第491話:好機 その2
ルヴィリアという少女にとって、世界が色褪せて見えるようになったのは十歳を迎えて間もない頃のことだった。
貴族の家に生まれた者として、初めて参加した社交の場。それは王都で開かれた貴族の子女が多く集まる親睦会で、貴族の家に生まれた者にとっては一つの戦場とも言える場所だった。
上は侯爵から下は男爵まで、領地貴族や宮廷貴族を問わずにルヴィリアと同年代の子女が参加したその催しは、ルヴィリアにとっても緊張と決意に満たされたものだった。
家同士のつながりがあり、許嫁という形で“将来の相手”が決まっている参加者にとっては割合気楽なものだが、そうでない者にとっては自身の将来を賭けた決戦の場と評しても過言ではない。
貴族の家に生まれた者として他の貴族と顔をつなぎ、情報を集め、可能ならば出し抜いて自身の家に利益をもたらす。それをおくびにも出さずドレスで着飾り、表面上はにこやかに、笑顔で接して言葉という刃で切りつけ合う様は独特の緊迫感があった。
顔をつなぐだけでなく将来の結婚相手を探す場でもあり、ルヴィリアの場合は父親であるヴェルグ子爵と共に参加し、縁を広げつつも“夫候補”を探す必要があるのである。
もちろん結婚相手を決めて取りまとめるのはヴェルグ子爵だが、上手く話が進めば相手側から縁談を切り出されることもある。
当時のルヴィリアはヴェルグ子爵家の次女――それも長男であるルイスや長女と同じく正妻から生まれた身であったため、比較的“有望株”といえる立場だった。
一番人気は家督を継ぐ可能性が高い長男。
次いで男子がおらず、婿を取る必要がある長女。
長男に何かあれば家督を継げる次男。
家督を継ぐ者は別にいるが、嫁に迎えれば“実家”からの手厚い援助が見込めそうな長女や次女。
ルヴィリアはこの四つの最後に当たり、親睦会が始まるとそれなりに声をかけてくる者がいた。大身の貴族家の者ではなく小身の貴族家――領地を持っているものの狭いか僻地か、あるいは宮廷貴族ではあるが大した役職についていないか。そんな家の次男以下にとってはルヴィリアが“狙える中での最良物件”だったのだ。
無論、ルヴィリアとて迂闊に言質を取られるような真似はせず、まずは軽い挨拶から入って自己紹介を行い、互いに言葉を交わしながら相手の家に関して情報を集めていく。
そうして縁をつないだ場合にヴェルグ子爵家に利益をもたらす材料があるかないか、あるとすればどれほどのものになるか、他の貴族家の権益に被って不利益を被らないか等々、探りを入れていく。
この際、相手の容姿や性格は二の次である。ルヴィリアとしても相手が優れた容姿であり、なおかつ好感を持てる性格ならば喜ばしくは思うが、それらは家の利益よりも優先するものではないのだ。
現状では利益的な意味で魅力はないものの、将来性がありそうな場合はその限りではない。しかし十歳のルヴィリアに見抜けるほど優れた器を持つ者はほとんどおらず、いたとしても既に“売約済み”か、伯爵家や侯爵家の令嬢が真っ先に確保に向かう有様だった。
そのため、ルヴィリアとしては大きな得点はなくとも失点をゼロにし、まずは相応と言える相手を見つけるつもりだった。実際に結婚するとしてもまだ時間があるため、ルヴィリアは失敗することに最も注意を払っていた。
払っていた――はずだったのだ。
そこから先の記憶は、ルヴィリアもしっかりとは覚えていない。話し疲れて飲み物を飲んだことは覚えているが、気分が悪くなったと思えば気を失って倒れてしまったのだから。
それを機に、ルヴィリアは貴族の子女の間で良からぬ風評を得てしまった。倒れてから数週間に渡って体調が治らず、その一度の懇親会を最後に社交の場に出ることもできなかったため、“体が弱い”という貴族の令嬢としては致命的な風評が広まってしまったのだ。
それから数年に渡る生活は、ルヴィリアにとって視界が灰色に染まったかのように息苦しいものとなる。
父親や兄であるルイス、姉である長女などは優しく接し、ルヴィリアの体を治すべく様々な手を打ってくれたものの、状態が改善することはなかった。
その内長女が嫁ぎ、“当時はいた弟妹”を先に結婚させるべきかとヴェルグ子爵が頭を悩ませ始める。ルヴィリアを飛ばして下の弟妹を結婚させれば、ルヴィリアは結婚できないほどに体が弱っているのだと喧伝するようなものだ。
その実態は結婚だけならばできるが、子供を産めるかどうかは非常に怪しいと言わざるを得ないほどの病弱ぶりで、貴族の令嬢としては死んだも同然という風評が貴族の間では立つほどだった。
それでもルヴィリアは諦めず――その実、内心では半ば以上に諦観に支配されながらも足掻き続ける。
腕の立つ治癒魔法使いがいると知れば呼び寄せ、来れない立場ならば自ら赴き治療を受ける。優れた医術を持つ者がいれば招き、魔法薬や薬、体に良いとされるものを食べ、体調を見ながら体を動かしもした。
しかしその全てが無駄で、ルヴィリアの体調が良くなることはなかったのだ。一時的に体が楽になることはあっても、再び体調が悪化して伏せってしまうことが多々あった。
そんなルヴィリアを不憫に思ったのか、あるいは前々からヴェルグ子爵やルイスには話が通っていたのか、家令であるセバスから一つの提案がもたらされる。
それはユニコーンと呼ばれる優れた治癒魔法の腕を持つ上級の魔物に関する情報で、ルヴィリアの治療も可能かもしれないという話だった。
だが、それには問題が三つあった。
ユニコーンが住んでいるのは隣国――それもマタロイを超える国土を持つラパリであり、国境を超えた上で長い旅を送る必要があること。
仮にユニコーンが住むリルの大森林に辿り着けても、治療を施すための“対価”を要求される可能性が高いこと。
病弱なルヴィリアを連れた上で旅を送ることができ、なおかつ道中でも魔物や野盗を物ともしない実力を持つ護衛が必要なこと。
これらの問題は、“本来”ならば適うことのないものだった。セバスならばあるいはと期待されたものの、さすがのセバスといえど単身ならばともかくルヴィリアを連れた上でとなると帰還できない可能性が高かった。
逆にユニコーンを連れてくることも検討されたが、それは不可能だとセバスが断言したため頓挫している。
故に、ルヴィリアは諦めるしかなかったのだ――本来ならば。
長期間の旅を物ともせず、国境を越えられる立場があり、なおかつ魔物や野盗が襲ってきてもルヴィリアを守り抜ける。そんな“都合の良い人物”が現れたのだ。
その人物――レウルスと初めて出会った時のことを、ルヴィリアは今でも鮮明に思い出せる。
何故ならば、キマイラに襲われている最中に突如としてルヴィリアが乗っている馬車の屋根を突き破って飛び込んできたのだ。忘れようと思っても簡単に忘れられる出会い方ではない。
その後もルイスがヴェルグ子爵家の邸宅に招き、顔を合わせたが、妙に印象に残る男だった。その時は後々二ヶ月にも渡る旅を共にするなど考えてもおらず、世の中には変な人もいるのだなぁ、という程度の認識だった。
そして、ルヴィリアにとって転機となる旅が始まってからは、レウルスに対する印象が目まぐるしく変わった。
レウルスは相応に礼儀を払った対応をしているもののルヴィリアに興味を欠片も持たず――“だからこそ”ルヴィリアは興味を惹かれた。
視線を交わしてみても、言葉を交わしてみても、その背中を目で追ってみても。不思議と心惹かれるものがあった。冒険者という本来ならば言葉を交わす機会もないような相手だというのに、ルヴィリアの心は時が経つにつれてざわめき出す。
“恥ずかしい思い”もしたが、ルヴィリアにとって決定的な変化をもたらしたのはいつのことだったか。ユニコーン――アクシスから提示された条件である『首狩り』退治をレウルスが受け負った時か、あるいは、ルヴィリアが命を賭けるのなら自分も賭けると断言した時か。
『――アンタが命を賭けるっていうのなら、俺も命を賭けるさ』
その言葉が、ルヴィリアの心の奥底に火を灯したのだ。そして宣言通り命がけで『首狩り』を倒したその姿に、灯った火が炎へと変貌したのだ。
それでも、ルヴィリアという少女は貴族だった。胸に宿った熱情を自覚し、想いを告げたものの、それは結ばれないとわかった上での行動だった。
断られた以上、諦めるしかない。体が治った以上、貴族の令嬢として務めを果たさなければならない。
そう自分に言い聞かせ、レウルス達と別れてルヴィリアはアクラへと帰還した。長い間苦しめられた“病気”は消え、元気な体を取り戻したのだ。そうである以上、あとは体が元通りになったことをそれとなく広め、嫁入り先を見つけなければならない。
貴族として――そう、貴族としての務めを果たすのだ。
ルヴィリアは自分にそう言い聞かせ、停滞していた時間を取り戻すように動き始めた。二ヶ月の旅で体を動かす楽しさを思い出したため、ルイスやアネモネを困らせながらも毎日のように邸宅の庭を歩いて回ったりもしたが、貴族の令嬢として行うべきことはきちんと行っていた。
だが不意に、ルヴィリアは気付く。
レウルス達との旅を経て、数年ぶりに色を取り戻した世界。色付いたはずの世界が再び色を失ったのは、いつの頃からか。
以前と比べれば元気になったことは、ルヴィリアとしても素直に喜ばしい。貴族の令嬢としての務めが果たせることも、喜ばしい――はず、だった。
それだというのに、顔を合わせた貴族の男達に何の魅力も感じなくなったのは何故なのか。理性は冷静にヴェルグ子爵家に――伯爵家へと変わる実家への利益を計算しているというのに、本能は欠片も魅力を感じていないのだ。
そしてある日、蓋をしたはずの想いが暴れそうになっていることをルヴィリアは自覚した。良い思い出だと、忘れようと思っていたというのに、ふとした拍子に蓋を破って出てきそうになるのだ。
それでもルヴィリアは耐えた。脳裏に、“あの夜”レウルスと共に見上げた涙で曇った月が浮かぶが、思い出の一幕だと自身に言い聞かせた。
そうして思い悩むルヴィリアに気付いていたのか、ルイスが伯爵への叙爵と家督の相続を兼ねて王都への同行を誘ってきた。それにルヴィリアは頷いたものの、正直なところ気が紛れるのならば何でも良かったのだ。
それだというのに、ルヴィリアはレウルスとの再会を果たしてしまった。そして、変わらずレウルスの意識が向けられていないということも理解してしまった。
だからこそ、諦められる。ルヴィリアはそう思い――その想いを裏切るように、恋という名の熱は過熱し続けた。
もちろん、ルヴィリアとてわかってはいるのだ。いくら恋焦がれたとしても、伯爵家の令嬢が冒険者に嫁げる道などない。
恋物語のように、身分差を乗り超えて結ばれてめでたしめでたし、とはいかないのだ。
もしも――本当に“もしも”の話だが、レウルスも自身のことを好いているのならば二人で駆け落ちといった方法も取れたかもしれない。
しかし、ルヴィリアは貴族の娘なのだ。領民の上に立つ者として、領地や領民、そして何よりもヴェルグ伯爵家に可能な限り利益をもたらす義務があった。
レウルスが持つ精霊教への影響力や、レウルス自身の強さがあれば十分な利益と思えるかもしれない。だが、“身分”というのは非常に大きいのだ。
レウルスが自身を迎えるに足る身分を得るなど、それこそ夢物語でしかない。ルヴィリアとてそれは十分に理解している。
ルヴィリアにできる最善は、胸に抱く慕情に蓋をしてヴェルグ伯爵家にとって最も利益になるであろう相手に嫁ぐことだ。
問題があるとすれば、蓋をするには慕情が膨らみ過ぎて、ルヴィリア自身諦めがつかないことだろう。ルヴィリアは自分がここまで情の深い女だとは思わなかったほどだ。
それでも、ルヴィリアにとっての好機が巡ってくる。
「レウルス君の叙爵が決まったよ。それも騎士爵ではなく、準男爵だ」
兄のその言葉に、ルヴィリアは――。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想やご指摘、お気に入り登録や評価ポイントをいただきありがとうございます。
11章はこれにて終了となり、次話から12章になります。
11章はレウルスが死にかけることもない、平和な章でした。
それでは、このような拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




