第486話:帰郷 その3
日付が変わろうかという時間帯。レウルスはエリザ達に家のことを任せ、閉店したのを見計らってからドミニクの料理店を訪れていた。
「わざわざこんな時間まで待たせて、すまんな」
「いえ、おやっさんの頼みとあっちゃあいくらでも時間を作りますよ……っと、コロナちゃんは?」
裏口から店に足を踏み入れたレウルスは周囲を見回し、首を傾げる。
閉店しているため料理店に客の姿はないが、コロナの姿も見当たらなかった。皿は片付けられ、机や椅子は綺麗に拭かれているため、既に休んでいるのかもしれない。
「さすがに先に休ませたが……コロナに何か用か?」
「いえ、俺達が町を離れている間、家の掃除をしてくれていたんでその礼を、と思ったんですが……さすがに起こして言うのもおかしな話ですし、明日にしますよ」
荷物を置く際は気付かなかったが、ラヴァル廃棄街にある自宅はアメンドーラ男爵領を開拓している間ほとんど留守にしていたにも関わらず、目立った汚れがなく、埃が積もっているということもなかった。さすがに毎日というわけではないだろうが、コロナが定期的に掃除をしてくれていたのだ。
(場所が場所だけに、土産も買えないしな……レモナの町に行った時、何か買っておけば良かったか)
せめて礼の言葉を伝え、コロナに時間的な余裕があるなら町でプレゼントの一つも贈りたいところだった。しかし、今はドミニクに呼ばれたのだからと意識を切り替える。
「それでおやっさん、何か用でもありました?」
レウルス達が留守にしている間、近隣で魔物が増えてきたのだろうか、などと思考しながら尋ねるレウルス。その場合、近隣に生息する魔物にはラヴァル廃棄街が如何に“危険な場所か”を思い出してもらうしかない。
生まれ変わった『龍斬』で木は斬ったが、魔物は斬っていないのだ。さぞ気合いが入ることだろう、とレウルスは自分のことながら思う。
だが、ドミニクはそういった物騒な話題を出さず、厨房から酒瓶を取り出して軽く振った。
「一杯、付き合わんか?」
「お、酒ですか……喜んでお供させてもらいますよ」
晩酌の相手が欲しかっただけか――などと軽々に判断はしない。ドミニクが真剣な表情でわざわざ呼んだのだ。本題は別にあるのだろう。
しかしそれはそれ、とレウルスは椅子に座り、酒瓶をドミニクから受け取って陶器のコップに注ぐ。酒を注ぎ終わるとドミニクも酒瓶を手に取り、レウルスのコップへと注いだ。
「つまみは簡単なものしかないが構わんか?」
「おやっさんの作るつまみならなんでもいいですよ。それじゃあ乾杯……でいいんですかね?」
「……ああ、そうだな。乾杯だ」
レウルスはドミニクとコップを打ち合わせ、酒を口元に運ぶ。生まれ変わってからというものいくら飲んでも酔えないが、酒というものは酔うためだけのものではないのだ。
「っと、美味い……これ、けっこう上等なやつじゃないです?」
「せっかくお前が帰ってきたんだ。たまにはと思ってな」
「そりゃ嬉しいですね。向こうの町だとカルヴァンのおっちゃん達に混ざって飲むこともありますけど、おっちゃん達は飲めればそれで良いって感じだから質より量を優先するんですよね」
「ドワーフならそうだろうな……新しい町の方はどうだ?」
互いに酒を飲み、時折つまみを齧りながら言葉を交わしていく。つまみは角兎の肉を細く切って辛めの味付けで炒めたもので、酒のつまみにはピッタリだった。
「それもおっちゃん達のおかげで捗ってますよ。町の周囲に空堀を掘って、堀った土で壁を作って、簡単なやつですけど家を建てて……」
現在のスペランツァの町で“まとも”に作られているのはレウルスの自宅とドワーフの工房だけだが、掘っ立て小屋程度の建物ならば数十は存在する。作業を行う者達が住んでいるのだが、これもいずれはきちんと建て直す必要があるだろう。
「ああ、あとはお隣の男爵さんの町が大変なことになったりもしましたよ。これが姐さんを連れて行った理由だったんですがね」
「そこであの妙な耳の子供を拾ってきたのか? お前、アレで何人目だ?」
「ティナは違いますよ。アレはなんというか……割とまともなグレイゴ教徒です」
「……何が起きればお前がグレイゴ教徒と一緒に行動するのやら」
近況報告をしつつ、レウルスとドミニクは酒を飲んでいく。そうして一通り話し終えたレウルスは、ドミニクに話題を振った。
「おやっさんやコロナちゃんの方はどうです?」
「相変わらず、と言いたいところだが最近は以前よりも店が繁盛している。その分、毎日が忙しいな」
「そりゃあ結構なことじゃないですか」
レウルスとて、ラヴァル廃棄街にいた頃は毎日のように入り浸っていたのだ。自宅があり、台所もあったというのに、基本的に食事はドミニクの料理店で食べていたほどである。例外があるとすれば、依頼で他所に出かけていた時ぐらいだろう。
ドミニクの料理が更に認められ、人気が増しているようでレウルスとしては自分のことのように喜ばしかった。だが、ドミニクは酒を大きく飲み干すと、コップを机に置いてレウルスに鋭い視線を向ける。
「繁盛している理由……わかるか?」
「おやっさんの料理も人気ですけど、コロナちゃんがいるから……ですよね?」
ドミニク相手にとぼける必要などなく、また、そのつもりもないレウルスは即座に答えた。するとドミニクは視線をコップへと落としながら頷く。
「そうだ……親馬鹿と思われるかもしれんが、コロナは町の若い衆に人気がある。冒険者や職人といった職業を問わず、年齢が近い者がよく店に来るようになった」
そう話すドミニクに対し、レウルスは無言で酒を注いだ。ドミニクは注がれた酒を一口飲むと、ため息を吐くようにして言う。
「コロナを嫁にほしいと言ってきた者もいるぐらいだ……それも一人や二人じゃないぐらいに、な」
「…………」
この世界においては、前世のように好き合ったから付き合おう――とはいかない。大抵の場合、交際を飛び越えて結婚に至るのだ。
もちろん、貴族ならともかく廃棄街に住む立場の者ならば若い頃は結婚ではなく交際に落ち着くこともある。しかし、コロナもレウルスと同年齢のため既に十七歳になるのだ。交際相手ではなく結婚相手として求められるのもおかしな話ではなかった。
「そういった話は、以前からなかったわけじゃない。コロナが成人を迎える頃……お前がこの町に来る前から、コロナを嫁にほしいと言ってくる者はいた。だが、“ここ最近まで”そういった話はなくなっていた……」
「それ、は……」
「お前がコロナの傍から長期間いなくなったからだ」
何を言えば良いかと迷うレウルスに対し、ドミニクは真っすぐに言葉を叩きつける。ただし、その眼差しはどこか優しげで、レウルスを咎めているようには見えなかった。
「レウルス」
「……はい」
名前を呼ばれたレウルスは、自然と姿勢を正していた。そしてドミニクの言葉を待っていると、ドミニクはその視線を店の裏口に向ける。
「お前がこの町に来て、もうじき二年になるか……ここ半年ほどはほとんど顔を合わせる機会もなかったが、お前と出会って娘はよく“笑顔”を見せるようになった」
「……普段からよく笑顔を見せてましたけど、あれは違うんですか?」
「違うな。ああ、違うとも……お前には以前話したが、俺の妻が死んで以来、あの子は“良い子で在ろうとしている”節があった。作り笑いとまでは言わんが、心の底から笑っていると思えたのは……さて、いつの頃までだったか……」
そう話すドミニクだったが、長年の疲れが出たようにその背中が丸く、小さくなっているように見えた。
「それでも、お前と出会ってから娘は変わった。あの子は昔みたいに笑うようになった……“今日になるまで”、ここ最近は素直に笑えていなかったがな」
再び酒を口に運び、ドミニクは深い息を吐く。
「女という生き物はこの歳になってもよくわからん……が、自分の娘のことはそれなりにわかっているつもりだ。何を想い、何を考えているのか……全てとは言わんがわかっているつもりだ」
レウルスは無言でドミニクの話を聞き、続く言葉を待つ。
「そしてレウルス、お前のこともそれなりに理解しているつもりだ。だが、いくつか理解できない部分もある」
ドミニクの話の矛先が向けられ、レウルスは首を傾げる。
「理解できない、というのは?」
「俺は最初、お前は他所の国の人間だと思った。マタロイの人間だとしても、かなり遠くの領地の出身だろう、とな。それが話を聞けばこの町からも近い、シェナ村の出身だと言う」
「……それが、何か?」
ドミニクやコロナと出会った当時のことを思い返し、レウルスは怪訝に思いながら尋ねた。ドミニクにそんなことを思われるようなことをした覚えがなかったのだ。
しかし、ドミニクは何故か店の床を指さす。
「お前に飯を食わせた翌朝のことだ……覚えていないか? お前はこの国じゃやらないような、“妙な感謝の仕方”をしていただろう。それがまず一つ。次に、農奴という割に学があるという部分が一つ。まあ、その分常識が欠如していて驚かされた面もあったがな」
昔を懐かしむように目を細めるドミニク。レウルスは当時のことを思い返し、ああ、と頷く。
(そういえば土下座したっけ……まさかおやっさんにそんな風に思われていたとは……)
当時は無一文で餓死寸前の身だったため、せめて膝を突いて頭を下げることぐらいでしか感謝を伝えることができなかったのだ。その後、結果として角兎を仕留めて冒険者に推薦されたわけだが――。
「他にも色々とあるが……俺が一番引っかかったのはお前の“態度”だな」
「態度……何か変なことをしていましたか?」
「今も口調が初めて出会った頃に戻ってるが……おかしいと思ったのはエリザ達を連れてきてからだな。お前のエリザ達への接し方を見ると、とてもコロナと同い年の男とは思えなかった。子を持った父親か、あるいは“俺に近い年齢”か……とな」
レウルスは否定も肯定もせず、ただ沈黙する。ナタリアにも似たようなことを言われたが、仕草や態度でドミニクに疑いを持たれていたようだ。
「まあ、それはいいんだ」
「……え? いいんですか?」
だが、レウルスはドミニクの言葉に肩透かしを食らったような気分になる。ドミニクは酒を一口、二口と飲むと、苦笑するように笑った。
「お前に色々と疑問を持った……が、普段のお前を見ていると、それもどうでも良くなってな。お前は何かを隠しているのかもしれんが、俺が知るレウルスという人間は、二年ほど前に腹を空かせて行き倒れて、うちの娘が拾ってきた……あとは日々接する内に為人を知った。それだけだ……ああ、それだけでいい」
「――――」
沈黙ではなく、レウルスは思わず絶句してしまった。何かを言おうと口を開いたものの、結局は言葉にならず口を閉ざす。
もしもレウルスがドミニクの立場だったならば、“それだけでいい”などとは言えないだろう。レウルスがエリザの事情を聞いた上で受け入れたのとは異なり、事情を聞かずとも、疑いがあろうとも、それでも構わないと断言するのは容易ではない。
「お前も知っているだろうが、この町……いや、廃棄街では色々と事情を持った奴が流れ着いてくることもある。その辺りの事情も重要だろうが、俺としては本人の性格の方が重要だと思っているからな」
(その辺りの“裏事情”を勘案するのは姐さん……いや、廃棄街の管理官だからな。おやっさんの重要視する部分が違うのも当然か)
ドミニクらしい、とレウルスは内心だけで頷く。そんなドミニクに救われた身としては何も言えることがなかった。
ただし、素性を確認するためにこの場に呼んだわけではないというのなら、何が目的なのか。そんな疑問を抱くレウルスに対し、ドミニクは真剣な眼差しを向け。
「俺はお前の素性が何だろうと構わんし、その上で尋ねるが――レウルス、お前はうちの娘と“このままの関係”でいるつもりなのか?」
咎めるでもなく純粋に、そう問い質すのだった。




