第48話:雨中の来訪者 その2
質問をしたい。そう切り出したレウルスだったが、頬を掻いて懸念を口にする。
「もしかするとジルバさんを怒らせるかもしれないんですが……」
「なんなりとどうぞ。大精霊様に誓って怒りなどしませんとも」
レウルスの言葉に対し、ジルバは鷹揚に頷く。エステルと初めて会った時とは違い、今は精霊教を信仰する者に聞きたいことがあったのだ。
「吸血種という存在は御存知で?」
その質問に、突然訪問したジルバから隠れるようにしてレウルスの背後に避難していたエリザの体が震える。レウルスは背中越しにそれを感じ取ると、エリザを安心させるように軽く頭を撫でてやった。
「ふむ……吸血種ですか」
そんなレウルスとエリザの様子に何か納得のいくものがあったのか、ジルバは僅かに目尻を下げる。
「ええ、存じていますとも。人に近く、魔物に近く、精霊様にも近い。場所によって扱われ方が変わるようですが、その希少性から実際に出会ったことがある者も少ないとか」
「……精霊教ではどんな扱いを受けるんですか?」
人か魔物か、場所によって扱いが変わる。そう聞いていたが、精霊にも近いと聞いてレウルスは二つ目の質問をした。
「特に、何も。性質が近いというだけで精霊様とは別の存在ですし、強さも個人によって大きく変わるそうです。仮に強かったとしてもどこぞのクソのような滅ぶべき異教のように迫害することはありえません」
「そうですか……ん? 今、何か物騒な……あれ?」
「なにか?」
ジルバの言葉の中に非常に剣呑かつ物騒なフレーズが混ざっていた気がするが、困惑するレウルスに対してジルバは微笑みながら首を傾げるだけだ。その柔和な雰囲気を前に、聞き間違いだったか、とレウルスは自分を納得させる。
「これは三つ目の質問じゃないんですが、追加ってことで……精霊教では吸血種も人と変わらない扱いをしているんですか?」
思わず追加の質問をするレウルスだったが、ジルバはそれに快く応じた。
「人と変わらぬ姿で人の言葉を話し、人のように感情がある――それはつまり“人”でありましょう? 差別する意味も理由もありません」
ナタリアの話を信じないわけではなかったが、精霊教の中では吸血種の扱いは悪い物ではないらしい。エリザが国を跨いでマタロイまで逃げてきたことは正解だったのだろう。
先日エリザに話して泣かれたが、もしも自分の身に何かあれば精霊教のもとに身を寄せさせるのも一つの手になるな、とレウルスは思った。
元々は自分の勘違いから斬りかかり、償いとして面倒を見ているエリザだが、ここ数日でそれなりに情も湧いている。エリザの“今後”を考えるぐらい、咎められる行動でもないだろう。
「町で噂を聞きましたが、そちらのお嬢さんが吸血種というのは知っております。そして、レウルスさんとお嬢さんの関係を見れば危険な存在でないということもわかる」
どうやらエリザが吸血種だと最初から知っていたらしい。レウルスも隠していたわけではなく、冒険者組合でナタリア相手に騒いでいたのだから町の中で噂が広がっていてもおかしくはなかった。
「ただ、おそらくはあの異教徒共が何かをしたのでしょう? 私がその場にいれば皆殺しにしたのですが……」
「え?」
「なにか?」
柔和な笑顔を浮かべたままで首を傾げるジルバ。相変わらず雰囲気も柔らかいままであり、聞き間違いだったのかとレウルスは困惑する。店の外からは雨音が響いており、普段と違って聞き間違いも起こるだろう。
ジルバは困惑するレウルスに気付いているのか、気付いて無視しているのか、笑顔で話を続けた。
「それで、本来の三つ目の質問とは?」
「あー……これが一番ジルバさんを怒らせるかもしれないんですけど、教会の子どもって魔物の肉は食べられます? 教義で禁じてたりしません?」
「魔物の肉……ですか?」
三つ目の質問は予想外だったのか、ジルバは目を見開く。ただしそこに怒りの色はなく、純粋に驚いているだけのようだ。
何と言ったものか、と悩みながらレウルスは乱雑に自分の頭を掻いた。
「なんつーか、ガキが腹を空かせてるのは嫌なんですよね。自分も長年そうだったから余計に……でもまた金で寄付をしたり入信したりするのはこの町の住人として問題ありそうですし、食べ物だったらいいかなぁ、なんて」
懐が寂しいのもあるが、金ではなく物で寄付すればナタリアなどからも睨まれないのではないかという浅知恵だった。レウルスとしては近所への“おすそ分け”は見逃してほしいのである。
魔物の素材も税金さえ払えれば必ず売る必要はなく、角兎を一匹狩るだけでも十キロ近い肉が取れるのだ。さすがに丸々一匹寄付するのはレウルスも生活があるため無理だが、肉の一部を渡すだけでも子どもにとっては御馳走になるだろう。
レウルスの脳裏に過ぎったのは、シェナ村での日々だ。
自分一人で生きるのが精一杯で、幼い子どもが飢えて死ぬのを何度も目の当たりにしてきた記憶。家族というわけではなく、友というわけでもなかった。中には名前すら知らない者もいた。
飢えと労働で命を落とし、命じられたレウルスが何度も埋葬してきた子ども達の姿は今でも脳裏に焼き付いている。
教会で育てられている以上、さすがに飢え死にすることはないだろう。それでも困窮しているのならば手を差し伸べたいと思ったのは、今だからこそできる“贅沢”か、見捨ててきた子ども達への贖罪か。
助ける義理も義務もなく、その余裕すらもなかったが、かつては多くの子どもを見捨てて生き延びた。レウルス自身もその“子ども”の一人だったが、助けられたかもしれない命を見捨てたことに対して何も思わずにはいられないのだ。
レウルスは脳裏に浮かんだシェナ村での生活を苦く笑い飛ばすと、その意識をエリザに向ける。
もしかするとエリザのことで頼ることもあるかもしれない。教会にいる子ども達の年齢はわからないが、エリザと歳の近い友人になってくれるかもしれない。
自分勝手な贖罪の意識をそんな打算で塗り固める。そんなレウルスの言葉を聞いていたドミニクは、レウルスの境遇を思えば仕方がないと言わんばかりにため息を吐き、ジルバは――。
「――素晴らしい」
目を見開き、レウルスとの距離を詰めていた。そしてそのままレウルスの両肩に手を乗せるが、レウルスと比べても一回りは大きいジルバの手にレウルスは内心だけで軽く怯える。
レウルスの気のせいでなければ、ジルバは距離を詰める際に足音一つ立てなかった。その動きは非常に洗練されており、肩に手を置かれるまでレウルスが気付かなかったほどである。
「この町の流儀は知っていますが、それを踏まえてもなお教会の子ども達を気遣ってくださるとは……大精霊様、今日のこの良き出会いに感謝いたします」
「あはははっ……ま、魔物が狩れて余裕がある時だけ……です、よ?」
力を込められればそのまま肩が握り潰されそうだ。その恐怖にレウルスは冷や汗を浮かべ、やはりなかったことに、という言葉を辛うじて飲み込む。
肩を掴まれるまで気付かなかったが、レウルスは目の前のジルバから薄っすらと魔力を感じ取った。それはシャロンやエリザなどの魔力を持っている者と違い、どうやらジルバが“自力で”隠している魔力らしい。
(魔力って隠そうと思えば隠せるのかよ……)
それらの情報から、ジルバがただの男性でないことをレウルスは察した。
ジルバはレウルスの戦慄に気付かず、うんうん、と何度も頷くと懐に手を入れながら口を開く。
「レウルスさんも大変でしょうに……魔物の肉については何の問題もありません。大精霊様達に感謝し、日々の営みの糧とするのが精霊教の教えです。魔物の肉も有り難くいただきますとも。レウルスさんの御厚情は子ども達にとって良き糧となるでしょう」
ジルバはどうやら褒めているようだ――が、レウルスとしては強面のキャッチセールスに迫られている気分である。
ジルバは素晴らしいと何度も言葉にし、懐から何かを取り出す。そしてレウルスへと差し出すと、今日一番となる凄味を含んだ笑みを浮かべた。
「精霊教に入信されないのが残念でなりませんよ。ただ、この町の冒険者である以上は仕方がないですな……これは私からのほんの気持ちです。是非受け取ってください」
「は、はぁ……あの、これは?」
ジルバが差し出したのは、大精霊と思わしき女性のレリーフが刻まれたペンダントだった。ジルバが首から下げているものとは意匠が異なり、一センチほど厚みがある名刺サイズの金属板に大精霊らしき女性の絵が刻まれている。
「これは精霊教の“客人”に渡すものです。精霊教徒である私が保証する身分証のようなものだと思ってください」
「……これって冒険者の俺が受け取っても問題ないんですかね?」
レウルスは再び助けを求めるようにドミニクに視線を向けたが、ドミニクは驚きによるものか目を見開いて絶句していた。
「構いませんとも。精霊教では無理矢理入信を迫るようなことはしません。ただ、この町のように色々としがらみがある方へ贈る、我ら精霊教徒からの感謝の印というだけです」
おやっさん助けて、と視線で訴えるレウルス。ドミニクはそんなレウルスの視線に気付いてはいるが、苦虫を噛み潰したように表情を歪めている。
「……受け取っておけ」
「おやっさん!?」
まさかの反応にレウルスは目を見開いた。ドミニクならば止めるだろうとレウルスは思っていたが、ドミニクは不満と不信を表情に浮かべながらジルバを睨み付けている。
「“ソレ”を持っておくのはお前だけでなくこの町のためにもなる……だが、どういうつもりだジルバ」
「どうもこうも、言葉にした通りです。精霊教徒でもないというのにこの献身さ……嗚呼、本当に今日は良き日だ」
一体何がジルバの琴線に触れたのか、レウルスが困惑するほどに好意的な反応だった。ジルバは胸に右手を当てながら目を閉じ、大精霊に感謝を示すように頭を垂れる。
「レウルスさんの境遇は多少なり聞いておりますが、信仰なき生活を送っていたにも関わらず教会の子らに手を差し伸べる優しさをお持ちの御様子……我が身の矮小さを恥じると共に、できる限りの感謝を示したかっただけですよ」
――別に精霊教を信仰していなくても“優しさ”を持っているものでは?
思わずそんな言葉が口から出ようとしたが、レウルスはそれを辛うじて堪える。
ドミニクとジルバの間では何かしらの共通意識があるらしいが、レウルスにはそれがない。そのため差し出された『客人の印』に困惑するしかなかった。
そんなレウルスの様子に気付いたのか、ドミニクは深々とため息を吐きながら説明をする。
「ジルバが言ったが、それは精霊教徒が保証する身分証だ。正直なところ、ラヴァル廃棄街が発行する冒険者の身分証よりも社会的信用が高いぞ。通行税は取られるが、身元保証金なしでラヴァルに入れるぐらいにな。ジルバが口利きをすれば移住もできるだろう」
「……気持ちは嬉しいけど、そんなものをもらっても困るんだけどなぁ」
ラヴァルに入れると言われても、はいそうですかと頷くつもりはない。レウルスは既にラヴァル廃棄街の人間であり、今更ラヴァルに移住する気などなかった。
仮に移住したとして、一体何をしろというのか。冒険者以外に働き口があるのかすらわからず、今更そんな場所にわざわざ飛び込む必要もない。
用途があるとすれば、ラヴァル廃棄街で購入できない物を手に入れるのに利用できるぐらいか。
「というか、ジルバさんはそんなものを渡して大丈夫なんですか? ほとんど面識がない相手に精霊教の看板を掲げて“信用”を保証するのは危ないと思いますよ?」
大口の寄付をした者に渡す特典のようなものだろう。あるいは、スポンサーへ継続して寄付を求めるためのプレゼントか。
そう考えたレウルスはジルバの行動を心配した。まかり間違って悪人に『客人の印』を渡してしまった場合、精霊教にも害が及ぶのは想像に難くない。
「これでも人を見る目には自信がありますので」
(そんな曖昧な……って、よく考えたら姐さんみたいな人もいるんだし、観察眼ってのは馬鹿にできないのか……)
レウルスの脳裏に浮かんだのは薄っすらと微笑むナタリアの姿だ。前世と異なり容易く死んでしまうこの世界で磨かれた観察眼というのは、微塵も馬鹿にできないのである。
ドミニクは受け取れと言ったが、ここは断るべきかもしれない。金貨3枚というのはたしかに大金だろうが、それだけで身分を保証すると言われても警戒が先に立つ。
そう考えたレウルスだったが、それを見抜いたようにジルバは笑みを深めた。
「この町の住人として警戒しているのでしょうが、レウルスさんはこの町に来て一ヶ月程度とか……それでもこの町に義理立てするその態度には感服するばかりです」
「褒めてもらって嬉しいですよ。でも、この印は……」
「義理もそうですが、恩のあるドミニクさんを救うためにキマイラにも立ち向かったとか。そのような人柄を持つ貴方がこの印を悪用するとは思えません」
畳み掛けるように言葉を続けるジルバに、レウルスは押し込まれる一方だ。
「それに、エステル様を通して大精霊様のお声を聞かれたのでしょう? そのような方をお助けしないのは精霊教徒の名折れ。私を助けると思って、是非お受け取りください」
(この人押しが強いっつーかプレッシャーがやべえな!)
笑顔で『客人の印』を受け取るよう勧めるジルバだが、身に纏う圧力が凄まじい。レウルスとしては逃げ出したい気分だというのに、ジルバの放つ気配が怖すぎて逃げようもなかった。
「俺が悪用するかもしれませんし……」
「本当に悪用するつもりならそのようなことは言わないでしょう?」
「誰かに盗まれて悪用されるかも……」
「レウルスさん以外の方が使用できないよう、ちょっとした“小細工”をしますから大丈夫です」
何をするつもりだ、とは聞けなかった。おそらくはかつてのナタリアが“爆弾付き”の冒険者の登録証を用意したように、『魔法文字』かそれに類する何かを用いてレウルス以外が使えないようにするのだ。
「それに、この印を持っている者を我々は無下に扱いません。各地にある教会を訪れた際にこの印を見せていただければ、協力することも厭わないでしょう。気軽に一晩の宿として利用できる……その程度に考えていただいて構いません」
どうやら身分証として以外にも、何かあれば精霊教徒の助けを得られるらしい。それらの情報をまとめるとたしかに受け取っていても問題はないだろう。
むしろ得しかない――が、それはそれで怪しいと思ってしまうのは元日本人だからか、それとも当然なのか。
それでもレウルスは数十秒悩むと、背後のエリザに視線を向けてからジルバへと向き直る。
「その『客人の印』っていうのは、他人に譲渡できるんですか?」
「……ふむ。ご自身では使いたくないと?」
「ええ、まあ……」
精霊教の助力を得られるとなれば、自分が持つよりもエリザに持たせた方が良いだろう。これから生きていくにあたり、吸血種を差別しない宗教勢力の庇護下に入るというのはエリザにとって大きな助けになるはずだ。
「残念ですが、それはレウルスさん個人に対して差し上げたものです。私の目から見て貴方の人柄が信用できると思ったからこそ渡すのです」
さすがに都合が良すぎる提案だったらしい。レウルスが何を思ってそんなことを言い出したのか理解しつつも、ジルバはきっぱりと否定してみせた。
「そうですか……」
エリザに『客人の印』を渡すことがあるとすれば、レウルスがエリザの傍から離れる時になる。エリザがこの町から出ていくか、あるいはレウルスが死ぬかのどちらかになるだろう。
レウルスがわかりやすく肩を落とすと、ジルバは柔らかく微笑んだ。
「ですが、貴方と一緒にいるのなら相応の扱いを受けられます。冒険者という職に就いている以上は危険を避けられないのでしょうが……老婆心ながら忠告しますと、“本人”の意思も確認するべきでしょうな」
そう言われて思わずエリザに視線を向けるレウルス。エリザはジルバが来るまで浮かべていた爛漫な笑みを消し、不安そうな顔をしていた。
自分がいなくなっても生きていけるように――そう言ったレウルスに対して涙を見せた時のような、暗い表情である。そんなエリザの顔を見たレウルスは、深々とため息を吐く。
「……ありがたく受け取らせてもらいます」
なるべく宗教勢力とは関わりたくなかったが、入信を強制せず、例え信仰せずとも力を貸すと言ってくれる精霊教ならば必要以上に忌避することもないだろう。
今後は継続してある程度の寄付をしなければ申し訳が立たない。レウルスがそう思ってしまうのは、レウルス個人の性格か元日本人としての習性か。
上手いことカモにされている気もするが、“実利”があるのならば持ちつ持たれつ、ラヴァル廃棄街のように相互扶助の関係を築くこともできるはずだ。
ジルバは『客人の印』を受け取る意向を示すレウルスに対し、満足そうに頷いた。
「こちらこそ感謝いたします。嗚呼……今日は本当に良き日だ」
そう言ってジルバは胸に右手を当てると、全ての用事が終わったのか姿勢を正して一礼する。
「それでは私は教会に戻ります――皆様に、大精霊様の恩寵があらんことを」
笑顔でそう告げ、店を後にするジルバ。その背中を見送ったレウルスは、完全にジルバの姿が見えなくなってから大きく息を吐く。
「なんというか……嵐みたいな人だった」
向かってきたら避けられないという意味で。そう内心で付け足すレウルスに、手にお盆を持ったドミニクが近づいてくる。水が注がれたコップをレウルスに渡すと、ドミニクは椅子に座って自分用に注いだ水を飲み干した。
「嵐か……あながち間違ってはいないぞ。アイツは精霊教徒の中でも特に有名な男だ」
「有名?」
折角のドミニクの厚意ということで、レウルスもコップに口をつける。知らず知らずの内に緊張していたのか、水の味がやけに美味しく感じられた。
「信仰心の強さは疑いようがない。精霊教徒だけでなく、この町の住民に対しても分け隔てなく公平だ。この町の流儀を理解し、尊重して接してくる……まあ、概ね人格者と言っても良いだろう」
「おやっさん……概ねってところが滅茶苦茶怖いんだけど」
口数が少ないドミニクにしては、ずいぶんとジルバを買って褒めているように聞こえる。それでもドミニクの声色から“それだけ”ではないとレウルスも察し、相変わらず不安そうな顔をしていたエリザを隣に座らせて自分の心を落ち着けるために頭を撫で回した。
「なに、少々……いや、だいぶ……かなり……徹底的に“外敵”――グレイゴ教の者を排除するだけだ。敵対しない相手には害がないことは保証するぞ」
「あの物騒な言葉はやっぱり聞き間違いじゃなかったのかよ!?」
そっと目を逸らしてジルバの人物評を語るドミニクに、レウルスは椅子から立ち上がって叫んでいた。
(信者は信者でも狂信者!? いや待て、狂信者って割には入信を勧めてこなかったし、話が通じないわけでもないみたいだし……実際にこの目で確認しないことにはなんとも言えないか)
自分の印象だけで決めつけるのは良くない。エリザと初めて会った時も、吸血種を吸血鬼だと勘違いして斬りかかったのだ。
レウルスとて今までの十五年で世界が変われば常識も変わるのだと学んだ。それを思えば、ジルバの態度は熱心な精霊教徒の中では標準的なものかもしれない。
エステルに聞いた話によれば、グレイゴ教は精霊教が信仰している精霊を何度も殺めているのだ。ジルバのようにグレイゴ教に対して敵対的な言動をするのも、当然と言える。
(でもあの人って魔力隠してるし、なんか怖いんだよな……おやっさんとは別種の怖さというか……)
チンピラも裸足で逃げ出しそうな厳つい外見のドミニクと異なり、ジルバに感じたのは底知れなさである。
「おやっさん、あのジルバさんがどれぐらい強いかってわかる?」
「……俺がこの町の男で絶対に勝てないと思ったのは、アイツだけだ」
確認のために聞いてみると、返ってきたのは驚きの内容だった。元上級下位の冒険者であるドミニクをして、『絶対に勝てない』と言わしめるその実力。それがどのようなものかはわからなかったが、生半可なものではないだろう。
「そもそも、その印は精霊教徒ならば誰でも他者に与えられるものではない。この町の精霊教師はエステルだが、実際に取り仕切っているのはあの男だ。アイツが信用を保証するというのは大きい……何もなければ良いのだがな」
「……やっぱり今から返してきてもいいかな?」
ドミニクが最後に呟いた言葉を聞き、レウルスは今からでもジルバを追いかけようかと迷う。受け取った『客人の印』を裏返して見ると、いつの間に刻んだのか――あるいはこの場に来る前に刻んでいたのか、レウルスの名前が刻まれていた。
どうやら『客人の印』については最初から渡すつもりだったらしい。それがレウルスの寄付に対する返礼だったのか、それとも何か目的があってのことなのか、それはわからなかった。
「……ちなみにおやっさん、この印を受け取るのがこの町のためになるって言ってたけど、それは?」
「他の町や村に向かわせられる人員が確保できる……マタロイの中なら大抵の場所で精霊教の教会があるからな。その印を持っているなら大抵の場所で問題なく入れるはずだ。正規の街道を利用しても咎められることもないだろうしな」
「ああ……そういう」
どうやら『客人の印』を受け取ったことで将来的に“客先出向”でもさせられるらしい。この町以外で動き回るための身分証が手に入ったのは喜ぶべきか、それとも嘆くべきか。
それはレウルスにもわからなかったが、厄介な物を受け取ってしまったことだけは理解できたのだった。