第481話:狐耳の少女と『魔物喰らい』
レウルスの叙爵に関する使者が訪れてから、三日の時が過ぎた。
その間、エリザやミーアはそれぞれ訓練に励み、レウルスはスペランツァの町周辺に魔物が寄ってきていないかを確認するなどして過ごしている。『契約』による魔力のつながりが途切れないようそこまで離れることはできないが、その分、町周辺を虱潰しに歩き回って魔物の痕跡がないかを細かく確認していく。
ただし、現在のスペランツァの町には『変化』で人間に化けているとはいえヴァーニルがいるからか、三日ほど探索しても魔物に遭遇することはなかった。あるいは、元々スペランツァの町周辺の魔物を狩り尽くしていたことで、危険な場所だと認識されたのかもしれない。
レモナの町での一件があったためレウルスも魔力の不足はなく、むしろ上限まで溜まっている感覚がするほどだが、このまま魔物が寄ってこなければ将来的には困ることになりそうだと頭を悩ませる。
もちろん、地図で見れば縦にも横にも広いアメンドーラ男爵領から魔物が全ていなくなるということはないだろう。スペランツァの町から離れた場所にはいまだに多くの魔物が生息しているはずだった。
「……と、思ったのに三日間空振りだと時間を無駄に過ごした気になっちまうなぁ」
「……? 平和は良いことだとティナは思う」
森の中を探索しながら呟くと、同行しているティナから返答があった。グレイゴ教の司教ということで相変わらず監視をしているのだが、エリザとミーアは訓練、サラとネディは三日かけて完成したドワーフ達の工房に“拘束”されているのだ。
今のところはレウルスもやることがないからとスペランツァの町周辺の警邏を行っているが、工房が本格稼働するようになれば新しい武器や防具の作成のために時間を取られるようになるだろう。
レウルスがティナと二人で行動することに関しては、特に問題視されていない。万全の状態ならばいざ知らず、レモナの町での戦いで魔力の大部分を消耗したティナが仮に襲ってきたとしても、装備が整っていないレウルスでさえ余裕を持って対処できるからだ。
何かあっても『契約』のつながりがあるため、有事の際は『熱量解放』を使って知らせる手筈になっていた。
(しかし、グレイゴ教の司教ってのもよくわからんもんだな……)
てくてくと足音を立てながら隣を歩くティナを横目で見つつ、レウルスは思う。
現在のティナは色々間違えた“くのいち”のような服装ではなく、エリザやミーアから借りた服を身に着けていた。さすがに何日も着替えずにいるのは落ち着かないらしいが、スペランツァの町には着物などないのである。
そのため体格が近いミーアの上着を借り、下はエリザからスカートを借りている。身長だけで考えると全てミーアの私服でも良かったのだが、ミーアは基本的にズボンしか持っておらず、ティナの尻尾が邪魔をして穿けなかったのだ。
さすがに借り物のズボンに穴を開けるわけにもいかず、エリザからスカートを借りたのだ。尻尾がスカートの後部を持ち上げているが、ズボンに押し込むよりはマシらしい。
「ティナがどうかした?」
レウルスの視線を感じ取ったのか、ティナが不思議そうな顔をする。疑問しか感じていないらしく、純粋な瞳を向けられたレウルスは困ったように頬を掻いた。
「いや……こうして歩いているところだけを見ると、ただの女の子にしか見えないな、なんて思ってな」
頭部に狐のものと思しき耳が生え、臀部には尻尾も生えているが、レウルスからすると特に感慨も湧かない。
人間にしか見えない精度で『変化』を行うヴァーニルがいるからか、身内が吸血種に精霊、ドワーフと多岐に渡っているからか、狐耳と尻尾があっても“そういう存在”なんだな、としか思わなかった。
「ただの……女の子……」
狐耳があるということは人間の耳はないのか、などと考えながらティナのこめかみ辺りを見るレウルスだったが、ティナが複雑そうな声を漏らしたことに気付いて眉を寄せる。
「ん? 何かまずいことでも言っちまったか?」
実は自身の外見に関して何か思うところがあるのだろうか、とレウルスは疑問に思う。するとティナは自身の頭部を――狐耳を指さした。
「……これは?」
「耳……だよな?」
まさか違うのか、と思わず狐耳を凝視するレウルス。続いてティナは右手を背後へと回し、尻尾を握ってレウルスへと見せた。
「……これは?」
「尻尾?」
レウルスがそう答えると、ティナは尻尾を離す。
(……もしかして、実は本当の耳や尻尾じゃなくて、そういう飾り……いやいや、そんなのをつけてどうするんだよ……)
もしもそうだとすれば、これまでグレイゴ教の司教にしては“まとも”だと思っていたクリスやティナに対する印象が崩れてしまいそうだ。もちろん仮にそうだとしても、個人の自由だとレウルスは温かい目で見るだけだが。
「あー……実はそれ、付け耳と付け尻尾ですか?」
「どうして敬語……これは本物。本当に、耳と尻尾……」
そう言いながら、ティナの狐耳がぴくぴくと動く。自分の意思で動かせるのか、尻尾も左右に小さく揺れていた。
「そうか……」
「うん……」
なんだろうこの会話、とレウルスは思った。似たような雰囲気としてはネディが近いが、ティナはネディよりも落ち着きがある。ネディはネディで、時折突拍子もない行動をすることがあるのだ。
「……他に何か、言うことは?」
「え? 何かって言われても……んー……その耳、よく聞こえるのか?」
どれほどの差異があるのか詳しい数字は覚えていないが、前世でも動物の嗅覚や聴覚は人間と比べて大きな差があったはずだ。狐の耳ならばよく聞こえそうだと考えながらレウルスが問うと、ティナは首を傾げる。
「人と比べたことがないから、よくわからない」
「ああ、そうか……それじゃあ試してみるか」
そう言ってレウルスは足元の小石を拾い上げ、力いっぱい投擲する。周囲が森のため飛距離は測れないが、少なくとも軽く数十メートルは遠くへと飛んだだろう。
「途中で木の葉を掠めたような音は聞こえた……か? そっちはどうだ?」
「石が地面に落ちる音まで聞こえた。距離は大体五十七メルト先」
「それ大体って精度じゃねえな……」
視界が利かない森の中、メートル単位で音の発生源を探れるとなると相当聴覚が優れているのだろう。
「普段はそこまででもないけど、集中すれば聞こえる」
「へぇ……索敵に便利だな。でも、戦闘中とかだと音が大きすぎて辛くないか?」
「その時はこうする」
言うなり狐耳をぺたんと倒すティナ。それを見たレウルスは思わず拍手をしてしまった。
「おお……すごいなそれ。というか耳を動かせるってのは一体どんな感覚なんだ……」
世の中には自分の意思で耳を動かせる人間もいるが、レウルスはそうではない。そのため感嘆するように褒めると、ティナは何故か視線を逸らしてしまった。
(あれ? やっぱり耳とか尻尾に対して何か思うところが……でも尻尾は揺れてるな)
音が立つほどではないが、左右に揺れている尻尾を見てレウルスは首を傾げる。何かの感情表現なのか、あるいはただの偶然か。
「……ずっと思っていたけど、あなたは変な人」
「変って……まあ、精霊のお墨付きが出るぐらいには変らしいな」
ネディが言っていた『へんなこ』というのは性格的な意味ではないが、普通かと問われれば頷けないと自分でも思っているためレウルスは笑って言う。
「あの町も、変な町。まだ造っている途中だけど、火龍はともかく亜人も精霊も、人間と一緒に生活してる」
「変か? 町のみんなも最初は戸惑ってたけどすぐに慣れたし、ラヴァル廃棄街ではドワーフと冒険者が一緒に酒を飲んでることもあったぞ?」
そう話すレウルスだったが、以前のラヴァル廃棄街を思い返して納得もする。
(そういえば、以前は人間しかいなかったっけ……変わったのは俺が連れてきたから、か)
エリザ以前に亜人などが住んでいたとは聞かない。そのためティナの言いたいことも理解できるが、レウルスとしては“今の状態”こそが普通になりつつあった。
「変な町に、変な人…………あの頃に、こんな――」
ぽつりと、レウルスに聞こえない小さな声で何かを呟くティナ。それを中途半端に聞き取ったレウルスは何事かと尋ねようとし――直前で思い留まる。
(いや、待て……何か、おかしいような……)
いくら“まとも”に見えるとはいえ、グレイゴ教の司教の素性に踏み込もうなど“これまで”の自分では考えられなかったことだ。
無論、今は敵対していないのだから殺し合う必要もないが、ここまで気軽に、あるいは親身に接することなどしなかったはずである。
レウルスは己の心境を振り返り、頭を振った。
(腹がいっぱいだと、どうにも“感情的”になるな……)
エリザやミーアの成長に気付いたこともそうだが、今までと比べて感情が大きく動くような気がしてならない。それが良いことか悪いことかで言えば、良いことなのだろうが――。
(今は殺し合うこともないが、馴れ合う必要もない、か。今の状態だと、それで割り切れるかも怪しい……か?)
敵対しなければ殺し合うことない、と思うに留めるレウルス。そして、それを表情に出さないよう注意しつつ、話題を変える。
「そういえば、報告に行ったっていう二人はいつになったら帰ってくるんだ? 俺達がレモナの町から帰ってくる前に翼竜に乗って飛んで行ったのなら、そろそろ帰ってきてもおかしくないよな?」
「それは……ティナも不思議に思っている。レベッカの翼竜ならどんなに時間がかかっても往復するのに一週間とかからないはずだから。何かあったのかもしれない」
レウルスが意識して話題を変えたことに気付いているのか、いないのか。ティナは質問に対して素直に答えた。
「何かってのはわかるのか?」
「さすがにそれはわからない。緊急で倒すべき魔物が見つかったとか、依頼が舞い込んだとか……仮にそうだとしても迎えにだけは来るはず」
レベッカだけならばティナの存在を忘れている可能性を否定できないが、クリスが一緒である以上、それはないだろう。
(となると、だ……“何か”あるかもしれないし、新しい武器と防具はなるべく早く作ってもらった方がいいか)
王都で行われる叙爵といい、グレイゴ教徒のことといい、どうにも落ち着く暇がなさそうだとレウルスはため息を吐くのだった。




