第468話:想い、悩む
明けて翌日。
前日にヴァーニルやティナ、そして昨晩ナタリアから聞いた話の消化ができないまま、レウルスは朝を迎えていた。
あの後自室に戻ったものの、様々な思考が脳裏を過ぎって結局はほとんど眠りに就くことができなかった。少しだけ眠った感覚があるものの、ほんの数十分程度だろう。あとは眠ることもなく、思考に時間を費やしていた。
それでも結論が出るほど深く考えられたわけでもなく、結局、レウルスは悩むだけで一晩を明かしてしまったのである。起きるにはまだ早い時間で、寝台に寝転がって天井を見上げながらレウルスは思案に耽っていた。
(結婚……結婚なぁ……)
前世でもしなかったことだからか、どうにも実感が湧かない。それも相手がナタリアとなると、余計に実感が湧かないのだ。
もちろん、ナタリアのことが嫌いというわけではない。むしろ好ましく、気も合う相手だとレウルスは思っている。
レウルス個人ではなく領主としての考えがあるから素直に受け止められない――などと初心なことを言うつもりはなかった。
ナタリアとて領主としての一面があることは否定できないが、婿に迎えて“これから”を共にしようと持ち掛けたのだ。相応に緊張したであろうことに疑いはなく、恥をかかせてしまったか、とレウルスは頭を掻く。
(ただなぁ……)
さすがにあの場で他の女性のことを口に出す野暮はできなかったが、レウルスは傍にエリザやサラ、ミーアやネディといった存在がいる。
無論、エリザ達と結婚しているだとか、恋仲になっているだとか、そういった事実はない。しかし、エリザ達に関して“責任を負っている”身だと自覚しているレウルスからすると、ナタリアの申し出に即断できない心情があった。
(サラとネディは……まあ、仮に俺が誰かと結婚するにしても、『契約』している精霊だからってことで何とかなる……か?)
結婚相手がレウルスの傍に他の女性がいることを一切認めないような性格だとしても、さすがに精霊教が浸透しているマタロイで『精霊と縁を切れ』とは言えないはずだ。
特に、サラは縁を切る――『契約』を解除するような羽目になればそのまま消滅してしまう。レウルスとしては断固として受け入れがたいことだった。
(ナタリアもさすがにそんなことは言わないだろうけど……言わないよな?)
実はナタリアが独占欲が強く、嫉妬深く、夫に迎えた男性を束縛するような性格だったならば可能性はゼロではない。だが、さすがにそれはないか、とレウルスは思う。
(あとはエリザとミーア……あの二人は、なぁ……)
ううむ、と心中だけで唸り声を上げる。
レウルスとて木石ではなく、前世では年齢相応に恋愛経験も積んできた。今世では前世と比べて常識が違い過ぎる部分があるため何かしらの思い違いもあるかもしれないが、エリザとミーアからは憎からず――端的に言えば好意を持たれていると察せられた。
ただし、エリザとミーアを比べた場合、エリザの方が強く、重い感情を抱いている。これはミーアの感情を軽んじているというわけではなく、置かれた境遇の差異が大きい。
ミーアは父親であるカルヴァンに、元々生活していた集落の面々といった家族や知人が多くいる。その点、エリザは天涯孤独の身だ。
祖母や両親をグレイゴ教徒に殺され、祖父であるスラウスも何の因果か蘇ったものの先日命を落とした。エリザのことを家族だと呼ぶレウルスに対し、様々な感情を抱くことは察するのも容易だろう。
レウルスがエリザ達に抱く感情は、家族愛が大きい。そこに異性に対する感情があるかといえば――。
(というか、ごく自然とうちに住み始めたけど、ミーアはカルヴァンのおっちゃんがいるからうちに住む必要はなかったんだよな……いや、そのおっちゃんに頼まれたからこうなってるんだけど……俺、何やってんだろうなぁ)
自身の思考から逃げるように益体もないことを考えるレウルス。
レウルスもこの世界では既に成人した身である。これまで聞いてきた話によれば、レウルス程度の年齢で結婚していてもおかしくはなく、女性の場合は前世と比べても低年齢で結婚していることすらあるという。
この世界の常識で考えるならば、エリザやミーアは適齢期の真っただ中だ。サラとネディは精霊のため常識が当てはまらず、なおかつサラに至っては意識だけだが前世含めてレウルスよりも長く生きている。
(平民の場合はもうちょい歳が上でも大丈夫なんだっけ? そういえば貴族の娘であるルヴィリアさんは俺と同い年なのに、適齢期がどうとか言われてた……か?)
ふと、レウルスの脳裏にルヴィリアの顔が浮かんだ。王都で顔を合わせて以来、既に半年以上会っていないが、貴族の娘と冒険者では身分の差が大きすぎる。もしかせずとも、今後一生会うこともないかもしれない。
今世においては初めてとなる、言葉にして真っすぐに好意を伝えてきたルヴィリア。その時のことを思い出すと、レウルスとしても微かな哀切が――。
(…………?)
胸に過ぎった感覚に、レウルスは首を傾げた。しかし、すぐさま納得したように苦笑する。
(あの黒いのの魔力を食っちまってから、“腹が膨れてる”しな……)
以前、アメンドーラ男爵領に生息する魔物の多くを平らげた後に起きた“異変”。それが今、自らの体に起こっていることをレウルスは自覚する。
元々それなりに魔力を溜めこんでいたのもあるが、黒い球体から得た魔力は豊潤で、レウルスの体を満たすに足る量があった。だからこそというべきか、レウルスは普段と比べて感情が動きやすいことを自覚する。
(ヴァーニルやナタリアは“ああ言ってくれた”けど、本当にどうなってるのやら……)
普段のレウルスならば、ここまで思い悩むこともない。そろそろ腹が減ったからと思考を切り上げ、朝食に向かっているだろう。
だが、“今の状態”だとどうにも感覚が狂う。普段は三大欲求で例えるならば食欲九割、睡眠欲九分、性欲一分といった有様だが、今はそこまで極端ではない。食欲も精々、七割から八割程度だろう。
魔力を消耗すればまた元通りになるだろうが、今はそんな気分でもなかった。“人間として”の感覚を思い出したように、レウルスはぼんやりと思考を続ける。
(エリザ達のこともそうだけど、あとは……コロナちゃんか)
レウルスが最後に考えたのは、コロナのことだった。
命の恩人にして、ほんの数ヶ月とはいえ同じ屋根の下で過ごした少女である。コロナやドミニクがいたからこそ今の自分が在ると言っても過言ではない、と思うほどだ。
「む……」
コロナのことを思い浮かべた途端、それまで空腹感を覚えていなかったはずだというのに腹の虫が鳴った。そのためレウルスは寝台から体を起こすと、ぽつりと呟く。
「おやっさんにもコロナちゃんにもしばらく会えてないな……二人が作った飯が食いてぇわ」
そう呟くものの、わざわざ二人の料理を食べるためだけにラヴァル廃棄街に向かうわけにもいかない。
レウルスはため息を一つ吐くと、そろそろ起きようと部屋を後にするのだった。
そして、レウルスが自室の扉を開けるなり、ちょうど階段から下りてきていたエリザと目が合った。
「あっ、おはようなのじゃ」
レウルスと目が合うなり、エリザは自然とそうなったように笑顔を浮かべる。
「……おう、おはようさん」
エリザの笑顔を見たレウルスは、挨拶を返しながら少しだけ視線を逸らす。昨晩のナタリアのことといい、今まで考えていたことといい、気まずさを覚えたのだ。
「む……何か、あったのか?」
そんなレウルスの様子を見るなり、エリザは心配そうに眉を寄せて駆け寄ってくる。レウルスは膝を折ってエリザと目線の高さを合わせ――ふと、気付く。
(……あれ? エリザ、また身長が伸びたか?)
以前も思ったことだが、エリザの身長が伸びているように感じられた。それと併せて、顔立ちも少女から女性へと変わりつつあるように思える。可愛さと綺麗さが同居した、不思議な魅力があるように感じられた。
(おかしいな……以前“似たようなこと”があった時は、腹がいっぱいになってから目が覚めたらすぐに気付いたもんだが……)
黒い球体の魔力を喰らい、腹が満ちてから既に十日以上経っている。五日間ほど眠り続けてはいたが、目を覚ましてから既に何日も経っているのだ。
今更になってエリザの変化に――あるいは自身の変化に気付いたレウルスは、顎に手を当てながらエリザの顔を覗き込み、首を傾げた。
「おかしいな……また感覚が狂った、いや、戻ったのか?」
「え? な、何の話じゃ?」
「エリザが可愛い系の美人に見えるって話なんだが……いや、普段から可愛いとは思っているんだが、俺が受ける印象が違うというか。髪型が変わった……ってわけでもないよな」
「っ!?」
レウルスの言葉を聞き、エリザが驚愕したように目を見開く。続いて数秒かけて首筋から顔に向かって徐々に赤くなると、混乱したように口を開いた。
「なんっ、な、ななな、なんなんじゃ!? 以前もあったけど本当になんなのっ!? 忘れた頃になってそんっ、そんな……」
そう叫びつつ、せっせと手櫛で自身の髪を整え始めるエリザ。視線をあちらこちらに彷徨わせつつ、手櫛で髪を整えつつ、
「き、昨日様子がおかしいと思って心配してたら……も、もうっ! レウルス、もうっ!」
エリザは語彙を失ってしまったかのように、罵倒するような勢いで地団駄を踏みながら頬を緩ませる。
怒っているのか喜んでいるか。そんなエリザの様子を見ながら、レウルスは一つ頷いた。
「……よし、朝飯にするか」
「それも二度目じゃぞ貴様ぁっ!」
そして即座に飛び掛かってくるエリザをレウルスは抱き留めて横抱きに移行するが、女の子らしい柔らかさを感じ取り、む、と眉を寄せた。
防具を身に纏い、『龍斬』を振り回し続けたことで全身に筋肉がついたレウルスと違い、冒険者としても華奢な部類のエリザは軽く、柔らかいのだ。
はて、これはどうしたものかと首を傾げるレウルスだったが、騒ぐ音を聞きつけたのか客間の扉が開く。そうして客間から出てきたのはナタリアで、レウルスを見るなり小さく苦笑する。
「朝から騒がしいと思えば……レウルス、あなたは一体何をしているの?」
「ナ……いや、姐さん、俺も何をしてるんだろうなぁって……」
レウルスは居心地の悪いものを感じ、エリザを床に下ろしながら視線を逸らした。すると、エリザはぷりぷりと怒りながら服装や髪の乱れを整え、再度レウルスに抗議しようと視線を向け。
「――――え?」
“何か”を感じたように、小さく声を漏らす。その視線はレウルスとナタリアの二人に等分に向けられており、レウルスは何事かと首を傾げた。
「なんだ? どうした?」
「っ……う、ううん、気のせい! うん、気のせいじゃ! ただその、ナタリアに用事があったことを思い出したんじゃ! うん!」
「そ、そうか?」
エリザの勢いに押されるようにして頷くレウルス。一体何事かとナタリアにも視線を向けてみるが、ナタリアは僅かに目を細めながら頷きを返した。
「エリザのお嬢さんからの用事なんて珍しいわね……昨日聞いた話もあるし、コルラードに色々と指示を出してからで良いなら時間を取れるわよ」
「う、む……では、それでお願いするのじゃ」
今この場で話すつもりはないのか、エリザは回れ右をして居間の方へと駆けていく。
レウルスはそんなエリザの背中を見送ると、困ったように頭を掻くのだった。




