第480話:男同士の語らい
レウルスに対する叙爵の知らせが届いたその日の夜。
レウルスは考え事をしたいということもあり、夜間の不寝番を買って出ていた。武器は相変わらず『首狩り』の剣と短剣だけで、防具はスペランツァの町で作業をしている冒険者達が使う、“昔懐かし”の皮鎧一式を身に着けていた。
「しかし……俺が準男爵、ねぇ」
スペランツァの町の四隅それぞれに造られている木製の見張り台。その中でも北東に位置する見張り台に陣取ったレウルスは、月明りに照らされた町の周辺に視線を向けながら小さく呟く。
見張り台は高さ五メートルほどだが、その程度でも視界が開けて周囲を見渡すことができる。気を抜かない程度に周囲を警戒しつつも、レウルスの思考は昼間に届いた叙爵の知らせに関して割かれていた。
(エリザ達も驚いて……いや、サラとネディは普段通りだったし、ミーアも多少驚いたってぐらいだったか)
レウルスはエリザ達のことを脳裏に思い浮かべ、苦笑を浮かべる。
事の重大さを“理解できる”エリザは卒倒しそうなほどに驚いていたが、精霊であるサラとネディ、元々は人間社会から離れてドワーフの集落で過ごしていたミーアは反応が薄かった。
そんなエリザ達は昼間に訓練をしており、なおかつ不寝番に付き合わせるのも心苦しいため家で休ませている。ナタリアは客間で考え事をしており、レモナの町での戦いで消耗しているティナは早々に休んでいた。
王都からの使者が訪れた際は姿を消していたヴァーニルは、夜更けにも関わらずレウルスの新しい剣を作るべく工房の建築を始めたドワーフ達の働きぶりを肴に酒を飲んでいる。
以前ラヴァル廃棄街で自宅を改造した時もそうだったが、夜間にも関わらず騒音と呼べるような音が立たないドワーフ達の建築技術は見ていて面白いと言えるだろう。
工房の大きさや間取り、窯をどこに設置するか、サラとネディをどこに“鎮座”させるか等々、それぞれの好みを交えて時折言葉と拳が交わされる音が聞こえてくるが、夜間に休んでいる者達の眠りを妨げるほどではない。
(姐さんの話を聞く限り、どうにも面倒な気配しかしないのがなんとも……ん?)
ドワーフ達の喧騒を遠くに聞きながら、レウルスはため息を吐く。すると、足音と魔力が近づいてくることに気付いて視線を下へとずらした。
そうして一分と経たない内に姿を見せたのは、レウルスと同じく不寝番を務めているコルラードである。外見とは裏腹に身軽な動きで見張り台へと昇ってくると、レウルスと視線が合うなり苦笑を浮かべた。
「見張りの最中にすまんな。少し、話でもせぬか?」
「どうせ見張りをしながら考え事をしているだけですし、構いませんよ」
レウルスが体をずらすと、コルラードは礼を言ってからその隣へと並ぶ。見張り台は複数人が乗っても大丈夫なように造られているが、男二人が並ぶと少しばかり狭く感じられた。
「ふぅ……夏が近づいているはずだというのに、夜になるとまだ冷えるのであるな」
「ですねぇ……風邪をひくような寒さじゃないですけど、人によっては体調を崩すかもしれませんよ」
話をしながらも、町の周囲へと視線を向けるレウルスとコルラード。話に集中して魔物の襲撃を許したとなれば悔やんでも悔やみきれないのだ。
そうして見張りをしながら雑談を交わしていると、コルラードが腰に下げていた物体を持ち上げる。それは蓋がついた陶器の入れ物で、水筒に似た形をしていた。
「酒ですか?」
「馬鹿者、見張りの最中に酒を飲むやつがいるか……と言いたいが、“気が抜けている”場所の見張りだと否定できんのだよなぁ」
そう言いつつ、コルラードは水筒の蓋を外す。前世でレウルスが利用したことがあるペットボトルのように捻って蓋を閉じる形ではなく、蓋をかぶせるだけの簡単な作りだった。
蓋を外すなり、清涼感のある優しい香りが漂い始める。水筒の口からは僅かに湯気が立っており、中身は温度が高そうだった。
「眠気覚まし兼、吾輩の胃にも優しい薬湯である」
「……薬も過ぎれば毒になりますし、気を付けてくださいね?」
「心配するな。薬の飲み過ぎで胃を痛めるような真似はせぬ……飲むか?」
そう言ってコルラードは懐から陶器のコップを取り出す。レウルスと話をするにあたり、事前に用意してきたようだ。
「せっかくだからいただきますよ……おっ、案外飲みやすいですね」
「で、あろう? 薬湯といっても強いものではない。水に薬草、あとは味を調えるために果汁と砂糖を少し……といった吾輩手製の薬湯である」
(なんだっけ……あー……っと、しょ、生姜湯? だったかな……)
味は思い出せないが、似たような感じだったとレウルスは思う。熱々というわけではないが、少々肌寒い夜間に飲むには丁度良い温度だった。
レウルスとコルラードは無言で薬湯を飲む。一気に飲み干すわけではなくちびちびと、酒でも舐めるようにして少しずつ飲んでいく。
そうやって数分の時が過ぎると、コルラードがポツリと呟いた。
「しかし……昼間は心底驚いたのである。隊長殿がお主や吾輩を婿の候補と考えていたとは……いや、吾輩の方は冗談だと思う……思いたいのだがな?」
軽い雑談のつもりなのか、コルラードはおどけるようにしてそう言う。ただし、態度はおどけていても視線が左右に行き来していた。
「一応、事前に聞いてはいたんですけどね。コルラードさんの“希望”に関しては以前聞いていたんで、やめたほうがいいんじゃないかって伝えもしたんですが……」
「ありがたいのである……本当、ありがたいのである! 吾輩、せめて家庭では安穏とした、心落ち着く生活を送りたいのだ……」
遠い目をしながら話すコルラードに、レウルスはそっと視線を逸らす。
結婚相手によっては無理ではなかろうか、と言わないだけの情がレウルスにもあった。
「でも、姐さんと結婚ってのも悪くないと思うんですけどねぇ……姐さん、あれはあれで可愛いところがあるじゃないですか」
「なん……だと……可愛い……だと……?」
コルラードは目を限界まで見開き、レウルスを見る。それは得体の知れない生き物に遭遇したかのような、あるいは強大な敵に立ち向かう勇者を目撃したかのような、驚愕と尊敬を含んだ眼差しだった。薬湯が入った陶器を握る手がぶるぶると震えているため中身が零れそうだったが。
「料理上手ですし、話してて退屈しないですし、頭が良いですし、美人ですし……コルラードさんもそう思いません?」
「それはまあ、否定はせぬが……尻に敷かれて、掌の上で転がされ続ける人生になりそうなのがなんとも……」
陶器を揺らし、薬湯から漂う香りによって気分を落ちつけながらコルラードが言う。そんなコルラードの言葉にレウルスは苦笑を浮かべた。
「良い女の掌の上で上手いこと“転がってみせる”ってのは、男の甲斐性では?」
「むぅ……一理ある、な」
吾輩、転がってる最中に握り潰さるか転げ落ちそうだが、などと呟きながら薬湯を飲むコルラード。そしてコップに入った分の薬湯を飲み干すと、小さく息を吐く。
「しかし、だ……隊長殿も仰っていたが、実際に吾輩かお主のどちらかがアメンドーラ男爵家に婿入りするとなると、それはそれで厄介でな」
「姐さんが部下を家ごと取り込んで潰した、みたいに言われるんですっけ? でも、子供が複数いたら将来的に両方の家を継がせることができると思うんですけど……婿入りしたら爵位を取り上げられるんですか?」
ナタリアとの結婚云々は横に置くとしても、レウルスとしては準男爵という爵位が取り上げられないというのなら特に問題があるようには思えない。
「共同統治という形を取ることもできるから、一概にそういうわけではないのだが……隊長殿は敢えて言わなかったのだが、お主、“自分の立場”に関して何か大事なことを忘れておらんか?」
「大事なこと……」
はてなんだろうか、とレウルスは首を傾げる。立場と言われても、今のレウルスの公的な身分はラヴァル廃棄街の冒険者でしかない。あとは精霊教の『客人』ぐらいで――。
「あー……そういえば俺、以前から割と面倒な立場でしたね……」
「うむ……非常に面倒な立場だぞ。今では『精霊使い』などという名前まで広まっているのだ。準男爵で、なおかつ精霊と共に在る者を自分の家に取り込む……そうなれば一体どのような悪評が立つか。それにお主、婿入りしたとしてエリザ嬢達はどうなる?」
「……一緒に連れていったら駄目ですかね?」
「隊長殿は許容しそうだが、醜聞過ぎて悪評がどこまで酷くなるのか予想もつかないのである」
レウルスは困ったように頬を掻くが、すぐさま疑問を覚えた。
「俺が準男爵にならなかったら大丈夫だったんですか?」
「大丈夫、とまでは言わんがな……精霊や精霊と共に在る者を“保護する”ために家に迎えた、などと言い逃れすることもできたはずなのだ。最悪、爵位をお主に譲って実権は隊長殿が持つ、といった形にもできたと思うぞ」
「それはそれで何とも言えないですね……」
レウルスの叙爵を推薦した者達の面子もそうだが、四代に渡って国に貢献し、ようやく男爵へと至ったナタリアから爵位を譲られるなど重た過ぎて受け取れない。
(そういえば姐さん、俺に渡す報酬で悩んでたっけ……まさか、俺を婿に迎えて爵位を渡そうとしてたんじゃないだろうな……)
ナタリア本人から聞いたわけではないが、コルラードの推測を聞いてまさかと思うレウルス。
「今回の件、大教会のファルネス侯爵も絡んでいるあたり心底面倒でな……サルダーリ侯爵はおそらく純粋な厚意で貴様を推薦したのだろうが、そこに精霊教と宮廷貴族、更に領主貴族の一部も便乗したことで本当に面倒……あ、つつ……胃が……」
コルラードは胃の辺りを抑え、薬湯で胃薬を飲み始める。
「ふぅ……何はともあれ、王都に行く際は気を引き締めるのだな。立場上隊長殿は同行するであろうが、吾輩はこの町の開拓があってついていけぬでな」
おそらくではあるが、コルラードはコルラードなりにレウルスを心配して話をしにきたのだろう。それを感じ取ったレウルスは深く感謝し――首を傾げる。
「……あれ? 今の話をまとめると、俺が姐さんのところに婿入りするのはまずいですけど、コルラードさんが婿入りする分には何も問題がないような……共同統治? ってのができるんですよね?」
「……ンゴッフッ!?」
粉の胃薬が入ってはいけない場所に入ったのか、コルラードが盛大に咽る。それを見たレウルスは慌ててコルラードの背中をさすった。
「大丈夫ですか?」
「だい、じょう、ぶ……では、ないのである……考えないようにしていたことを、貴様……」
ゴホゴホと盛大に咽せ続けるコルラードだが、数十秒もすれば落ち着きを取り戻す。口元を手拭いで拭いてから薬湯で喉を潤すと、深いため息を吐いた。
「まあ、吾輩を婿に迎えるより、他所の家から婿を取って縁をつなぐ方が無難であろうよ……吾輩も嫁を探さねばな……」
「準男爵なら嫁さんのアテもたくさんありそうですけど?」
「上司である隊長殿が新興の男爵故、伝手がな……南部貴族を取りまとめるグリマール侯爵に仲介を願えば紹介してもらえそうだが、それはそれで格上の家から嫁が来そうで怖いのだ。あと、今の吾輩は領地どころかちゃんとした自宅もないのだぞ?」
「領地は今後開拓するとして、準男爵の格に見合った家があればどんな嫁さんが来るんです?」
折角の男同士ということで、レウルスは雑談を投げかける。するとコルラードは顎に手を当て、その視線を夜空に向けた。
「アメンドーラ男爵領は魔物の厄介ささえ取り除けば領地が広く、鉱山などもあるし……吾輩は準男爵として、隊長殿は男爵として初代になるから……ううむ、この土地の利権に食い込むためと思えば、どこまで“上”の家から縁談が来るか……」
「利権目当てなんですね……」
「それはそうであろう? 貴族同士の結婚なぞそんなものだ。嫁ぎ先を豊かにしつつ、実家の利益にもなるよう動く……貴族とはそういうものだ。その点、この土地の将来性を思えば同格どころか格上の家からも縁談がきそう、という話だな」
「大変なんですねぇ……」
レウルスは薬湯を飲みながらそう答えるが、コルラードは頬を引きつらせながら抗議するように言う。
「他人事みたいに言っている場合か。お主の場合、精霊が傍にいるから一体どこから縁談が舞い込んでくるかわからんのだぞ?」
「断ったらいいじゃないですか」
「正当な理由もなく断ったら相手の面子を潰すのだが……」
「そこはほら、当の“精霊様”が嫌がったとか」
レウルスと同様に、サラもネディも利権等には興味を示さない。そのため欲の皮が張ったような縁談は嫌がるだろう。
「くっ、お主にはその手があったか……!」
「ハッハッハ、コルラードさんの結婚式、楽しみにしてますからね? 御祝儀も弾みますし、絶対に呼んでくださいよ?」
「お主の場合、祝儀だと言って魔物の死骸を持ち込みそうだから呼びたくないのだが……」
心底嫌そうな顔をするコルラードに、レウルスは笑顔を浮かべて言う。
「カルヴァンのおっちゃんに頼んで一品物の剣を作ってもらうとか」
「うむ、きちんと招待するから顔を出すのだぞ?」
手のひらを返したように言い放つコルラード。それを聞いたレウルスは即座に噴き出し、カラカラと笑う。
「あとは質の良い胃薬を探してくるとか」
「それは切実に欲しいのであるな……」
うむうむ、とコルラードが頷く。
そうしてレウルスは突如として運ばれてきた叙爵という名の厄介事を、コルラードが持ち込んだ薬湯と共に飲み干し、笑い飛ばすのだった。




