第456話:変性 その2
レウルスは黒い球体に向かって一直線に駆ける。
それを見たからか黒い球体はレウルスに狙いを定め、一斉に触手を繰り出した。数が減ったとはいえ十本もの触手が飛来するが、レウルスは退くことなく前へと駆け続ける。
「ジャマ、ダアアアアアアアアアアァッ!」
『龍斬』に魔力を込め、大上段から正面へと一閃。まとめて七本もの触手を粉砕し、残った三本は前へと出ることで回避する。
残った触手がレウルスを捉えるべく動く――それよりも先にレウルスは『龍斬』を振るい、三本の触手を斬り飛ばした。
だが、黒い球体も触手が斬られたからと無抵抗では終わらない。後方に向かって跳ねながら触手を新たに生み出し、レウルスへと放って距離を詰めさせないようにする。
「逃げちゃ、だめ」
そんな行動を、黒い球体の狙いから外れたネディが止めた。これ以上距離を離させまいと氷の壁を生み出し、黒い球体が物理的に下がれないようにする。
黒い球体は即座に触手で氷の壁を破壊しようとしたが、ネディはそれを見越したように氷の矢を放ち、壁を破壊させなかった。
その動きを見る限り、黒い球体の力は大幅に落ちているように感じられた。クリスとティナが語った通り、これならば殺せるのではないか、と思えるほどに。
それでも、近づけば近づくほどに黒い球体から放たれる攻撃は激しさを増していく。触手を斬っても新たに生え、即座に攻撃を仕掛けてくるため、距離が縮まるほどに黒い球体の攻撃を受ける可能性が高まっていく。
事実、近づけば近づくほどに斬り損ねた触手がレウルスの体を傷つけていく。体の至るところが抉られ、その度に血が噴き出していく。
傷を負ってもレウルスの体は即座に治そうとするが、瞬時に傷口が消えるような回復力は持っていない。数秒もあれば傷が塞がるものの、その数秒の間に新しい傷を作り、血を流しながら前へと進んでいるような有様なのだ。
もっとも、“その程度”で止まるのならば最初から突撃などしていない。問題があるとすれば最後、黒い球体を間合いに捉えた時である。
『龍斬』で斬りかかれるような至近距離まで近づけば、新たに生えた触手を回避できるかは怪しいところだ。生えた瞬間に触手が繰り出された場合、眼前で発射された弾丸を“発射した後”に回避するような真似をしなければならなくなる。
それも最悪の場合、同時に十の触手を回避するなり斬るなりしなければならなくなる。そうしなければ胸部に風穴を開けられた時のように、全身が穴だらけになるだろう。
無論、“その程度”でレウルスが止まることはなかった。頭さえ守れば良いと思い、真っ向から黒い球体との距離を潰していく。
脇腹を抉られながらも触手を斬り、太ももを削られながらも触手を斬り――そんなレウルスを援護するように、空から降り注ぐようにして現れた雷が黒い球体を直撃する。
「ワシだって……“わたし”だって、一撃くらいっ!」
レウルスが振り向くことはなかった。だが、背中に届いたエリザの言葉に小さく笑みを浮かべ、雷撃によって僅かとはいえ動きが止まった黒い球体との距離を瞬時に踏破する。
駆けた勢いをそのままに踏み込み、体を捩じるようにして斬撃を繰り出す。
それはレウルスが滅多に繰り出すことがない、下段からの掬い上げるような切り上げ。普段の振り下ろしと比べればやや不格好に、それでも腕力と遠心力を乗せて『龍斬』を黒い球体へと叩き込む。
――重い。
単純な重さもそうだが、黒い球体は地面に根でも張ったように動かない。それでいて『龍斬』の刃が僅かに食い込む程度で止まるほどに硬く――構うものかと言わんばかりにレウルスは力を込めた。
黒い球体に食い込んだ『龍斬』に魔力を、両腕に力を込める。力が込められたのは腕だけではなく、踏み込みの強さにより、接地した両足が地面を陥没させる。
「ウ――オオオオオオオオオオォォッ!」
腹の底から咆哮し、全身全霊を込める。レウルスの二の腕が隆起し、手甲の留め具が弾け飛ぶ。
レウルスの力に押されるように、黒い球体が地面から浮き上がる。
そして不意に、持ち上げた黒い球体の真下で突如として風が逆巻く。その風はレウルスの斬撃を後押しするかのように黒い球体を持ち上げていく。
ナタリアか、あるいはクリスの援護か。そう思考したレウルスだったが、風から感じ取れた魔力はどちらのものでもなく――。
「ッ、オオオオオオォォッ!」
迷いを無視するように、『龍斬』を振り切った。レウルスの腕力と真下から突き上げるような風を受け、黒い球体が空目掛けて弾き飛ばされる。
「姐さん!」
レウルスはナタリアを呼びながら真横へと飛ぶ。辛うじて十メートルほど打ち上げたが、“射線”の傍にいたら巻き込まれかねないのだ。
「よくやったわ、レウルス」
黒い球体が空へと“持ち上げられた”瞬間、ナタリアも動いていた。
尋常ではない魔力の集中。生み出された風がかざした杖の先に圧縮され、本来は見えることなどないはずだというのに杭のような矢の姿を形作る。
以前サラがメルセナ湖でスライム相手に放った火炎魔法を超える規模の魔力が集中しているというのに、ナタリアは完璧に制御して己の支配下に置いていた。
風を生み出し、魔力を注ぎ込み、確実に上級と呼べる威力の風魔法を杭のサイズまで圧縮。“本来ならば”大軍相手に放つような威力の風を固めた矢は、ナタリアが動かす杖に従って照準を定める。
空へと跳ね上げられた黒い球体を遮る物は何もない。触手を使って回避なり迎撃なりをしようにも、ナタリアからすれば全てが遅い。
「――穿て」
その言葉と同時に、風の矢が放たれる。そして、放った瞬間には黒い球体へと直撃していた。
回避する間も迎撃する間も与えることのない、神速の一矢。それは音を置き去りにし、黒い球体に直撃した後に轟音と衝撃をもたらす。
風の矢は黒い球体に命中したあと僅かに拮抗し――そのまま球体を抉り、突き抜けていく。
二メートル近い黒い球体の大部分が丸々消滅し、貫通した風の矢はそのまま上空へと駆け抜けて遠くに見えていた雲の全てを吹き散らす。
仮に風の矢を“水平”に放っていたならば、射線上にあった住宅全てを粉砕し、レモナの町の城壁を貫き、更には町の外にある森などを抉りながら地平線へと消えていっただろう。
そう確信させるほどの威力があり、『龍斬』でも斬れなかった黒い球体を貫いてみせた。
大部分――割合で言えば八割方吹き飛ばされた以上、黒い球体としても致命傷だろう。
それでも傷という概念があるのか、そもそも死ぬのかという警戒があり、ナタリアが放つ魔法から退避していたレウルスはすぐさま立ち上がって黒い球体の落下地点へと駆ける。
触手よりも太いが、残った部分を斬ってバラバラにでもしないと安心できない。そう思ったレウルスだったが、行く手を遮るようにしてスラウスが立ちふさがる。
「……“さっき”のことといい、何のつもりだ?」
黒い球体が暴れていた時は消極的な攻撃しか行わず、レウルスが黒い球体を上空へ切り飛ばそうとした際は風で援護をしてきたというのに、とどめを刺そうとすれば庇うのか。
「なに、アレが出てきたのは我としても予定外のことだったのでな。我では殺せんが、代わりにアレを殺すというのならば手を貸すのも吝かではない……あれほどの魔法を叩き込んだのだ。アレは放っておいてもすぐに消えるであろうよ」
「……そうかい」
スラウスの言う通り、最早球体を維持できなくなった黒い物体が地面に転がり、溶けるように端から消滅していく。
それを見たレウルスはボロボロになった『龍斬』の代わりに『首狩り』の剣を抜くと、スラウスへと突き付ける。途中で“邪魔者”の乱入があったが、レウルスは元々スラウスを仕留めるためにここまで来たのだ。
『龍斬』だけでなく防具もボロボロだが、幸いなことに体に負った傷の大部分は既に治っている。ただし流した血まで元に戻ることはなく、『熱量解放』を解けばすぐに倒れてしまうだろう。
『詠唱』を使ってまで上級魔法を行使した影響か、ナタリアからは援護が期待できるほどの魔力が感じられない。また、クリスとティナも膝を突いて荒い息を吐き出しており、戦闘できるような状態には見えなかった。
援護ができそうなのはエリザ達だけだが、その中でも元気なのはミーアとネディだけである。黒い球体から得た魔力があるため戦闘自体はまだまだ続けられるが、一対一に近い状況では逃げられる可能性もあった。
戦うなら短時間で仕留めるしかない。スラウスの討伐に関してはほぼ予定通りに進んでいたものの、黒い球体の存在が予定外に過ぎた。
それでも、スラウスを殺し得る手段をレウルスは持ち合わせている。『熱量解放』を超え、“限界”を超え続けているが、スラウスを仕留めるためならば集中力もまだもつ。
故に、あとはスラウスを斬るだけなのだ。斬れば全てが片付くと自分に言い聞かせ、レウルスは『首狩り』の剣に魔力を込めていく。
「…………?」
だが、その途中でレウルスは違和感を覚えた。
黒い球体ほどではないもののスラウスから感じていたはずの巨大な魔力が、目に見えて小さくなっているのだ。また、スラウス自体の存在感ともいうべき感覚が薄れ、今にも消えてしまいそうなほど弱弱しくなっている。
そんなレウルスの疑問が伝わったのだろう。スラウスは小さく苦笑した。
「我の血も残り僅か、といったところか……まあ良い。課せられた役割も思わぬ形で果たせた」
「……何を、言っている?」
『首狩り』の剣を突き付けた状態でレウルスが尋ねる。問答無用で斬りかからないほど、スラウスの表情が透徹していたのが気にかかったのだ。
「貴様も我と似たようなものだろう? いや、あるいは別種かもしれんが――」
スラウスがそこまで言った瞬間、それまで消滅に向かっていた黒い物体から不意に魔力が膨れ上がるのが感じられた。
レウルスは一体何事かと『龍斬』を構え――最後の断末魔のように、黒い物体が弾け飛んで周囲に襲い掛かるのだった。




