアはともかく、レウルスが会ったことがある貴族の中で気さくな人物といえば精々ルイスぐらいだろう。そのルイスも何度か顔を合わせて言葉を交わし、その上で色々と“貸し”があるからこそ友好的な態度を向けてくるのだ。
サルダーリ侯爵と同じ立場でありグリマール侯爵は厳格な貴族といった風貌で、ここまで真っすぐに接してくるようなことはなかった。
(侯爵といえばソフィアさんもだけど……あの人は例外だな)
自分とつながりがある貴族、案外フランクな人が多いな、などと自身の考えを否定するレウルス。
サルダーリ侯爵はサラとネディにも視線を向けたかと思うと、右手を胸に当てながら一礼する。
「お初にお目にかかります、精霊様。サラ様とネディ様で間違いありませんか?」
「ええそうよ! わたしがレウルスの精霊、サラ!」
「……うん。わたしはネディ」
侯爵相手に“普段通り”に返答するサラとネディ。それを聞いたレウルスは思わず頭を抱えそうになるが、サルダーリ侯爵は嬉しそうに笑みを深めた。
「はっはっは! 精霊様が当家の屋敷を訪れるなど、光栄の極みですな! お抱えの絵師に命じてお二人のお姿を絵に残し、飾りたいぐらいですよ!」
サラとネディの言葉遣いを微塵も気にした様子もなく、サルダーリ侯爵は大きく口を開けて笑う。そしてコロナとエリザ、ミーアにも視線を向け、ウインクでもするように右目を閉じた。
「それに可愛らしいお嬢さん方に、中々精悍な顔付きの……?」
だが、執事服に身を包んだニコラの顔を見ると言葉が途切れる。何か“引っかかるもの”でもあったのか、サルダーリ侯爵は不思議そうに眉を寄せた。
「……私の顔に何か?」
不承不承ながらも自身に課せられた“役割”を守ったのか、ニコラはぎこちない口調で尋ねる。サルダーリ侯爵はそんなニコラの質問に我に返ると、何故か自分の腹をポンと叩いた。
「うむ! どこかで見たような顔だと思ったが、とんと思い出せん!」
「……そんなに珍しい顔じゃないと思いますしねぇ」
ニコラが呟くように言うが、聞こえなかったのかサルダーリ侯爵は笑いながらナタリアへと振り返る。
「昼頃に来訪するということで、歓迎も兼ねて昼食の用意があるのだ! 是非とも当家の料理を味わっていってくれ!」
「お言葉に甘えますわ」
満面の笑みを浮かべながら行われた提案に、ナタリアは苦笑を深めながら頷くのだった。




