第496話:人材不足 その1
サルダーリ侯爵の使者を名乗る男性は、五十代と思しきこの世界においては老境の人物だった。ロマンスグレーの髪を綺麗にオールバックに整え、汚れも皴もない執事服に身を包んだ物腰が柔らかい雰囲気の男性である。
使者という身だからか武装の類はなく、他者を安心させるような笑みが印象的だった。
「え、っと……レウルスは俺、いえ、私ですが……」
その雰囲気に呑まれたレウルスは、少しだけ困った様子で答えた。雰囲気で言えばヴェルグ伯爵家のセバスに近いものがあるが、眼前の男性は輪をかけて柔和な気配が漂っている。
物腰は洗練されているが魔力は感じられない。もしかすると隠しているのかもしれないが、至近距離でも感じ取れないためおそらくは魔力の持ち主ではないのだろう。
腕を伸ばせば届きそうな距離だというのに魔力を隠し通せるような技量ならば、ジルバさえも超えていそうでレウルスとしては怖かったが。
「おお、そうございましたか。お会いできて光栄でございます。私、サルダーリ侯爵家に仕える執事のマルトー=スペルティと申します」
そう言って一礼する男性――マルトーだが、その一礼の仕草でさえも堂に入っていた。
「主であるサルダーリ侯爵より、可能ならば是非ともレウルス様にお会いしたい、予定を確認してくるようにと命を受けまして……もしご予定に空きがあるのならば、数日以内に一度だけでも歓談の機会をいただけないでしょうか?」
あくまでレウルスの予定次第で、それに合わせるといわんばかりの態度である。下手に出ているというわけではなく、“丁寧に扱われている”と感じる声色と仕草だった。
「これはどうもご丁寧に……えーっと、サルダーリ侯爵様、ですか……」
マルトーの態度に好感を抱いたレウルスだったが、相手の名前が名前だけに即座には頷けない。今回王都を訪れたのも、元々はサルダーリ侯爵がレウルスを騎士爵に推薦したのが始まりだからだ。
「アメンドーラ男爵と相談することがありまして……少しだけ待っていただいてもかまいませんか?」
「はい。いくらでも待たせていただきます」
レウルスはひとまず閉めると、足音が極力立たないよう注意しながら駆け出す。そして二階にあるナタリアが使用する部屋まで数秒とかけずに辿り着くと、扉をノックして声をかけた。
「悪い、姐さん。サルダーリ侯爵のところから使者が来てて、数日以内に一度だけでも会えないかって言われてるんだが……」
「サルダーリ侯爵のところから? ああ、それなら受けていいわ」
そしてあっさりと、レウルスが戸惑うほど即座に返答があった。
「……いいのか?」
「あの方なら大丈夫よ。王都に来ているか確認したいところだったし、向こうから使者を出してくれたのならむしろ助かるぐらいだわ。だから受けて大丈夫……いえ、その前にレウルス、使者は誰が来たのかしら?」
「使者? マルトーさんっていう、五十代ぐらいの執事の人なんだが……スペルティって苗字も名乗ってたけど」
レウルスがマルトーの名前を伝えると、ナタリアは僅かに沈黙する。それにレウルスが疑問を覚えていると、扉越しに呟くような声が響く。
「五十代の執事で苗字持ち……“絶対に失礼な真似をしない”ような人材を使者に立てたわけね。いいわ、少し待ってなさい」
そう言って一分ほど物音がしたかと思うと、扉が開いた。そうして姿を見せたナタリアは旅装から着替えていたが、その姿にレウルスは目を丸くする。
ドレスと呼ぶほど派手ではないものの、明らかに“庶民”が着ることはないであろう良質な布地を用いた黒いロングスカートの衣服。布地のところどころに刺繍が施されており、一見地味な色合いながらよくよく見るとお洒落に気を配っているのが察せられた。
「……その服は?」
「男爵である以上、いつまでも旅装でいるわけにもいかないでしょう? かといって、借り物とはいえさすがに自宅の中でまで正装でいたくないのよ。でもこの服装なら使者が相手でも問題はないわ」
そう言いつつ、ナタリアはレウルスを促して玄関へと向かう。そのついでに居間に顔を出すと、椅子に座ってだらけていたニコラに向かって二階を指さした。
「ニコラ、わたしとレウルスはサルダーリ侯爵家からの使者と話をしてくるわ。その間、エリザ達が一階に降りてこないようにしておいて。特にサラのお嬢さんをね」
「あいよ……使者を家に上げるのか? もてなす準備もできてないだろうに……」
「さすがに無理なものは無理だからそんなことはしないわよ。それともニコラ、あなたが執事服でも着て手伝ってくれてもいいのよ?」
「……冒険者に何を求めてんだよ、姐さん」
ニコラは肩を竦めて二階へと姿を消す。それを見送ったレウルスだったが、ナタリアは居間を見渡してため息を吐いた。
「今日のところは仕方ないとして、即席でコロナを仕込むしかないわね……見込みがある子を連れてきた分、まだマシと思いましょうか」
ナタリアはそんなことを呟きながら、レウルスの肩を軽く叩く。
「この屋敷の広さなら仕方ないけど、“本来なら”使者は応接室に通した方が良いわ。敵対している貴族家の使者なら追い返してもいいけれどね」
「いいのか……って、応接室ってあっちの部屋か?」
そう言ってレウルスが指をさしたのは、前回王都を訪れた際も特に利用することがなかった部屋である。
王都で借りている邸宅は二階建てだが、その一階部分は玄関を開けると右手に居間、左手に応接室、正面にフロアと階段が存在する。フロアの更に奥まで進めば風呂や便所、調理場などもあり、基本的に他者をもてなすための場所である。
二階部分が寝室などの生活を送るための場所で、レウルス達の個室も用意されていた。
「前回王都に来た時、ルイスさんがいきなり来たんで居間に通しちゃったんだけど……」
あれは駄目だったのだろうか、とレウルスは頭を抱える。ルイスは気にした素振りも見せなかったが、応接室ではなく居間に通したのはまずかったのかもしれない。
「この家だと応接室と居間しかないけど、相手の立場や相手との親しさも考慮して部屋を選ぶのよ。使者なら応接室、ルイス殿みたいにあなたにとって“個人的に親しい”相手なら居間でも問題ないわ」
「……その辺りの判断は姐さんに任せるよ」
間違いでもすれば目も当てられない。レウルスがそんなことを考えていると、ナタリアは朗らかに笑みを浮かべながらレウルスに玄関の扉を開けるよう仕草だけで促す。
「すいません、お待たせしました」
扉を開けてみると、そこには閉める前とまったく同じ体勢で待つマルトーの姿があった。しかしナタリアがいることに気付くと、すぐさま一礼する。
「アメンドーラ男爵様でございますね? 私、サルダーリ侯爵家に仕える執事のマルトー=スペルティと申します。急な往訪にも関わらずお会いいただけるとは、恐縮の極みでございます」
「お気になさらず。ただ、本日王都についたばかりで応対の準備も整っていませんの。お恥ずかしい限りですわ」
「そのような時に往訪してしまい、誠に申し訳ございません。『精霊使い』のレウルス様が王都に来られたと聞き、主よりそのご予定を確認してくるよう仰せつかりまして……」
「まあ……北部の貴族を取りまとめるサルダーリ侯爵殿からのお誘いとあれば、“当家の民”であるレウルスも喜びます」
相手が正式な使者だからか口調を変えて応じるナタリアだったが、レウルスとしては傍で聞いているだけでも妙にむず痒い。それでもこの場を離れるわけにもいかず、そのままナタリアとマルトーの言葉を聞き続ける。
「もしもご予定に空きがございましたら、是非ともアメンドーラ男爵様にも当家にお越しいただきたいのですが……」
「レウルスと一緒に来訪する……それでよろしいですか?」
「もちろんでございます。主からは歓談の機会を設けていただければと仰せつかっておりまして……アメンドーラ男爵様もご一緒ならば、主も喜ぶことでしょう」
裏がない――あっても見抜けそうにないが、笑顔で言葉を続けるマルトー。
「ただ、こちらからお誘いする立場で恐縮ではありますが、レウルス様には“普段の姿”で来ていただきたいと……『魔物喰らい』とまで呼ばれた方を是非ともお招きしたいそうです」
「……それは、レウルスに何か頼み事でもあると?」
「いえ。大精霊様に誓ってお答えいたしますが、サルダーリ侯爵領を救ってくださった方のお姿をただ見てみたいとのことでございますれば」
そう言ってマルトーは右手を胸に当てながら一礼する。ナタリアはそんなマルトーの姿を観察するように見つめていたが、すぐさまそれを打ち消すように微笑みを浮かべた。
「それでは明後日の昼時でいかがでしょうか?」
「かしこまりました。主にお伝えいたします」
マルトーは再び丁寧に一礼すると、レウルスの前から去っていく。歩き方すらも堂に入っており、レウルスは思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
「ヴェルグ伯爵家のセバスさんもそうだったけど、洗練された執事ってのは見てるだけでもすごさが伝わってくるな」
「そう、ね……あれほどの人材をとは言わないけど、当家でもめぼしい人材を見つけるなり育てるなりしないといけないのよね……」
ナタリアは少しだけ落ち込んだようにため息を吐く。教育中とはいえシャロンを置いてきたのは失敗だったかと思考したものの、属性魔法の使い手でもあるシャロンは戦力的に残しておきたかったのだ。
「明後日の昼、か……明日は何かあるのか?」
ナタリアのため息を聞いたレウルスは、話題を逸らすために尋ねた。すると、ナタリアは目を細めながら夕焼けに染まり始めた空を見上げる。
「あなたの叙爵に関しても王都についたからといってすぐに行われるわけでもないし……とりあえず、コロナとニコラ……あとはエリザの服を買いに行くわ」
「服?」
「ええ。侍女服や執事服が必要だと思ってね。本職には敵わないけど、ひとまず形だけでも整えないと……」
アメンドーラ男爵領の開拓は順調で、スペランツァの町も形になりつつあるが、アメンドーラ男爵家として見ると人材が足りないのだ。戦力に関しては十分以上に揃っているが、執事や侍女といった“その手”の人材はまったくと言って良いほど足りていない。
ナタリアとしても執事や侍女が必要になるのはまだ先で、前回王都を訪れてから一年も経たない内に再び訪れることになるとは考えてもいなかったのだ。
再びため息を吐くナタリアにかける言葉が見つからず、レウルスは困ったように夕焼け空を見上げるのだった。




