第485話:帰郷 その2
久しぶりに帰ってきたラヴァル廃棄街。それは、相変わらず心落ち着く場所だった。
久しぶりに会ったコロナ。初めて会った頃と同じような柔らかい、優しい笑顔を向けてくる少女を前にしたレウルスは、酷く困惑していた。
「……? レウルスさん、どうかしましたか?」
再会の挨拶を交わしたものの、反応が鈍いレウルスにコロナは首を傾げる。その際、“腰のあたりまで”伸びた亜麻色の髪がサラリと揺れるのが見えた。
(あれ……なんだ、この感覚……何かおかしい、ような……)
不思議そうな顔をしているコロナに一歩近づき、レウルスはじっと見つめる。コロナはそんなレウルスの反応を同じように不思議そうな顔で見つめ返したが、やがて何かに気付いたように自分の顔をペタペタと触り始めた。
「あっ、もしかして汚れがついてました? ごめんなさい、掃除の途中だったんですよ」
照れるようにして自分の顔を触るコロナ。しかし汚れがついているというわけではなく、レウルスは思わず首を横に振った。
「そういうわけじゃないんだが……コロナちゃん」
「はい」
「コロナちゃん……だよな?」
「はい?」
自分でも何を言っているのか、とは思うものの、レウルスは自然とそう尋ねていた。
きちんと手入れがされているからか腰まで伸びた亜麻色の髪は艶があり、かつてレウルスが贈った桃色のリボンで留められた二つ結びのおさげが小さく揺れている。茶色の瞳は本人の性格を表すように柔らかな光が宿っており、顔全体に柔和な雰囲気が漂っていた。
衣服はドミニクの料理店で働く際に身に着ける、長袖のシャツにロングスカート。そこに汚れを避けるための前掛けをつけているが、特に変わったと思える点はない。
変わったと思える点はない――“そんなこと”は、あり得なかった。
久しぶりの再会だからか、あるいはこれまで気付かなかっただけか。初めて出会った頃と比べれば、コロナも成長しているのだ。
以前は百五十センチを僅かに超える程度だった身長も伸び、ギリギリ百六十センチに届くかどうか。慎ましやかだった体の起伏も豊かさを帯びつつあり、初めて会った頃は野に咲く花のような素朴な雰囲気があったものの、今は確かな“華”が垣間見えた。
(そりゃ出会って二年近く経ってるわけだし、成長もしてるよな……エリザといいミーアといい、どうにも気付くのが遅れるんだよなぁ)
女性らしさが増したコロナを前に、レウルスは思わず唸るような声を漏らす。“そういった目”で見ていなかったというのもあるが、レウルス自身も身長が伸びているというのもあり、気付きにくかったのかもしれない。
「いや、すまない。コロナちゃんがより綺麗になってたから驚いてただけだよ」
「あ、そうなんで……え?」
思った言葉を素直に口にしたレウルスだったが、コロナは一度頷きかけて聞き間違いかと首を傾げる。
「身長も伸びたし、髪も伸びたよな……そうだよな、そりゃそうだよ。しかしこんなに髪が綺麗だったっけか……いや、綺麗だったな、うん」
「あ、あの? レウルスさん? えっと……ど、どうして急にそんなに褒めて……え?」
「急にというか、以前から可愛いとは――あいたっ!?」
真顔で褒めちぎるレウルスだったが、厨房から飛んできたタワシが額に直撃してのけぞった。チクチクとした痛みと衝撃に目を瞬かせるレウルスだったが、厨房から呆れたようなため息を吐きながらドミニクが出てきたのを見て目を輝かせる。
「久しぶりに顔を出したと思えば、何をいきなりうちの娘を口説いているんだお前は」
「いつつ……お久しぶりです、おやっさん。あと口説いたわけじゃなくてですね、コロナちゃんが美人になったなーって」
「次は包丁を投げるぞ?」
低い声で言われ、レウルスは思わず口を閉じた。包丁が飛んで来ても止めることが可能で、仮に急所に刺さったとしても治せるが、ドミニクに言われれば逆らうことなどできないのだ。
両手を上げて無抵抗を示すレウルスに対し、ドミニクは深々とため息を吐く。
「まったく……しばらく見ない間になんだ、頭でも打ったのか?」
「頭は打ちませんでしたけど、胴体はぶち抜かれましたね……ああ、そう言ってみると、やっぱりアレが原因かなぁ……」
ドミニクの言葉に軽口で答えたレウルスだったが、レモナの町で戦った黒い球体から得た魔力で腹がいっぱいになっているのだ。頭を強打するようなことはなかったが、どうにも“口が軽くなってしまう”とレウルスは反省する。
まったく知らない者や余所者が相手ならば気を引き締めるが、相手がドミニクやコロナとなるとレウルスとしては警戒心など欠片も湧かず、本音がポロリと出てしまったのだ。
「それで? ここに“帰ってきた”ということは、ナタリアを連れて行った件は片付いたのか?」
「帰ってくるのに思ったよりも時間がかかりましたけどね……っておやっさん、話したいことも色々ありますけど、まずは飯を食わせてくださいよ! 向こうの町じゃおやっさんとコロナちゃんの料理が食えなくて困ってるんですから!」
「俺とコロナはこっちの町にいるからな。向こうの町で食えたらおかしいだろう」
レウルスが目を輝かせたままでドミニクに料理をねだると、ドミニクは鼻で笑ったあとに小さく笑う。
「その食欲だけは相変わらずか」
「いやいや、食欲に関しては変わったというかなんというか……あ、でもここの料理は腹が裂けても食べますよ」
「そこまで食わんでいい……だが、今はまだ準備中だ。まずはその御大層な鎧を家で脱いで来い。あとは町の奴らにも顔を見せてやれ。それと……」
そう言って、ドミニクはレウルスの背後を指さす。
「エリザ達の機嫌も取ってから、だな」
「え?」
レウルスが振り向くと、そこには頬を膨らませるエリザや唇を尖らせるミーアの姿があったのだった。
コロナから自宅の鍵を受け取ってひとまず荷物や防具を置いたレウルス達は、ラヴァル廃棄街のあちらこちらに足を延ばして冒険者仲間や町の住民達に挨拶をして回った。
一度ラヴァル廃棄街を離れればいつ戻ってこれるかもわからないため、可能な限り町の仲間に声をかけたかったのである。
その際、領主としての仕事があるナタリアの代わりに監視を任されたティナを見た町の住人達が、口の端を震わせて噴き出しそうになっていたのが印象的だった。
精霊教の教会にも顔を出したもののジルバの姿はなく、ラヴァル廃棄街には戻っていないということもわかった。
そのため、エステルにもしもレウルス達が王都に向かった後にジルバが顔を出した場合はスペランツァの町を頼む旨、そして仮にレベッカやクリスがいても極力暴れないよう言付けを頼んだ。
ついでにエステルに対し、王都へ行くことになったが何か知らないか尋ねてみたものの、不思議そうな顔をするだけだった。レウルスとしてはソフィアが叙爵に一枚噛んでいたため何か知っているかと思ったが、妹であるエステルには何も知らせていないようだった。
そうやってあちらこちらで話して回り、時折エリザ達の機嫌も取りながら時間を潰したレウルスは、開くのを待ってからドミニクの料理店へと向かう。
ドミニクの料理店は相変わらず盛況なようだが、レウルス達が戻ってきたこともあってか普段以上に客が集まり、どんちゃん騒ぎへと発展した。
レウルスとしては懐かしく思えるほどに騒がしく、それでいて暖かい喧騒の時間。ドミニクの料理店に来た際は必ず食べている塩スープを啜り、満足そうにレウルスは頷く。
(うん、やっぱりこれだよな、これ。スペランツァの町におやっさんが店を出してくれればいいんだけど……それは当分先か?)
店どころか領主の邸宅すらできておらず、更に言えば住民を移住させるだけの食料も生産できていないのだ。ひとまず芋類や根菜を植えて育ててはいるが、いくらドワーフ達の協力があるといっても安定的な収量を得られるのはまだ先だろう。
近隣の貴族からの支援や商人が運んでくる食料等もあるが、そこから店用に食料を割けるかと言えば怪しいところである。
(自分で作ろうにもなぁ……どうやってもこの味が出せないんだよな)
味付けとしては非常にシンプルで、入っている具材も野菜だけと極端に難しい料理というわけではない。それだというのにレウルスにとってはこの上なく美味く、それでいて再現ができない味だった。
(作ってる人がおやっさんやコロナちゃんだから、ってのもあるかもな……うん、この味は変わらない……けど)
三杯目の塩スープを幸せそうに啜りながらも、レウルスはそっと横目で店内を見た。
飲めや歌えやの騒ぎになっているが、参加している人間の比率としては若い男が多い。これはラヴァル廃棄街に残っていた冒険者仲間が参加しているというのもあるが、近隣に住む若い男達もドミニクの料理店を利用しているらしく、その姿がちらほらと見えた。
男達は下が十五歳前後、上は二十歳前後だろう。十五歳といえばマタロイにおいては成人したと見做される年齢だが、その来客の多くの目的は何なのか。
もちろん、ドミニクの料理を求めて来店している者もいるだろう。少なくともレウルスはそのクチである。
(ふむ……)
五杯目の塩スープに木製のスプーンを突っ込みながら、レウルスは内心で小さく唸る。
男達の目的は非常にシンプルで、給仕を担当するコロナのようだ。料理を頼み、近くを通れば話しかけ、遠くにいようとも声をかける。
度が過ぎればドミニクが出てくるが、ある程度は接客の内なのだろう。コロナも笑顔で対応しており、レウルスはスープを飲み干してからお代わりをもらうため厨房へと足を向ける。
「おやっさん、スープもらうよ」
「おう……いや待て、さすがに塩分の取り過ぎだ。そこまでにしておけ」
「えっ……」
六杯目のスープに取りかかろうとしたレウルスだったが、ドミニクに止められて絶望的な顔をした。レモナの町でスラウスと戦い、黒い球体に胴体を貫かれてもここまでの絶望はなかった、と言わんばかりの顔である。
「明日も作ってやるから我慢しろ。別に明日発つわけでもないんだろう?」
「そうだけど……むぅ、そろそろ腹いっぱいだったし、明日の楽しみにしとくかぁ……」
しょんぼりと肩を落とすレウルスだったが、ドミニクは疑問を覚えたように片眉を跳ね上げる。
「腹いっぱい、だと? お前がか?」
「うっす。最近はこんな感じで……魔力をかなり消耗したら“戻る”とは思うんですけどね」
過去の経験からそう伝えると、ドミニクは首を捻った。
「よくわからんが……まあ、問題がないのなら構わん」
「今のところはって感じですけどね。それじゃあごちそうさまでした」
そう言ってレウルスは代金を渡そうと懐を漁る。そうしていると、ドミニクが店の中へと視線を向け、それから声を潜めてレウルスへと話しかけた。
「レウルス、店を閉めた後になるが少し話せるか?」
「え? そりゃもちろん大丈夫ですけど」
ドミニクの誘いならば、店を閉めた後だろうと早朝だろうと喜んで時間を作る。そう言おうと思ったレウルスだったが、ドミニクの真剣な表情を見て口を閉ざすのだった。




