第457話:祖父か、吸血種か
“ソレ”は生まれて初めてとなる、怒りの感情を覚えていた。
生まれ落ちてほんの僅かな時間でそのような感情を抱くことなどありえないことだったが、事実として覚えてしまった怒りの感情。あるいはそれが怒りと表現される感情だということすら理解していなかったかもしれないが、他者がその心情を知り得ればそれは怒りだと断言しただろう。
そもそもからして、生まれたばかりだというのに周囲には気に入らない存在が多かった。
憎らしき精霊に匹敵する力を持つ人間が一人いたかと思えば、追加で精霊が一人駆け付けた。それも後者はどこで生まれたのか、水と氷の二属性を司る精霊である。忌々しいにも程があると思った。
弱弱しいものの自身と似たような力を持つ吸血種に関しては、どうでも良い。上級に匹敵する翼竜に関しても、何故自分に逆らうのか不思議だったが特に興味を惹かれない。妖狐の血を引く者も二人いたが、それに関してもどうでも良かった。
中級程度の“亜人らしきもの”に関しては、戦いもせずに下がっていたため気にも留めない。少しばかり妙な気配があったものの、気のせいだと放置した。
何故ならば、それ以上に奇妙な生き物がいたからだ。
怒りを覚えると同時に、“ソレ”は自覚ができない程度ながらも困惑していた。何か変な生き物がいるかと思えば、精霊になったり、吸血種になったりと、忙しなく気配を変化させたからだ。
最初に感じた気配は人間のはずだったというのに、自身と似たような存在に変わったかと思えば憎らしき精霊の気配を纏い、更には吸血種に変化し、最後には混ざりに混ざって変な生き物になったのだ。
振るう武器も気に入らなかったが、質の悪さからそこまで脅威にはならなかった。それでも伸ばした腕が斬られ、精霊の力を使っては焼かれ、本当に奇妙な生き物だと“ソレ”は思った。
結局、精霊の気配が強まったため串刺しにしてみたものの、相手は精霊ではなかった。むしろ自身に似た生き物のようでいて、“何か”が決定的に異なっている存在。
そんな奇妙な生き物と“つながっている”者が二人ほどいたが、そちらに関しては然程気が惹かれなかった。吸血種のような生き物と精霊のような生き物で、特に後者は普通ならば気に食わないというのに、後回しにしても良いかと思えるほどだった。
そうして放置した結果、吸血種の雷魔法で動きを妨げられ、奇妙な生き物に剣で殴り飛ばされ、風の矢で体に大穴を開けられた。
何故このような目に遭わなければならないのか。そう思った途端、怒りが湧き上がってきたのだ。
しかし最早肉体がもたない。故に、“ソレ”は怒りの赴くままに肉体を弾けさせたのだった。
突如として爆散し、周囲に向かって弾丸のように飛散する黒い物体。その兆候に気付いた瞬間、レウルスは無意識の内に動いていた。
少なくともレウルスの目には特定の誰かを狙ったようには見えず、“だからこそ”対処が困難とも言えた。
飛散する黒い弾丸は数が多く、到底数え切れるものではない。なおかつ周囲に向かって飛散する弾丸の先には、黒い球体を死に際まで追いやったナタリア達の姿もあった。
「――――」
レウルスは『龍斬』を盾にしながらナタリア達の前に飛び出し、全身に魔力を回し、雨のように叩きつける黒い弾丸を受け止める。『龍斬』の刀身に直撃した黒い弾丸によって金属が軋む音が響き、体ごと薙ぎ倒されそうになるのを辛うじて堪える。
弾丸の一発一発は“レウルスにとっては”そこまで脅威ではない。鎧を貫通して肉体まで届き、半ばまで抉り抜いてくるが貫通しない分触手よりもマシだ。
『龍斬』を盾代わりに構えたことで頭だけは守り、あとは肉体で受け止めたため後方に抜ける弾丸は少ない。少なくともナタリアやクリス、ティナは完全に守り切れる。距離があったためネディは自力で防ぎ、ミーアもナタリアの後ろにいたため巻き込まれることはない。
近くには翼竜もいたが、そちらに関しては守りようがなかった。それでも翼竜は身を丸め、急所を守るように体勢を整えていたためまだマシだろう。
「あ――」
だが、レウルスが庇った範囲のギリギリ外にエリザの姿があった。
黒い球体へ雷撃を放つために射線を確保しようと、ほんの僅かとはいえ移動していたために黒い弾丸の雨に晒されることとなる。
レウルスを援護するために取った行動で、エリザはその命を危険に晒していた。
「エリ――」
レウルスは反射的にエリザの名前を呼ぼうとした。それと同時に、誰かエリザを助けられないかと視線を動かした。
ナタリアは上級魔法を使った直後で、クリスとティナは空のひび割れを塞いだばかりで、突如として黒い物体が行った自爆行為に反応が間に合っていない。
そもそも、レウルスでさえ黒い物体の魔力を感じ取った瞬間に無意識のうちに動いてようやく間に合ったほどなのだ。
そして、さすがのレウルスといえど、事前に動いて受け止めることはできても放たれた後の弾丸に追いつく術はない。
サラの力を借りて炎で迎撃していれば間に合った“かもしれない”が、完全に防ぎきれる保証もなく、また、『龍斬』を振った瞬間にはエリザへ着弾していただろう。
――間に合わない。
レウルスならば黒い弾丸に穿たれようと黒い触手に貫かれようと耐えられたが、エリザにそれを可能とする力はない。多少の傷ならば治すことはできても、『熱量解放』を使っているレウルスでさえ鎧と体で止めるのがやっとの代物だ。
黒い弾丸が一発でも命中すれば、当たった部分を根こそぎ吹き飛ばしかねない。エリザにはそれに耐えられる防御力もなければ、治しきれるだけの力も備わっていない。
黒い物体の行動に気付いて魔法で迎撃しようにも、雷の杖を使ってでさえ魔法の発現が追い付かない。
――“レウルスは”間に合わない。
故に、最早運に託すしかなかった。エリザに黒い弾丸が命中しないよう、居るとも知れぬ神に祈るしかなく。
「――え?」
風を纏いながらエリザの眼前に飛び込んできた人物に、レウルスは思わず呆けたような声を漏らす。
それは今まで敵対していたはずのスラウスで――まるでエリザを庇うように、黒い弾丸に身を晒していた。
「ぬ、ぐっ――!?」
スラウスから苦悶の声が上がる。レウルスと同じように己の身を盾とし、エリザに命中したであろう黒い弾丸の全てを受け止めていた。
何故そんな真似をしたのか、という困惑。レウルスは体内に抉り込んできた黒い弾丸を“消化”しながらも、スラウスの行動に疑問を覚える他ない。
地を駆けるレウルスは間に合わずとも、空を翔けられるスラウスは間に合わせることができた。己の体を風で加速させ、滑り込むようにしてエリザの前に立つことができたのだ。
「何を……」
そんなスラウスの姿に、レウルスは茫然とした声を漏らす。黒い物体は今しがたの自爆で限界を迎えたのか、既にその気配も魔力も消失していた。そのためレウルスは『首狩り』の剣に持ち替え、ゆっくりとスラウスのもとへと歩を進めていく。
スラウスの状態は、レウルスの目から見ても致命傷と言えるものだった。レウルスのように黒い物体を取り込んで魔力に変えるような真似はできなかったのか、ただでさえ薄くなっていた魔力が更に薄れ、全身に穴が開いて血を流している。
これまでのように、負った怪我が治る様子もない。流れる血を止める余裕すらなく、スラウスは血が流れるままにしている。
「っ、何を、か……何を、している、の、だろう……な……」
レウルスの声が聞こえていたのか、スラウスは苦笑いをしながら声を紡いだ。既に立っている余力さえなくなったのか、その場に膝を突き、深く息を吐く。
「ほん、とうに……予定外の、連続だ……」
吐いた息と同様に、深い、言い様のない感情が込められた声。顔は血色を失って真っ白になっており、それを見たレウルスは小さく眉を寄せる。
――それは最早、死人の顔だった。
「死んだかと思えば、“このような有様”だ……まったく、二度死ぬなど、笑えぬ話、よ……」
そう言いつつ、スラウスは肩越しに振り返ってエリザの顔を見た。そしてエリザに傷一つついていないことを確認すると、口元を少しだけ緩める。
「……だが、まあ……カトリーヌの血が、こうして続いていたのを見れたのならば……悪くは、なかった、か」
「……アンタ」
レウルスは『首狩り』の剣を握ったまま、どうしたものかと視線を彷徨わせた。
スラウスからはこれまで感じられていた敵意もなく、既に“先”が見えている。それでもここまでのことを仕出かした以上、手を抜くことなどできない。
「何故、この町であんな真似をした?」
『首狩り』の剣を構えながらレウルスが問う。既に敵意がなかろうと、レモナの町にもたらされた被害は甚大なものだ。
「くくっ……そういうカタチに、生まれたからだ……」
韜晦するように話すスラウス。その返答にレウルスは片眉を跳ね上げるが、何かを言うよりも先にスラウスが言葉を続ける。
「貴様とて、そうだろう? いや、貴様の場合は、我とも、“アレ”とも異なる、のか……」
「……まさか、さっきまでいたあの黒い物体と同じように扱ってないだろうな?」
レウルスが問いかけると、スラウスは小さく笑う。
「さて、な……先ほどの“アレ”も……グレイゴ教のやつらが、詳しかろうよ……」
「何?」
レウルスは眉を寄せるが、クリスとティナの行動を思い返せば何かしらの情報を持っているのだろう、と思われた。少なくとも、何も知らない者が空のひび割れを直そうなどとは言いださず、なおかつ実際に直すことはできないはずだ。
「我も……時が、至れば……だが、その前に、こうして死ぬというのなら……それ、も……」
そう言いながら、スラウスの体が端から崩れ始める。先ほど消滅した黒い物体と同じように、空気に溶けるように。
それでもスラウスは浮かべた笑みを崩さず、その視線をレウルスへと向ける。
「貴様、レウルス、といったな……“その力”は、人の身には、過ぎた……もの、だ……既に、手遅れ、に、近いが……」
「…………」
スラウスの言葉を無言で受け止めるレウルス。最早余命幾ばくも無いと悟り、『首狩り』の剣をゆっくりと下げる。
仮にこの状態から襲い掛かってくるならば斬るが、既に“死んでいる”身だ。数分と経たずに死ぬものを殺すこともあるまい、とレウルスは自身に言い聞かせる。
「あ、あのっ!」
そんなレウルスとスラウスの会話を聞き、エリザが声を上げた。
己が死にかけていたこと――スラウスに助けられたことを遅まきながら理解し、そして、スラウスが死にゆくことを悟り、自然と声を上げていた。
エリザとしても、スラウスに対する思いは複雑なものがある。自身の祖父だという関係性もそうだが、スペランツァの町から攫ってきたのもスラウスだ。
怒りがあり、葛藤があり、複雑な思いがあり――それでも、今この場だけは、命を救われたという一点にだけ気持ちを向ける。
「助けてくれて、ありがとう」
何故自分を助けたのかはわからない。それでもエリザは礼の言葉を口にする。
スラウスはそんなエリザの言葉に小さく目を見開くと、何かを言おうとしたのか口を開く。しかし言葉を紡ぐことはなく、すぐさま口を閉じた。
「さようなら……おじい様」
だが、続いたエリザの言葉に今度は大きく目を見開く。
「……おじい様、か」
予想外の言葉を言われた、といわんばかりにスラウスは言葉を漏らした。そして苦笑するようにして、呟く。
「ふん……そのように呼ばれる資格など、“ワシ”にはあるまいよ」
そう言って、スラウスの体が大きく崩れた。流れる血の量に合わせて魔力も薄れ、体の大半が空気に溶けていく。
「…………」
スラウスの最期の言葉を聞いたレウルスは、自然と『熱量解放』を解いていた。
体の傷も既に塞がっており、これ以上は戦闘もないと判断したからで――。
「…………?」
『熱量解放』を解いた瞬間、レウルスの意識が明滅する。
それに疑問を覚えるよりも先に、レウルスはその場に崩れ落ちるのだった。




