第495話:王都の民
レウルスが王都を訪れた理由が準男爵への叙爵であり、男爵であるナタリアが同行し、なおかつ大教会を取りまとめる精霊教師かつ侯爵でもあるソフィアが出迎えたことで、城門での待ち時間もなくスムーズに王都へと足を踏み入れることができた。
ただし、時間を短縮できた代わりにソフィアと精霊教徒達を引き連れて王都に入ることになり、城門を潜るなり周囲からのぎょっとした視線が届く。
レウルスはサラやネディと共に馬車を先導するように歩き、ナタリアはソフィアを連れて馬車の中へと引っ込んでいる。しかし荷車に幌を張った形の馬車のため、正面からならばソフィアが乗り込んでいることも見えてしまうだろう。
「人が多いっつうか視線が痛いっつうか……」
「悪いね、先輩。前来た時もこんな感じ……いや、今回の方が酷いわ」
御者台からぼやくようなニコラの声が聞こえたため、レウルスは肩越しに振り返って謝罪がてら苦笑する。
レウルス達の更に先を精霊教徒の面々が先導し、馬車が通るための道を確保していく。エリザ達は申し訳なさそうに、それでいて恥ずかしそうに身を縮こまらせて馬車の後を追ってくるが、レウルスとしてはそちらに混ざりたい気分だった。
サラやネディと共に馬車の前方を歩くのも、ナタリアからの指示なのだ。それが一体何の意味を持つのかと言えば、周囲から聞こえてくる声が教えてくれる。
「あれは……一体どこの家の者だ? 馬車は粗末なものだが……」
「馬車の前を歩く男が身に着けている鎧や剣を見てみろよ。どこぞの騎士様じゃないか?」
「いや、ただの騎士が身に着けるにしては随分と上等な代物に見えるが……」
ひそひそ、と表現するには大きな声で言葉を交わし合う王都の住民達。王都は平和だからか、物珍しいものを見つけたと言わんばかりに続々と人が集まり始める。
レウルスとしては見世物にでもなったような気分だったが、暴れて蹴散らすわけにもいかない。
「大教会の方々が先導されているということは、精霊教に関係する人物なのでは?」
「あんなに大勢でか? ん? 精霊教師のソフィア様も馬車に乗っているぞ?」
「ソフィア様もご一緒ということは、もしや精霊様では……」
視線を向けられているのはレウルスだけでなく、サラやネディにも無遠慮な視線が飛んでくる。しかしソフィアや精霊教徒達が一緒ということもあり、徐々に視線の色が変わりつつあった。
「精霊様? いや、まさか……」
「私は以前お見掛けしたことがありますが、鎧を着た方の両隣を歩いているのは精霊のサラ様とネディ様ですよ」
「えっ!? ということはあの人が噂の『精霊使い』!?」
(……ん?)
聞こえてきた会話に違和感を覚えたレウルスは、そちらへと視線を向ける。サラとネディの顔を覚えていて、なおかつ精霊であると即座に紐付けられる者となると限られているのだが――。
(大教会で見た……ような……もしかして“サクラ”が混じってないか?)
数が多いためすぐさま人混みに紛れてしまったが、数秒とはいえ確認できた顔には僅かとはいえ見覚えがあった。
周囲に集まった住民の中にはサラとネディが精霊だと聞こえたからか、胸に右手を当てながらその場に膝を突き、祈る者が出始める。
「アレが精霊様……でも格好が……」
「『精霊使い』様の方が立派な格好っていうのはどうなんだ?」
「それが今回は準男爵になるとかで……」
(っ……)
明らかに自分の事情を知っていると思い、レウルスは声がした方へと視線を向けた。しかしレウルスが準男爵になる云々と話していた人物に見覚えはなく、噂話として広めているのか判断できない。
「へえ! 準男爵様に!」
「そう言われて見ると、背負った大剣や鎧もそうだけど本人も精悍な顔立ちに見えるような……」
「あんなに立派な武器や鎧を揃えてるんだ。さぞ腕の立つお方なんだろうな」
「『精霊使い』と言やぁ、以前『天雷』のベルナルドと引き分けたとか……」
ざわざわと飛び交う言葉が増え続け、歓声でも上がりそうなほど注目が高くなっている。それに気付いたレウルスは、今からでも良いから叙爵を放り出してラヴァル廃棄街に帰れないだろうか、と真剣に考えた。
そして、そんなレウルスの背後。馬車の中で事の成り行きを見守っていたナタリアは、隣に座るソフィアに鋭い視線を向ける。
「……それで? わざわざ城門の前で待ち構えて、あんな“仕込み”までして、あなたは一体何を考えているのかしら?」
「まあ……かの『風塵』殿にそんな顔をされては、私のような手弱女などそれこそ木っ端のように吹き飛んでしまいそうですね」
コルラードなどが向けられれば即座に顔色を青くして白旗を揚げそうなナタリアの視線に、ソフィアは身を震わせる素振りを見せた。しかし本当に怯えている様子はなく、ナタリアの視線が更に細まったのを見て即座に肩を竦める。
「とまあ、冗談はこれぐらいにしておきましょうか。ナタリアさんなら予想しているでしょうけど、精霊教師として、貴族として、わたし個人として……理由は三つほどありますけどどれから聞きます?」
「……それじゃあまずは精霊教師としての理由から聞きましょうか」
右手に持った煙管を左の掌に何度も当てながら、ナタリアが話の続きを促す。それを聞いたソフィアは馬車の前を歩くレウルスへ視線を向け、口元を微かに緩めた。
「精霊教師としては、精霊様と『契約』を結んでいる人間が無位無官というのも外聞が悪いなぁ、なんて思ったわけですよ。レウルス君は気にしないでしょうけど、“そういうの”を気にして足を引っ張るのもいますからね」
「…………」
レウルスがサラやネディと“釣り合う”ために行った、と言わんばかりのソフィアにナタリアは無言で視線をぶつけ続ける。本心からの言葉かどうかわからないため一度保留にすると、ナタリアは剣呑な気配を隠そうともせずに尋ねる。
「それなら貴族としては?」
「“宮廷雀”が何やら騒がしいので、牽制がてらレウルス君の推薦者にわたしの名前を捻じ込んでおきたいなって。こうして仲が良いって宣伝しておけば迂闊には動けないでしょ。自分で言うのも何ですけど、大教会を取りまとめるわたしに表立って喧嘩を売りたい人ってあまりいませんよ?」
裏側から喧嘩を売ってくる人は山ほどいますけど、と付け足してソフィアは笑う。
「それなら最後に、あなた個人としては?」
納得しているのかいないのか、ナタリアは平坦な声色で尋ねる。そんなナタリアに対し、ソフィアはへにゃりと笑った。
「わたしの愚妹がお世話になってるというのもありますけど、せっかく上手くいっている“友人”の領地の開拓が滞るのって腹が立つじゃないですか。レウルス君に関する牽制も兼ねてですけど、邪魔はしないでほしいなぁって」
そう話すソフィアだが、果たしてそれは本心なのか。ナタリアは笑顔を浮かべたソフィアの瞳を真っすぐ覗き込むと、数秒ほどじっと見つめた。
「そう……わたしは良い“友人”を持ったわ」
「でしょう?」
頬を緩めて微笑むナタリアと、笑みを深めるソフィア。しかし、そんな二人の会話を御者台で聞いていたニコラはぶるりと体を震わせ、馬車が僅かに揺れたのだった。
「ああ……疲れた……」
“前回”王都を訪れた際にナタリアが借りた一軒家。今回も手頃ということで借り上げたその場所で、居間に備え付けられた椅子に腰を下ろしたレウルスは心底から疲れの籠ったため息を吐く。
ソフィア達もさすがに家までついてくる気はなかったのか、途中で大教会に行くからと別れた。しかしレウルス達を見て噂話をする住民も多く見られ、レウルスとしては借家から一歩も外に出たくない気分である。
「さっきの女は誰だったんだ? 胸はともかくとして、顔はエステルさんに似てたが……ソフィアって言ったか」
レウルスと同じように疲れた表情を浮かべつつ、ニコラが椅子に座りながら尋ねた。
「エステルさんの姉だよ。名前の細かい部分は忘れたけど、ファルネス侯爵家の当主で、王都の大教会で精霊教師を務めてる人」
「……やばい奴か?」
「何をもってやばいと言えば良いかわからないけど、かなりやばい」
こんなことならジルバを探し出して王都までついてきてもらうよう頼めば良かったか、とレウルスは思考する。あるいは、無理を言ってでもコルラードに同行してもらうべきだったか。
王都でどのように立ち回るにしても、ナタリアの助けがなければ一つ判断するだけでも難しい。そのためジルバかコルラードがいれば、とレウルスは切実に思うのだ。
(いかんいかん……ジルバさんはともかく、コルラードさんはスペランツァの町の開拓の指揮があるしな。ジルバさんは……王都に来てたりはしないよなぁ)
仮にジルバが王都にいたとすれば、今日の騒ぎを聞きつけて即座に駆け付けるだろう。そして下手をすれば“上司”であるはずのソフィアが危険な目に遭う危険性もある。
仮に王都や近辺にいなかったとしても、後々今回の顛末を聞けば笑顔で激怒しそうだ、とレウルスは思った。
「しかし、なんで今日到着するってわかったんだ?」
レウルスは椅子に背中を預けながら、ぼやくように言う。すると、ニコラが頭を掻きながらその視線を天井に向けた。
「あー……多分だけどよ、王都に行く前に姐さんが家を借りるためにラヴァルから兵士を借りて先行させてただろ? そこから情報を得たんじゃねえか? ラヴァル廃棄街から王都まで何日かかるかを知ってれば、いつ頃到着するかってのも大体は予想できるだろうしな」
「それで待ちぼうけになったらどうするつもりだったんだ……」
「こっちの戦力を知ってれば、よっぽどのことがない限り到着が何日も遅れることはないって判断できるだろ。あとは……それこそ“精霊様”の加護ってか」
鼻で笑うようにして言い放つニコラ。それを聞いたレウルスは、前回王都を訪れた際の必要日数を知っていれば予測は可能だろう、と自分を納得させた。
「精霊様の加護がどうとかいうのなら、まずはサラとネディが一緒な分、こっちが先だと思うんだけど」
「ちげえねえ……しかし、姐さん達遅いな」
レウルスとニコラは居間でくつろいでいるが、ナタリア達はそうではない。男だからか、あるいは冒険者としての性なのか、レウルスとニコラは着替え等が入った革袋を割り当てられた個室に放り込むだけで済んだ。
しかしナタリアやエリザ達は各々持ち込んだ荷物を開け、整理しているようだ。
「女性の支度は時間がかかる……っと?」
話し相手にもなってくれる分、ニコラが同行してくれて良かった。そんなことを考えていたレウルスだったが、ノッカーを叩く音が聞こえて片眉を跳ね上げる。
「……こういうのって、出て良いのか?」
「失礼がなければ大丈夫だって。とりあえず用件だけでも聞いてくるよ」
ニコラが怪訝そうに尋ねると、レウルスは膝を叩いて椅子から立ち上がった。同行者の中で“間違いなく”対応できるのはナタリアで、大目に見てもあとはエリザぐらいだろう。
しかしその二人が傍にいない以上、自分が出た方が良いと判断したレウルスは邸宅の玄関へと向かう。そして扉を開けてみると、見知らぬながらも執事と思しき身綺麗な中年男性が立っていた。
「私、主であるルーベン=マークス=マルド=サルダーリより遣わされた使者でございます。こちらの邸宅に『精霊使い』のレウルス様がいらっしゃるとお聞きしたのですが……」
そう言って、サルダーリ侯爵から送られてきた使者の男性は柔和に微笑むのだった。




