第46話:雨天休業 その2
ザアザアと大粒の雨が地面や屋根を叩く音が辺りに響く。ラヴァル廃棄街の大通りは石畳などで整備されているわけではなく、ところどころに水たまりを作っていた。
普段から人の往来が多く、しっかりと踏み固められているため思ったよりも歩きにくくはない。それでも雨の中を出歩くのは大変だ、などとレウルスは苦笑を一つ零した。
(こういう時は前世で使ってた傘が欲しくなるな……骨組み作って布を張るだけだから作ろうと思えば作れるか?)
そんなことを考えながら歩くレウルスが雨避けに使っているのは、一枚の布である。ただの布ではすぐに雨が染み込むだろうが、魔物の脂を塗ることで多少の雨ならば弾いてくれる優れものだった。
その布を外套のように頭から羽織り、同じように布を羽織ったエリザとコロナがレウルスの後ろに続いている。
「雨がすごいのう……」
「そうですねぇ。こんなに強い雨が降るのは久しぶりです」
水たまりを避けるように歩きながら、言葉を交わすエリザとコロナ。警戒心が強いエリザも、コロナが相手となると話は別だった。普段から柔和な笑みを浮かべ、水浴びの際には己の服を貸してくれたのである。これで警戒するのは失礼というものだろう。
レウルス達は服屋に向かっているのだが、コロナがついてきているのは非常に単純な理由だった。エリザに服を買うのは良いが、前世ならともかくこの世界の女性服についてレウルスはほとんど知らないからだ。
女性用の服を買うのならば女性に話を聞く。それは最も適切で妥当な考えだろう。服屋の店員に聞いても良いが、エリザが警戒して話を聞けないかもしれないのだ。
先に冒険者組合に足を運んだレウルスだったが、雨脚が強すぎるため町の外での魔物退治は中止となった。見張りの仕事はあるものの、雨の中の見張りは報酬が良いということで募集が既に満員だったのである。
見張りならばそこまで体を動かさなくても良いということで怪我人のニコラなども立候補しており、それを補佐するためにシャロンも見張りの依頼を請け負っていた。それもあって今日は完全に休みにしようとレウルスは考えたのである。
(でも雨の中の見張りって余計に体調が悪くなりそうな気が……さすがに屋根の下で見張るか)
そんなことを考えながら視線を彷徨わせるレウルス。その視線の先では、大雨という天然のシャワーを浴びるべく半裸で軒先に出ている男連中の姿があった。これを良い機会だと捉え、体を洗って汚れを落とすつもりらしい。
場所によっては木桶などを家の外に置いて雨水を貯めている。飲むのではなく洗濯などの生活用水として使うのだろう。現に雨が降る中で洗濯をしている奥様連中の姿もあった。
(うん……シェナ村でも似たようなことをしてたけど、この世界の人って逞しいよな)
雨に濡れれば風邪を引きそうだが、それよりも体を洗うことや洗濯の方が大事らしい。水も無料ではないため、こういった機会は逃せないのだろう。
キマイラとの戦闘で大怪我を負ったニコラは未だに完治していない。それでも食い扶持を稼ぐためには働かなければならず、今日のような悪天候での見張りは大歓迎だと笑っていた。それを思えば魔法が使えるかは関係なく、この世界の人間が逞しいと見るべきだろう。
ラヴァル廃棄街は周囲を木の柵と土壁で囲っているが、それだけでなく見張り用の櫓も点在している。普段は屋根がない櫓だが木の板を乗せれば即席の屋根になり、多少の雨ならば防げるようだった。
(俺はともかく、エリザは何だかんだでしっかりと休めてなかったしな。精神的なリフレッシュも兼ねて休める時に休んでおかないと……)
そういう意味では昨日の魔犬は良い臨時収入だった。そんなことを考えるレウルスは町の中ということもあって普段の装備は身に付けていない。精々護身用の短剣を腰に下げているだけである。
ただし、魔犬に破壊された右腕用の手甲だけは布に包んで持ち歩いていた。服屋のすぐ傍に靴屋兼革製品を扱う店があるため、ついでに直してもらおうと思ったのである。
(まあ、留め具が壊れたのと穴が開いたぐらいだしすぐに直る……直るよな? 新しく買うには懐が寂しいぞ……)
エリザに服を買ってやると約束しているのだ。雨の中付き合わせた礼としてコロナにも何か買おうと思っているレウルスとしては、新しく手甲を作るのは勘弁してほしかった。
己の懐事情を残念に思いつつ、レウルスは到着した靴屋で手甲を修理に出す。内心で冷や汗を掻いていたが幸いにも大銅貨5枚ですぐに修理できると聞き、そっと安堵の息を吐いた。
「のう、レウルス……まだかの? まだかの?」
「はいはい、こっちの用事は終わったから服を見るぞ……って、その前に折角靴屋に来たんだし、エリザは靴を注文しないのか?」
「む? ……うむっ! そうじゃった!」
ワクワクとした様子を隠せないエリザに手を引かれたが、靴屋に来たのは丁度良いと言わんばかりに靴を買うことを勧めるレウルス。エリザが現在使っている靴は冒険者組合から借りているものであり、早めに返す必要があるのだ。
そのためエリザは足のサイズを測り、靴の注文を済ませる。手甲の修理と違って完成まで時間がかかるが、さすがに今日明日で靴を返す必要はないのだ。
レウルスの手甲とエリザの靴の注文が終わると、今度こそ服屋へと足を踏み入れる。雨の日ならば買い物客が多いかと思ったものの、家から出ない者が多いのか店の中は閑散としていた。
レウルスも何度か訪れたことがあるが、服屋は靴屋と比べれば広い。それでも前世でいうところのコンビニよりも小さく、二十畳ほどの広さの店内に所狭しと服が並んでいた。
木の枝で作られた取っ手がないハンガーのようなものに服がかけられ、荒縄で一本の棒に結ばれている。半袖か長袖かで長さが変わるが、概ね『T』の字を逆にした形のハンガーもどきで服が吊るされているのだ。
ラヴァル廃棄街の中には他に服屋があるのか、レウルスは知らない。それでも千人を超える住民が存在する町の服屋だからか、ざっと見た限りでも数百着は服がありそうだった。
大小、種類は様々。その上中古の服だからか物によってはボロボロで、買った後は他の服の当て布にしか使えないような物まである。
ハンガーもどきには小さく文字らしきものが刻まれており、それが値段を示しているのだろう。レウルスは自分の名前以外の文字がほとんど読めないが、そんなレウルスにもわかるぐらい簡素に貨幣の種類と何枚必要か示してある。
――基本的に大銅貨以上の貨幣が複数枚必要なのは、かなり辛いが。
(でも服って基本的に手作りみたいだし、高いのは仕方ないよな……当て布にしか使えないようなボロボロな服なら銅貨でも買えるけど……)
レウルスがシェナ村から逃げる際に着ていた服など、ボロボロすぎて最早売り物にもならないだろう。それでも当て布や雑巾として再利用できる。限られた資源を余さず使うためだろうが、元日本人としてはその“もったいない精神”は馴染みがあった。
「うわぁ……すごいのう! 服がいっぱいじゃ!」
人ひとりがギリギリ通れるような狭い通路で、エリザが子どもらしい感嘆の声を上げる。正確な年齢はわからないが、幼い頃にケルメドの町から逃げ出したエリザとしては久しぶりの店なのだ。感動も一入だろう。
目をキラキラと輝かせながら周囲を見回すエリザの姿に、コロナの表情も優しく綻んでいる。
雨という悪天候に加えて蝋燭などの火の気があってはまずいからか、店内は非常に薄暗い。それでも服がたくさん並んでいるのが見て取れ、エリザは傍目から見てもわかるほどにはしゃいでいた。
「向こう側が男性用、こちら側が女性用の服です。あと、入口から奥に向かって体の大きさ順に服があるんですよ」
コロナが説明するのを聞き、エリザは何度も頷く。そしてすぐに女性服が並ぶ列へ向かうと、自分の体のサイズに合った服を探し始めた。
(探しやすいのは良いことだけど、服の大きさに合わせて値段も変わるからな……エリザが小柄で助かるわ)
入口に近い場所で服を探すエリザの姿に、レウルスは内心だけでそんなことを呟く。使用している布の質もそうだが、量によって値段が変わるのだ。非常に大柄なドミニクなどは一着買うだけでも銀貨が必要になるだろう。
麻布のように目が粗い生地を使った服が多いが、中には綿布や絹、あるいは何かしらの生き物の毛で編まれたと思わしきものもあった。それらに共通しているのは、麻布らしき生地で作られた物よりも値段が高いことだろう。
(うーん……買えないほどじゃないけどシャツ一枚で銀貨三枚……それなら安いシャツ六枚でいいや)
普段身に付けるものだからこそ高いのか、単純に希少品だからなのか。前世においてはディスカウントストアで何百円程度のシャツを買っていたレウルスとしては、質よりも安さの方が優先すべき事柄だった。
もちろん品質が良いに越したことはない――が、品質が良い物を買うにせよ作るにせよ、金がなければどうにもならないのである。それならば最低限の品質だろうと目的を果たせるのならば妥協するしかない。
この世界で買い物をした経験が乏しいため、レウルスも楽しみながら服を見ていく。すると、手に何かを持ったエリザが近づいてきた。
「レウルス、レウルス、コレはなんじゃ?」
「どれどれ……んんっ!?」
服を選んでいたはずが、何か気になるものがあったらしい。そう思いながらエリザが差し出した物を受け取ったレウルスだったが、自分の手の中にある物を見て必死に驚愕の声を噛み殺す。
“ソレ”を一言で表すならば、女性用のパンツだった。そこまで使用感がない、白いパンツだった。リボンとフリルが縫い付けられている、手触りが良いパンツだった。
――“前世で見たようなデザインの”パンツだったのだ。
思わずコロナに視線を向けてみるが、コロナも不思議そうな顔をしている。どうやらコロナも知らないらしい。
(うわぁ……この世界にもこんな下着があるんだなぁ。でもコロナちゃんは知らないみたいだし……ん? なんだこれ。製品タグか?)
驚愕を必死に押し殺していたレウルスだったが、パンツに縫い付けられた小さな布を見て眉を寄せる。刺繍で文字が縫い込んであるのだが、それを読んだレウルスは寄せた眉を激しく波打たせた。
(MADE IN YU……糸がほつれてて続きが読めないな。どこかの地名か? 日本製が良いんだけど……ってこれアルファベットじゃねえか!?)
何の違和感もなくタグについていた文字を読むレウルスだったが、それも当然である。何故ならばかつて生きていた世界で目にした、アルファベットが刺繍されていたのだから。
おそらく、この世界に生まれてから三本の指に入るであろう強烈な驚愕。震えるレウルスの手からパンツが落ちたが、空中でキャッチしたエリザは不思議そうな顔をしている。
「もしや、かぶるものか?」
「かぶるなはしたないっ!」
女性用のパンツを頭にかぶろうとするエリザを即座に止めるレウルス。しかしここで止めるということはパンツの使用方法を知っているも同然であり、それに気付いたレウルスは咳払いをして平静を装った。
「それは多分アレだ……下着だよ。足を通す場所があるだろ?」
そう言って自分の腰を叩くレウルス。パンツで通じるかわからないが、下着という単語とジェスチャーがあれば通じるはずだった。
エリザは自分が頭にかぶろうとしていたパンツに視線を落とし、続いてレウルスの腰を叩く仕草を見る。そして再びパンツに視線を落とし、最後には自分の腰元に視線を向けてから顔を上げた。
上げた顔は、真っ赤だった。
「……布地が少ないと思うんじゃが」
「お前さんが穿いてる下着を知らんから何とも言えん」
「アレじゃ」
「ほう、かぼちゃパンツ」
「うむ……お主が何を言っているかわからんが」
密かに気が動転しているレウルスと、パンツを頭にかぶろうとしていた事実に震えるエリザ。
エリザに指を向けられて確認してみると、そこには腰付近を紐で締めるタイプのパンツがあった。かぼちゃパンツと呼ぶべきかドロワーズと呼ぶべきかわからず、レウルスは見たまま抱いた印象を言葉にしていた。
「レウルスさん?」
普段と比べて少し冷たい、コロナの声。その声色で我に返ったレウルスは大量の冷や汗が浮かんでくるのを感じつつ、話と視線を逸らす。
「さ、さあて、エリザの服を選んでやらないとな! 冒険者らしく動きやすいのと、普段着として可愛らしいやつを買ってやるよ!」
強引に話の流れを変え、エリザを伴って女性服コーナーへ向かうレウルス。背中に突き刺さるコロナの視線から逃れるための必死な行動だった。
それでも、頭の中では別のことを思考する。
(もしかして、俺みたいな境遇の奴が他にもいるのか? さすがにパンツだけピンポイントにこっちの世界に飛んできたってことはないだろうし……あったらなんか嫌だし)
自分のように転生した者がいるのだ。他にも似たような境遇の者がいないと誰が言えよう。
地球のどこかに存在する下着店、もしくは女性の部屋の下着箪笥からパンツだけが転移してきたとは思えない。むしろそんなことがあり得る世界で生きるのは忍びない。
そうなると、自分と違って転生とは別の形でこの世界を訪れた元地球人がいたのかもしれない、とレウルスは考えた。あるいは転生してからあのパンツを作って売りに出したのか。
(金に困って売ったっていうよりも、手作りしたものを売ったって感じだしな……でもなんでパンツ?)
前世の知識を活用することはレウルスも考えたが、環境と記憶の曖昧さがそれを許さなかった。下着もだが衣服という観点で活用できる知識もなく、レウルスが思いつかなかったことである。
(エリザの話とコロナちゃんの反応を見る限りかぼちゃパンツが主流っぽいけど、どこかの誰かが偶然あのデザインにしただけ……か?)
いついかなる時代だろうと異端な発想をする人間はいるものだ。いるのかわからないが、どこかの職人が試験的に作ったデザインという可能性もあった。
一応店主に入手経路を確認してみるレウルスだったが、ラヴァル廃棄街の中で使わなくなった服を買い取っただけでなく、外部からも時折服を入荷しているらしい。件のパンツはその中に含まれていたもので、下着ではなく変わった形の手拭いだと思っていたようだ。
ラヴァル廃棄街に流れてくる以前の入手経路については店主も知らないらしく、レウルスの中に言い様のない疑問が膨れ上がる。
機械によって大量生産され、製品の管理が成されている現代日本ならばどこの工場で作られたかある程度わかるだろうが、この世界はそうではない。衣服が人の手で作られている以上、遠くの国の誰かが作っていてもわかりはしないのだ。
調べようにも伝手がなく、伝手があろうと突き止めることはできないだろう。そこまで考えたレウルスは、いや待てと頭を振る。
(他所の国で育ったって言ってもエリザは小さな頃に人里を離れたらしいし、もしかしたらああいう下着が普通に使われている国もあるかもしれないしな。気になるけど偶然の一致ってことで……それならなんでアルファベットが使われてるんだよ!?)
一番の問題にぶつかり、レウルスは心中だけで叫んだ。途中でほつれているため全容は掴めないが、『MADE IN YU』という文字は明らかに前世で見たものだ。
もしかするとこの世界でも似たような文字が使われている場所があるのかもしれないが、世界を超えても言語が一致するなど偶然を通り越して奇跡としか言いようがない。
(わからん……確認できないけど無性に気になる……)
自分が転生している以上、他にもこの世界に元地球人がいてもおかしくはない。出会うことすら難しいだろうが、会えるのならばエリザとは別の意味での“同類”に会ってみたかった。
「レウルス? ワシの服を選んでくれるのではなかったのか?」
「ああ……今行くよ」
だが、それが叶う程世界は狭くないだろう。そう結論付けたレウルスは前世への未練を苦笑一つで収め、服を選ぶよう急かすエリザのもとへと歩み寄るのだった。
この主人公、(自分と相手の)混乱につけ込んで年下の女の子に穿いてる下着を自白させてる……。
どうも、作者の池崎数也です。
約8年越しの伏線もどきを回収できました。元々次回作以降用に仕込んだネタだったので、当時は回収するのに8年かかるとは思っていませんでした。
以前後書きで書きましたが、この話で『異世界の王様』とつながりがあると明言したかったです。
『この人何を言っているんだろう?』という方はお気になさらず、そのまま流されてください。本編にはほぼ関わりがないネタでした。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。