第475話:問題 その3
ハリスト国の王都、タペリーは国の中心ということもあって王都の周りを石壁で囲い、水堀を設け、四方に見張りのための尖塔を建て、石壁の上も見張りの兵士が絶えず行き交う堅牢な造りとなっている。
東西南北それぞれに金属製の城門と跳ね橋が設けられ、日中こそ往来のために開けてあるが夜間や有事の際には城門を閉じ、跳ね橋も上げられるため侵入は困難を極めるだろう。
平時でも、城門が開いているとはいっても出入りする者達は門衛が止め、王都に入る者達の人数や運んでいる物の確認を行う。
それを免除されるとすればハリスト国の各地に領地を持つ貴族や王都に住まう王族、そして、ハリスト国に深く根を張るグレイゴ教の中でも司祭以上の者ぐらいだった。
レベッカは翼竜を操り、城壁が見えた段階で速度を落とす。そして二度、三度と空中で翼竜を旋回させ、見張りの兵士が手を振るのが見えてから城壁へと飛んでいく。
さすがに有事の際は不可能だが、平時ならば“それだけ”の確認で王都内へ入れるぐらいにはグレイゴ教の司教というのは名が知れ渡っていた。
レベッカが翼竜に乗ったまま王都へ進入すると、眼下からどよめくような声が聞こえ始める。他の場所ならば魔物が侵入してきたのかと騒がれそうなものだが、王都の民はむしろ楽しげに空を見上げ、中には翼竜に向かって手を振る者もいるほどだった。
無論、レベッカがそのような歓声に応えることはない。むしろ不機嫌そうに眉を寄せ、気持ち翼竜が飛ぶ速度を上げて“目的地”へと向かう。
クリスを翼竜に同乗させたままレベッカが向かったのは、タペリーの中でも南部に位置する一角である。空の上から見下ろしてみれば、民家や商店と比べてはるかに巨大な敷地面積を誇る建造物があった。
建物は石造りの二階建てで、建物のすぐ傍には数十人規模の兵士が訓練ができそうなほどの広さの平地が設けられている。現に、十人ほどの男女が訓練のために武器を振るっていた。それを見たレベッカは、実力的に助祭程度か、と内心だけで呟く。
そして、レベッカは眼下で訓練を行っている者達を一切気にせず翼竜を平地に向かって降下させると、地面に降り立って両腕を上げて“伸び”をした。
「ふぅ……空の旅というのは退屈で仕方ありませんわ。ええ、退屈でしたとも。こんなことならわたしが王子様の御家に残りたかったですわ」
「その場合、翼竜の操作は?」
「さすがに距離が離れすぎると無理ですわ。だから妹さんと走ってここまで報告に来てくださいな」
「……ティナを置いてきて良かった」
走ってこいと平然で言い放つレベッカに、クリスはげんなりとした様子で呟く。可能か不可能かで言えば可能だが、国を二つほど跨ぐ必要があるためさすがの司教といえど時間がかかってしまう。
休憩を最低限にしても走り続けて十日ほどかかるのだ。その点、空を飛べる翼竜ならば二日とかからずタペリーへと到着することができる。
実力は確かで『加護』も強力なレベッカだが、自儘すぎる点が厄介だった。それこそ、過激派から正道派に乗り換えてきたのが不思議なほどである。
突如として空から降り立ったレベッカ達に、訓練を行っていた者達は二人の邪魔をしないようにと慌ててその場から距離を取っていた。それを横目で確認したクリスは、距離を取るにしても離れ過ぎていることからレベッカがどのように思われているのかを悟る。
レベッカが翼竜の足を優しく叩くと、翼竜は一鳴きしてから平地の隅へと移動し、そのまま丸くなって眠り始めた。長時間飛び続けたことで疲れていたのだろう。
レベッカとクリスは訓練を行っていた者達を一瞥してから移動を開始する。平地のすぐ傍にある二階建ての建物――精霊教に倣って言うならば、グレイゴ教の“大教会”だ。
ただし、正面から入るような真似はしない。グレイゴ教の信者でこそあるが、ただの民間人である王都の民達に捕まる可能性があるからだ。
そのため裏手に設けられた扉から大教会の中へと入り、長い廊下を抜けて司教以上の者だけしか立ち入れない区域へと足を向ける。
そして、その途中でレベッカとクリスは一人の男性と行き会った。男性はレベッカとクリスの目的地の前、扉のすぐ傍で壁に寄りかかって腕組みをしていたが、レベッカの顔を見るなり盛大に表情を歪める。
「……うげ」
思わぬところで良からぬものに遭遇した、とでも言いたげに嫌そうな声を漏らしたのは、グレイゴ教の司祭であるローランだ。誰かが近づいてきたことには気づいていても、それがレベッカだとは思わなかったのである。
「あら……あらあらあら。今、うげ、なんて素敵な挨拶をしてくださったのかしら? ねえ、そうなのかしら?」
「はっはっは、そりゃあ空耳ってもんですぜレベッカ様。おっと、クリス様もご一緒ですかい」
ローランは愛想笑いをしながら扉を開き、どうぞどうぞと扉を潜るように勧める。言外に早く行け、絡んでくるなという心情がありありと滲んでいた。
相手がクリスだけならばローランもこのような態度は取らないが、レベッカが一緒となると極力言葉を交わしたくないのだ。
「まあ……その態度はいただけないわねローラン。いくらカンナちゃんのお気に入りといっても、司祭でしかないあなたが取るべき態度ではないわ、ええ、そうですとも」
レベッカはそう言ってローランに右手を向ける。それを見たローランは愛想笑いを消して剣の柄に右手を乗せ、クリスはため息を吐きながらレベッカを止めようと拳を握った。
もしも“これまで”のレベッカだったならば、軽く暴れていただろう。だが、レベッカは何を思ったのか、ローランに向けていた右手を下ろして笑みを浮かべる。
「ああ……でも、“もう良い”んでした。だから、許してあげましょう。ええ、許してあげますとも。ふふふ……」
そう言ってレベッカは上機嫌に笑い、ローランが開けた扉を通っていく。それを呆然と見送ったローランは、レベッカの足音が遠ざかっていくのを確認してから呟いた。
「……え、な、なんすか今の反応。こっわ……」
「ローラン、お願いだからレベッカを刺激するようなことを言わないでほしい」
ローランの心底からの呟きに、クリスがため息を吐きながら釘を刺す。それを聞いたローランは、もしや『変化』した別人だったのか、などと思いながらクリスに視線を向けた。
「そいつはすいませんね、クリス様。俺ぁどうにもレベッカ様が苦手っつうか、気に食わないっつうか」
「君は根っからの正道派。レベッカと相容れないのは仕方ない」
ローランに同意するように、再度ため息を吐くクリス。正直なところ、報告にかける時間を短縮するためとはいえレベッカと二人きりで翼竜に乗って移動するなど精神的な疲労が尋常ではなかった。
「ま、次からは気を付けますよ。ところで、ティナ様はどうされたんです? マタロイ南部からポラーシャの北部にかけて起きた魔物の大移動について調査してきたんですよね?」
上級相当の魔物がいるかもしれない、とはローランも聞いてはいた。調査ついでに、正道派に移籍してきたレベッカが“使える”かどうかを確認するとも。
手頃な上級の魔物がいたのならばいいが、とローランは思うものの、司教を三人も投入したとなると調査ついでに駆除されているだろう。
そう思って問いかけたローランだったが、クリスは非常に曖昧に、反応に困ったように表情を歪ませる。
「……その辺りを報告するために戻ってきたのだけど、大司教様、いる?」
クリスの表情を見たローランは、心底不思議そうにしながらも頷いて扉を指さすのだった。
司教以上の者だけが立ち入ることができる、グレイゴ教の大教会の中でも最奥にある一室。そこは二十人ほどが一堂に会することができる広さがあり、部屋の中央には巨大な長机が置かれ、長机に沿うようにして幾つもの椅子が用意されていた。
ただし、席全てが埋まっているわけではない。入口から最も離れた“上座”に椅子が二つ置かれ、長机に沿うようにして左右に十ずつの椅子が置かれているものの、上座に一人、左右の椅子にもほんの数人しか座っていなかった。
「……ふうむ。にわかには信じ難い話じゃて」
上座に座っていた男性が、レベッカからの報告を聞いてそう呟く。
歳の頃は六十を超え、七十に迫ろうかという老体である。この世界においては長寿の部類と言って良いが、その年齢に見合わず背筋は真っすぐに伸びており、声にも張りがあった。
加齢の影響から背は縮み、身長は百六十センチに届くかどうか。服装は質が良いものの簡易な意匠の貫頭衣を身に纏い、座った椅子の傍らには一本の杖が置かれている。
年齢相応に顔に刻まれた皴、禿頭に眉は白一色。手入れがされた白い顎髭を軽く撫でながら、老人はその視線をクリスへ向ける。
「これ、クリスや。今の話は本当かの?」
「司教第十位、『疾風』の名に賭けて嘘偽りございません」
そう言ってクリスは頭を下げた。老人はそんなクリスの様子に呵々と笑う。
「ほほっ、そんなに固くなることはあるまいて。何なら儂が茶でも淹れてやろうぞ。カンナがな、南の市場でジパングの茶を見つけたと言って持ってきたものがあるんじゃ。茶請けにも良い菓子があってじゃな、これは東の市場で――」
「老公、話がずれていますよ。あとお茶ならわたしが淹れますから」
老人の話を遮ったのは、話にも出てきたカンナである。老人の言葉に苦笑を浮かべつつ、それでいて敬意を滲ませながらやんわりと話題を修正した。
「ううむ……歳を取ると話が長くなるし逸れるしで敵わんのう。で、じゃ……」
好々爺と評すべき柔らかい笑みを浮かべていた老人が、言葉を切る。そしてレベッカとクリスを見据え、その目を細めた。
「魔物の調査に行ったお主達が吸血種……それもあのスラウスと遭遇し、なおかつ『神』と交戦もした、と」
「はい……その際、以前報告にあったマタロイの冒険者、『魔物喰らい』のレウルス。それとマタロイの第三魔法隊の元隊長、『風塵』のナタリアと共闘しました」
「他にも『狂犬』や精霊、ドワーフもいた、と……なるほど、戦力としては十分といったところかの。それでもクリスや、お主が面をつけていないところを見ると、十分ではあっても余裕はなかったようじゃの」
顎髭を撫でながらそう話す老人だが、その興味はとある一点へと向けられる。
「スラウスは……その吸血種めは、“本物”じゃったか?」
「本人がそう名乗り、その強さは間違いなく上級の魔物でした。話に聞いた風貌とは違いましたが、能力から考えても間違いはないかと」
「そう、か……あやつがさ迷い出てきおったか。カカカッ、儂もその場にいたかったものじゃて」
そう言いつつ、老人は傍らに立てかけてあった杖を握り締める。その際、僅かとはいえ殺気が漏れ、カンナやレベッカはともかくクリスは一筋の冷や汗を掻きながら小さく頭を下げた。
グレイゴ教の中でも大司教を務め、タペリーの大教会にて正道派を統括する老人――アルス=ローマイアは在りし日の記憶を思い出す。
既に何十年もの時が過ぎたが、“かつての”スラウスを討伐するために送り込まれた司教五人。アルスはその内の一人であり、今もなお生き残っていた。
グレイゴ教の中でも最上位の立場に在るアルスは一線を退いたとはいえ、その腕まで錆び付いたわけではない。並の上級の魔物ならば今でも単独で狩れる程度には腕を保っていた。
そんなアルスは己の感情を鎮めるように長い息を吐くと、話題の矛先を変える。
「しかしその、レウルスだったかの? カンナから何度か聞いておったが、調査によると『城崩し』に『国喰らい』、『首狩り』ときて今度は上級の吸血種と『神』を相手にしたか……逸材じゃの」
「運が良いのか悪いのか、上級の魔物とよく遭遇するみたいですね……いやはや、ローランが泣きますよ」
アルスの言葉を聞き、カンナが言葉を発して苦笑する。
「ローランも司祭にしては良い腕なんじゃがの……このレウルスとやら、種族はなんじゃ? 亜人かの?」
「人間ですわ、ええ、人間ですとも。そしてわたしの王子様です」
「……ああ、お主が騒いでおった相手じゃったか。ふ、む……たしか精霊教の連中が抱き込んでいたのう。司教にするなら第五位で良いじゃろうが、マタロイの精霊教の庇護下にあるとなると……」
アルスは思案するように目を細め、宙を見た。そうしてしばらく思考をまとめると、何かを思い出したように手を打つ。
「そういえば、“あの嬢ちゃん”が『精霊使い』という名を広めておったか……それに、いくつかの家で動きもあるようじゃしな。レベッカや、お主、もう一度マタロイへ飛んでくれんかの。クリスはその目付け役じゃ」
「王子様のところへですか?」
「それもあるが、別件もある。ちと厄介なことになりそうでな……過激派の面々にも動きがあるから、少しばかり釘を刺してきてほしいんじゃよ」
そう言って、アルスは眉間に大きな皴を作るのだった。




