第494話:王都への二度目の旅路 その3
進路上に町や村がある場合は泊まり、そうでない場合は野宿して旅を続けること十日余り。
途中で雨に降られたものの足を止めるほどでもなく、レウルス達は予定通りの日数で王都近郊まで到着することができた。
結局魔物も化け熊に二回遭遇しただけで、野盗に至ってはゼロである。サラの熱源感知に引っかかることはあったものの、わざわざ追いかけて捕縛する理由もなく、レウルス達は極めてスムーズに旅を進めることができた。
そうして遠くに見えてきた王都の威容を目の当たりにしたレウルスは、苦笑するように口元を歪めながら顎をさする。
(ううむ……正直なところ、王都に来る機会なんて滅多にないと思ってたんだがなぁ)
来る必要がないのなら、二度と来なくても良いと思っていたぐらいだ。しかし準男爵への叙爵という“滅多にないこと”が起きてしまった以上、避けられるものでもない。
(実はどこかの誰かが仕組んだ策略で、準男爵への叙爵ってのは俺か他の誰かを王都に釣り出すための嘘……なんてオチならな)
王都へ向かう途中に誰かが待ち伏せして襲ってくるということもなく、実に平和な旅路だった。帰路も平和だという保証はないが、今のところは特に問題があるようには感じられない。
「あれが、王都……」
引き返したら駄目だろうか、と思考するレウルスの耳に、コロナの呆然とした声が届く。
コロナは遠目に見える王都――その周囲を囲う城壁の高さと規模に圧倒されており、何度も目を瞬かせていた。
コロナに限らず、一つの村や町の中で人生の全てが完結するという者も珍しくはないのである。商人や兵士、あるいは貴族といった立場でもない限り、魔物や野盗などの危険を理解した上でわざわざ他所の土地へ出かける物好きは滅多にいないのだ。
精々、町や村の外に造られた畑に出る者がいる程度である。それでもさすがに壁や堀などはないが、木で組んだ柵を設けることで簡易ながらも魔物の侵入を防いだり、周辺の木々を伐採して魔物が出てきてもすぐに気付けるよう整備した上での話だ。
「……クリスもレベッカも来ないし、結局ロヴァーマまで来ちゃった……」
そして感動するコロナとは別に、王都を目前にして肩を落とす者がいた。それはここまで同行することになったティナで、狐耳と尻尾をへにょりと倒しながらため息を吐いている。
マタロイでは精霊教が信仰されており、グレイゴ教は排斥の対象だ。正確に言えば“助力を得ること”を禁止しているのだが、司教であるティナとしては立ち入りたい場所ではないのである。
グレイゴ教の司教だと判明した途端捕殺される――とまでは言わないが、殺されたとしても文句が言えない程度には危険な場所なのだ。
もちろん、ティナとて意味もなく正体を明かすような真似をするつもりはなく、普段は狐面で顔を隠していたため“素顔”を知る者と会わなければ気付かれることはない。
それでも一応の用心として、ティナは帽子を被った上で尻尾を太ももに巻き付けるようにして隠す。旅の途中で離脱しても良かったが、“マタロイの王都だろうと”情報が得られる場所はあるのだ。
そうしていそいそと変装の準備を整えるティナにナタリアは何も言わず、その視線をレウルスへと向けると、馬車から布包みを取り出してレウルスへと手渡した。
「レウルスはあとでこれを上から羽織っておきなさいな」
「なんだこれ……マント、いや、外套か」
ナタリアから手渡された布包みを開けてみると、中には黒い外套が入っていた。ふくらはぎまで長さがあるロングコートで、絹で作られているからか艶のある色合いをしている。
「あとは……そうね。コロナ、まだ時間があるからレウルスの髪を整えてあげてちょうだい。ミーアはレウルスの鎧の汚れを落として、光沢が出るように磨いてくれるかしら?」
「え、あ、は、はいっ」
「光沢が出るように? それぐらいならすぐに済むよ」
王都を見ながら目を丸くしていたコロナだが、ナタリアの言葉を聞いて我に返ったように頷く。ミーアは自然体で答えると、すぐさま旅の際に持ち歩く道具袋を引っ張り出した。
レウルスはひとまず馬車の中に引っ込むと鎧を脱いでミーアに渡し、馬車の床に座り込んだ。するとそれを察したニコラが馬車の速度を落とし、大きな振動が起きないよう注意して馬を走らせ始める。
「悪いね、コロナちゃん」
「いえ……それじゃあ髪に触りますね?」
髪を整えると言われても、手櫛で雑に整えるわけにもいかない。コロナはレウルスの髪に櫛を入れると、慣れた手付きで整え始める。
「んー……少し長くなっちゃってる部分がありますね。切って整えた方が良いと思いますけど、変な形になったら……とりあえずわたしの私物で形を整えますね」
そう言ってコロナは自身が持ち込んだ革袋から小さな瓶を取り出す。そして蓋を開けて傾けたかと思うと、粘性の液体を手のひらに落としてレウルスの髪に塗り始めた。
「……これは?」
レウルスが嗅覚に意識を集中すると、どこかで嗅いだことのある、柔らかい匂いが届く。
「香油です。そこまで匂いが強くないですし、髪を整えるぐらいならこれで十分ですから」
(香油か……コロナちゃんもオシャレに気を遣ってるんだなぁ。せっかく王都に来たんだし、こういうのを買っておけば良いプレゼントになるか)
そんなことを考えて意識を逸らすレウルスだったが、嗅いだことのある匂いというのは当然の話だった。コロナが普段から使っているのならば、レウルスが知らないはずもない。
(でも香油の良し悪しとかわからないしな……他に喜ばれそうなものでも探して……櫛とか? あれ? でも櫛を贈るって何か意味があったような……)
コロナが使っている櫛を目で追いながらそんなことを考えるレウルスだったが、まずは買い物に行く余裕があるかどうか。
そうしてコロナに髪を整えてもらったレウルスは、ミーアに礼を言ってから鎧を受け取り、身に着けていく。
「しかし、こんなもんまで身に着けて、髪と鎧を綺麗にして……何か意味があるのか?」
最後に外套を羽織りつつ、ナタリアに尋ねるレウルス。今まで身に着けたことがないが、動きにくいというわけでもないため疑問を呈するに留める。
「“見た目”というのは非常に重要よ? あなたのことは『精霊使い』という名前が広まっているし、準男爵になるのならこれぐらいはね……少なくとも侮られることはないはずよ」
「そんなもんか……ああ、コロナちゃんもありがとうな。似合ってるかはわからないけどさ」
清潔には気を遣うものの、自身の外見に関してレウルスは基本的に無頓着だった。髪が伸びたら切る、乱れていたら整えるなど、最低限でしかない。
「いえ……その、格好良い……ですよ?」
しかし、コロナとしては思うところがあったらしい。レウルスの姿を見て、少しだけ照れたように微笑みながら言う。
「え? あ、ああ……ありがとう」
そんなコロナの反応に、レウルスも少しだけ照れたように頬を掻いた。
「……それじゃあ進みましょうか。ニコラ、馬車の速度を上げてちょうだい」
レウルスとコロナのやりとりを横目で見ていたナタリアは、そのまま視線を切ってニコラに指示を出す。しかしそれを聞いたニコラは遠くを見ながら首を傾げた。
「姐さん、速度を上げるのは構わねえんだが、このまま城門に行って大丈夫か? 遠目に見える限り、人がかなりいるみたいなんだが……」
さすがに十日近く怒りが継続することはなかったのか、“普段通り”に戻ったニコラがそう尋ねる。
「さすがに人が並んでいるところに突っ込めとは言わないわよ。でも……」
そう言って目を細めるナタリア。その視線はニコラと同じように王都の城門前へと向けられており、怪訝そうに眉を寄せる。
「この時期にあれほど多くの人が往来することはないはずだけれど……王都で何かあったのかしらね。コルラードがいれば先行させたのだけど……ん?」
“手慣れた”従者が欲しいところだ、などと思いながら話すナタリアだったが、城門前に見知った顔を確認して疑問の声を上げた。
「なんだよ姐さん、妙な声を出して……っとぉ?」
ナタリアの声に釣られたレウルスが遠くへ視線を飛ばすと、ナタリアと同様に見知った顔を見つけて思わず声を上げてしまう。
「……何をしてるんだ、あの人」
思わずそう呟いたレウルスの視線の先では、ニコニコと笑顔を浮かべながら立つ、精霊教の大教会を取りまとめるソフィアの姿があった。その後ろには精霊教徒と思しき者達が並んでおり、城門を塞いでこそいないものの門衛が迷惑そうな顔をしている。
「お待ちしておりました、サラ様にネディ様。そして『精霊使い』様」
無視して他の城門に回るわけにもいかず、ひとまず馬車で近づいていくと、一見慇懃に見える態度でソフィアが頭を下げた。それに合わせるように精霊教徒達も一斉に頭を下げるが、レウルスとしてはサラやネディと並べて呼ばれたことに頬を引きつらせたくなる。
「……出迎えてほしい、などと言った覚えはないのですけどね。ファルネス侯爵殿?」
ニコラやコロナが純粋に驚いて目を丸くする中、ナタリアが冷たい声色でソフィアへと声をかけた。それを聞いたソフィアは微塵も堪えた様子を見せず、飄々と答える。
「我々精霊教の人間が、精霊様が来訪されるというのに黙って座しているとお思いですか? アメンドーラ男爵殿」
そう言ってソフィアはナタリアから視線を外すと、その瞳をレウルスへと向け、にこやかに笑みを深める。
「――王都への再度の来訪、心から歓迎いたしますわ『精霊使い』様」
明らかに猫をかぶった様子でそう言い放つソフィアに、レウルスは深々とため息を吐くのだった。




