第458話:戦いの後 その1
ぐるぐる、ぐるぐる、と渦を巻く。
暗闇に閉ざされた視界の中で、体を廻るナニカ。
それはごく自然なようで、異質なようで、ぐるぐると渦を巻く。
頭から爪先まで満ち足りるような、何かに置き換わるような、異物感。
それは夢か現か幻か。
おかしいと思う気持ちはあれど、居心地が良く感じられるのもたしかで。
このまま、全て流されてしまうのもきっと――。
『“そっち”にいっちゃ、だめ』
暗闇の中で不意に聞こえたのは、ネディの声。
『あなたはわるいこにも、よくないものにも、なっちゃ駄目』
咎めるような、引き留めるような、険しい声。
『あなたは――レウルスはへんなこ。それがいい』
それでいて、どこか悲しそうに、願うような声が聞こえ。
『――――』
体に流れ込んできた“新しい魔力”に困惑し――レウルスの意識は再び暗闇に沈んだ。
「…………あー」
目を開け、見知らぬ天井を見上げたレウルスは間の抜けた声を漏らす。喉がカラカラに乾いており、少しばかりしわがれた声が出たが、己の意思通りに声が出たことに安堵する。
視線を彷徨わせてみれば、天井どころか室内の全てが見たことがない場所だった。どこかの家屋らしく生活感が漂っているが、レウルスが知る限りスペランツァの町やラヴァル廃棄街に存在する家屋の雰囲気ではない。
ラヴァル廃棄街のような土壁ではなく、スペランツァの町のように木材による壁でもなく、石材による壁。しかしながらカルヴァン達ドワーフが建てたにしては意匠が異なるのだ。壁際に置かれた棚や机、椅子といった調度品からはどこか高級そうな気配がする。
レウルスはゆっくりと体を起こし、自身の状態を確認した。
防具の類は身に着けておらず、ズボンにシャツと非常にラフな格好だ。だが、身に着けている衣服はレウルスにも見覚えがないものである。
「んー……」
寝起きだからか思考の巡りが悪い。それを自覚しながらもレウルスは寝台から下りると、寝台のすぐ傍に置かれてあった机に目を向ける。
そこにはボロボロになった『龍斬』とその鞘、最早無事な場所を探す方が難しい鎧や手甲、脚甲といった防具の類が置かれてあった。
靴だけは無事だったためそのまま履き、更に無事とは言い難いが損耗が少ない『首狩り』の剣を腰に差す。加えて予備の武器として短剣を腰の裏に固定すると、ひとまず最低限の武装が整ったと判断する。
(……いや、どこだよここ)
武器を身に着けるなり、レウルスは内心で呟いた。近くに水差しがあったため手に取り、中身を一気の飲み干して息を吐く。
スラウスや突如現れた黒い球体との戦いに関しては覚えている。その戦いが終わった直後から記憶がないことから、意識を失っていたのだろう。
レウルスは近くの窓へと足を向け、開け放って外の様子を確認する。
(……ああ、ここか)
窓から確認した風景は、気を失う前までに見ていたことからすぐに合致した。レウルスが寝かされていたのはバルベリー男爵家の領主、ヘクターの邸宅である。何故かその一室に寝かされていたらしく、レウルスは眉間に皴を寄せた。
窓を開けてみれば、レモナの町のいたるところから木を叩くような音や人の声が聞こえてくる。どうやら戦いの余波で被害を受けた家屋等の修理などを行っているらしい。
(エリザ達は……『思念通話』を使うか)
近くにいればいいが、などと思いながらレウルスは自身の魔力を探る。すると、これまでにない魔力のつながりが増えていることに気付いた。
(ん? この魔力は――)
そこまで思考したレウルスを遮るように、部屋の扉をノックする音が響く。一体誰かと思い返事をしてみると、数秒の間を置いてから扉が開かれた。
「ああ、姐さんか」
姿を見せたのはナタリアだった。最後に見た時と同様に、戦装束を身に纏っている。
ナタリアはレウルスの顔を見るなり小さく目を見開き、次いで、安堵したように息を吐いた。
「ようやく起きたのね……いえ、“無事だった”のね」
「ようやくってことはずいぶんと寝ちまってた……って、無事?」
何やら不穏な言葉を口にするナタリアに、レウルスは疑問の声を上げる。ナタリアはそんなレウルスの反応に苦笑を浮かべると、傍にあった椅子に腰を下ろして深々とため息を吐いた。
「……色々と気になることがあるんだけど、最初に聞いとくよ。姐さん、疲れてるよな?」
普段のナタリアならば見せることがないような、疲れた表情。それを見たレウルスが心配そうな声を上げると、ナタリアは苦笑を深めた。
「疲れもするわよ……レウルス、あなたは戦いの後にいきなり気を失ったのだけど、それは覚えているのかしら?」
「ああ」
「そう……あの日から今日で五日目になるのだけど、それは?」
「……全然知らなかった。記憶にある限り、一度も目を覚まさなかったみたいだ」
スラウスとの戦いから既に五日が経っていると聞き、レウルスは思わず頭を抱えてしまった。一体何があればそこまで長時間眠っていられるのかと、自分自身のことながら頭が痛くなる話だとレウルスは思う。
「この五日間、中々に大変だったわよ? スラウスを倒したからか意識を取り戻した町の住民達をなんとか落ち着かせて、怪我人の手当てをして、バルベリー男爵をスペランツァの町から連れてきて、状況の説明をして……」
頭を抱えるレウルスを見ながら、ナタリアが淡々と話す。
「クリスとティナ……グレイゴ教の司教二人から空のひび割れは塞いだって言われたけれど、経過観察も必要だから警戒する必要があるし、いつまたあの黒い魔物が出てくるかとこちらも警戒する必要があったわ」
「そんな大変な中で、俺は五日間も寝ていたわけか……すまねえ、姐さん」
自身の意思で眠っていたわけではないが、ナタリアの苦労を思えば自然と頭も下がる。レウルスが謝罪するとナタリアはため息を吐き、目を閉じた。
「統治者同士で話す必要もあったから、仕方のないことだわ……とりあえず、あなたが目覚めたのならわたしが必要以上に警戒する必要もなくなるし、少しは休めるでしょう」
そう言いつつ、今にも眠りそうなナタリアを見るとレウルスとしては申し訳なさが強まってしまう。それでも聞くべきことがある、とレウルスは口を開いた。
「それで姐さん、俺が無事だったってのは?」
「……わたしにもよくわからないのだけど、ネディ様が言うには非常に危険な状態だったらしいわ。そこであなたと『契約』を交わして、なんとか安定したとかで……その辺りは本人に聞いてちょうだい」
少しばかり眠そうに話すナタリアだったが、レウルスとしては驚きは小さかった。むしろ、自身とつながっている魔力の感覚がネディのものと知り、納得するばかりである。
「あとは寝かせておけば自然と目覚めるだろう、とも言っていたわね。それでも何かがあれば対処できるようこの館で寝かせてもらって、あとはバルベリー男爵と色々と協議していたわたしが時折あなたの様子を見ていたというわけ」
さっきは席を外していたけどね――そう話すナタリアは、安堵したように気が抜けた表情を浮かべた。
「あー……そりゃあ本当に迷惑をかけたみたいで……エリザ達はどうしたんだ?」
エリザ達の性格ならば、自身が目覚めるまで看病していそうだとレウルスは思考する。だが、ナタリアはそんなレウルスの疑問に笑みを浮かべた。
「あの子達なら町の復興作業を手伝ってるわ。もちろんあなたの心配もしていたけど、いつ目覚めるかわからないのなら体を動かしていた方が良いと言っていたわね」
少しばかり意外に思える言葉だったが、今回の一件で何か思うところがあったのかもしれない。
エリザからすれば祖父であるスラウスが仕出かしたことで――そこまで思考したレウルスは声を潜めた。
「ところで姐さん。今回の件、エリザについてバルベリー男爵は……」
エリザが何かしたわけではないが、祖父であるスラウスが“結果として”これほどの被害をもたらしたのだ。連座として罰を与えられるのではないか、とレウルスは危惧した。
「スラウスとの関係性を伝えていないから、何も言ってきてないわ。むしろ復興の手伝いを率先して行っているから好意的に見ているでしょうね」
「……それで問題ないのか?」
罰を与えてほしいわけではないが、後々何かしらの不利益を被っても不味い。そう思って問いかけるレウルスに対し、ナタリアは小さくあくびをしてから答えた。
「逆に尋ねるけど、どうやって問題にするの? “わたしの領民”をバルベリー男爵が裁くというのは道理が立たないわ。それに、数十年も前に滅んだはずの吸血種が国を跨いでレモナの町で生き返ったというだけでも信じ難い話なのよ? その上で、生き返った吸血種が偶然エリザのお嬢さんの祖父で、本人がそう名乗っていた……そんな話を信じられる?」
「俺は直接戦ったからな……そういえば、バルベリー男爵はスラウスに操られていた記憶がないんだったか」
「ええ。バルベリー男爵だけでなく、町の住民も全員が操られている最中の記憶がなかったわ。それもここ一ヶ月近く記憶のある時とない時が混在していて、あなたが倒れた直後は本当に大変だったのよ……」
珍しく――むしろ知り合って初めてになるかもしれない、ナタリアの心底からの愚痴。
それを聞いたレウルスはただただ肩身が狭く、いたたまれない心境だった。
「……グレイゴ教の連中は?」
「翼竜もいるし、この町には置いておけないから一足先にスペランツァの町に帰したわ。あの連中にも話を聞きたかったのだけど、あなたが倒れている以上、何かあった時に“今のわたし”とジルバさんだけで抑えきれるか不安があるしね」
クリスとティナはまだしも、レベッカを傍に置いておくのは難しかったらしい。クリスとティナもスラウスとの戦いの終盤では何やら耳や尻尾が出ていたし、仕方ないか、とレウルスは思った。
(今の状況でジルバさんとあの連中が殺し合いでも始めたら洒落にならんしな……)
それを止める立場にあるであろうナタリアに視線を向けるが、レウルスはすぐに視線を逸らしてしまう。
体全体から疲れた雰囲気が漂っているのもそうだが、ナタリアから感じ取れる魔力が普段と比べると非常に少ないのだ。
スラウスと一対一で戦い、黒い球体には上級魔法を叩き込んだため、魔力の消耗も激しかったのだろう。“そんな状態”で働き続けていたナタリアに対し、レウルスは頭が下がる思いでいっぱいだった。
いくらアメンドーラ男爵という立場があるのだとしても、戦いが終わってからも後始末に奔走していたとなると肉体的にも精神的にも限界だろう。
レウルスとしては、ナタリアがしっかり休めるように奮起しなければと思うばかりだ。
「とにかく、あなたが起きたのならわたしも少しは休めるわ……体は大丈夫なのよね?」
気合いを入れるレウルスに対し、ナタリアは言葉の後半に心配の色を混ぜながら尋ねる。
「五日間も眠っていた割には特に問題もない、かな。剣と防具が壊れちまったのは大問題だけどさ……」
今のところ体調は問題もなく、魔力も十分にある。むしろ、魔力に関しては十分という域を超えているようにも感じられた。
「そう……さすがにこれ以上の問題が起こるとは思いたくないわね」
そう言ってナタリアは椅子から立ち上がる。レウルスが起きたため、これから一眠りしてくるつもりなのだろう。
ナタリアはレウルスに手を振って背を向け、扉を潜って外に出る――その直前で、何かを思い出したように振り返った。
「ああ、そうそう……今回の一件だけど、町のあちらこちらが破壊されたし、怪我人や衰弱している人も多く出たわ。でも……」
そこまで言葉にして、ナタリアは腑に落ちないような、呆れたような表情を浮かべる。
「命を落とした住民は一人も出なかったわ」
「……そう、か」
それは、戦いの規模から考えればあり得ないことだった。しかし、レウルスはスラウスの最期を思い返して小さくため息を吐く。
最初から“そのつもり”だったのか、偶然の結果か。それを尋ねるべき相手は既にこの世におらず――駆けるようにしてエリザ達の魔力が近づいてきていることに気付き、レウルスは頭を振る。
どうやらレウルスが目を覚ましたことに気付いたらしい。
五日間も眠っていたため一体どんな反応をされるのやら、とレウルスは苦笑を浮かべるのだった。




