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第45話:雨天休業 その1

 東の川へ水浴びに向かった次の日。


 その日は朝から大粒の雨が降り、ドミニクの料理店で朝食を摂るレウルスの耳にも雨水が地面を打つ音が聞こえてくる。

 しとしとと、表現するには強い雨脚。ラヴァル廃棄街に来てからこれほどの雨が降るのは初めてのことであり、今日の魔物退治は中止だろうと考えながらレウルスは対面に座るエリザに視線を向ける。

 エリザは机に載った朝食に夢中だったが、レウルスの視線に気付くと何故か顔を真っ赤にした。


「なあ」

「知らん。ワシは何も知らん」


 レウルスも朝食に手を付けながら声をかけてみると、何も言っていないのにエリザは顔を真横に向けてしまう。その際桃色がかった金髪が揺れ、ちらりと見えた耳も真っ赤になっていた。


「こっち向いて言ってみ? ん? 俺はまだ何も言ってないぞ?」

「知らんものは知らんのじゃっ!」


 どうやら右腕の傷が消えたことについてはエリザが関係しているようだ。顔を真っ赤にしたままで否定するエリザを見たレウルスは、語るに落ちるとはこのことだと思いながら塩スープをすする。


 エリザの自己申告が嘘でないのならば、治癒魔法で治したというわけでもないのだろう。軟膏を塗って一晩眠ったことでレウルスの自己治癒力が働いたにしても、魔犬に負わされた傷はたった一晩で治るほど浅くなかった。


(寝ている間に『熱量解放』でもしちゃったのか? いや、でもアレは痛みは消えても怪我が治った感じはしなかったしな……)


 キマイラと戦った時のことを思い出してみるが、負った傷までは治らなかったはずだ。そうなるとやはりエリザが何かしたのだろう。しかしその“何か”は治癒魔法のような便利なものではないらしい。


 もしも治癒魔法が使えるというのなら、ナタリアから質問責めをされている時に言っているはずだ。

 レウルスが知る限り、ラヴァル廃棄街で治癒魔法が使えるのは精霊教師のエステルだけである。治癒魔法が使えるのならばナタリアとて無碍にはしなかったはずだ。


「そうか……それならいいや」


 塩スープが入っていた木椀を机に置きつつ、レウルスは言う。エリザが言いたくないことならば無理に聞き出す必要もない。そう考えて話題を変える――前に、エリザが慌てたような、怯えるような視線をレウルスに向けた。


「お、怒った……のか?」

「いや? 言いたくないなら無理に聞かないってだけさ。思ったよりも早く傷が治ってラッキー……じゃない、運が良かったぐらいに考えるよ」


 完治まで数日かかりそうだった傷が、一晩眠っただけで治ったのだ。今日は大雨で魔物退治は無理そうだが、利き腕が自由に使えるというのは有り難いことである。


 興味を失ったと言わんばかりに黒パンを齧るレウルス。エリザはそんなレウルスの態度に目を白黒とさせていたが、真っ赤だった顔を平常のものに落ち着ける。だが、数秒もすれば再び顔を真っ赤にしてしまった。


「お、お主が……」

「ん?」


 言うべきか、黙っておくべきか。そんな逡巡が見て取れるエリザだったが、やがて意を決したように叫ぶ。


「お主が唾をつければ治ると言ったんじゃろうが! だ、だからワシは……その……」


 しかし、叫んだのは最初だけで尻すぼみに声が小さくなった。その言葉を聞いたレウルスは真顔で数回瞬きし、首を捻ってから目を見開く。


「……寝てる間に唾をつけたと? えっ? 本当にそれで治ったのか!?」

「って、その反応は嘘だったんじゃな!? ワシに嘘をついたんじゃな!? 舐めるのは恥ずかしかったんじゃぞ!」


 驚くポイントが激しくズレるレウルスとエリザ。レウルスとしては唾をつけただけで傷が治ったことに驚いたのだが、エリザはレウルスが嘘を言っていたと判断したらしい。


(ど、どういうことだ? 唾をつけたら治るって冗談だったんだが……え、マジで治ったの? 吸血種の唾液ってすげえな!)


 思わず自分の右腕を見るレウルスだったが、傷口は完全に塞がっているどころかカサブタすらない。もしかすると吸血種の唾液には強力な殺菌効果や治癒効果があるのか。変なところですごいなファンタジー世界、とレウルスは戦慄した。


「ああ、いや、でも傷は治ってるし、嘘じゃなかった……ぞ?」

「む? おー……たしかにそうじゃな! うむ、レウルスがワシに嘘をつくはずもなかったのう!」


 冗談で言ったはずが、実際に治っているのだ。エリザはレウルスの言葉が嘘ではなかったと思い直し、その表情を笑顔に変える。


 レウルスもエリザに合わせるように笑顔を浮かべ――内心では激しく焦っていた。


(治癒魔法は使えないけど唾液に薬みたいな効果があるのか? いやいや、どんな唾液だよそれ。でもこの世界って治癒魔法もあるし、そういった特性を吸血種が持っていてもおかしくはない……のか? いや、やっぱりおかしいって絶対)


 そんな効果があるのならば、ナタリアが教えていたはずである。傷口に塗る軟膏程度ならばともかく、効果が高い薬などはレウルスも見たことがない。ラヴァル廃棄街全体で見ても希少なのか、そういった治療薬自体ラヴァル廃棄街では取り扱っていないのか。


(吸血種だからなのか、エリザだからなのか……それとも俺の体質? でもキマイラの時はエステルさんが治したって話だし、やっぱりエリザに関係が……ん?)


 そこまで考えた時、レウルスの脳裏に引っかかるものがあった。


「……なあ、エリザ」

「なんじゃ?」


 先程まで顔を真っ赤にしていた理由を忘れてしまったのか、エリザは美味しそうに黒パンを齧っている。そんなエリザを怖がらせないよう表情を柔らかくしつつ、レウルスは尋ねた。


「姐さんと問答していた時に聞き流してたけど、お前は怪我の治りが早いって言ってたよな? それってどれぐらい早いんだ?」


 ポトン、とエリザの手から黒パンが落ちる。レウルスの質問が予想外だったのかエリザは目を見開き、唇を震わせ始めた。


「っと……エリザ?」


 エリザが落とした黒パンが机の上で跳ね、床に落ちそうになる。レウルスはそれよりも早く黒パンを掴むと、そのままの勢いで齧りついて首を傾げた。

 エリザはそんなレウルスの行動が見えていないのか、反応する余裕もないのか、額に大量の汗を浮かべている。そして激しく視線を彷徨わせ、席を立って逃げ出す――ことはなかった。


「っ……う、む……そう、じゃな……」


 音を立てて唾を飲み込み、逃げ出そうとした体を押さえ付けるようにして机を掴むエリザ。そのただならぬ様子にさすがのレウルスも眉を寄せ、厨房から心配そうに見ていたコロナへ視線を向ける。

 コロナはレウルスの視線に気付くとすぐに頷きを返し、厨房の奥へと引っ込んだ。ドミニク共々エリザの話は聞かないということだ。


「レウルスなら……いや、レウルスには、聞いておいてほしいんじゃ……」


 声を震わせながらそんなことを言い始めたエリザに、レウルスも表情を真剣なものに変えた。


「おう……なんだ?」

「ワシがかつていた町……ケルメドを逃げる羽目になったその理由じゃよ。吸血種だと知られ、騒がれたその理由……それを話そうと思う」


 自身を落ち着けるように、ゆっくりと水を飲むエリザ。レウルスは食事の手を止め、急かすことなくエリザが話すのを待つ。


「たしかにワシは昔から怪我が治るのが早かった……かあ様の真似をして包丁で手を斬った時も、一晩で治ったのう。近所の友達と遊んで転んだ時も、擦りむいた膝がすぐに治った……」


 それだけを聞くと、少々傷の治りが早いだけとも取れる。子どもの頃は多少怪我をしてもすぐに治るだけの回復力を持っているのだ。


「アレは……うむ、風が強い日じゃった。いつものように近所の友達と遊んでいたんじゃが、強風で木窓が外れて飛んできての。避ける暇もなくて頭に直撃したんじゃ」


 水で唇を湿らせ、エリザは話を続ける。


「死にはせんかった。じゃが、頭から大量に血が出てのう……その傷もほんの一日、二日で治ってしまったんじゃ」


 遠い記憶を思い出すように目を細めるエリザ。年齢に見合わぬ仕草だったが、エリザがケルメドから逃げ出したのが五歳から七歳の頃である。現在が十三歳ということは、半生前の出来事なのだ。


「一緒に遊んでおった友達はワシの怪我が治って喜んでくれた……が、それを親に話してしまったらしくての。近くに治癒魔法を使える者もいなかったからすぐに噂が広まったんじゃ。ワシが得体の知れない化物ではないか、とな」

「……エリザのお婆さんは治癒魔法を使えなかったのか?」

「うむ……おばあ様はケルメドでも有数の魔法使いじゃったが、“だからこそ”おばあ様でも治せなかった以上ワシが化物なのでは、とな……」


 大怪我をしたが、その大怪我もほんの短期間で完治した。レウルスとしても『良かったな』で片付く話だが、この世界の人間からすれば治癒魔法も使わずに短期間で大怪我が治ったというのは異質だったのだろう。

 その騒ぎを聞きつけたグレイゴ教徒がエリザを吸血種だと断定し、危険を感じたエリザ一家はケルメドを逃げ出したのだ。


「あれ? 唾をつけたら俺の傷が治ったのは?」


 エリザがケルメドから逃げ出した理由については理解できた。しかし、レウルスの腕の傷が治ったこととは関係がない。エリザ自身の治癒能力が高いためその唾液にも治癒能力があった、などと考えるのはさすがに無理があるだろう。


「唾をつけたら治ると言ったのはお主じゃろう?」


 当のエリザは心底から不思議そうに言った。唾をつければ治ると言ったのはたしかにレウルスだが、実際に治ると奇妙に思えてしまう。それを解消するべく尋ねたものの、エリザは思い当たる節がないようだった。

 今更エリザが隠し事をするとは思えない。それならば怪我が治った理由がわからず、レウルスは疑問を覚えつつも表情が暗いエリザを励まそうと笑った。


「怪我が治りやすいってのは冒険者にとって最高の能力だな。怪我をしろっていうわけじゃねえけど、怪我の治療にかかる時間が少ないってことはそれだけ魔物退治に時間をかけられるわけだし」


 レウルスとて右腕の傷が治るまでは無理ができなかっただろう。それが一晩寝ただけで治ったのは嬉しい誤算だった。


「……そう、かの? レウルスはそう思うかの?」

「ああ」


 エリザはといえば、自身が忌み嫌う能力を肯定されて複雑な様子である。それでもレウルスの返答に他意がないと見抜いたのか、ほっと安堵したように息を吐いた。


 そんなエリザの反応から、再び化け物扱いされたくないという心情が透けて見える。レウルスは止めていた食事を再開すると、話題を変えるためにも大仰に振り返って店の外を見た。


「そういえば、まとまった金が入ったら服を買ってやるって言ってたっけな。この雨だと魔物退治も無理だろうし、今日は服屋に行ってみるか」


 そう言って笑いかけてみると、エリザは虚を突かれたように目を瞬かせる。それでもレウルスの話を理解すると目をキラキラと輝かせた。


「良いのかっ!?」

「昨日の“詫び”としてもな。問題はエリザの体格に合う服があるかどうかだけど……」


 レウルスのその言葉に、エリザの顔が再度真っ赤に染まる。色々な意味で印象が薄く、レウルスの記憶にもまったく残っていないが、水浴びの最中で飛び込んだのは事実だ。

 それならば謝罪の意味も込めて服を買おうとレウルスは考えた。しかし、懸念も一つある。


 エリザは年齢の割に体が小さく、コロナが昔使っていた服でさえ袖が余ってしまったのだ。さすがに子ども用の服がないとは思わないが、基本的に服屋では中古の服しか扱っていない。運が悪ければエリザの体に合ったサイズの服は見つからないだろう。

 それでも服を見て回るだけでも楽しいはずだ。現にエリザは羞恥心よりも楽しみに思う気持ちが勝ったのか、食事のペースを速めながら笑顔で叫ぶ。


「それなら食事を済ませて早く行くぞっ! ワシに合う服がなくなるかもしれん!」

「まずは冒険者組合に行ってからだからな? シャロン先輩にも今日は休んで良いか聞くからさ」


 先程までの暗い雰囲気が一転し、明るい顔つきで黒パンを齧るエリザ。そんなエリザの姿に苦笑すると、レウルスも食事のペースを上げるのだった。


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[良い点] エリザ 健気でかわいいな。
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